50歳で早期退職し、セミリタイア!

私セイルは50歳で早期退職、セミリタイアしました!その思いを綴ります。

FP・山崎俊輔氏のFIRE論について思うこと

 FPの山崎俊輔氏がFIREに関して著作を出されていて、関連記事がいくつかネットに出ています。私は、著作は買っていないのですが、ネット記事には目を通しています。

普通の会社員でもできる 日本版FIRE超入門

普通の会社員でもできる 日本版FIRE超入門

  • 作者:山崎俊輔
  • ディスカヴァー・トゥエンティワン
Amazon

ネット記事

  1. 夢を現実に 1億円なくても早期リタイアは可能
  2. FIREの第一歩 月1万円でも多く稼ぐ覚悟
  3. FIREを成功に導く大事なスキル それは節約
  4. FIREをものにする資産運用 リスク取り過ぎは致命傷
  5. FIREするなら何歳? 3つのルートで考える

 FP等の書いたFIRE論は今後も取り上げていこうかと思いますが、山崎氏のFIRE論を読んで全体的に思うのは、

 「フツーの会社員が出来るFIREというのは、せいぜいこんな所であり、あまり夢がある内容ではないので、夢見がちな人にはウケないだろうな。でも、現実的に戦略を練ろうという人には参考になるかも」

ということ。

 

目次

f:id:retire50:20210904170045j:plain
 《東京都西多摩郡日の出町:平井川源流》

「一刻も早くFIREしなければならない」

 最近、FIREのことが多く取り上げられるようになり、FIREしたい人も前に比べたら増えているのでしょう(多分)。

 ただ、前にも書きましたが、どんなに強く望んだからといって、先立つものが必要なため、すぐに実現できるわけではありません。タピオカドリンクの流行りに乗るだけであれば、東京なら原宿辺りの流行りの店にいって数百円払って飲めばそれでいいのですが、FIREでは、こうはいかない。

 しかし、多数のFIREのコンテンツを沢山読んですっかりその気になってしまった人は、「このまま賃金労働を続けると、どんどん人生の自由な時間が削られていくので、一刻も早くFIREしなければならない!」みたいに感じています。

 そういう方達は、山崎氏のFIRE論は全くつまらない、老後資産作りに毛が生えたようなものに過ぎない、と評価するはずです。

「仕事でもらえる給料が高いほど、FIREには有利になる」という事実

 山崎氏の記事のうち、

 夢を現実に 1億円なくても早期リタイアは可能

  ⇒ これはよい。

 FIREを成功に導く大事なスキル それは節約 

  ⇒ これもよい。労働から逃れるためなら、節約は厭わないという人は多いと思う。

 しかし、例えば、FIREの第一歩 月1万円でも多く稼ぐ覚悟 あたりは、クソ扱いする人が多いんじゃないでしょうか。

 FIREというと、資産運用のテクニックに注目が集まります。(略)

 しかし、米国のFIRE本をいくつか読んでみると、むしろ「仕事をしっかりやること」にページが割かれています。

 実はFIREを実直に実践しようとしたとき、マネープランの王道である「年収をもっと増やす」というパートを抜きに語ることはできません。FIREへの取り組みの第一歩は「資産運用」ではなく「キャリアアップ」なのです。

 「キャリアアップ」ということは、要するに「仕事を頑張れ(そして給料をあげろ)」ということ。

 確かにこのことは間違っていなくて、アメリカのFIRE成功記事の翻訳などを読むと、そもそも、仕事で稼ぐ能力がずば抜けていて、そういう人が極度に仕事を頑張った上で、更に投資や節約もやった結果、若くして結構な額の資金ができ、その結果、早期リタイアを達成している、というパターンが多い。

 日本においても、FIRE本を出した某サラリーマン氏などは高配当株をウリにしていますが、実際には、彼は、サラリーマン時代の圧倒的な入金力があってこそ、あんなにも早く、そして沢山のリタイア資金が獲得できたのではないか、という推測がなされていますし、私もそう思っています。

 このように、華々しい事例には、その主人公が、能力面・金銭面・環境面で非常に恵まれている側面がある、ということは是非とも認識しておくべきことでしょう。

 しかし、FIREを目指している多くのフツーの人達は、そこまで能力面・金銭面・環境面に恵まれているわけでもなく、かつ、そもそも仕事がキライであり、給料をちょっと増やすために仕事を頑張るなどしたくもないわけで、本末転倒な話なのです。

 そういう人達に対し、「仕事でもらえる給料が高いほど、FIREには有利になる」という厳然たる事実を突きつけることは、夢を壊すことになるので、(一部で)クソ扱いされてしまうだろう、というわけです。

おわりに

 ネット記事を読む限り、山崎氏のFIRE論は、良くも悪くも、こういうテイストです。FPとして、日本人にとってなるべく再現性のあるやり方を提案している分、夢ある内容からは一歩も二歩も引いた内容です。

 一方、FIRE達成者のうち、特に紙の著書を出している方は、華々しい事例であり、夢ある内容となっています。そして、表面上は再現性の高さを謳っていますが、実際は、その著者が能力面・金銭面・環境面の何れかに恵まれていて、そのお蔭で資金が作れた、という側面は表立って記されていません。読む分には楽しいですが、かなり割り引いて捉える必要があると思います。

 世に出ているFIRE論も色々ですね。

 

★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
 ⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます

自民新総裁に岸田氏、修正アベノミクスか

 前回、当ブログを不定期更新にすると言っておきながら、いきなりブログ更新。

 昨日、人煙稀な山道でサイクリングをしていたら、自民党の新総裁が岸田氏に決まったというニュースが出ていました(一応、iphoneの電波は入っていた)。

 個人的には生暖かい目で見守っていた総裁選ですが、ここで思うところを書いてみます。

目次

f:id:retire50:20210930102435j:plain
 《埼玉県飯能市・秩父郡横瀬町・比企郡ときがわ町 苅場坂峠(昨日行ってたところ)》

久々の宏池会出身の総理大臣

 自民党って派閥が色々ありますけど、自民党内で「○○派」って呼ばれている訳ではないんですよね。「○○派」というのは、おそらく外部の人間が(マスコミ等)、一般人にも分かりやすく表現した俗称。本当は「○○会」みたいな正式名称があります。

 そして、岸田氏の出身派閥は「宏池会」・・・なんですが、この「宏池会」というのが、どうにもパッとした人がいない、という印象。これは、政治理念とか政治活動云々ではなく、キャラクターが地味、ということです。

 総理大臣も何人か出ているのですが、派閥の祖たる池田勇人さんはともかく、大平正芳氏、鈴木善幸氏、宮澤喜一氏といった面々。最近だと、(総理大臣ではありませんが)、加藤の乱で失態を演じた加藤紘一氏とか、野党時代の総裁だった谷垣氏とか。

 しかし、そんな宏池会、20年ぶり以上でしょうか、久々に総理大臣が出ました(正式には、臨時国会で指名されてからですが)。

 岸田氏も、閣僚経験者、自民党三役経験者、主要派閥の長であったにも関わらず、ついこの間まで「国民にとって空気」だったという点では、宏池会の血を受け継いでいると言えますが、それでも、歴代の宏池会出身の有力者の中では、まだまだ花のある方だとは思います。

修正アベノミクス

 色々、総裁選で論戦を交わしていましたが、岸田氏は「格差是正」とか「新自由主義からの脱却」のようなことをおっしゃっています。

 それはそうなんだと思うのですが、一部で語られているような「アベノミクスからの脱却」ということとは違って、「修正アベノミクス」というのが正しいかと。

 実際、次の記事にあるように、アベノミクスの三本の矢は維持する、ということのようです。

岸田氏「経済安保相を新設」、アベノミクス3本柱も堅持…経済政策を発表

 経済安全保障を担当する専任閣僚の新設を掲げ、安倍前首相が推進した「アベノミクス」の3本柱である「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「成長戦略」の堅持も盛り込んだ。

