50歳で早期退職し、セミリタイア!

私セイルは50歳で早期退職、セミリタイアしました!その思いを綴ります。

人の贅沢がエスカレートしていく仕組み(象箸玉杯)

 一点豪華主義のつもりが、贅沢がエスカレートしていき、ついには身を滅ぼしてしまう。

 いかにもありがちな話ですが、それは現代日本だけではありません。古代中国にも同様の話がありますので、書いてみます。

目次

 

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 《東京都青梅市:彼岸花》

象著玉杯、酒池肉林の故事

 今私が読んでいる『韓非子』。

 これまで半分くらい読みましたが、同様の説話が二ヵ所に載っていました(「喩老」篇と「説林」篇)。ここでは、両篇の文章を、私の方で適当に合体させて紹介します。

昔者、紂為象箸、而箕子怖。

 昔、[殷の王である]紂(チュウ)が、象牙の箸を作らせたところ、[家臣の]箕子(キシ)は、そのことに恐怖を抱いた。

 中国の王朝は古い方から夏、殷、周…とされていて、うち、殷は紀元前17世紀から紀元前1046年までとされています。その最後の王が「」であり、屈指の暴君として古代中国史では超有名人です。

 あるとき、紂王が象牙の箸を作らせたところ、家臣の箕子がそれを見て感じることがあり、恐れをなした、ということです。

 

「以為象箸、必不加於土鉶,必將犀玉之杯」

 「象牙の箸を作っておいて、素焼きの土器(土鉶)に食べ物を盛り付けるなんてことはあり得ない。サイの角や宝石で出来た杯(犀玉之杯)に盛り付けるに決まっている」

 

「象箸玉杯、必不羹菽藿,則必旄象豹胎」

 「象牙の箸や宝石の杯を使っておいて、食べるものが、豆や豆の葉のスープ(羹菽藿)といった粗食はあり得ない。カラウシ()や象、豹の子供といった珍味を食べるに決まっている」

 

「旄象豹胎、必不衣短褐而食於茅屋之下,則錦衣九重,廣室高臺」

 「カラウシ、象、豹の子供を食べるのに、短い野良着(短褐)を着てかやぶき屋根の下にいるなんてことはあり得ない。錦の衣を幾重にも着て、高台の広い部屋で食べるに決まっている」

 箕子という人は、かなり鋭い直感を持っており、紂王が、象牙の箸の一点豪華主義に留まらず、どんどん贅沢がエスカレートしていくと予想します。

 

「稱此以求,則天下不足矣。吾畏其卒,故怖其始」

  「王の求めに応じて、こんなことをしていったら、天下の物が丸ごとあっても足りないぞ(天下不足)。私は、その行く末が恐い。だからその発端[象牙の箸]を怖れるのだ」

  贅沢にはキリが無いもの。ましてや、一国の王ですから、その気になれば一国の贅沢品を全てかき集めることができます。それでも、まだ足りない、もっと持って来い、などと言い出しかねない。

 そうなってしまったときのことを考えると、たかが象牙の箸とも言っていられないわけです。

 

居五年,紂為肉圃,設炮烙,登糟邱,臨酒池。紂遂以亡。

 そうして5年。紂王は、肉を田んぼのように敷き詰めて(肉圃)、焼肉の炉(炮烙)を設け、酒かすの丘(糟邱)に登って、酒の池(酒池)を見渡すまでになった。こうして紂王は亡んだのである。

 象牙の箸を作ってから早5年。箕子が言ったことが当たり、メチャクチャ盛大な焼肉パーティーを開くまでになっていました。

 しかし贅沢が過ぎて、恐らく人々の反感を買いすぎたのでしょう。紂王は殷という国とともに滅ぼされ、周にとって代わられたのです。

 

故箕子見象箸以知天下之禍。

 箕子は象牙の箸を見て、天下の禍(わざわい)を知ることになった。

 

聖人見微以知萌,見端以知末。故曰「見小曰明」。

 聖人というものは、微かな事象を見るだけで、大きな出来事の兆しを察知するものである。些末な発端を見るだけで、その行く末を見抜くものである。[老子では]「小を見て明を見る(見小曰明)」と言っているが、それはこのことである。

 この説話から導かれる教訓というのは、「見小曰明」、つまり、国の滅亡といった大事件を察知するためには、「象牙の箸」という些細な事柄にもアンテナを張っておくことが必要なのだ、ということです。

  以上が、象著玉杯酒池肉林の故事です。

この話は多分、史実ではない

 ただこの説話は多分、伝説であって史実ではありません。そもそも、殷の時代に箸があったのか相当に疑わしいからです。

 殷を滅ぼした周が、殷の悪宣伝をするために後世になって作った話、というのが妥当でしょう。

 近代になって、「甲骨文」という殷王朝の一次文字資料が出土し、それを分析したところ、紂王はそこまで悪い人ではなかった、ということが明らかになっているようです。

 ただ、象がかつて中国にいたというのは本当らしいです。でなければ、「象」という象形文字など誕生しようがありませんから。詳細は次のサイト参照。

 

 なお、本項の記述は、次の書籍を参考にして書いています。

漢字の字源 (講談社現代新書)

漢字の字源 (講談社現代新書)

  • 作者:阿辻 哲次
  • 発売日: 1994/03/16
  • メディア: 新書
 

「贅沢はエスカレートするものだ」がもう一つの教訓

 作り話だったとしても、このような話がそれなりの説得力を持って書物に取り上げられ、それが現代に伝わっているということ自体、興味深いものです。

 この話の教訓は、先にも述べた通り「見小曰明」でありますが、当ブログ的には、「贅沢はエスカレートするものだ」をもう一つの教訓として提唱したい。

 贅沢がエスカレートする仕組みとしては、贅沢の連鎖でしょうか。象の箸を作ったからには、やはりそれに見合う食器、食べ物、家がなくてはならない。一点豪華主義だと割り切れる人がどのくらいいるのか。

 現代でいえば、すごく贅沢なスーツを買ったとすると、それに合わせて、ネクタイやタイピン、Yシャツ、靴、腕時計などの高級品も欲しくなってくるわけです。

 あるいは、高級な自宅を買った後、それに合わせて生活が派手になっていき、教育にも金をかけるようになって、首が回らなくなっていくなど、ありそうなパターンです。

 贅沢をしてはいけない、というつもりはさらさらありませんが、分をわきまえて、このような贅沢の連鎖には陥らないようにしたいものです。

 

 今回紹介した『韓非子』には、

  • 最強の矛で最強の盾を突いたらどうなるか答えられなかった話(矛盾
  • うさぎが株にぶつかるのを待って身を滅ぼした話(守株待ちぼうけ
  • 大人しい龍でも、鱗が逆さに生えている部分に触れると怒り狂う話(逆鱗)。
  • 良薬は口に苦いとか、忠言は耳に逆らうという話

など、面白い説話が沢山載っています。『論語』は理想主義過ぎて微妙、という人でも、この本なら現代にも通ずるリアルな人間観で楽しめます。

「韓非子」を見よ! (知的生きかた文庫)

「韓非子」を見よ! (知的生きかた文庫)

  • 作者:守屋 洋
  • 発売日: 2009/04/20
  • メディア: 文庫
 

 

 

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リタイア後に襲ってくる?「取り残され感」「おいてきぼり感」

 今のところ、私はリタイア生活を何の問題も無く続けていますが、それが可能である要因の一つとして、孤独耐性があるから、というのは絶対あると思っています。

 孤独感といっても色々とありますが、早期リタイアとの関連で言えば、「取り残され感」「おいてきぼり感」というものが、本質的なように思えますので、今回はそのことについて書いてみます。

目次

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 《東京都青梅市》

リタイア生活は孤独である

 先日も述べた通り、リタイア生活というのは、一人でいる時間が長くなります。以下、過去記事より。

リタイア生活と一人行動・孤独感について

(略)

 「集団か一人か」という選択肢から一人行動を選ぶのではなく、自分の周囲には一緒に行動してくれる人がみつかりにくくなり、必然的に一人で行動せざるを得ない、という状況に置かれることが多くなってくる訳です。

何もしないリタイア生活も板についてきた

  特に感じるのは、周りが働いているなか、自分だけがリタイア生活を送っているため、どうしても一人で過ごす時間が長くなること。

 だから、孤独耐性がある、もっと進んで孤独でも楽しい、というぐらいでないと、リタイア生活を続けていくのは困難かもしれません。

 何もしないリタイア生活も板についてきたでは、「孤独耐性の無い人がリタイアしたら陥りやすい3つのパターン」を、私が勝手に考えて書いています。

  1. 単純に、周囲に人がいないと寂しくてしょうがない
  2. それまでバリバリ仕事をしてきた人がリタイアすると、他者との比較切磋琢磨がなくなり、「おいてきぼり感」「取り残された感」を味わいやすい
  3. 趣味が、複数人でないと行えないものばかり(リタイア後に空いた時間で、趣味をやろうとしても一緒にやってくれる人がいない)

 勝手に考えたものとはいえ、どれも充分にあり得る話でしょう。

 私はどれも当てはまらないのですが、それでも1と3はまぁ分かるのです。

 寂しがり屋さんはこの世に多いだろうし、私が結婚を考えた直接の動機も、実は1によるものだったりします。

  【過去の参考記事】 リタイア生活と一人行動・孤独感について

 あるいは、草野球を毎日でもやっていたい人がリタイアしたら、平日何をやっていればいいの?ということで、3の問題が必然的に発生します。

「おいてきぼり感」「取り残され感」がリタイア後に襲ってくるケース

 一方、私が理解できないのは2です。

 ただこれは私が理解できないというだけで、「おいてきぼり感」「取り残され感」というのは、非常に本質的で根深いものを含んでいるような気がしています。

 満を持してリタイア生活に突入したが、しばらくして飽きて、仕事に戻ってきた、というのも、この「おいてきぼり感」「取り残され感」よるところ大なのではないでしょうか?

 例えば、、、

「早期リタイアしたい」という人が、実は幸せになれない理由2つ

 さらに言えば、自分で事業を興して成功し、早期リタイアした人の多くは、いったんリタイアしても再びまたビジネスの世界に戻ってくることが多いのです。でもこれは逆に考えると当然のことです。なぜなら仕事に成功したということは仕事の面白さを十二分に体験したからであり、すなわち仕事が苦行にならず、まさに本多静六氏の言う「職業の道楽化」が実践できたから成功したのです。だからこそリタイアした後も仕事の面白さが忘れられず、やはり何らかのビジネスに取り組みたいと思う気持ちが強いのでしょう。

 いや、本当に「職業の道楽化」が実践できているのなら、そもそも早期リタイアなど考えなくてよいはずですよ。

 「仕事の面白さが忘れられず」というと聞こえはいいけれど、「仕事でバリバリしていたあの頃に比べて今は・・・今も活躍しているライバルに比べて自分は・・・」といった感じで、「おいてきぼり感」「取り残され感」と言い換えられてしまったりするわけです。

経験してわかった!「早期リタイア」が実は楽しく無いと思う3つの理由。

早期リタイア後、人間関係が疎遠になって友人と会うのも辛くなった。
早期リタイア後、自分の能力の劣化があからさまに不安になった。
早期リタイア後、人生の意味がわからなくなって、逆にストレスが溜まってしかも太った。

 この人の言う3つの理由というのも、記事を読んでいくと、結局は「おいてきぼり感」「取り残され感」というワードでくくれそうです。「日本社会において何者でもない自分」というものが不安だった・許せなかった、という感じでしょうか。

 早期リタイア後、経済的理由以外で「やっぱり仕事に復活しました」という事例を、ネットでたまに見かけますが、それらを突き詰めていくと「おいてきぼり感」「取り残され感」に行きつくケースが多いのではないかと思います。

「おいてきぼり感」「取り残され感」の特異性

 先に挙げた3つのパターンのうち、

  • 単純に、周囲に人がいないと寂しくてしょうがない
  • 趣味が、複数人でないと行えないものばかり

については、物理的に人が近くにいないことで生ずる感覚、あるいは不都合です。だから、仲の良い人が出来たり、一人で出来る趣味を作ったりすれば解決します。

 一方、「おいてきぼり感」「取り残され感」というのは、物理的に人が近くにいるかどうかとは関係無く生ずる感覚です。自分が一人であることを寂しく思う、という意味では孤独感の一種なのですが、この点は特異です。

 周囲の人は働いているのに、稼いでいるのに、社会貢献しているのに、それにひきかえ自分一人だけこんな生活していていいのだろうか

 どんなに家族仲が良く、友人と頻繁に会ったりしていても、癒すことは難しいでしょう。それとは無関係の所で生じている感覚なのですから。

何故、「おいてきぼり感」「取り残され感」を感じるのか、考察。

 人間社会は、社会の中での自分のポジションというものを、常に確認し評価されるような構造になっています。

 学校では学業やスポーツの成績の上下、友人関係、部活。職場では地位や仕事。どれだけ社会やコミュニティに貢献しているか、あるいは貢献し得る人物か。細かな所では、お昼は誰と食べるか?なんてのも、自分のポジションの一つです。

 我々は、どのコミュニティにおいても自分のポジションを確立するよう、幼少時より社会から求められ続けます。老後は、そのようなポジション取りから、ある程度自由になって然るべきなのですが、「何かしら社会と繋がっていた方がいい」とか言って、やはり自分のポジションを作るよう勧められたりします。

  【過去の参考記事】 退職後にまで「社会と繋がって」ないと不安な社会

 それこそ、揺り籠から墓場まで、自分のポジションというものを意識させられる社会なわけですが、なかでも「働いている場所」というポジションは、極めて重要視されます。

 しかし、早期リタイアなんてのは、そのような社会からの要求に反旗を翻して「働いている場所」というポジションを放棄するわけです。

 そのため、次のような人が早期リタイアしたら、「取り残され感」「おいてきぼり感」を感じるのではないでしょうか。

  • 「働いている場所」というポジションに執着や未練がある人
  • 社会からの要求に反旗を翻しているということに不安を覚える人(つまり「世間体を気にするタイプ」)

 みんなは「働いている場所」というポジションを持っているのに、自分にはそれがなくなってしまった・・・・取り残されている、おいてきぼりにされている、と。

 ある意味、 「おいてきぼり感」「取り残され感」というのは、単純な孤独感ではなく、社会というものが、社会の各構成員の頭の中に作り出した虚構の感覚なのではないか?などと思ったりもします。

 

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既婚者のセミリタイア。「夫婦共同財布」はお勧めできない。

 共働き夫婦の家計管理でよく話題になるのが、夫婦共同財布 vs 夫婦別財布。そして別財布だと貯蓄が出来ないから、共通財布にしなさいと勧める記事が定番です。

共働きでもお金が貯まらない夫婦の共通点「夫婦の財布が別々」(女性自身)

このように財布が別々でお互いの収入が不透明だと、思ったほどお金が貯まっていかないのです。

(略)

 そこで中島さんが提案するのは、夫婦の財布とは別に“第3の財布”(銀行口座)を作り、お互いの収入の大部分をプール。そこで家計を管理する方法だ。

 共通財布だと、支出が一元化されて、家計が透明になって貯蓄ができるそうです。

 でも、夫婦別財布で基本やってきた私からすると、何で自分のお金の大半を、わざわざ共通財布に移すなんて、厄介なことしなくちゃならんの?という感じです。

 まして、セミリタイアしようとする場合、そのリタイア資金を夫婦共同財布から出さなくてはならないのです。

目次

 

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 《東京都日の出町:日の出山頂》

我が家の家計管理方法

 とは言っても、我が家に、全く共通財布が無いわけではありません。

 共通財布に最低限の金額を入れ、夫婦共通の出費はそこから出す、ということくらいはやっています。

我が家の家計とリタイア資産状況について、もう少し詳しく書いてみる

 夫婦共通の銀行口座では、1年弱で100万円ぐらい減少しており、減ってきたら適宜入金するというパターンが出来ているので、年間に直すと120万くらい?ということで、

  • 年間、夫婦二人で60万円ずつ出し合って、計120万円の生活費とする。

となっています。

 なので、ここでいう生活費は「夫婦共通」であるものに限られますね。

  • 固定資産税(年間12万円)
  • 食費のうち、自炊または2人での外食(月3~5万くらい。外食が多い月は増える)
  • 自宅の通信費(月6千円)
  • 電気・ガス・水道・燃料費(月1~3万;季節により変動)
  • 2人での旅行

などは、夫婦共通の生活費に入るのですが、

  • 食費のうち、一人の外食・飲み会の参加
  • 個人の通信費
  • 自家用車の費用(妻)

は、個別費用からの支出となります。

 ただ、共通財布への入金は年間60万円ほどと、持てる全資産に比べて圧倒的に少ないです。

 また、共通財布の管理は、財布の中身が少なくなってきたら、それぞれの個別財布から同額ずつ補充する、というだけのズボラなやり方。

 「共通財布の利点を生かして、家計をしっかり管理する」なんてこと、ほとんどしていないのです。

 さらに、夫婦それぞれの貯蓄残高や収入・支出などは、いちいち細かくチェックしておらず、完全な個人管理です。それでも、お互い貯蓄は出来ています。

 つまり、我が家の共通財布はただの割り勘ツールに過ぎず、事実上、別財布といってよいのです。

 ちなみに、このようなやり方は自分財布と共通財布の2つがあって面倒そうですが、クレジットカードを使い分けることで、随分と楽になっています。キャッシュレシュに懐疑的な記事も以前書きましたが、必要なところではちゃんと取り入れています。

 【過去の参考記事】 リタイア後2度目の住民税は自動引落し。キャッシュレシュでは痛みを感じないね。

共通財布のデメリットだと感ずる点

 「共通財布は貯蓄に最適」みたいな記事が多いけど、私に言わせれば結構デメリットが多い気がします。以下、私の感ずる点を書いていきます。

かえって財布の紐が緩くなることもある

 共通財布は責任が曖昧になるから、かえって財布の紐が緩くなることがあります

 例えば、私の場合、夫婦で結構高い店に外食に行った場合、自分の財布なら絶対節約するであろうところ、共通財布なので心置きなくオーダーできてしまうのです。

 我が家の場合は、共通財布の用途が限定的なのでこのくらいで済んでいますが、これが資産の大半に及んだ場合、このようなルーズさをも資産の大半に持ち込むことになりかねないわけです。そうなってしまったら貯蓄のためにいいことだとは思えません。

財布の紐を緩めたいときでも緩めにくい

 逆に、ここはぜひ財布の紐を緩めて、一念奮発したいと思うことがあります。

 例えば、私が今、趣味で乗っている電動アシストクロスバイクは30万円しましたが、これは当然、自分の財布から出したものです。

 しかし、資産のほぼ全額を共通財布にまとめてしまった場合、このように高額の買い物をしようとするたびに、夫婦間での摺合せが必要になります。もともとは自分のお金だったものを使うだけなのに、人の許可が必要になってしまいます。

 しかも、お金の出所が共通財布であるため、購入した後も「自分の物」感が薄れることになります

メリハリを利かせた支出をしたい場合、共通財布は不向き

 つまり、外食のような比較的少額なものに対する支出はルーズになる一方、高額の出費はやりづらくなる、という方に流れがちなのが共通財布。少なくとも私はそう。

 私は、少額なものの支出はおさえて、ここぞというときの出費は惜しまない、というメリハリを利かせたスタイルなので、共通財布はなじまないのです。

セミリタイアもやりにくそう

 あと、共通財布を主体にする方式だと、セミリタイアもやりにくそうです(不可能とは言わないが)。

 というのも、セミリタイアは個人の資金で行う、というのが原則だからです。

 別財布なら「個人の資金」というのが自明なため、夫婦共通の折半額さえ出せれば問題ないわけで、例えば私の場合、「毎年、共通財布へ60万を拠出できるだけの資金がある」ことを妻に説明すれば、終わりです。

 しかし、共通財布を主体に運用していると、そうはいきません。

 「リタイア資金を共通財布から出す」

 ちょっと考えただけで夫婦間の調整がめんどくさそうです。リタイア資金って、要は自分が楽するための費用ですよ。これを共通財布から出すことの理解を配偶者に求めなくてはならないのです。

 例え、配偶者から理解を得られても、リタイア後は共通財布の運用の仕方に変更が生ずるのは免れない。課題が一つ増えるわけです。

共通財布それ自体に貯蓄を増やす効果はない

 いや、分かりますよ。共通財布でちゃんと貯金が増えたという家庭があるということを。

 でも、それは、

  • 夫婦双方で協力しあって財布を管理していくものだということを、夫婦双方が認識し、その運用の仕方について定期的に話し合っていく
  • あるいは、夫婦の、より堅実な方が、ルーズな方をコントロールする

といった、夫婦双方(ないしは片方)の努力の賜物なんじゃないですかね。

 2つのザルを1つの大きなザルにまとめたところで、努力をして穴を塞がなければ、ザルはザルのままですよ。それまでザルだった夫婦が、そのような努力をしていくことが本当に出来るのか?という話。

 一方、うちのようにほぼ別財布でやっていても問題無くやっているところもあり、変に財布を共通化すると、管理の負担が増えるだけでなく、前述のデメリットが目立つようになるかもしれません。

 あるいは、セミリタイアや起業といったチャレンジで資金を拠出するということも、しにくくなる。

 結局、貯蓄できるかどうかは、財布の形態よりも意識の問題の方が大きい。

 共通財布というのは、家計を適切に管理するための手段の一つではあるけれど、それ自体に貯蓄を増やす効果など無いよ、ということです。

 

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宝くじ当せん後も仕事は辞めるな……という公式アナウンス

 もしあなたが宝くじでウン億円当たったとしたら、仕事は辞めますか?

 当ブログの読者であれば、100人中99人の割合で「辞める!」と答えるかもしれません。

 でも、世の中は必ずしもそういう方ばかりではないですよね。

 「人間というのは仕事をすることによって(中略)、だから、私は宝くじがあたっても働き続けますよ」などと、良識的に話してくれる方もおられるでしょう。

 「宝くじで高額当せんしても仕事は辞めてはならぬ」

 これは巷で言われているというのみならず、公式にアナウンスされていることでもあるのです。

目次

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 《東京都青梅市》

1000万円以上あたったら配られる冊子『その日から読む本』 

 宝くじで1000万円以上あたったら、ある冊子が配られるそうです。

【その日】から読む本 - Wikipedia

『【その日】から読む本』(そのひからよむほん)とは、日本の宝くじにおいて、1000万円以上の高額当せん者に対して無料で配布されている小冊子。

  大概の人は1000万円もの大金を、「濡れ手に粟」で手にいれる機会などまず無いので、その心構えを説いた本、ということにでもなりましょうか。

 wikipediaには、その内容が概略ベースで記載されています。

当せん金の使い道について、ローンや借金の返済を優先すること、当せんについて知らせる人をリストアップすること、仕事は辞めないようにすること、冷静になって落ち着くことなどの基本的なことから、

 実際、高額当籤者のなかには、舞い上がって見境がなくなり、人生を破滅に導いてしまうな人もいるでしょうし、そのことに対して、宝くじ販売主体は責任が持てないから、あらかじめアナウンスをしているのだと思います。

 そして、「仕事を辞める」というのは、舞い上がって見境がなくなった人がとる行動として代表的なものなのでしょう。

リタイアブログに宝くじで一発当てようというネタは皆無

 宝くじで高額当せんすると、額によっては、そのまま早期リタイア・セミリタイアが可能となったりもします。でも、リタイアブログをいくら読んでも、そのようなネタは皆無。リタイア達成者・志望者がネタにしている、お金を増やすネタの多くは投資や副業によるものです。

 まぁそれはそうでしょう。皆さんが投資をするのは、期待値が100%を超えるという確信があるからであって、一方、宝くじの期待値は50%以下と決まっています。何百万分の1の確率でウン億円あたるのだとしても、ほぼ1の確率で金をドブに捨てる結果になるのが目に見えている。

 リタイアを検討される方は堅実なので、こういうものには手を出さない。

 逆に、宝くじを買いまくるような方は、正直なところ、そんなに堅実なようには見えない。万一、そういう方が当せんしてしまった場合、先に述べたように、冷静な行動がとれずに破滅コースを歩んでしまうということもありそうです。

 だから、宝くじで高額当せんをしても、仕事を辞めてはならないと、こういうアナウンスがなされるのでしょう。

ウン億円あたって、仕事を辞めないのもつまらない話

 でも思うのです。

 ウン億円あたっても、仕事を辞めないとすると、そのウン億円は一体、何に使うの?