 岸田氏は「アベノミクスで成長した果実を分配しなければ格差が広がってしまう」とも指摘した。その上で、「新自由主義的な政策を転換する」と訴え、中間層の拡大を目指す「令和版所得倍増」を提唱した。

 それはそうだと思う。特に、アベノミクス前は円高や就職氷河期がメチャクチャひどく、絶対にあの状態に戻す訳にはいかない。また、安倍総理の最終支持率は5割を超えており、あそこまで支持のあった政権の主要政策を露骨に変更するのも違う。

 ただ、アベノミクスによる果実は、もっと多くの人が受け取るべき、というのは確かで、特に「令和版所得倍増」という言葉にそれが現れています。「所得倍増」という、派閥の祖たる池田勇人氏の主要政策の名前を、ここで持ち出してくるところに、岸田氏の意気込みが見てとれます。

 もっとも、安倍総理も、「アベノミクスの果実をどうにかもっと分配したい」と思っていたはずですが、結局は、「企業はもっと従業員の給料を上げて下さい」とお願いするしかなかった(というイメージ)。

 岸田氏でこれが実現できるかがキモなんですが、個人的な予想としてはなかなか厳しい。所得倍増とはいかなくとも、平均で一割でもアップすれば、それはものすごいこと。

 また、金融所得課税の見直しは、岸田氏の掲げる再分配政策の一環なのでしょうが、投資系リタイア者にとっては気になるところ

 岸田氏検討の金融所得課税強化 市場に警戒感: 日本経済新聞

 もっともこれは"真逆"と言われる高市氏も唱えていたことでしたから、ポスト・アベノミクスとしては、ある程度、既定路線だったのかもしれません。

コロナ対策

 今、新規感染者数が急激に減少しています。東京都だと、一週間ごとに半減、という驚異の減少率

 何だかんだ言って、ワクチンの効果が大きいのだと思いますが、更に、そう遠くない時期に治療薬が出るそうなので、いい方向に向かっている(と思いたい)。

 このことは、岸田氏にとって非常に良い材料。ある意味、ほとんど全ての泥を菅総理がかぶってくれ岸田氏はその果実を頂いている、という感じ。

 ただ、新規感染者数が増えてくることが再びあるでしょうから、そのときまでに、どういう風な対応を取るのか、整理しておいてほしいですね。

 例えば、一時期、自宅療養者が大量に出て、その際、「自宅療養はけしからん!」みたいな論調がありました。ただ、今後、治療薬が出たのなら、ちゃんとした自宅療養の道が開けるし、その方が医療に負担がかからなくなるメリットがあるわけです。

 インフルエンザだって薬を飲んで自宅療養が基本で、一部亡くなる方がいても、だからといってことごとく入院させるなんてことはしていないわけです。

 だから、コロナもインフルエンザと同じような対応が取れればそれが望ましいのですが、当然100%上手く行くことは無いので、何かしらの不手際は絶対発生しますし、重症化や死亡する人も出てくるでしょう。それでものすごい批判が殺到する。そういう場合に、どう対応していくか。

 総理大臣がどんなに強権を発動したところで、出来ることしか出来ないのだけど、再度の感染拡大の際、立ち回りが上手く出来るとよろしいのではないでしょうか。菅総理は、この立ち回りが下手だった、という評価はありますよね。

スキャンダル発生の可能性

 新内閣発足時や内閣改造の後のお約束となっているのが、スキャンダル。週刊文春あたりが常にネタを握っていて、タイムリーに記事を出してくるわけですよ(実際、下馬評の高かった河野氏については出してきましたよね)。

 岸田氏本人は潔白だったとしても、登用した人に何かキズがあれば、そこを突かれます。それは避けられないにしても、アタフタしてみっともない姿を晒せば、ご祝儀相場が一気に幻滅し、勝てる選挙も勝てなくなります。

 こういう対応力が岸田氏にあるか。人事を刷新するようなことをおっしゃっていますが、逆に言えば、こういうスキャンダルの対応経験が無い人を多く登用する、ということですから、なかなか大変かもしれません。

 

★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
 ⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます

当ブログ、しばらく不定期更新にします

 当ブログを7月に再開してから3ヶ月近くが立ち、この間、週2ペースで記事を上げてきていましたが、しばらく、不定期更新にします。

目次

f:id:retire50:20210927221458j:plain
 《東京都青梅市(荒川水系・成木川)》

不定期更新にする理由

 不定期更新にする理由は、ある趣味のモノを購入することになり、そのことで頭がいっぱいでいっぱいで、とてもブログ更新など、していられない、ということです。

dime.jp

 折りたたみ自転車なんだけど、車体のみならず、かなり性能の良い電動アシストがついていて、小さな外見に似合わず、とてもよく走ってパワーがある。試乗して惚れ込んでしまった。

 これが手に入れば、e-Bikeを電車に載せて長野県や栃木県、山梨県甲府以西、箱根以西、富士五湖あたりまで旅に出る、という夢が叶ってしまう自分にとって理想的なマシンだと興奮しています。

 納車されるのは10月中~下旬と、しばらく先なのですが、今から、どういうカスタマイズをしようか、どこにどういう行程で行こうかと、ずーっと計画を練っている状態です。

 金額は決して安くなく、オプションや付属品、そして消費税まで含めて、30万近く。まぁ、私が50歳まで働いて種銭を増やしたのは、こういうモノにお金をポンと出せるようにするためなのだから、まぁ、それはそれで良いことなんだと思っています。

 本当は緊急事態宣言が明けてから。。。と考えていたのですが、このマシンは10月から値上げされるという情報が入ったため、急遽、購入に踏み切ったというわけです。青梅に住んでいるのに、試乗と購入のために、わざわざ葛飾区のお店にまで行ってしまいました。。。(都心を避けて武蔵野線経由で)。

夢中になることが出来ると、ブログなど、どうでもよくなってしまう

 個人的な趣味の話を延々と書くのもなんなので、このくらいにしておきますが、やはり、夢中になることが出来ると、ブログなど、どうでもよくなってしまう、というのは、私の性格とかスタンスによるものなのでしょう。

 以前書いたとおり、当ブログの執筆は、「リタイア生活の縛り」として君臨しており、なかなか面倒なものになっています。

  【過去の当ブログ参考記事】 リタイア生活に「縛り」を入れよう、とは全く思わない

 それでも、人との交流に乏しいリタイア生活において、当ブログは、社会との交流の一環、という意味合いがあるので、放棄しよう、という気持ちはサラサラ無いのですが、ブログ執筆こそが最も大切で最も楽しい時間である、という位置づけではありません。

 だから、今回みたいに大きな関心を寄せるものが他に出てきたら、そっちを優先してしまう。まぁ、私が定年を待たずにリタイアしたのは、自分の夢中になれるものに全力投球したい、と、そのためでもあります。

 逆に、毎日のように何年間もブログをアップし続けている方ってスゴイな、と尊敬します。そういう人達もブログ以外に夢中になれるものを持っているはずで、そういう中、時間を作って、気力を保って、ブログを書き続けるって並大抵ではないですよ。

はてな無料版に戻るので、ブログフォーマットが変わります。

 あと、これまで1年間、はてなブログの有料版を使ってきましたが、結局、当ブログの運営は、かなりテキトーなものになってきたので、年間8000円も払う必要性もなかろう、と思うようになりました。

 ということで、有料版の期限が切れる10月4日からは、ブログのフォーマットが無料版のものに変わります。若干、見づらくなるかも知れませんが、ご容赦を。

 もちろん、当ブログを放棄するつもりはありません。書き貯めた未公開記事がまだまだ残っていますし、気分が乗れば、当然、新たに記事を書いていきます。

 

 ということで、今後もよろしくお願いします。

 

★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
 ⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます

経済的独立(FI)という語を、私はどう捉えているか

 先日、「人生の逃げ切り」ということについて考えているところを述べました。

50retire.hateblo.jp

 私個人は、この「人生の逃げ切り」と「経済的独立」(FIREのうちのFI)を(イコールではないが)関連付けて捉えています。いい機会ですので、今回は「経済的独立」という語について、少し書いてみることにします。

 もちろん全て個人的見解ですから、以下述べることに当てはまっていない「FIRE」の人に、「FIREの看板を下ろせ!」ということを主張したいわけではありません。

 

目次

f:id:retire50:20210910153801j:plain
 《東京都奥多摩町・多摩川日原川合流点(手前が日原川)》

「逃げ切る」よりも「経済的独立」の方が条件が多くなるイメージ

 まぁ、FIREは人それぞれとはいえ、「経済的独立」という語を用いるからには、「経済的に独立している」とはどういうことか、問われるのは当然ではないのかな、と思います。

 そして、経済的独立を最狭義に捉えれば、一般に言われている「4%ルール」に則った生活の形、ということになりましょうが、私個人はもう少し広く解釈しています。

 当ブログ過去記事より。

経済的自立の達成に要する期間と資産・心持の変化(FIREについて考える7つの論点・2)

 

【論点4】どのくらいの資産があれば経済的自立を達成したと言えるのでしょうか?