 フリーランスならともかく、多くのサラリーマンは、会社を辞めない限り、毎日夜遅くまで残業し、休日はその疲れを癒すため、なかなかアクティブに活動ができないといった状態を続ざるを得ない。ウン億円ものお金はいつ使うのでしょうか。

 当せん金を元手に、例えば、世界一周旅行や、その他、まとまった時間をとって好きなことをしたいといっても、フルタイムの正社員でいる限り、困難ですよね。

 せいぜい、豪邸を買うか、高級な料理を食べまくるか、毎日高級バーに飲みに出かけるか、旅行のホテルを最高ランクにするか、移動の際にグリーン車を使うようにするか、子供の教育に金をかけるか。

 つまり、今までの生活の延長線で、受けるサービスのグレードを上げる、という方向性しかないのです。

 もちろん、そのことによって生活が快適になるのはいいことなのですが、あそこまで人々の射倖心を煽りたてて宝くじを売っている意味が分からないのです。

 「宝くじを買うとウン億円もの大金があたるんです!」

 でも実際にあたったら、

 「仕事は辞めないで堅実にやって下さいね」

 一体何のための宝くじなんだか

 まぁ、こういうつまらない話になってしまうのも、高額当せん者のなかには、お金の使い方をわきまえておらず、当せん金をスッてしまう人が少なからずいるからだとは思うのですが。

 

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セミリタイア達成者・中川淳一郎氏、この先思いやられるなぁ

 元ネットニュース編集者?の中川淳一郎氏がセミリタイアを達成して、僅か3日(9/2時点)で「悲しい。寂しい」とおっしゃっています。

中川淳一郎氏 セミリタイア3日目にして早くも「悲しい。寂しい」 | マネーポストWEB

 (略)フリーランスとしてのセミリタイア宣言は亜種の「定年退職」といえましょう。そうしたところから、今の率直な気持ちを述べます。

 悲しい……。

 これに尽きるんですよ。

 今からこれじゃ、この先が思いやられるなぁ・・・。

 

目次

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 《東京都奥多摩町:多摩川(左)と日原川(右)の合流点》

リタイア理由について壮大な記事を書いていた中川氏

 中川氏は、「なぜセミリタイアするのか」、結構、壮大な記事を書いておられました。

  これをネタに、私も当ブログに記事をアップしたこともありました。

  つまり、人生には潮時や引き際というものがあるのだ、と。自分にとっては、47歳という年齢がそれなのだ、と。

 この理論が間違っているとは全く思いません。

「自宅が居場所」と言えない人は、多分セミリタイアに向いていない

 でも、僅か3日で「悲しい、寂しい」では、この人はセミリタイアに向いていなかったのかな?と思ってしまいます。

 特に、記事の最後の一文。

それにしても人間関係って本当に大事なんだなァ……。つくづく「居場所」がある有難さを今は感じています。

 居場所って、「自宅」は居場所ではないのでしょうか?

 「リタイア後は徒歩で日本一周するんだ」的な人で無い限り、リタイアした人のホームグラウンドは「自宅」になります。

 自宅という最もスタンダードであるべき居場所を差し置いて、「居場所がある有難さ」というものを語ってしまっているところに、「この人はセミリタイアしてはいけない人だったのかも?」という危惧を感じるのです。

 世間には、家族仲が険悪で、退社後も家に帰れないフラリーマンのような「真の意味で自宅に居場所が無い人」がいるそうです。

 家に帰れない"フラリーマン"の哀しい心情 仕事もないのに休日出勤する人々 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

マーケティングコンサルタントの酒井光雄氏は「マイホームを買い、子供の教育費がかかるため収入を上げようと懸命に仕事をするが、妻子の待つ家には自分の居場所がなく、一人で居酒屋やバーでボーッと無為に時を過ごすビジネスマンは少なくない」という。

 でも、中川氏の場合は、多分そうではありません。実際、次のようにおっしゃっている。

日本一有名なネットニュース編集者が「もう疲れた」と引退を決めた理由 (2/2)

コロナ騒動で再確認するパートナーとの幸せ

今回の新型コロナ禍はまったく想定していなかった緊急事態だが、それでも私が計画どおり、セミリタイアを実行しようと決意できているのは、妻の存在も大きい。

 

 恐らく、「真の意味で自宅に居場所が無い人」とは別に、「そもそも自宅を居場所と捉えていない人」が一定数いる。どんなに家族仲が良くても、自宅も居場所の一形態という観点をナチュラルにスルーして、本来の自分の居場所は自宅の外にあると捉えているわけです。

 こういう人が、セミにしろアーリーにしろ定年にしろ、リタイアして、「居場所とは捉えていなかった自宅」がホームグラウンドになってしまったら、そりゃ、「悲しい」とか「寂しい」という気持ちになるわなぁ。

 一方、日本一有名なネットニュース編集者が「もう疲れた」と引退を決めた理由 (1/2)の壮大な理由記事は、突き詰めていくと「職場に居場所が無くなってきた」ということです。それであれば、なおのこと、代替の居場所として自宅がふさわしいか? 事前にもっと検証する必要があったのでしょう。

先が思いやられる

 冒頭の記事には、他にも気弱な記述が盛りだくさん。

自分が「終わった人」になることがここまでキツいことなのだとは新鮮な驚きでした。


同世代の皆さんがキチンと会社に行き、仕事をしている中、私だけは家でぐーたらしている状況が到来することが予想できるわけです。


この原稿を執筆中の3日目にしてもう不安しかありません。


やはり、「仕事をしている」という状態があることこそ人間には重要なんですよね。


たとえ定年が近づいても無駄に厭世的にならず、その職場を大切にする方がいいんじゃないかな、と思うようになりました。

  たった3日でこれでは、先が思いやられます。今日(10/12)は、それから一ヶ月以上が経過しているので、少しは気分が紛れているのでしょうか?

 それにしても、中川氏はあそこまで大見得を切ってセミリタイアした割に、やっていることって、セミリタイアを大々的に悪宣伝しているだけだよなぁ。いかにも、セミリタイアすると「終わった人」になるみたいに書いているし(ちなみに私のリタイア直後は、「終わったか終わってないか」という概念自体、頭に浮かぶことがありませんでした。「これから始まる」とは考えたけど)。

 私個人はリタイア済だからいいけど、「リタイア適性のある人がリタイアしにくくなる世の中」にはなって欲しくない

 「寂しい、悲しい」ということよりも、

読者の皆様方に対して有益な情報を出せるよう、セミリタイアの身ながら新しい挑戦をし続けなくちゃな、と思う次第です。

という方向性を突き詰めて頂き、ご自身の人生上の選択をもっとポジティブに語ることを期待したいと思います。大丈夫、中川さんはまだ終わっていませんよ

 

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 ⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます

「道楽の仕事」は早期リタイア後にやればよい

 今回は次の記事。

「早期リタイアしたい」という人が、実は幸せになれない理由2つ

 ビジネスパーソンの中には20代、30代は必死で働いてお金を貯め、40代で早期にリタイアし、あとは悠々自適で楽しく暮らしたいと考えている人が少なからずいるようです。(略)

 68歳になった今、それまでの仕事と生活を振り返ってみると、必ずしもこの考え方は正しくないのでは?  という気がします。

  50歳でリタイアした今、それまでの仕事と生活を振り返ってみると、必ずしもこの考え方は正しくないのでは?  という気がします。

 とりあえず書いていきます。

目次

 

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 《山梨県上野原市》

仕事を道楽にする方法

 この記事では「早期リタイアしたい人が、幸せになれない理由2つ」とありますが、読み進めていくと、結局は1つに集約されます。つまり、仕事を面白いと思えるか、更に進んで「仕事を道楽化できるか」というところです。

 (略)人生の最も長い時間を“働いて”過ごすことになるでしょう。であるなら、「仕事の道楽化」というのは本当にできないのかどうかを考えてみても良いと思います。今の仕事がつらいし、面白くないから早期リタイアを目指すという人もいるでしょうが、それはもう一度考えた方が良いと思います。(略)

 確かに仕事が道楽になればスバラシイと思いますよ。

 ただ、それだけでは記事にならないので、そのための方法が記事の中で提案されています。

 でもたとえ会社勤めであったとしても、自分が担当する仕事の中で“好きなこと”や“得意なこと”を見つけることは可能だし、そうすべきです。

(略)

早期リタイアすることを夢見て今の仕事を苦痛と思ってやっている人は、仕事を楽しんでやっている人には絶対に勝てません。

 このように、好きな仕事を見つけてそれを突き詰めていくことで、色々とお呼びがかかり、それが道楽になるのだ、と。

 例えば、この著者自身(大江英樹さん)の経験として、「人前で喋る」「講演の講師をする」ということが好きで、在職中にこれを磨いていき、60歳で独立した後、現在でも年間150回近い講演の依頼を受けているのだとか。

 いや、スバラシイ!!! まさに、仕事の道楽化大成功!!!

 ここまで出来るのであれば、何も早期リタイアなんてする必要無いですよね。

多くのリタイア志望者にとって、現実的な提案か?

 ただ問題は、「仕事の道楽化」というものが、多くの人々にとってどのくらい現実的な提案なのか?ということ。

 実は私、早期リタイア決意した45歳以降も、これまでのキャリアを生かす形で「仕事の道楽化」が出来ないか、検討したことがあるのです。

 これまで私がしてきた仕事で好きなことは「EXCELいじり」。職場では、関数なりプログラムを組んで、色々と仕事の効率化をしました。プログラムを組んでいる最中、そして完成後の動作確認で上手くいったときは、脳汁出まくりでした。

 ただ、現役時の職場では、このEXCELいじりに費やせる時間とネタは限られていました。また、完成品にバグがあったりして作業をチョンボした場合は、大変なことになります。

リタイア後初めて仕事の夢。こんな悪夢を見るほどにトラウマが大きい

 そのような事態が起こると、大問題になり、経緯と再発防止を記した書類を作らされます。

(略)
 ここまで最低でも一ヶ月。夜も眠れなくなるほど憔悴する日々が待っています。

  いくら、EXCELが好きであっても、EXCELを業務に応用するにあたっては、道楽とは到底言えないほど大きな責任が伴うものだったのです。

 それでは、その会社以外のところで「EXCELいじり」をすればいいのでは? 例えば、、、

  1. 「EXCELいじり」が思う存分できる職場に再就職する
  2. ネットで「EXCELいじり」が出来る仕事を受注する

 1番については、色々と調べてみましたが、結局、フルタイムの仕事しかないんですよね。恐らく現役時代と同程度かそれ以上にハードであり、週2~3日、道楽でEXCELいじりをする、という方向性は難しそうでした。

 道楽でやるなら2番なんですが、なんといっても単価が安すぎます。いくら道楽とはいえ、10年単位で培ってきたスキルですし、かなりの労働と義務が伴うものなので、あんなに安価で売り渡すことは出来ない。

 これは私の例でしたが、なんだかんだいって現実は厳しく、

 たとえ会社勤めであったとしても、自分が担当する仕事の中で“好きなこと”や“得意なこと”を見つけることは可能だし、そうすべきです。

という方向性で仕事の道楽化を図って成功することは、一部の幸福な人達のみが可能な話でしょう。「そうすべき」って言い過ぎでは?

早期リタイア後に「道楽の仕事」をするのが現実的

 それではどうするのか? 早期リタイア達成後に「道楽の仕事」をするのが現実的です。

 「早期リタイアも現実的じゃないぞ!」

と言われるかもしれません。

 もちろん、早期リタイアが簡単じゃないのは認めますが、そもそも大江さんは「早期リタイア vs 仕事の道楽化」という観点で論じていらっしゃるので、私も早期リタイアが選択肢に入っていることを前提で書いているのです。

 

 さて、ここで私が言う「道楽の仕事」とは、大江さんがおっしゃっている「仕事の道楽化」、あと、大江さんが元ネタにしている本多静六氏『私の財産告白』にある「職業の道楽化」とは、多分違っています。

私の財産告白

私の財産告白

  • 作者:本多 静六
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: Kindle版
 

 

 私が言う「道楽の仕事」は、実は仕事と言えるかさえ怪しい。「道楽」と言い切ってしまってもよいかもしれない。

 私で言えば、ブログと読書(EXCELいじりもそのうちするかも)。アクティブな方だったら、スポーツでも音楽演奏でもボランティアでも。ただし、思いつきでやるのではなく、継続的に真剣に行う、という意味で仕事と称するのです。

 そんなことしていても、収入はゼロか僅少でしょう。でもそれは、凡人である限り、仕方がない。でも今はネットがあるから、ブログなりyoutubeなりでお小遣いくらいは稼げるかも?

 必要な生活費はちゃんと準備しておいて、リタイア後に、趣味と実益を兼ねて「道楽の仕事」を行い、そこで収益があがれば、自分のお小遣いに回す。これが出来てしまえば、田舎に行かずとも「人生の楽園」ですね。

 現役時代にやっていた仕事のことはきれいさっぱり忘れて自分にとっての「道楽の仕事」とは何か?を真剣に考えてみるのも、一つのあり方だと思うのです。

「道楽の仕事」を見つけられた人は幸いである

 こんなこと書くと、大江さんは多分「そういう発想こそが残念なんだ」とおっしゃると思います。私の提案では、現役時の仕事をただのメシの種と見なし、人生の糧として生かすことには後ろ向きなわけですから。

 でも私は思うのです。

 本当に自分に合う「道楽の仕事」が見つかったなら、どのような内容であっても、幸せなことではないでしょうか?

 そこに、ビジネス的な要素、例えば、現役時の仕事との関連性や、お金を稼げる稼げないなどを持ち込むことは、それほど重要なこととは思えないんですよね。いや、ビジネス化してもいいんだけど、本当に重要なのはそこではないよね、ということ。

 大江さんのようにビジネス化に成功した人は、ビジネスから離れる方向性の話を、やんわりと蔑む傾向にあります。これは、早期リタイアしたい人達を思ってというより、やんわりと蔑みたい、マウントを取りたい側からの需要が大きいのでしょう。

 【過去の参考記事】  マウントは取る方より取られる方が楽だな

 

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都心に住むより郊外で家賃浮かせる方がよくない?

 首都圏におけるコロナ前の住宅論といえば、とにかく都心の職場近くに住めと。通勤時間を浮かせられれば、高い家賃も充分ペイするものなのだ、とこういう感じでした。

 その論を補強するためか、多摩ニュータウンあたりを引き合いに出して、郊外の不動産を「負動産」扱いし、都心を相対的に優位に見せる論調も盛んでした

 最近はコロナで多少は疑問を呈されているようですが、それでも都心優位の論調が大幅に衰退することは無いんだろうと思います。

 都心の住宅。もちろん、それは考え方の一つです。でも、その考え方の一つに過ぎないことが、あまりにもよく言われ過ぎている気がするので、天邪鬼の私は、逆の論調で書いてみようと思います。

 ちなみに以下述べることは、首都圏の話であり、名古屋や関西では必ずしも当てはまることではありません。

目次

 

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 《東京都青梅市:和田乃神社から都心方面への眺め》

都心に住めというそのココロは仕事や通勤の便

 本当に都心が好きで、無数の飲食店でグルメ三昧とか、イベント施設などに通いづくめの毎日を送っている方なら都心がいいと思う、確かに。

 でも、「都心に住め」というのは、そういうこととは限らないんですよね。例えば、当ブログの過去記事で、とある論を分析したところによると、

都心に住めばエンドレスで仕事に没頭できる!

 たとえ、家賃が持ち出しであっても、生活がカツカツであっても、そんなことは小さな問題。終電を気にせずに仕事や人脈作りに励むために、都心へ移り住め、と、こういう趣旨です。

 これは極端な例かもしれませんが、つまり、仕事や通勤の便を考慮して職場が近い都心にすべきだと。

郊外に住んで家賃を浮かせれば、数十年後には・・・

 ただ問題は、都心の家賃・購入価格は非常に高いということなんですね。

 先日、郊外の八王子駅徒歩圏と都心部の四ッ谷駅の家賃最低額をスーモで比較してみました(八王子と四ッ谷なのは、私個人が中央線になじみがあるからです)。

 独身向けの20~25平米の賃貸では、八王子だと3.0万円、四ッ谷だと6.5万。その差3.5万円

 結婚してもう少し広いところとなると、もっと差は広がります。60~70平米で同じように調べたところ、八王子だと7.8万円、四ッ谷だと19.0万。その差11.2万円

 この差額、本当にペイするものなのでしょうか?

 それでも、独身であれば、3.5万円余分に払って都心に住むというのはアリな気がします。

 でも、結婚して60~70平米に住む場合、差額11.2万円はちょっと大き過ぎる。家賃補助がある場合でも、大抵は上限額や年齢制限があります。

 このくらい差が生ずるのであれば、例えば片道1時間(往復2時間)、余分に通勤に費やしたとしても、その分、家賃を浮かせて貯金なり投資に回す方がよくない?などと思ってしまうのです。

 というのも、月給を11.2万円上げたり、副業で11.2万円稼ぐというのは相当に大変なことだからです。平日に往復で2時間分何もしない時間が増えるというだけで、毎月11.2万円分余計に稼ぐのと同じ効果があるのですよ。しかも、この浮いた11.2万円は非課税なのですよ(月給や副業は課税対象)。

 以前述べた「時間を蓄える」という発想を用いると、毎日2時間分余計に通勤に失われるといっても、11.2万円という現金に形を変えて手元に残るのですよ。 手取りで11.2万円を得ようとしたら、労働日換算で10日前後に相当してしまうくらいの額ですよ。

 もし11.2万円を積み立て投資したら、数十年後にはウン千万円になっていますよ。これだけの額があったら、70歳定年に怯えている人だって、10年単位で早くリタイアできますよ。

 逆に言えば、毎日2時間得しているようでいて、実は10年間を失っているようなものですよ。

  【過去の参考記事】 時間を蓄えて早くセミリタイアする、という発想

 

 もちろん、通勤ラッシュはツライものです。そこで私の場合は時間がかかってもいいから空いている各駅停車に乗ったり、始発駅を活用したり、ということをしていました。

 【過去の参考記事】 満員電車を避ける、これが私のポリシー

人々は浮いた2時間で何か有意義なことをしているのか?

 もう一つ。

 高い家賃を払って通勤時間の2時間が浮いたという方は、その浮いた時間で有意義なことをしているのでしょうか? 本当にそうならプライスレスなのでしょうが、そうではない人も実は少なくないのではないかと、私は睨んでいます。

 私が青梅に住む前は、JR中央線沿線の職場近くの社宅に住んでいました。9時始業ですから、8時45分頃に家を出れば充分に間に合う。

 一方、青梅に引っ越してからは、家を出る時間は7時25分になった。その差1時間20分。往復で2時間40分。

 問題は、その2時間40分で何か有意義なことをしていたのか?ということ。

 ハッキリ言って、していませんでした。

 朝はダラダラと起きてインターネットして、出社時間を待つだけ。

 夜は「早く仕事を切り上げよう」という意識が働かないから、ダラダラと仕事する。早く帰れたときも、家でインターネットする時間が増えるだけ。

 むしろ、青梅に引っ越した後の方が、キビキビと時間を使うようになった

 通勤時間は一般的に無意味とされていますが、電車内には手持ちの本やipad以外何も無くてインプットに集中できるので、むしろ時間を有効活用するようになりました。

 【過去の参考記事】 "お金"は貯められるが"時間"は貯められない

 「浮いた時間を有効活用できないのは、あなたが時間の使い方を知らないからだ」

 確かにおっしゃる通り。でも、職場での激務をこなしつつ、自宅で身を入れて自己研鑽などに励むのって、そんなに簡単なことではないよなぁ、と思うのです。

一極集中を保ったまま職住近接なんて、無理筋

 むしろ、

 「仕事が大変で、通勤に時間を割いていられない」

という方が多くの方の実情に近いのかな、と思います。夜9時や10時(あるいはもっと遅く)まで仕事したり飲み会したりすると、そこから遠くまで帰るのが大変。

 あるいは子育てと仕事を両立させるためには遠隔地だとツライものがあるから、家賃が高くてもいいから都心に、、、という選択肢は当然あり得ます。

 でもそれって、激務を続けるために、あるいは、自分を特定の職場に最適化させるために、わざわざ毎月11.2万円もの大金を持ち出している、ということであって、「都心に住んで職住近接スバラシイ」みたいな、よくある論調はちょっと綺麗事過ぎるよなぁ、と思うわけです。

 しかし、都心部での職住近接が最近増えたのは事実で、特に、タワマンによる物件の大量供給によるところが大きいと思います。ただ、ガチの都心だと価格が高過ぎて一部の富裕層以外買えないので、やや周辺の湾岸地区や武蔵小杉などがその代替地として持てはやされていたわけです。

 これらのマンションはかなりの高額だけど、世帯年収1000万超の夫婦あたりなら、頑張れば買えなくもない絶妙な価格設定。その背中を押すのに、「資産価値が落ちない」という期待が大きな役割を果たしていることは、以前述べました。

 【過去の参考記事】 自宅の資産価値を気にして暮らすのは大変そうだ

 それでもやはり、誰にでもとれる選択ではありません。また、タワマン林立地域はインフラ等が人口の増加に追い付いていないから、過密地域特有の問題が起きる。

 そう考えると、都心一極集中の現状を変えないで、職住近接の意義ばかりを説かれても、ほとんどの方にとっては無理筋であり、マウントの材料は増えたけど。。。という感じです。

  【過去の参考記事】 マウントは取る方より取られる方が楽だな

 まぁ、都心部で職住近接を果たした人達は、あんなにも多くのコストをかけているんだから、郊外の負動産に住んでいる人間に対して、マウントをしたくなる気持ちも分からなくはないのです。

 コロナで多少なりとも一極集中が改められるのでしょうか? 少し長い目で見た方がいいかもしれないね、というのが次の過去記事なので、よろしければお読み下さい。

  【過去の参考記事】 コロナで注目、地方・郊外。人の流れはいずこへ?

 

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「元を取る」という言葉には二つの意味がある

 我々は、大きな買い物をしてしばらく後、元を取ったかを問題にします。

 しかし最近、この「元を取る」という言葉には、二つの意味があるように思いました。

目次

 

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 《山梨県丹波山村:知る限り最も上流にある「一級河川・多摩川」の標識》

自宅散髪で元は取れたか?