 経済的自立を文字通り解釈するならば、その人が、一生働かなくても最低限食っていけるだけの額は欲しいところ(生活費以外、たとえば、趣味や旅行などのために別途稼ぐのは可。年金を当て込んでもよい)。

 だから、サイドFIREと言われるもののうち、副業収入が無いと、中長期的に生活を成り立たせられないタイプのものは、たとえそれが「好きな仕事」であったとしても、経済的自立と言うには、まだ中途半端な気がする(もちろん、そのような生活スタイルを否定するものではありません)。

 つまり、一生、労働に頼らずに、ある程度の蓋然性をもって、衣食住を成り立たせられるだけの、自前のストック・フローを作ることが経済的独立ということではないかな、と。

 これは、「人生逃げ切った」と言う概念に近いですが、「人生逃げ切った」の場合、働かなくても生涯暮らせていける可能性が高い状態にさえなっていれば、その経済的手段はかなり広くとれるイメージ。

 一方、「経済的独立」となると、その語感から、もっと色々な条件が必要ではないかと思う。言い換えれば、「人生逃げ切った」は「経済的独立」の必要条件だが、十分条件ではない、ということ。

 以下、もう少し深掘りしていきましょう。

深掘り

非労働性(「労働に頼らず」)

 「経済的」独立とは言うものの、FIREという言葉の成り立ちを考えると、実質、「労働収入からの自立」と捉えるべきでしょう。だから、「生活に潤いを与えるため」ではなく、純然たる生活費として何らかの「労働収入」を当て込んでいるのに、「経済的自立」を謳うのは矛盾している、というのが私の考え。

 なお、やっている仕事が「好きなこと」であろうと「楽なこと」であろうと、形態が「フリー」であろうと、youtubeであろうと、アフィリエイトであろうと、何らかの職務を行った結果の収入であれば、ここでは労働に含めています。

生涯継続性(「一生」)

 「一生」という言葉は大事。ものすごく大事。「当面」では厳しい。「一生」。

 一生分のストック・フローのシミュレーションをして、労働収入を当て込まないで生涯暮らしていけることを確認していない「経済的独立」は「もぐり」だと、個人的には思う(そんな計算不要なぐらいに多額の資産を持っている場合は除く。まぁ、そういう人にとっては、端から「経済的独立」なんて概念、不要なわけですが)。

蓋然性(「ある程度の蓋然性をもって」)

 物事には100%ということはあり得ないけど、ある程度の蓋然性(確実性)は欲しい。

 シミュレーションにて、極度に高い運用収益を当て込んでいたり、極端な節制生活が前提となっていたり、バッファーがほとんど無かったりなど、現実問題、それで一生を乗り切るのは厳しいのでは?というケースまで「経済的独立」と言い切るには、ためらいがあります

生活成立性(「衣食住を成り立たせられる」)

 前項までは結構厳しいことを書きましたが、ここでは見解が甘いです。

 すなわち、趣味や旅行、贅沢費用も含めて、全て労働収入不可、とするのが本当のような気もするのですが、まぁ、衣食住や光熱費、通信費、雑費等の、一般的な生活費が、労働に頼らずに賄えていればいいんじゃないの?というのが、個人的な考えです。

 というのも、趣味や旅行、贅沢については、経済的に厳しくなってきたら抑えるなどして、裁量次第で生活は成り立たせられるからです。

 趣味や旅行、贅沢費用は別勘定で良いから、まずは、「生活費分を労働に頼らずに賄う」ということを目標にしたらどうかな?と思うのです。

独立採算性(「自前のストックフロー」)

 ストックは良いとして問題はフロー。

 先にも書いた通り、私は「労働収入からの独立」が本質だと考えていますので、それ以外のフロー、例えば、自前の資金による運用収益だったり、自分でかけていた年金や保険だったりは、ちゃんとしたシミュレーションに基づいたものであれば、「経済的独立」に含めていいんじゃないでしょうか。

 ただ、実家暮らしや配偶者に大きく依存している場合、生活保護の場合(生涯受けられそうな見通しが立っているとして)、「自前」とは言い難いので「経済的独立」とは思わないかな。

 さて、4%ルール。年間支出の25倍の資産があれば、毎年4%取り崩していっても、資産は減らさずに・・・というアレです。

 これは「4%の収益」が前提となっていますが、絶対に毎年4%の収益が得られるとは限らないのでどうなんだ?という話もあります。

 ただ、大抵の人は然るべきバッファーもあるでしょうから、フローとストックの合わせ技で、一生涯の生活費を賄える蓋然性は高いと見ます。

サイドFIREについて

 完全にリタイアせず副業で稼ぐ、サイドFIREというものがありますが、以下のように場合わけします。

  1. 趣味・贅沢費用を含め、全ての出費を完全に自前のストック・フローで賄えており、副業は「生活の潤いのため」に行っている
  2. 生活費は自前のストック・フローで賄えており、趣味・贅沢費用を副業で賄っている
  3. 生活費の不足分まで含めて副業で賄う。ただし、老後前のある段階(例えば50代とか)で逃げ切り状態に入り、副業を止めても問題が無い目途が立っている。
  4. 生活費の不足分まで含めて副業で賄う。副業を止められる目途が立っていない

 これまでの考え方に則れば、1番と2番は「経済的独立」の範疇に入る。

 3番は、個人的には「経済的独立」と見なさないけど、サイドFIREを名乗ることは個人的には許容範囲。厳密にはリタイアではないけど「セミリタイア」というのと同じような感じ。

 4番は、FIREというより、フリーターか個人事業主だと、私は捉えています。

自分にとっては「逃げ切る」くらいが丁度いい

 ということで、「経済的独立」を謳うには、結構、色々な条件が必要だと私は考えているので、おいそれと「自分は経済的に独立してまーす!」とは言えないな、ということがあります。

 「これで人生逃げ切れるな、あとは楽チンに過ごせるな」と自己満足に浸るくらいが丁度いいのかな、自分にとっては。

 

★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
 ⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます

「お金持ちは○○する・しない」の記事は大抵アヤシイ気がする

 最近、やたらと「お金持ちは○○している」「お金持ちは○○しない」みたいな記事が多いです(特にネット)。何かもっともらしい体裁で書かれていますが、本当なのでしょうか? 大抵はアヤシイ気がするんですよね。

目次

f:id:retire50:20210916100144j:plain
 《東京都青梅市》

「お金持ち」をダシにした怪しげな記事群

 例えば、次のような記事を読んで、「そうか、お金持ちはこうなのか」などと、納得している人って本当にいるんですかね?

 これらの記事は、いわゆる「お金持ち」の多くが「500円玉貯金」をしていたり、「ジム」に通ったり、「深酒」をしなかったり、みたいなことが前提になっています。

 でもこれって、何からの調査が行われて、「なるほど、非・お金持ちと比べて、『確かにお金持ちはこうだな』という傾向」有意に見てとれることを確認した上でのことなのでしょうか。

 それとも、単にライターの身近な若干のサンプルで、そうおっしゃっているだけのことなのでしょうか。

 私の知る限り、この手の「お金持ちは○○する・しない」系の記事に、その調査元が記されていることは皆無です。身近な若干のサンプルだと断っていることも多くなく、その根拠は不明。

 でも、何か調査結果が存在するなら、必ず引用元を記すでしょうから、まぁ後者なんでしょうね(全くの想像である、とは申しません。私は人がいいので(笑))。

 そういえば、先日、お金持ちご本人と思しき方のブログを拝見していまして、「お金持ちはコンビニに行かないと言う文章を読んだが、そんなのは大間違いだ」という趣旨の投稿を見かけました。まぁ、そうですよね。

 結局、この手の記事の信憑性はそんなところであり、お金持ちをダシに使って、ビューを伸ばそうとしているだけ、のような気がしてならないんですよね。500円玉貯金にハマっているお金持ちが一人でも存在すれば、「お金持ちがハマる」がウソではなくなりますから、記事には書けますよね。

 (数学好きな私からすると「あるお金持ちがハマる」と「全てのお金持ちがハマる」は厳密に区別すべき対象ではあるのですが・・・)

学問的な調査とは

 もし、「お金持ちは○○する・しない」のことをちゃんと主張するのであれば、「お金持ちとは何か」をちゃんと定義して(ここ大事)、

  • それに合致する人、しない人を最低でも数百人程度、無作為抽出してアンケートを取り、比較する
  • あるいは、それに合致する人のうち、典型例を中心に、数十人程度を密着調査・インタビューする

等の学問的な手続きが必要。でも、このような手続きを経て得られた見解って、かなり少ないんじゃないかと。

 そんな中、数少ない「学問的手続き」を経て得られた見解とされているのが、次の著書。

億万長者とは、実際どんな人々なのか?―アメリカ富裕層研究の第一人者であるスタンリー博士とダンコ博士は、1万人以上の億万長者にインタビューとアンケートをして、資産や年収、職業、消費行動のタイプを徹底的に調査。結果は驚くべきことに、彼らのほとんどはありふれた職業と家庭をもつ「普通の人々」だったのだ!では億万長者でない普通の人々や、所得は多くても資産の少ない人々と、彼らはいったいどこが違うのか?

 これは、アメリカでの調査ですが、日本でも(お金に興味がある人の中では)わりかし有名な本。私は読んでいないのですが、ネットなどを見れば、その内容については、概ね理解できます。

 すなわち、上の紹介文でもある通り、富裕層というのは、いかにもお金持ちお金持ちしているとは限らず、むしろ意外に質素で普通の人達なのですよ、というもので、確かにそうなんだと思います。

 ただ、それは単に傾向を記したものであり、お金持ちはこうだ!と決めつける意図は、著者には無いのではないでしょうか(まともな統計的観点を持った研究者であるならば)。

荒唐無稽な「お金持ち論」は何故こんなに多いのか?

 しかし、こういう調査結果というのは、えてして「お金持ちはこうだ!」みたいな短絡的な結論に拡大解釈されやすい。そういう話を好む人は多いし、そういう話を利用する側(お金持ちをダシにコンテンツを作る側)からも都合がいい。

 また、ほとんどの人はお金持ちではありませんし、あるいは、当のお金持ちだって、お金持ちについて知っているのは自分とその周辺だけだから、「テキトーなことを書いても、お金持ちからマジで反論される危険性」は少ない(ネットでぶつくさ言われるくらいのことはあるでしょうが)。

 その結果、純に学問的な調査結果だったものであっても、どんどん手垢がついていき、果ては、「お金持ちは長財布を好む」とか「お金持ちは500円玉貯金にハマっている」など、学問もへったくれもない、荒唐無稽な話に発展していく・・・というのが、私の推測です。

 最近は、「お金持ちは長財布を・・・」の話が有名になり過ぎて、荒唐無稽さが指摘されることが多くなったのか、方向転換を図る動きがあるようですね、笑えることに

 なんか、こういう話から分かるのは、「お金持ちは○○」ということではなくて、「お金持ちだって、人それぞれ」「この手の記事は全くアテにならない」というだけのことなんじゃないの?と思います。

 

★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
 ⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます

45歳でリタイア可能なロードマップを描いておく

 45歳定年制の話の続き。

 前回記事で述べたように、45歳定年制なんて半ば思いつきであり、提唱しているご本人も実はそれほど本気度が高い訳ではありません。

50retire.hateblo.jp

 ただ、「45歳」という年齢で、人生の一つの岐路が訪れる可能性がある、という認識はしておいて良いことだと思います。このとき、リタイア可能な状況にあるととても強いので、あらかじめそのようなロードマップを描いておくことは、非常に有意義ではないでしょうか。

目次

f:id:retire50:20210917094714j:plain
 《東京都青梅市・稲穂が実ってきた》

45歳定年制などのネガティブ情報に振り回されない

 世の中にはネガティブな情報の方が伝わりやすいので、どこぞの経済団体のメンバーが「終身雇用は維持できそうもない」とか「45歳定年制を設けるべき」と、おっしゃると、それが全てであるかのような騒ぎになります。

 しかし、当然のことですが、これらは一個人、多少広く見ても一企業の見解であって、しかも、本気で「終身雇用は崩壊する」とか「45歳で一斉にクビを切るべきだ」とか考えているとは言い難いフシがある。悪くいえば脅し、よくいえば激励、程度のものに捉えておいた方が良いと思います。

 もちろん、これまでの日本型雇用にほころびが見えるのは事実。ただ、その制度で発展してきた企業が、日本型雇用を完全否定するなんて出来っこない。たまにあるリストラも、あれは、日本型雇用を崩壊させるためではなく、むしろ日本型雇用を守るためにやっているものです。

 だから、各企業の人事制度改革の現場では、これまでの良い点は活かし、ほろこびは修正し(能力給の比率を増やすなど)、新たな考え方(ジョブ型雇用など)も適宜取り入れる、といった穏当なやり方が順当で現実的で、何より、多数派でしょう。

 あまり、この手のネガティブ情報に振り回されない方がよいし、そのためには、振り回されないような状況を作っておくことが、秘訣でしょう。

足元の自社の賃金体系、年金額等を把握しておく、支出の見直し

 45歳定年制云々より、大切だと思うのは、足元。自分が勤めている職場の賃金や退職金等は把握しているでしょうか? その賃金体系は、そのまま、年金等の社会保障費(今の支払額、将来の受給額)にも繋がっています。45歳定年制だったり、老後2000万問題で騒いでいる人の中で、一体、どれだけの人が、このことをやっているのでしょうか。

 また、早期リタイアを心がける場合、投資や副業に目が行きがちですが、取り立てて金稼ぎやサバイバルに秀でた能力があるわけでもない多くの小市民にとって、ベースとなるのは、何と言っても働いている会社からの給与(年取ってからは年金)、あるいはそこから生活費を差し引いて、いくら貯蓄や運用に回せるか、というところだと思うんですよね。

 ベースがあるからこそ、投資や副業などのプラスαが生きる。だから、そのベースがどう推移していくのか、あらかじめ把握しておくことは大事ではないかと。

 と、エラそうなことを書きましたが、恥ずかしながら、私も、44歳6ヶ月でリタイアを本格的に心がけるまで、全く無頓着でした。ただ、支出の最適化は、リタイアとは関係無く早くから行っていたので、結果的に50歳でリタイアできたのです。

 もっと早く、このことに目覚めていれば、もっと戦略的に早期リタイアへのロードマップを描けたのかもな・・・などと思わなくもないのです。

将来の見通しについて

 賃金体系なんてコロコロ変わるし、どうせ年金は崩壊するのだから、そんなこと知っても無意味!みたいな話もあります。

 そりゃ、未来は完全には分からない。

 ただ、ゼロの未来、百の未来の実現性は低く、その中間に落ち着くことがほとんど。その「ほとんど」のケースにおいては、現在の値をそのまま当てはめることは出来ないにしても、現在の値をベースとして、そこから何パーセント減、みたいな見通しは立てられます。

 そして、何か状況に変化があった場合も、ベースを把握しているからこそ、その状況変化が、今後どのように影響していくか、判断も出来るわけです。

 前々項でも述べた通り、皆さんお勤めの会社で、今後、人事制度の改定が発生するかもしれません。でもそれは、これまでの制度をまっさらにするよりも、今ある制度を生かしつつ、新しい考え方を取り入れていく、みたいな方向性になる可能性の方がずっと高いです。そういうとき、「今」を把握していなくて、どうやって「変化」に対応するのでしょうか?