 そのように思ったキッカケは、先日(8/24)、自宅で散髪したときのこと。

 コロナを契機に自宅での散髪を始めようと、ヘアカッター(バリカン)を購入したことは、以前述べました。

巣ごもりリタイア生活に投資した。楽しく緊急事態を乗り切ろう!

そこで、これを機会に、自宅での散髪を試みようと、次の機種をポチったのです。

パナソニック カットモード 交流式 緑 ER511P-G

パナソニック カットモード 交流式 緑 ER511P-G

  • 発売日: 2009/02/20
  • メディア: ホーム&キッチン
 

  買った当時は9422円(ちなみに8/24時点では7832円…orz…)。

 試行錯誤を重ねながらも、おかしな髪型にはなっていないのでまぁヨシとしています

 8/24現在で3回使用しました。これまでのように散髪屋で切ってもらった場合、1回あたり5000円近く払っていたので、「元は取れたな」と一瞬思いました。

 でも、別の考え方も浮かんできました。

 確かに、この機器に9422円を投資したことで、散髪屋3回分15000円弱を支払わないで済んでいます。

 でも、お店では、自宅よりも遥かにいいサービスをしてもらえます。

 やはりプロの方が上手だし、洗髪もおしゃれなシャンプーで念入りに気持ちよくやってもらえる。マッサージや耳かきもついている。

 そういう意味だと、自宅散髪はせいぜい1000円カットぐらいの価値しかない。いや、1000円カットの理容師さんより自分が下手なことを考えると600円くらいかな。

 この機器の生み出す価値が1回あたり600円だとすると、「まだ全然元は取れていない」のです。元を取るためには、あと13回、この機器で散髪しなければいけません

「元を取る」の二つの意味

 お分かりでしょう。「元を取る」には、次の二つの意味があるのです。

  1. その商品を購入することにより、支払わないで済んだ経費が、その商品の価格を上回った。
  2. その商品の生み出した真の価値が、その商品の価格を上回った。

 私の自宅散髪の場合、1の意味では元は取りましたが、2の意味で元を取るのはまだまだ先なのです。

 じゃあ、私がヘアカッターを買ったのは後悔しているのか?というとそうではありません。1の意味で元を取れただけで充分満足しているからです。

 確かにお店でやってもらうサービスは、自宅ではなかなか得難いもので、それがお店に行く楽しみの一つではありました。ただそれは副次的なもので、高額な散髪代を払ってまでそのサービスが欲しいのか?というと、そうではなかった、ということです。

この考え方を他のケースにも当てはめて考える

 このような考え方は、散髪以外にも応用がききそうです。

 例えば、住宅費。家賃を払うのが得か、購入してしまうのが得か?という話。

 でも、得かどうか検討するには、やはり二つの方向があるのです。

  1. 単純に支払額の多寡を問題にする方向
  2. 支払いに見合ったサービスが得られるかを重視する方向(いわゆる「コスパ」)

 両者をごっちゃにして論ずるから、いつまでたっても話が噛みあわないのですが、賃貸派は1、購入派は2で話をしていることが多いように見えます。

 まず、賃貸派の方は、支払額が購入より安く済ませられることを重視して「だから賃貸の方が得なのだ」と主張する。

 一方、購入派の方は、支払額に比して賃貸よりグレードの高い物件に住めていることを重視して「だから購入の方が得なのだ」と主張する。

 どちらが正しいというものではありません。ついでにいえば、賃貸でも2(サービス重視)、購入でも1(支払額重視)の選択は取り得ます

 大事なのは、自分のスタンスが1なのか2なのか、その中間なのかちゃんと意識すること。そして記事や論者が、どちらのスタンスで述べているのか判断すること、ですかね。

 私? 私は、1と2を少しずつ追求した、という感じかな。2000万という額は、首都圏の住宅購入額としてはかなり安い部類だと思いますが、その範囲内でなるべく満足いく家が欲しかった、ということです。

  私の住宅に関する満足度の敷居が低めであるために可能になった選択肢なのかもしれません。

  【過去の参考記事】 リタイア後の住宅を購入した経緯

 

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リタイア生活の楽しい側面、厳しい側面

 当ブログでは、リタイア生活はよいものだよ、楽しいものだよというスタンスが基本ですが、最近はそうではない記事も結構書いています。

 例えば、リタイアの向き不向き系記事。リタイアした人の全てがバラ色の生活を送れるわけではないですからね。

 あるいは、もっと進んで、警告的な内容を含んだ記事もあります。

 ちょっと煽り気味の内容が含まれていますが、意外にも、この「警告系記事」はよく読まれます。

 何事にもやはり二面性があります。リタイアにだって楽しい側面と厳しい側面があるわけです。

目次

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 《山梨県丹波山村:もうすぐ甲州市》

リタイア生活を送ってみると、結構楽しい

 ここ何ヶ月か、実際にリタイア生活を送ってみて、結構楽しいと感じています。私個人に関していえば、厳しい側面というのが全く思い浮びません

 せっかく生活を楽しんでいるのに、「リタイアにはこんな悪い面がある、こんなリスクがある」などと、延々と書き連ねていったら、やはり、私自身、リタイアの楽しさが半減してしまうような気がしています。

 自分がリタイア生活をして、「楽しい」と感じているのであれば、まずは、その通りに「楽しい」と書くことにこそ、個人ブログの醍醐味があるでしょう。

蔑まれがちなリタイア生活をフォローしたい

 リタイアブログを多く読んでいる方には意識に上りにくくなっているかもしれませんが、病気でもないのに仕事をしていない(つまり、無職)というのは、基本的に蔑まれる対象です。

 私の考える限り、その蔑まれ方には大きく2通りあります。

 一つには、「仕事にも行かないでフラフラしていていやがる」という方向性。成人男性は仕事するのが当然の義務なのに、あやつはそれをしていない。すなわち、義務を果たしていないと蔑むこと。

 もう一つは、「仕事をしない生活なんて、一見楽しそうに見えるけど、実際にはやることがなくなっていって、そのうち飽きそう」という方向性。つまり、リタイア生活には価値が無いと蔑むこと。

 以前は、前者の「義務を果たしていない」という蔑み方が一般だったと思うのですが、ネット上では、むしろ、後者の「その生活には価値がない」という蔑み方がポピュラーになってきたのではないでしょうか。

 そして特に後者のような蔑みに対して、私は「一般にはどうかは知らないけど、私は楽しくやっているよ」と、発信してフォローしたい。

 それは私自身のためのフォローではなく(私自身は誰からどう思われようがどうでもいい)、「もう一つの見方を提供したい」ということです。

リタイアについては様々な側面がある

 リアルの世界で発言力が強いのは、仕事が出来る人であり、そういう方の大多数は、当然、「仕事こそが尊い。リタイアなんてとんでもない」という価値観をお持ちだと思います。

 また、そこまで仕事で成功していない方にとっても、早期・セミリタイアというのはあまりに突拍子もない選択。

 ただ、これだけ価値観が多様化し、早期退職勧奨とか70歳定年制とか働き方改革とか言われているなかで、「定年までは働く」という選択肢だけを、後世大事に扱う理由も無いのかな、と。

  だとしたら、それ以外の選択肢の一つとして、早期・セミリタイアというのがあっても全然おかしくないし、むしろあるべきなんだろうと思います。

  とはいえ、リタイア生活を初めて何ヶ月も経つと、それなりの覚悟や条件が無ければ、誰もが踏み込める領域でもないかな、ということも分かってきました。金銭面ばかりが着目されがちですが、それ以上に重要なのが、精神面とか考え方の面において。

 リタイア前は、自分がリタイアすることだけで精一杯だったのですが、リタイアして、当ブログを始めると、他のブログや、その他ネット上でリタイアがどう扱われているかも見るようになります。

 すると、自分のリタイアが相対化されて「なぜ自分はリタイアができてノホホンと生活していけるのか」みたいなことを考えます。

 あるいは、「こういう人はリタイアに向いていないんじゃないか」とか「ちょっと、それは上っ面の情報に流され過ぎではないか」などと自分なりの意見を持ってしまうことも出てきます。

 そのように、「リタイアの厳しい側面」と私が感じたことの一部を、警告系記事としてまとめて、当ブログにアップしている訳です。

 

 当ブログの読者には、「早期・セミリタイアを真面目に考えている人」が多いと思うので、楽しい側面・厳しい側面について、自分が思ったことを、今後も率直に書いていくつもりでいます。

 

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誰もが好きな事で生きていける訳でないという当たり前の事実

  ひろゆき氏の著書に「凡人道 役満狙いしないほうが人生うまくいく」というのがあります。

凡人道 役満狙いしないほうが人生うまくいく

凡人道 役満狙いしないほうが人生うまくいく

  • 作者:ひろゆき
  • 発売日: 2019/09/12
  • メディア: 単行本
 

 私自身がこの著書を読んだわけではないのですが、ネット上の書評や試し読みなどを参考にする限り、私が思っていることに結構近いことが取り上げられているようなので、これ(書評や試し読み)を参考に何か書いてみます。

目次

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 《東京都青梅市:御岳渓谷》

この本の概要(と思われるもの)

 この本の目次をネットで見つけたので、以下に貼りつけます。

はじめに 20××年、ニッポンの詰んだ未来予想図

第1章 AIに怯える前に僕らがすべきこと

第2章 インフルエンサーに搾取されるバカになるな

第3章 社会を変えるより自分を変えよう

第4章 「お金」と「幸せ」は比例しない

第5章 凡人サバイバル術で大人も子どもも成長できる

おわりに 20××年、ニッポンのアカルイ未来予想図

  Amazonの商品紹介ページから。

凡人道 役満狙いしないほうが人生うまくいく

凡人道 役満狙いしないほうが人生うまくいく

  • 作者:ひろゆき
  • 発売日: 2019/09/12
  • メディア: 単行本
 

(略) 

76(ナナロク)世代を代表し、ネット世界にも造詣が深い著者の思考や人生観は、ネット世界の「基本」とは少々異なります。

「投資をするよりまず貯金をしろ」

「好きなことを仕事にしたら生きていけない」

など、従来の「ネットリテラシーがあって閉塞感を感じている人」が期待することを考えています。

インフルエンサーの言うことを実践しても生きづらさは変わらない

(略)

【著者より】
最近はこういうまともな価値観をメディアが取り上げなくなりました。
出版業界も斜陽産業になってきたので、どうしてもエッジの利いたタイトルの本しか並ばなくなりますよね。
「好きなことして生きていく」とか「学歴はいらない」とかそういう趣旨の過激なものが多い気がします。
その結果、みんなが「ビジネスとして情報を売る人たち」の主張を真に受けてしまっている。(略)

 「好きなことして生きていく」とか「学歴はいらない」みたいな、一部の成功者やインフルエンサーなどの言うことに踊らされて、「まともな価値観」を軽視する風潮がある。

 しかし、この本では、敢えてその「まともな価値観」を再評価し、平凡ながらも幸せな人生を達成しようと、そういうことのようです。

私は「まともな価値観」派

 早期リタイア・セミリタイアは、「好きなことして生きていく」のバリエーションであるため、これを目指している方・達成された方からは、ひろゆき氏の言う「まともな価値観」はウケが悪いかもしれません。

 でも、どちらかというと、私は「まともな価値観」派です。

 私も若い頃は、「好きなことをして生きていく」的なことに憧れていたことがありました。

 例えば、37歳の頃、一回、リタイアできないか計算してみたことがある、ということは以前書きました。

  【過去の参考記事】 30代でセミリタイアしていたら?と時折考える

 他にも色々な転身の方向を模索していました。

 当時はプロブロガーとかyoutuberなんて人はいませんでしたが、CGの専門学校に通ったり、ゲーム制作会社への転職を図ったり、大学院に行って大学教員になろうとしてみたり。

 投資で儲けられるのではないかと、資金を拠出してみたり。

 自分が作成した「ある商品」をネットで売って生計を立てようとしてみたり。

 でも、自分の才能の無さ、ミッションの困難さなどを悟り、結局は最近まで「まともな価値観」から外れることなくやってきた。

 もちろん、私に才能や行動力が無いのが理由なのですが、そんな私でも、50歳というやや遅い年齢とはいえ、セミリタイアしてノホホンと生きていけるようになったのは、結局は「まともな価値観」に従って長年積み上げてきたものがあることが大きいのかなと。

 3x歳で○千万円もって不労所得で悠々自適!みたいな華やかさとは無縁なので、なかなか興味は引かないと思いますが。

 ちなみに、この「まともな価値観」の中には、ひろゆき氏の言う「お金を無駄遣いせず貯めておこう」も含まれます。なんせ、世の中には「持っているだけのお金は死に金!」的な言説に溢れていますからね。

 つまり、「世の多数派=まともな価値観」とは限らないことに注意して下さい。

インフルエンサーの言うことは割り引いて捉える

 先の著書の目次や紹介文で興味を引いたのが、インフルエンサーのことです。

第2章 インフルエンサーに搾取されるバカになるな


インフルエンサーの言うことを実践しても生きづらさは変わらない

 インフルエンサーから「好きなことをして生きていく」とか「ネットで稼ぐ」系の話を刷り込まれてしまうと、「まともな価値観」に従って生きていることが馬鹿らしくなってくるかもしれません。

 別に、インフルエンサーの言うことが間違っているとは思いませんが、以下の理由により、バイアスがかかっているので、割り引いて捉える必要はあるでしょう。

インフルエンサー自身が成功者であること(生存者バイアス)

 インフルエンサー自身が「好きなことをして生きていく」「ネットで稼ぐ」系のことについての成功者です。ですから、往々にして、その短所より長所の方を多く語る。「まともな価値観」を引き合いに出し、これを蔑むような内容も珍しくないでしょう。

インフルエンサーは話し声が大きい

 インフルエンサーはその性質上、話し声が大きいです。本人の話し声だけでなく、彼に賛同する多数のフォロワー達が、その話した内容を繰り返します。

 一方で、「まともな価値観」に従って生きている多数の人は、「俺は堅実に職業を選んで貯金をしている!」なんてこと、わざわざ言わないし、書いたところでそれをフォローする人などほとんどいません。

 結果、「好きなことをして生きていく」「ネットで稼ぐ」系の価値観が、実態よりも多く聞こえてくるようになります。

インフルエンサーのウリが「好きなことをして生きていく」

 「好きなことをして生きていく」「ネットで稼ぐ」系のインフルエンサーは、その価値観をウリにすることで、ブログやyoutube、サロン、セミナーなどの集客に繋げています。中には、それで食っている人もいるでしょう。

 だから当然、「好きなことをして生きていく」ことを持ち上げることになります。ブログがオワコンだと認めてしまったり、「堅実に職業を選んで貯金して・・・」と夢の無い話をしていては、集客など出来ないのですから。

まとめ

 色々書きましたが、「好きなことをしてはいけない」というのではなく、「まともな価値観を馬鹿にするのではなく、うまく擦りあわせろ」「好きなことに全振りする前に、一度よーく考えてみろ」ということです。

 セミリタイア志望者の方も「お金持ちになる方法」とか「今すぐにでも早く会社を辞めるには?」みたいなコンテンツにあまり傾倒するのも考え物だと思うのです。

この本を読みたいと思ったら、一ヶ月後に当ブログ経由で買って下さい

 ところで、この本には「無駄遣いしそうになったら1カ月待ってみる」というススメが載っているそうです。

 この本が良いと思っているのなら、まずはそのススメに従って、この本を買うのを1ヶ月待ってみたらいかがでしょうか。

 例えば、私なんかも、ネットで書評を読んで満足してしまって、結局買っていないわけです。こういう行動パターンを身につけるとお金が貯まるというのは、請け合いますよ

 一ヶ月待ってそれでも買って読みたいと判断したなら買えばよい。その場合は当ブログ経由で買ってもらえると嬉しいです(笑)。

凡人道 役満狙いしないほうが人生うまくいく

凡人道 役満狙いしないほうが人生うまくいく

  • 作者:ひろゆき
  • 発売日: 2019/09/12
  • メディア: 単行本
 

 

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東証システム障害。富士通の技術者はこれからが大変だ

 私は株をやっていないので東証のシステム障害など、地球の反対側で起こっているかように思っていましたが、ブログ村の「セミリタイア生活」では、結構、この話題が登場する。

 こんなに東証の件が気になる人達が集まっているコミュニティーというのも、日本にはあんまり無いでしょう。

 私が気になるとすれば、「取引が出来ない」ということではなく、「なぜシステム障害が起こったか?」という部分。なんといっても、システム会社に勤めていたから。

 セミリタイアした今でも、こういうところの興味関心が、完全に消え失せた訳ではないようです

目次

 

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 《東京都あきる野市:秋川》

障害の概要

 やや専門的ですが、若干詳しく載っている記事。

東証、システム障害で謝罪 詳細な経緯説明、当面は「人的監視」で対応 - ITmedia NEWS

 システム障害の経緯について東証は、午前7時4分ごろ、「arrowhead」(アローヘッド)と呼ばれる株式売買システムの内部に2台あるストレージシステム「共有ディスク装置」の1号機に異常が発生したと説明する。異常の原因は装置のメモリ故障という。

 このシステムでは何百台もの機器が使われているとニュースで見ました。そして、その何百台もの機器は、「共有ディスク装置」からデータを読み取って、取引の処理を行い、その結果を再び「共有ディスク装置」に書き込むのでしょうね、多分。

 だから、「共有ディスク装置」は扇のかなめのような立ち位置であり、ここが死ぬとシステムの稼働自体が続行不能になるのだと思います。

 こんなに重要な機械だから絶対に停止させてはいけないのだけど、一方で、ハード故障というのは、ハードがある限り避けられないのも事実

 だから、「そもそもハード故障はあるもの」という想定でシステムは設計されます。つまり同じハードを二台用意して、2台めをバックアップ機にするわけです。

通常であれば1号機に異常が発生しても2号機に自動的に切り替わる設定になっているはずだったが、何らかの理由で切り替わらなかったとしている。

 でも、このバックアップへの切替が上手くいかなかったようなのですね。ハード故障は仕方が無いけど、バックアップへの切替が出来なかった、というのは、絶対にあってはならないことというのが、システム技術者の一般的な認識であり、今回の問題の本質もそこ。

普段からバックアップへの切替練習はしていると思う

 私の想像ですが、こんなに大事なシステムなのですから、バックアップへの切替練習は、普段からしていると思います。

 もちろん、現に稼働している機械を、練習のために壊すわけにはいかないので、何らかのコマンドを入れるか何かして、切り替えさせてみる。その日の取引が終了して、システムが空いている時間帯に。

 で、そのときは恐らく普通に切り替わっていた。なのに今回は切り替わらなかった。その理由こそが今回の障害のキモなんだけど、いまだに分かっていないようです。

 個人的にストーリーを2つ考えてみました。

  1. 1号機のハード故障の仕方が特殊過ぎて、そもそも切替動作に入らなかった。
  2. 切替動作には入ったが、それを阻む何らかの要因があり、動作が完了しなかった。

技術者はこれからが大変だ

 報道によると、故障機器の現物を持ち帰って調査するようです。

 こういう調査でよくやるのは、再現試験です。

 つまり、故障機器を用いて、障害時と同じシステム構成を擬似的に作り、そこで同じ障害を起こしてみるわけです。今回で言うと、「バックアップへの切替が起こらない」という事象が確認できればいいわけです。

 同じ障害が起こってくれれば話は早い。試験にあたっては、障害再現時の状況をデータとして取るでしょうから、それを分析すれば障害の原因が分かる。

 でもね。。。再現しなかった場合は大変ですよ

 何とか再現させようと、昼夜ぶっ通しで試験を行うことになります。故障機器にメチャクチャ負荷をかけたり、温度を上げてみたり、とにかく色々と試してみるわけです。

 

 この障害は社会的に影響が大きく、多分、政府に対しても報告が求められるでしょう。そのため、「原因は分かりませんでした」というのは絶対に許されない。何が何でも原因と再発防止策をヒネリ出す必要があるのです。

 富士通の技術者の方のプレッシャーはいかほどでありましょうか。本当に大変なのはこれからですよ。

 

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セミリタイアはブルーオーシャン、サラリーマンはレッドオーシャン

 ビジネス界ではよく、ブルーオーシャン(青い海)、レッドオーシャン(血の海)などと言ったりします。

ブルー・オーシャン戦略 - Wikipedia

競争の激しい既存市場を「レッド・オーシャン(赤い海、血で血を洗う競争の激しい領域)」とし、競争のない未開拓市場である「ブルー・オーシャン(青い海、競合相手のいない領域)」を切り開くべきだと説いている。

 ブルー・オーシャン!なんとも麗しい響きです。 

 これをリタイア論に当てはめると、早期リタイア・セミリタイアはブルーオーシャン、サラリーマンはレッドオーシャンということになるでしょう。

目次

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 《山梨県大月市:海の画像はないので、全然別の画像です》

みんな、なんだかんだいってサラリーマンから抜け出すつもりはない

 以前、ノジマで80歳まで働く制度が採用されるというニュースがあって、「80歳まで働かなくてはいけないのか!」とボロクソに言うコメントで溢れていました。

  一方で、例のダイヤモンド・ZAiの特集の一部がネット記事にもなっていて、ヤフコメにも、早期リタイアについて疑問視するコメントが載っていました。

45歳で「早期リタイア」した人の“資産形成”の秘訣を公開! 固定費の「節約」と、配当収入が得られる社債での「運用」で“資産1億円”を達成して早期リタイア実現!(ダイヤモンド・ザイ) - Yahoo!ニュース

時間は持て余すほどあるのでしょうが、趣味がなければ、「つまらない」って感じてしまいそうな生活ですね。

自分には無理そうです。


夫婦2人で20万あれば、なんて信用してはいけない。
 毎日、お粥でもすすっていれば可能だが、正直惨めだよ。
夫婦2人年間350万円がボーダーライン。目標金額を超えてしまい復職した夫婦が周りに多いです。

 80歳で働く制度について「80歳まで働きたくない!」とボロクソ言われる一方、早めにサラリーマン社会に見切りをつけた人に対しては、「そんなのはつまらない、惨め」などとコメントがつく(もっともこの記事はリタイア記事なので、好意的なコメントも多くありましたが)。

 世の中には、一見、色々な考えの方がいるように見えますが、コメントを沢山読んで思うのは、「みんな、なんだかんだ言って、サラリーマンから抜け出すつもりはないんだ。サラリーマンでいるのが安心なんだ」ということ。

 そのことは、「セミリタイアなんてつまらない」という声より、むしろ、「80歳まで働きたくない!」という声について、一層強く感じます。

 日本では某国のように強制労働が定められているわけではありません。

半年間「無職」の国民に罰金、奉仕活動の強制 ベラルーシ

 東欧ベラルーシのルカシェンコ大統領が18日までに、少なくとも半年間職に就かず、納税していない国民に罰金を科す新たな法令に署名したことがわかった。

 だから、日本では、80歳まで働きたくなければ、早期リタイアとは言わぬにせよ、定年で辞められるように計画を立てればよいのに、強制労働であるかの如く「80歳まで働きたくない!」と訴える。

 今から80歳まで働く気満々じゃないですか。だからこそ「働きたくない!」という悲痛な叫びが出てくるわけで。私なぞは、最初から80まで働くつもりは無いから「ふ~ん」という感じ。

 「80歳まで働かなくてはいけないという国の制度自体に問題が・・・」

 もちろん国の社会保障制度に問題は多々あります。でも、世の中は進歩しており、適切にリソース配分を行うことで、少ない額でほどほどに快適な生活は営めるようになっている、ということは以前書きました。

今は空前のセミリタイアの好機?でも実行者は少ないね

 世に出ている安価なサービスや商品を適宜組み合わせるだけで、当時の金持ちに近い暮らしができてしまうんです。

 完全リタイアとまではいかないにせよ、人生のほとんどを捧げてまで会社に尽くす意味など無いのではないか?