45歳までに何を残し、今後どうするのか?

 45歳定年制はナンセンスにしても、現在の日本においては、45歳ぐらいで人生の岐路を見出そうとする考え方が主流のようですし、以前から私が書いているように、そのことは故無しとは思いません。

 【過去の当ブログ参考記事】 

 だとすると、会社の人事制度が、45~50歳くらいを境に別物に改定されていく、という可能性はそこそこあります。まぁ、現状でもこのくらいの年齢を境に出世コースに乗れた人と、そうでない人とで分かれていくわけですが、これがもっと露骨に制度化されていく、ということです。極端な話、退職勧奨の対象になってしまうこともあり得ます。

 逆に言えば、45歳くらいまでなら、ある程度現状が続けられるということでもありますから、そこまでに何を残し、その残ったものを使って今後どうするのか? というのが問題になります。

 私の場合、45歳時点では、支出の最適化を行ってある程度の貯蓄があり、結婚してパートナーがあり、出世はしてないけど、ある程度の仕事の経験がある。。。といったところが、自分に残っていたものでした。

 これを元手に、あと5年仕事を頑張って貯蓄を上乗せし、安い家を買って身を固め、50歳でリタイア、あとは好き勝手に暮らす・・・みたいなコースを歩むことにしたのです。

 45歳までの私の生き方は、かなり行き当たりばったりで、結果オーライみたいな感じですけど、これからの世の中では、もう少し狙っていった方がいいと思うし、インターネット時代で、それが可能な環境が整ってきている

 そこで45歳あたりで、何かしらの区切りが来ることを想定するとして、そのときに最高の味方になってくれるのはやはり金(カネ)ではないかと。

 いざとなれば、リタイア可能なだけの金がある、というのは、実際にリタイアする場合はもちろん、別方面のナリワイを求める場合においても、同じ会社に残り続ける場合においても、絶対に強いです。

 もっとも、45歳で完全リタイアというのは相当に難易度が高いので、なるべくそれに近い状態を目指す、というくらいが現実的ですし(例えばセミリタイア)、無茶なリスクを取ることはオススメしません。(逆に、色々上手くいって、それ以前にリタイアや転職できる環境が整っているのであれば、45歳を待つ必要も無い。ただしハードルは高いでしょう)。

 何か色々書きましたが、ざっとでいいから45歳を区切りとした人生のロードマップを描いておくことが、いいんじゃないかなぁ~、という、行き当たりばったりな人間からの、上から目線のアドバイスでした。

 

★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
 ⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます

日和見な経営者の「45歳定年制」に説得力は無い

 最近、サントリーの社長さんが「45歳定年制」なるものを提言したところ、炎上して釈明に追われています。

news.yahoo.co.jp

 最近、この手のことをおっしゃる経営者達が定期的に現れている印象です。私自身には何歳の定年が良いのか?ということを論じる能力は無いのですが、もう少し別の観点で、「この発言はダメだな」と感じています。

目次

f:id:retire50:20210913160351j:plain 《神奈川県相模原市 相模川水系秋山川》

 

半ば思いつきの話で疑心暗鬼を抱かされる人々

 私は既にリタイアしているので、この手の話に振り回されることは無いのですが、正直なところ、このような半ば思いつきのような話が発生する度に、疑心暗鬼を抱かされる方々は大変だな、と思います。

 上記で「半ば思いつきのような」と書きましたが、この社長さんが本当に、その場で思いついたことをただ述べていただけ、とは思いません。前々から考えていたことなんでしょう。

 でも、以下に述べるように、このご発言には、本気が見えないんですよね。だから「ぼくのかんがえたていねんせいど」の域を出るものではなく、よって「半ば思いつきのような」と表現したのです。

そんなに45歳定年がいいんだったら、自分の所でやったら?

 この手の話が湧きあがるたびに私は思うのです。「そんなにそれがいいんだったら、まずは自分のところでやったらどうなのか?何で自分のところでそれをやらないのだ?」と。

 今回だったら、「そんなに45歳定年が良いんだったら、自分の所でまずやったら?」

 隗より始めよ、です。

 知っています、60に達しない定年制度は法律違反だと。

 でも、今だって「役職定年」というのが広く普及していて、大体、55歳ぐらいになると平社員扱いになって待遇がガクンと下がることは、ママあるわけです。

 だから、いっそのこと「役職定年」を45歳にしてしまい、45歳で退職させるインセンティブを高める方策を導入する。例えば・・・

  • 45歳での退職は会社都合扱い。
  • 46歳以降の退職金を減額。
  • その代わり、能力給の比率を上げて、若者の給与を手厚くする(アメリカ式FIREも視野に入ってくるかも?)
  • 45歳で社員の独立を促すために、若者の登用を積極的に行い、またどんどん勉強してもらうなどして人材育成を図る。

 もちろん、今日の明日、という訳にはいかないですが、何年かかけて人事システムをしっかりと検討し、

「令和10年からこの新人事システムを開始します。令和25年には、45歳の社員の○割がこの制度のもとで退職し、第二の人生を幸せに歩んでいることを目標にします」

みたいな、ロードマップを示す。

 そんなに45歳定年がいいと言うのであれば、自社に対して、このくらいのことは出来るんじゃないの? 社長のあなたなら、と思うのです。

雇用を守る側の企業は、提言なんかせず、とっとと改定している

 一見不思議なのは、こういう提言は「さっさと従業員をクビにする」系の話しか出て来ないこと。逆に言えば、雇用を守る側に傾いている企業は、いちいち提言なんかせずに、とっとと人事システムを改定しているんですよね。

 例えば、ノジマは、定年は65歳であっても、その後、年単位の契約で80歳まで働ける、というシステムを構築しています。さっさと自社内で人事制度を改定すればいいだけであり、世の中に提言などしていないわけです。

  【過去の当ブログ参考記事】 80歳まで働ける?いいと思います。私はノーサンキューだけど。

 あと、私事で恐縮ですが、私のいた会社も、退職当時、人事制度を改革中でして、それは、なるべく社員に長く働いてもらう方向性の改革でした。やはり世の中に提言などしていません。

提言はするが自社でやらないのはヒヨっているから

 つまり、人事制度の変更は、経営層が本気になれば、各社の裁量でかなりのことが出来る。法律との兼ね合いや、労働組合との交渉など簡単ではないではない、というのも分かりますが、本当にそれが会社や社会のために必要だと思うなら、経営者が自ら本気で説得すべきでしょう。

 でも、提言するだけで、自社でそれをやろう、とは言わないのは何故か。

 それは、それをやると大量の血が流れることになるから。社員に一方的な不利益とは言わぬまでも、身を切ってもらうことも多々あるだろうし、それを導入したことにより、かえって業務が回らなくなるリスクもある。そうなると、それを断行した経営者が責められることになる。

 つまり、経営者は返り血を浴びなくてはならないし、経営者自身も血を流さなくてはならないかもしれない

 でも、そこまでしてやる覚悟は無いし、やれるとも思っていない。だから提言はするけれど、自分ではやろうとしない。

 

 多分この人の本音は「人件費削減をしたい」ということで、ただそれをストレートに出すと色々と不都合が生じるので、「若い頃から勉強しなければならない」等の、それっぽい建前を前面に出して、

「どう? 僕の提言いいでしょ? みんな、これをやってくれない?(・・よさそうだったらウチも追従するからさ・・)」みたいに、世間様にお伺いを立てているのが、この種の提言なのだと思います。

 言い方は悪いですが、ヒヨっているのです。

 本音を建前でカバーしているから、自らの言論に説得力を持たせることができず、底の浅さを見透かされて炎上する。半ば思いつきの発言だから、それを押し通すことが出来ず、釈明に追われることになる。

 

 本稿は、45歳定年そのものを批判する意図はありません。セミリタイアなりFIREを志すなら、むしろ好都合とさえ言えます(でも45歳まで引っ張ったら、最早、早期リタイア扱いにならないかも?)