 でも、こういう方向に舵を切る人はあまりないわけです。みんな「国の社会保障は信用ならない!」と文句を言うは言うものの、世の中の集金システムに抗うつもりもなく、結局、長く働くということを、消極的にではあるものの、自ら選択しているのです

セミリタイアはブルーオーシャン、サラリーマンはレッドオーシャン

 サラリーマンはレッドオーシャンです。

 サラリーマン社会でやっていくのは本当に大変(中には楽な仕事もあるでしょうが)。私も27年近くサラリーマンをやってきたから分かる。

 私の場合、次から次へと訳の分からぬ仕事が降ってきて、社内・社外の調整に奔走、仕事を仕上げるために必死で業務上の工夫をする。ここまで頑張っても、評価はあまり芳しくありませんでした。

 それでも、私の会社は慢性的に人手不足であったため、辞めろとは言われませんでした。でも世間では、45歳になったらさっさと辞めろという会社が増えつつあるとのこと。もちろん全体から言えば極一部でしょうが、マスコミや世の識者達は(そして私も?)そう煽っていますね。

 これに対し、セミリタイアはブルーオーシャン少数派だからこそ得られるメリットというのは絶対にあります。

 それでも、レッドオーシャンから抜け出そうなんて考えてもいない方が大半なのです。だからこそブルーオーシャンはブルーオーシャンたりえるのです。

 企業を見たってそうじゃないですか。みんな、レッドオーシャンの分野(家電など)において、二番/三番煎じの商品・サービスで競争して消耗していますよね。

  ブルーオーシャンを目指す商品・サービスは、リスクが高い、そんな商品売れるはずがないなどと言われて、反対されるのが世の常なのでしょう。

ブルーオーシャンの「コツ」

 ブルーオーシャンを取り入れるコツとしては、次のようなことが提案されています。

自分の業界における一般的な機能のうち、何かを「減らす」「取り除く」、その上で特定の機能を「増やす」、あるいは新たに「付け加える」ことにより、それまでなかった企業と顧客の両方に対する価値を向上させる「バリューイノベーション」が必要だと主張している。

 そもそもセミリタイアする人は、自分の人生に重要なものは何か、ということを分析した結果、労働収入を「減らす」「取り除く」、かつ、自分の時間を「増やす」「付け加える」ことを選択した人達です。

誰もがブルーオーシャンで成功するわけではない

  ここまで景気のよい話をしてきましたが、誰もがブルーオーシャンで成功するわけではありません。鳴り物入りで発表した革新的な新商品が見事玉砕、ということも珍しくない世の中です。

 青い海に漕ぎ出すにも波あり風あり。小さなボートではよほどうまく操縦しないと、沈んでしまいます。進む方向は全部自分で決めますが、地図とコンパスで方角を見定めないと、海上で迷ってしまいます。仲間は基本いないので、全部一人で責任を持ってやらなくてはいけません。

 そう考えると、結構険しい道、いや海路かもしれません。

 サラリーマンはレッドオーシャンなのに、ほとんどの人がそこに踏みとどまるのは当然なのかもしれません。

 

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ブログのアクセスアップ。SEOよりGoogle砲なのかも?(Google Discover)

 セミリタイア後は、ブログで収益を狙おうという方もいらっしゃるかもしれません。

 アクセスアップの手段として有名なのがSEO(検索エンジン最適化)ですが、今はそれよりもGoogle砲を狙った方がいいんじゃないかという話を書いていきます。

目次

 

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 《東京都青梅市》

先日、Google砲を受けた。それから・・・

 Google砲とは、スマホのGoogleアプリなどで「おすすめの記事」として紹介され、そこからのアクセスが流入することです。正式にはGoogle Discoverというそうです。

 当ブログでも、先日、異常なアクセスを受けたことをご報告いたしました。

当ブログがGoogle砲を受けた! ~経緯と分析~

 

 スマホでGoogleアプリを開くと、ユーザーごとにGoogleが判断して「おすすめの記事」というのが表示されるのですが、先の投稿も、一部のGoogleユーザの「おすすめの記事」になっていたようなのです。

 こんな感じで。

f:id:retire50:20200803171625j:plain

 

 「おすすめの記事」は記事単位であって、当ブログ全体がおすすめされた訳ではありませんが、それでも一日で万単位のアクセスがありました。

 その後どうなったか、以下にまとめます。

通常時であってもアクセスが増えた

 Google砲でお見えになる方の大多数は当日限りですが、その後もリピートして下さる方が一部おられるようで、Google砲が収まった後でも、以前に比べて明確にアクセスが増えました

 一日のPV(ページ・ビュー)が、それまで大体300~800で推移していたところ、8月上旬に大砲を受けて後からは、通常時(Google砲を受けていないとき)でも1400~2500といった塩梅。

 正直なところ、Google砲当日の何万というアクセスそのものよりも、その余波により定常的なアクセスが増えた、というところが非常に大きいのです。

Google砲を何度も受けるようになった

 初めてGoogle砲を受けたのは7月9日の記事ですが、その後、9月29日(当記事を書いている日)に至るまで、57記事中、計17記事がGoogle砲を受けています

 ただ、Google砲にも大小があり、大砲クラスから豆鉄砲クラスまで様々です。

 ○大砲クラス(クリック数:15000~30000)

 ○鉄砲クラス(クリック数:1500~3500)

 豆鉄砲クラス(クリック数:1000未満)

 そうそう、あと、あなたが今読んでいるこの記事、まさにGoogle砲が着弾していますよ。今、この記事をご覧の皆様の中には、Googleアプリ経由でお越しになった方が少なくないはずです。

googleの検索エンジンで優遇されるようになった

 Googleの検索エンジンで当ブログが優遇されるようになっています

 単純に「セミリタイア」で検索すると、これまでは圏外であったところ、大砲を受けた後、20~30位台で表示されることも一時期ありました(特にGoogle砲の期間中は順位があがる)。

 今でも、「セミリタイア 50代」「早期退職 50歳」など、キーワードを追加すると、10位以内に表示されることがあります。

SEOがイマイチだと思う点(特にリタイアブログにおいて)

 Google砲のほかに、SEOというものがあります。SEOとは、検索エンジン最適化(Search Engine Optimization)のことで、要は、そのサイトがgoogleの検索上位をとるために、様々な対策を施すことです。

 ブログで収益を狙う方は必須とされ、例えば、次のようなサイトのようなことをやっていきます。

【完全版】コンテンツSEOとは|本当にSEOに強いブログや記事の書き方 | PINTO!

(略)

4.Googleとユーザーに認められる記事を書こう
(略)
5. コンテンツの質はどうやって判断するの?
6.【Google評価目線】コンテンツSEOを意識したブログ・記事の書き方
-適切な文字数は?
-コンテンツに盛り込むキーワードの割合は適切か?
-画像の使い方はどうすればいい?
-独自性、網羅性のある内容を記事にしよう
(略)
7.【ユーザー目線】コンテンツSEOを意識したブログ・記事の書き方
(以下略)

 ただ、リタイアブログにおいては、SEOをやったからといって、そんなにアクセスアップに効果がありそうには思えないんですよね。

 前項で、当ブログがGoogleの検索エンジンで優遇されるようになったと書きましたが、そこからのユーザー数は、せいぜい1日数十のオーダー、PV単位でも100を超えるくらいでしょう。

 「セミリタイア」というワードで検索1位をとれば違うのかもしれませんが、検索結果の1~2位は、ブログ村の「セミリタイア生活」で占められています。

 ↓これですね。

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 他にも、お金をかけてライターに書かせていると思われる記事が上位に来ているので、それら強大なサイトを蹴散らして上位に食い込むのは至難の業

 一方で、セミリタイア界では著名なブログであっても、「セミリタイア」で検索すると、案外、上位にはあがっていない。著名度と検索順位が全然リンクしていない

 だとすれば、少なくともリタイアブログに関していえば、SEO対策に力を入れるより、別のことに労力を使ったほうがいいんじゃないかなと思います。

SEOよりGoogle砲がよいと思う点

 SEOの「専門家」は、SEOとGoogle砲を関連付けて論じておられますが、私個人の経験では、SEOとGoogle砲は似て非なるものだと思います。

 ここでは、Google砲がSEOよりいいな、と感じる点を書きます。

ビックネームと検索上位を競争しなくてよい

 検索エンジンは、ある検索ワードに対しての1位は一人限定。10位以内は10人限定。枠が決まっているので、上位を取りに行くのは困難です。

 しかし、Google砲は、記事単位・期間限定ですが、検索順位とは関係無く記事を広めてくれます

記事単位なので、ブログ全体が優れていなくてもよい・一発が狙える

 例えば、当ブログのテーマは「50歳でのセミリタイア」ですが、それとは無関係な、脱線記事も結構書いています。しかし、脱線記事はブログの専門性を弱めるので、SEO的にはよくないとされています。

 また、脱線記事以外にも、不出来な記事が多いと、ブログ全体の価値を下げるため、SEO対策として、思い切って削除するか、ある技により検索エンジンの巡回対象から外すのが望ましいとされている。

 一方、Google砲は記事単位ですから、ブログ全体の良し悪しとは関係無く、特定の記事さえ評価されれば対象になります。検索エンジンでは圏外であっても、あるいは脱線記事であっても、一発が狙えるわけです(ちなみに私が最初にGoogle砲を受けたのも脱線記事でした)。

 もちろん、一発が起こった後、多くの方にリピートして頂くには、ブログの質を高めていく必要はあるわけですが。

プッシュ型である

 「50歳 セミリタイア」で検索すると、当ブログが上位で表示されるので、高確率で訪れていただけますが、いかんせん、そのような検索をされること自体が少ない。

 しかし、Google砲は、その記事を読んでくれそうな方々にプッシュ型でオススメします。Google砲の大きさは様々ですが、もし大砲に当たった場合は、非常に多くの来客をもたらしてくれます。

ブログ作成の自由度が上がる

 SEOは、検索エンジンの顔色を伺おうとして、とにかく末梢的面倒で、本当に効果があるのか不明な作業を強いられたり、記事の書き方などで細かな制約があります。

 でも、Google砲狙いなら、一記事が評価されればいいのですから、SEOの作業・制約など忘れてしまって、記事そのものを自分なりに力を入れて書き貯めていくことに専念した方がよさそうです。結果、ブログ作成の自由度が上がります。

ぢゃ、どうすればGoogle砲を狙えるの?

 ごめん、わからない(笑)。そもそも、狙ってやっているわけではないので。

 ただそれでは話になりませんから、次の動画を貼っておきます。

  

 でも、私はここで紹介されている「SNSで初期流入を図る」なんて全くやっていない。ブログ村と読者の方々のブックマーク頼りです(笑)。

 脱線記事も良くないみたいですが、私の初Google砲は脱線記事であるのは先に述べた通り。そのときのGoogle砲は小さくとも、そこでGoogleに覚えてもらえて、後に繋がっているような気がする

 あと、上の動画には無いですが、画像は使ったほうがいいです。「おすすめの記事」に載ったとき、その画像が大きく表示され、結果、大きなスペースで紹介してもらえるからです。

 

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40代のキャリアの停滞。セミリタイアを選択肢に。

 若くしてリタイアするというコンテンツが人気ですが、私はそのようなネタを持ち合わせていないので、アラフィフくらいでのリタイアを当ブログでの主要テーマにしています。

 若くしてリタイアという華々しさはありませんが、それなりに需要があると思っているのは、40代という年代が「キャリアの停滞」の季節だからです。

目次

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 《東京都檜原村 左奥:南秋川、右奥:北秋川、合流して秋川に》

「キャリアの停滞」は多くの人に起こる

 今回は次のネット記事をベースに書いていきます。

あなた、「定年」まで逃げ切れると思っていません? 40代に迫る最大危機「キャリアプラトー」とは!?