 それを実現する手腕・覚悟が無いからといって、その経営者がダメだと言いたいわけでもありません。現実問題難しい、ということはあるでしょうから。

 ただ、出来もしないことを言って、人々を疑心暗鬼にさせるのは止めろ、と言いたいだけです。

 

★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
 ⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます

人生、逃げ切った!と言えるようになる日

 ひろゆき氏がどこぞの動画で「逃げ切ったとカウントすると人生楽しい」というようなことをおっしゃていました 。この人は結構、テキトーなことを言い散らかしている印象はありますが、確かに、いつか「逃げ切った」という言えるようになる、というのは、早期リタイア・定年リタイア、何れに関わらず、望ましいことだと思うので書いてみます。

目次

f:id:retire50:20210725212754j:plain   
 《東京都奥多摩町:奥多摩湖》

「逃げ切った」という確信は「思い込み」

www.youtube.com

 この動画では、58歳で資産8000万の人が登場し、小さな会社を興して年収200~300万、年金は月13万の予定だが、これで逃げ切れるか?ということをひろゆき氏に相談しています。

 傍目には余裕で逃げ切り可能で、ひろゆき氏もそう断じている。ただ、私に言わせれば、もっとも重要なパラメータである「生活費」が明らかになっていないので、本当に逃げ切れるのかは不明。

 まぁ、この相談者のことは置いておくとして、「逃げ切った」とはどういうことか?についての、ひろゆき氏の考察は興味深いものを感じました。

 まぁ、「現有資産」から「死ぬまでの支出」を引き算し、それがプラスになれば、理論上「逃げ切った」とカウントはできる。

 ただ、将来に絶対は無い。預けている銀行や、投資している会社が全て倒産する確率は、厳密にはゼロではない。もし仮にそういう事態が起これば「人生詰みましたー」ということになるのだから、「逃げ切った」と確信していても、そこには「思い込み」が必ず含まれている

それでも「逃げ切った」とカウントした方が楽しく過ごせる

 ただ、本当にそうなる確率は極めて低いわけで、そのようなことにまで逐一対処しようとすると、死ぬまでお金の心配をし続けなくてはならなくなる。結果、精神的に負担になり、その精神的負担から逃れるために死ぬまで働き続ける、みたいなループに陥ってしまう。

 そのことの実例として、「1億3000万円もあるのに、心配でリタイアできない」というケースが、当ブログを含め、様々な所で言及されています。

 【過去の当ブログ参考記事】 

 将来を極度に悲観したり、資産残高を保持することに拘り過ぎると、せっかく築いた財産なのに、自分や家族の人生を豊かにするために使えない。結果、その1億円を握りしめたまま死ぬまで働き続ける選択をとることになってしまうなら、やはり不幸だと思う。

 「現有資産」から「死ぬまでの支出」を引き算して、それがある程度のプラス(私の場合、1000万円)になるのであれば、例え思い込みが含まれていたとしても、そこは割り切って、逃げ切ったとカウントすると、安楽に暮らせる

  【過去の当ブログ参考記事】 リタイア後の予備資金はコミコミ1000万円で計算している

 私自身も、このような状況であるので、自分のことを「逃げ切った」とカウントしています。だから、「将来、お金が足りなくなるかも」「もっとお金を稼がなくては」という考えを持つことは無く、勝手気ままに暮らしています。

  【過去の当ブログ参考記事】 「稼ぐ」のが面倒臭いのです、正直なところ

まだ逃げ切っていない人も、50代までには逃げ切りたい

 しかし、セミリタイアやサイドFIREしている人の大多数(特に20代・30代の方)は、その段階には至っていないと思うんですよね。

 例えば、資金3000万円の人が35歳でリタイアしたとしたとします。世の中には7000万とか1億とかいう景気の良い数字が踊っているので錯覚しがちですが、35歳で3000万というのはかなり優秀な部類だと思います。

 それでも、年間100万円取り崩すだけで、65歳で尽きてなくなってしまう数字ですから、さすがに「逃げ切った」とカウントは出来ない。だから、完全リタイアではなく、セミリタイアとして、あるいはサイドFIREとして、配当金なり副業なりを得ることにより、リタイア後もこの3000万を極力維持していく必要があります。

 でも逆に、この3000万を維持し続けることが出来たとしたならば、いつかは「逃げ切った」と言える日が来るんですよね。それはいつなのか? ケース・バイ・ケースですが、個人的な感覚で言うと、50代半ばあたりまで当初の3000万円が維持され、かつ住宅費を含めた支出が最適化されていれば、いい線行っているんじゃないかと(独身・持ち家の場合)。

  •  注)なお、もっと後、例えば、50歳でリタイアする場合であれば、35歳リタイアの場合より、維持資産は少なくてよい。年金受給額に差があるからです。

 もちろん、「逃げ切った」からといって、ただちに投資や副業を止める必要はなく、自分が楽しいと思うのなら、そのまま続けて資産を上乗せしていけばよい。

 ただ、リタイア後にもノドの小骨のように残っていた「毎月いくらいくら稼がなくてはいけない」という大いなる義務から、人生のある段階で解放されることの意義は大きいのです。

 逆に言えば、バイト程度の労働であっても、「それを生涯続けることが必須」のループに陥ってしまうと、若いうちは良くても、いつまでたっても逃げ切りの態勢に入ることができず、年齢を重ねるごとに、どんどんしんどさが増していくことでしょう。

 経済的独立が完全ではない段階で、サイドFIREやセミリタイアすることを検討している方もいるかと思います。そのこと自体は別に良いと思いますが、50代には逃げ切り態勢に入れるくらいの資産と収支計画をあらかじめ整えてからリタイアすることを強くオススメします。

 

★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
 ⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます

つなぎの総理で終わった菅氏。まぁ、よくつないだよ。

 最近の当ブログの更新頻度は週2回。ほとんどリタイア関係の記事となっていますが、久しぶりに時事ネタを、この週2回の更新とは別に、番外的にアップします。というのも、菅総理が次期総裁選に出馬しない、という話ですから、少しこの関係について書いてみようと思ったのです。

目次

 

f:id:retire50:20210909162246j:plain
 《東京都奥多摩町》

結局、つなぎの総理で終わった菅総理

 前回の総裁選はちょうど一年前だったのですな。そのときの当ブログの記載より。

自民党総裁選の今後について考える

 まぁ、菅氏はワンポイント・リリーフと位置づけ、次回の総選挙前に改めて本命を決める、というのがよいのではないでしょうか。ワンポイント・リリーフの総理なんて!と怒られるかもしれませんが、今、政策論争して本命を決めたところで、あまり得るところは無いような気がするのです。

自民党総裁選の敗者に贈りたい言葉「弱いから負けた」

 その進捗次第では「つなぎの総理」から脱して、長期政権(とはいっても長くて3年くらい)に化ける可能性もあるような気がしてきました。

 もっともそのためには、コロナの収束と、政権の運営を安定させること。1年後、政権支持率が概ね40%を超えているようであれば、その後も総裁を交代させることはせず、しばらく菅氏で行くのではないでしょうか。

 あれから一年、新型コロナが、まだ収まらず、最近は支持率が30%を切っていますので、これ以上、総理を続けるのは得策ではない、との判断でしょう。

 結局、つなぎの総理、ワンポイント・リリーフで終わった菅総理でした。

よくつないだとは思う。

 ただ、このコロナ感染拡大の中、よくつないだとは思います。

 多分、誰が総理であっても感染拡大は避けられないなか、火中の栗を拾い続け、サンドバッグとなって叩かれ続けた、というのはいかにも大変そうでした。

 一方で、色々とボロがありながらも、まがりなりにもワクチン接腫は進んでいるようです。ちなみに私は先日、2回めを完了していますが、接腫翌日は無茶苦茶ツライ。接腫部位がすごく痛いのと、熱も36.9度(2回めのみ)出てしまいました。

 ワクチンの効果は100%ではありませんが、接腫率の高い高齢者の感染・重症化・死亡が相対的に目減りしている感じなので、まぁ、ある程度の効果はあるのだと思います。

 ワクチンの推進は菅総理の意志ですので、これは功績と言ってよいでしょう(ちなみに当初野党はワクチン慎重派でした)。

 また、野党とかマスコミでは反対の声が強かったオリ・パラも、結局、開催してしまいました。世論調査でも同様だったのですが、オリンピックが近づくとともに、賛成が増えていき、結局、何事もなくオリ・パラは終了してしまいました。

 東京都の感染者数ピークは、丁度、オリンピック期間付近だったのですが、減少傾向にある今、そのことに触れる人は、ほとんどいません。たまに、「やらなきゃよかったのに」とブツクサ言っている人もいなくはないのですが、大勢ではありません。

 あの反対キャンペーンは一体何だったのだろう?と思います。

 まぁ、先日も言いましたが、オリンピックを中止や延期にしていたら、何かとシコリが残る結果になっていたでしょう(私のリタイア生活とオリンピック参照)から、これで良かったのだと思います。

 ワクチン接腫をかなりの程度進め、更に、あれだけの反対キャンペーンの中、無観客であれ、とにかく無難にオリンピックを終わらせた、というのは、確かにつなぎ的な政策ではありますが、この困難な情勢におけるつなぎとしては相当な功績ではないか、と私は思っています。

菅総理の支持率は上がるかも

 安倍総理が退陣表明をした後、コロナで落ち込んでいた支持率が回復したんですよね。

自民党総裁選の今後について考える

安倍総理の内閣支持率が、いきなりアップして5割を超えたそうですね。

(略)

「安倍内閣の7年をトータルで振り返ってみて、支持する人が多かった」というのが近いんじゃないですかね。

 同じような感じで、菅総理の支持率も多少回復するかもしれません。

 コロナ感染拡大中の総理大臣の役割の一つとして「サンドバッグ」というのがあると思います。

 いくら総理大臣とはいえ、コロナ対策には、日本国が持ち合わせているリソースしか使えず、技術的・法律的にも制約があって、出来ることには限りがある。致命的な失策は無くとも、必然的にコロナ対策は不十分となるので、その不満を総理大臣が一身に受けることになる。

 その結果、支持率も落ちていたのですが、退陣表明をしたことにより、菅総理のサンドバッグとしての役割は終了に向かいつつあります

 すると不思議なもので、「あんなにボロクソ叩かれながらも、まぁ頑張った方じゃないか?」みたいな感想を持つ人が増える。叩かれている方に同情してしまう、一種の判官びいきと言えるかも。

 あともう一つ、緊急事態が延長されたとはいえ、首都圏を中心に、感染者数がピークアウト傾向にあります。

 結果、支持率が回復するのではないかと思うわけです。

総選挙は?

 次期総裁が決まったら、支持率のご祝儀相場が続いているうち、そしてコロナが小康状態にあるうちに、総選挙に入る。実は、政権与党としてはいいタイミング

 すると、恐らくですが、次期総裁に余程のスキャンダルが発覚しない限り、自民・公明で過半数は維持するでしょう、議席は減らすかもしれませんが

 というのも、最近、内閣支持率は落ちていても、自民党の支持率はそこまで落ちていないし、野党の支持率も低いままだからです。

 何より、前回、自民から民主へ政権交代したときは、「とにかく自民党から政権を取り上げよう」という雰囲気や流れをものすごく感じたのですが、今回はそのような雰囲気がほとんどしない

 前項で述べたように、コロナの不満の矛先が与党や総理大臣に向かっているのは確かなのですが、じゃぁだからといって「政権を変えよう」という意識を持つ人は、政権をひっくり返すほどに多くはないのだと思います。

 

★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
 ⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます

リタイア生活に「縛り」を入れよう、とは全く思わない

 リタイア後の高揚感の後にやってくるのは、「平凡な日々」であって、これを楽しめる資質を持った人は一握りではないか、という話を前回アップしました。

50retire.hateblo.jp

 一方で、この「平凡な日々」の時間を埋めるために、リタイア生活にある種の「縛り」を導入する、という考え方もあります。

 考え方は分かるのですが、自分は、そのような「縛り」を入れよう、とは全く思わないかな。

目次

 

f:id:retire50:20210804112736j:plain
 《山梨県北都留郡丹波山村:丹波バス停(始発)》

「平凡な日々」を埋めようとするなら、こんなところかもしれない

 前書きに書いたようなことは、あるyoutubeの動画で、提案されていました(リンクは貼りません)。以下、その概要。

 リタイア前に考えていた、「リタイアしたらやってみたい、こんなことやあんなこと」なんて、実際リタイアしてみると別に大したことなくて、自由な日々の感動が薄れて、当たり前になってくる。

 幸福は、多少の不幸があってこそ感じられる感情なので、リタイア生活においても「縛り」を作って、その不幸を擬似的に作りだすことが、幸福を感じるのに必要なのだ、と。

  例えば、縛りとして「毎日、筋トレをしなくてはいけない」と決めたとします。そして、毎日、筋トレというツライ作業が終わると、縛りから解放されて、「あ~、自由っていいな」と、リタイア直後に似た高揚感を、(多少は)再現できる、みたいな感じでしょうか。

 

 分かります、考え方は。「平凡な日々」をダラダラ過ごすことに疑問を感じてしまうのであれば、その対策としては、こんなところなのかも知れないです。

そんな面倒臭いことしたくない

 この動画をアップされた人は、セミリタイアかフリーランスの立場にあるお若い方。リタイアによって生じた時間を充実させて、幸福に過ごさなくてはいけない!みたいな発想があるんでしょう。真面目だなー、と思います。

 一方で、私自身は、50を過ぎてもう枯れているのか、「別に、リタイア生活が充実してなくてもいいから、そんな面倒臭いこと、なるべくしたくない」という気持ちの方が勝っています。

 私が最近力を入れているのは数学ですが、書物に書いてある難しい証明を地道に追っていく作業ですので、もしかしたら、いわゆる「縛り」に相当しているのかも知れません。

 でも、私が数学をしているのは、ナチュラルに自分が面白いと思うことを、そのままやっているだけで、ノルマとか縛りという認識ではないんですよね。

 結局、外出の予定が無い日は、毎日、行き当たりばったりで行動して、それだけで充分時間が埋まる。興味関心が別のところに移ったら、別のことをやり出すかもしれません。

 まぁ、自由な日々を、ただダラダラと過ごしているだけですよ。でも、「自由過ぎて、幸福を感じられない」とか感じたことがありません。

 実は、数学を改めて本格的にやり直すため、大学に再入学することも検討していますが、別にそれは「縛り」を設けて、相対的に幸福感を上げるためではなく、単純に自分の興味関心を追求した結果

 ただ、一方で、むしろそれ(通学)が結果的に「縛り」になってしまって、別のやりたいことがやりにくくなる、ことを警戒していたりもします。

有力な選択肢となり得るが幸福になるとは限らない

 グダグダと書いてしまいましたが、多少の「縛り」を人工的に設けることで、幸福感がアップするというのであれば、そのことを否定するつもりはありません。

 ただ、「縛り」を設けることで、本当に幸福になるとは限らない、ということも述べておきます。

 というのも、現在の私のリタイア生活において、当ブログの記事執筆こそが「最も大きな縛り」として君臨しているわけですが、このブログ執筆によって、自分はどれ程幸福になったのか、というと、結構アヤシイものがあります。

 当ブログの執筆は半年ほどサボった後、7月に再開しました。そしてサボっていたときと再開後の幸福感を比べてみますと、ただ面倒臭い要素が増えただけで、幸福感がアップしたという感じは全くしないのです。

 そんなに「縛りから解放された幸福」を感じたいのであれば、おとなしく賃金労働しとくのが一番じゃないでしょうか、実際のところ。

 

★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
 ⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます

リタイア後は平凡な日々が続く。あなたは楽しめますか?