 

「ミドルシニアのビジネスパーソンが抱える最大の問題は『キャリアの停滞(キャリアプラトー)』です。目の前の業務にはまじめに取り組んではいるものの、キャリアの成長を自分自身で感じる機会が少なくなってくるうえ、変化に乏しい毎日にモチベーションも低下しがちです。定年の延長で、働く期間がこれまで以上に長くなったことで、キャリアプラトーは社会的関心が非常に高い課題になっています」

「深刻な停滞期は45歳ごろから訪れることが多いようです。組織内での昇進・昇格もおおよそ先がみえてきて、先の期待を抱きにくくなる人が増えるタイミングです。(略)」

 この記事、抽象的な話が多くて分かりにくいんだけれど、上に挙げた現状認識は概ね正しいと思います。

 この「キャリアの停滞」というものは、トントン拍子に出世の階段を上っている一部を除いては、誰にでも起こります。本当に仕事の出来ない人が停滞するのは当たり前ですが、そうではないわけです。

 【過去の参考記事】 中年の危機 ~40代の悲哀を考える~

 そういえば、私の在職中でも、私を含めて多くの人は「停滞」していました。

 私は管理職にもなれなかったけど、管理職まで行った方も、管理職の入り口でストップしてはや10年なんて方も珍しくなかった

 管理職になったのだから優秀なはずですが、それでも停滞するのです。

 一般に、一定以上の規模の会社は「課」の単位で部署が分かれていて、概ね、「課」を統括する人達からが「管理職」と呼ばれる。一方、「係」を統括する人達は上級平社員の位置づけに過ぎないわけです。

 「課」を統括する人には、課長の他に、課長補佐とか課長心得みたいな人が複数いて、管理職になりたての人は、まずそのような役職につく。

課長 - Wikipedia

課長と付く役職は多く、上記のように「課長補佐」「課長待遇」といったものが存在する。ほかにも「課長代理」「上席課長代理」「担当課長」「副課長」「課長心得」「統括課長補佐」等いろいろ存在する。

 これら様々な「課長ナンタラ」の間にもグレードの違いがありますが、初級の「課長ナンタラ」にさえなれれば、よりグレードが高い「課長ナンタラ」には大体なれるものです。でも、定員一名の「課長」にはなれないまま、会社員人生を終える人が多いのです。

 確かに、課長、部長、役員とステップアップしていく人達に比べれば、どこか冴えないような人達が多かったとは思いますが、先にも述べたように決して仕事の出来ない方々ではありません。そして、ご自分にはこの上が無いことも内心お察しなのでしょう。

「キャリアの停滞」への対処方法

 このように「キャリアの停滞」にぶちあたったときの対応策として一般的なのは、上の記事の冒頭にある、

働いていれば給与はもらえるので、『粛々と働いていればいいか』と、定年での逃げ切りを狙う人も少なくありません」

という戦法です。

 しかし、このような戦法は、記事ではあまり勧められていません。転職するにしろ、会社に残るにせよ、自らのキャリアをデザインしていくことが重要だと説かれています。

「組織にキャリアを預けることは、不透明さが増すこれからの時代においては大きなリスクです。自発的にキャリア開発をしていくことこそが一番のセーフティーネットになります。転職するかどうかは、キャリア選択にすぎません。それ以上に重要なことは『自身が働き方に向き合い、キャリアをデザインし、そのために自分を変えること』です」

「そのような厳しい時代を生き抜くこととなるだけに、ミドルシニアで組織人として働きながら、自らキャリア開発をして、価値を生み出す練習を重ねておくことをおすすめします。副業や兼業を認めている職場なら、積極的に挑戦してみましょう。認められていない場合でも、職場外での活動機会を意識的に増やしておきたいものです」

 う~ん、書かれていることが間違っているとは言いませんが、そうたやすいことではありません。ここまで出来る方であれば、最初からキャリアの停滞など起きないんだと思います。

 45歳くらいまで頑張って働いて、キャリアが停滞してきたが、それ以上を狙うほどの強みもこだわりもないのであれば、定年までの逃げ切りを図るのが一番だと思います。身も蓋もない話ですが。

 「会社にぶら下がっている」というと聞こえは悪いですが、イコール、仕事が出来ない人・やらない人ではない

 組織の仕組み上、より上のキャリアを目指せる人は限られているわけで、キャリアが停滞する人は必然的に多数発生する。それであっても、自らのキャリアの範囲でこなせる仕事をちゃんとこなしているのであれば、特に引け目を感じる必要など無いと思うんですがね。

 当ブログの過去投稿で、

「働かない中高年」と叩かれる前にセミリタイアする

  若い頃は、往々にして自分のことを無意識のうちに「働きがある」方に分類しがちです。

と書きましたが、若くて「自分はデキル」と思っておられる方も、「キャリアの停滞」ということを、あまり他人事のように捉えないのが無難と思います。

セミリタイアという選択をプランBに

 「そうは言うけど、定年まで逃げ切れるのか」という声は当然あると思います。

 でも私は、何だかんだいって、45歳での首切りは一部の突出した事象に過ぎず、大多数は、制度の変更を重ねながら、雇用は70歳まで守る方向だと睨んでいます。

70歳就業法と45歳定年制。矛盾する流れ、日本はどうなる?

 結局、無闇に雇用を切ることはせず、人事・給与・教育制度などを大幅に改革して70歳までの雇用を守る、という方向性が多数になるのではないでしょうか。

 転職を試みてもより条件は悪くなるだろうし、一方で、社内での出世も更に難しくなるから、評価が固まってしまった45歳が付け入る隙などほとんど無い。つまり、40代以降のキャリアアップの努力など報われずして終わるケースが大半でしょう。

 なので、変な色気を出すより、まずは45歳まで積み重ねてきたキャリアで精一杯のことをする。それまでしっかりと頑張ってきた方であれば、キャリアアップは望めなくとも、会社に居場所はあるはず。

 並行して、セミリタイアが可能なように準備しておく。「定年まで逃げ切る」ということと矛盾するようですが、プランAが怪しくなってきたときに、プランBに移れるようにしておこう、ということです。

 なお、セミリタイアと言いましたが、その年齢は何歳でもいい。リタイアブログでは、30代や40代が多いので麻痺しますが、別に50でも60でも。定年前にリタイアできる選択肢を準備しておくのが大事だろうということです。

 正社員で働ける間は働いて、生活の見直しなども併せて行えば、資金は貯まっていく。そして然るべき秋(とき)がきたら、定年にこだわらずにリタイアする。

 一刻でも早くリタイアしたい方からはせせら笑われるプランでしょうが、世の中には、あまりチャレンジングなことが出来ない方も多いはず(私もそいうタイプ)。

 滅茶苦茶早くリタイアすることが最適とは限らないわけだから、あまりそこに拘り過ぎない方がいい。まずはこういうリスクの小さい形で、リタイアを人生プランに取り入れていく。そして「今こそ!」というときが来たら躊躇なく実行する。

 こういうプランもアリではないでしょうか?

 

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去年の今頃はリタイア前のラストスパート【後編】

 退職前のラストスパートは相当にバタバタしたという話を、前編に引き続き書いていきます。

 

 前編では、「9月の上旬に後任者と退職スケジュールが決まった」というところまで述べました。後編では、実際のラストスパートの様子を扱います。

目次

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 《東京都青梅市:軍畑大橋からの多摩川》

何年も前から50歳で退職することを見越して努力

 後任者、およびスケジュールが決まった翌日から引継の準備を始めました。

 いや、引継資料については少し前から着手していましたし、そもそも、何年も前から50歳で退職することを見越して、地道な努力を重ねてきていました。例えば、作業の効率化・定型化・文書化を行ったり、他の者にも作業を教えて属人化を防いだり、などです。

 これらの目的は主に二つ。

  • 作業を適正化して業務量を減らし、50歳まで自分の気力・体力を持たせるため
  • 退職前の引き継ぎを行いやすくするため

 だから、一から全ての準備を開始した、というわけではないのですが、後任者やスケジュールが明確になったことで、更に実践的な準備が出来るようになったのです。

引継の様子

 10月1日からは予定通り後任者がやってきて引継開始。

 ただ、前編でも述べた通り、やっかいな条件があります。

  • 後任者は、前の部署の残作業があって、フリーハンドではない
  • 作業には沢山のパターンがあり、それぞれにボリュームがある

 そこで、重要なパターンから引継資料を完成させ、どんどん説明を行っていきます。ただ、1回説明しただけでその作業をこなすことは難しいので、何度も何度も作業に立ち会います。

 これを、彼のスケジュールの隙間を縫うように行うのですから、スケジュール調整も行わなければなりません。

 その他にも、通常の業務は当然行わなければならないので、忙しさもひとしおでした。

 ただ実は、更に大きな問題がありました。

 通常業務とは別に、特別な業務が12月以降、数か月間にわたって予定されていたのです。その作業の特徴とは、、、

  • 難易度が高い
  • 分量が多く何回にも分けてやる必要がある
  • 少しでも作業を誤ったら、直ちにシステムに悪影響が出るほど繊細
  • 業務の中心は、私がこれまで全くやったことが無い作業

 よりによって、最後の最後に、こんな厄介な作業が待っているとは・・・。

 後任者に任せてトンズラ・・・・という訳にもいかない。なにしろ12月と1月は、年休消化期間とはいえまだ在職中。この期に及んで、作業に失敗して後腐れを残すのも嫌だ

 そもそも作業の半端なさからいって、後任者がやってくる何ヶ月も前から、準備を開始しないと間に合わない。

 結局、私の方で、検討や準備を一定程度行っておき、それを後任者に引き継ぐ、という形をとらざるを得ませんでした。

 「これまで全くやったことがない作業」については、詳しい人間に問い合わせ、それプラス、自分の持てる限りの技術を駆使して、会社員人生の総決算と言えるような、壮大な作業手順書と作業ツールが出来上がりました。

年休消化開始直前の11月15日の退社時はホッとしました

 年休消化開始直前の木曜と金曜、すなわち11月14~15日。この2日間で、例の壮大な手順書・ツールが上手く動作するか最終確認します。

 作業自体は、後任者を含め私以外の者で行ってもらい、後ろで私が監督します。14日の確認では上手くいかないところが若干出たので、残業して修正。

 そして15日には、修正版をリリースして順調に行くことを確認。これをもってやっとラストスパートが終わったのです。

 この日の退社時は本当にホッとしたのを覚えています。そう、最終出社日の1月31日以上に。例えて言うなら、朝ラッシュ時の中央線上りが御茶ノ水を発車し、やっと車内に余裕ができて東京駅に向かうときの感じ(かえって分かりにくい?)。

 11月18日以降は、完全に後任者が主体となって作業を行い、週1~2回出社の私は、未完了分の引継を行う他は、相談役・助言者としての役割に徹しました。

 12月と1月は、例の壮大な手順書・ツールを使う場面に何度か立ち会いました。このやっかいな作業が、毎回問題無く終了するのを見届け、これで安心してこの会社から居なくなれるな、と感じたものです。

振り返り

 今考えてみても、この時期は綱渡り状態でしたね。年休消化開始直前の11月15日まで、息もつく間もなかった、というか。

 理由としては、

  • 後任者がやってくるのが遅く、しかもフリーハンドでなかった
  • 通常業務の他に、厄介な特別業務があった

といったところ。どちらも自分のコントロールできることではありません。

 それでもどうにかなったのは、50歳で退職することを見越して、前々から地道な努力を重ねてきたことですかね。

 早期退職を考えていらっしゃる方は、引継のことを早め早めに考えておかれるのがよいと思います。

 

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