 リタイア関連の記事を見ていると、「リタイア生活はスバラシイ!」と書いているものが結構ありますが、実際のところ、早期リタイアして、フルタイムの仕事を辞めたからといって、それだけでバラ色の生活が約束されるわけではありません。

 毎日通う場所がなくなったらなくなったで、いつしかそれが普通になり、平凡な日々が永く続いていきます

目次

f:id:retire50:20210829110501j:plain
 《埼玉県:八高線沿線のどこかの駅付近(明覚あたり?)》

リタイア直後の解放感が無くなると、「平凡な日々」が待っている

 多くの早期リタイア者は、リタイア直後にものすごい解放感・達成感を感ずるものだそうです。

 もっとも、私の場合、そこまでの解放感は無く、会社員生活からリタイア生活へグラデーション的に移っていたので、正式にリタイアしても、いまいちピンと来ないのでした。そしてこの感じが、一年半経った今でも継続している状況です。

  【過去の当ブログ参考記事】 リタイアして一週間。不思議な気持ちだが解放感はあまりない。

 ま、私の場合は特殊だと思うので、多くの場合は「リタイア直後にものすごい解放感を感じる」のは事実なのでしょう。

 ただ、リタイアしたからといって、豪遊しまくったり世界一周する、みたいなお金は無いのが一般的と思います。

 完全リタイアの方は、これまで週2日だった休日が7日に拡大される。セミリタイアの方は休日のみにしていた副業を平日にも拡大する・・・みたいな感じで、リタイアしても、「毎日通う場所がなくなり、仕事の重圧から解放された」という以上のことでも以下のことでもないのです。

 そして、リタイア直後の高揚感が無くなってくると、そこに待っているのは「平凡な日々」ということになります。

早期リタイア後の平凡な日々を楽しめる感性は「ずれている」

 私も、平凡な日々を送っています。

 家事の他、読書したり数学したり、ネット見たり、当ブログを書いたり。今は暑いしコロナもあるのでサイクリングは秋までお預け状態ですが(注:実際に当記事を書いたのは8月です)。

 仕事の重圧が無くで非常に楽なのは事実ですが、何かバラ色の要素があるわけではありません。本当に、平々凡々な、どってことのない生活

 これが、早期リタイア後、何十年も続くのです。

 私は、今のところ、このような生活を楽しいと思ていますが、一方で、このような自分の感性が、普通とは少しずれていることを自覚しているので、自分の生活スタイルが、多くの人にとって適用可能な望ましいものだとは思っていません。

  【過去の当ブログ参考記事】 何もしないリタイア生活も板についてきた

FIRE批判も一理ある

 最近、FIREが話題に上がることが多くなり、そのアンチとして「リタイアしてもどうせ暇でやることない」みたいな批判があり、その批判に対して、FIRE支持者が反論する、という構図が出来上がっています。

 もちろん、人それぞれではあるのですが、リタイア後の日々というのは、リタイア志望の皆さんが考えているよりも平凡であって、このような境遇に若くして身を投じて何十年も楽しく過ごせる資質を持っていのは恐らく一部。

 そして、あなたがその一部に入っているかは、実際のところリタイアして、しばらく過ごしてみないと本当のところは分からない。

 「自分で好きなことをやれる時間こそが大切、会社に縛られる人生は嫌だ」と声高に叫んでいる人でも、その人が、実際リタイアした場合に、平凡な日々を何十年も楽しめる資質を持っているのかは、基本的には別問題なのです。

 だから、FIRE批判も、あながち的外れだとも言えない気がしてきているのです、最近は。

早期リタイアの「資質」

 上記では敢えて資質という言葉を使いました。

 それはリタイア暇問題に関連して、「リタイアの目的を明確にせよ」とか「リタイア後に楽しめる趣味を持て」とか言われるのですが、私は、リタイアのために、わざわざひねり出すような目的や趣味なんてほとんど意味が無くリタイア生活が楽しめるか否かは、資質によるものが非常に大きいと考えているからです。

  【過去の当ブログ参考記事】 セミリタイアするのに「目的」は必要なのか?

 仕事を抜け出したいという気持ちが強くあると、「リタイアさえすれば、楽しい日々を送れる資質が自分にはある」とバイアスがかかっても不思議ではありません。リタイア希望者は、そのようなバイアスが極度にかかっていないか、そこは慎重に見極めた方がよいと思います。

 ちなみに、本稿の標題は、「リタイア後は平凡な日々が続く。あなたは楽しめますか?」となっています。「あなたは耐えられますか?」ではなく「あなたは楽しめますか?」です。

 資質のある人にとっては、平凡な日々は「耐える対象」ではなく、「楽しむ対象」だからです。

 

 本稿の続編もどうぞ

50retire.hateblo.jp

 

 

★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
 ⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます

少額でも「息をするように金を遣う」クセはリタイアを遠ざける

 早期リタイアを目指すなら、収支を見直して資金を貯めるなり投資する、というのは基本中の基本で、特に言われるのが「大口の固定費を見直す」ということ。

 確かに、それが最初にやるべき事柄であるのは間違いありません。ただ、少額の支出を見過ごしてもいいわけではなく、むしろ本丸はこちらかもしれない、ということを書いていきます。

目次

f:id:retire50:20210826091113j:plain 
《東京都奥多摩町・奥多摩湖》

息をするように少額の支出をしてしまう習慣

 最初に断っておきますが、1円でも安いスーパーを探し回ったり、極端に食費を削ったり、クーラーもつけずに猛暑日を耐えるなど、支出を極限まで減らして、サバイバルな生活をしろ、と言いたいわけではありません(山崎元氏の言を借りれば「爪に火(fire!)を灯す」)。

 必要なところ、本当に楽しめること等に相応の支出をするのは当然だ、という認識のもとで、ただ、少額であっても「息をするように金を遣う」ような習慣からは、脱却した方がいいね、ということ。

 少額の支出ってクセになるんですよ。しかも、自分のクセって、なかなか自分でそうだとは気づかないからタチが悪い

 例えば、どんなに高級な外食が好きだからといって、毎日ランチに5000円のうな丼に使っていたら、すぐに金が尽きてしまうのは誰でも分かるので、そんなことは、職業的なグルメか大金持ちでない限りはしない。

 でも、コンビニや自動販売機、その他お店などで、息をするように数百円レベルのものを買い込む人はいて、多くの場合それはクセなんだけど、恐らく、本人はそれをクセだと自覚していない

 お金がある人なら勝手にすればいいけど、「老後2000万円が~、70歳まで働かせるなんて政府は許せん!」みたいに言っている人が、そういうクセをお持ちなのなら、老後のことよりも、まずは、目の前のそのクセを直したほうがずっといい

毎日300円の出費でも、20年で200万円になる

 当ブログ過去記事より。

"お金"は貯められるが"時間"は貯められない

 例えば、毎日、150円のペットボトルを2本消費している人がいるとします。平日なら、職場で1本、帰りにコンビニで1本という感じで。

 この人があるとき、ペットボトルをやめて、水筒持ち(中身は水・湯出しのお茶パック)に切り替えたとする。すると、1日300円の節約になる。年間で10万9500円。お茶パック代を差し引いて、きりよく年間10万円分の節約とする。

(略)

貯蓄に回せば、10年で100万円、20年で200万円、30年で300万円。リタイア後の資金としても無視できない金額にまで膨れ上がります。

 言うなれば、優先度の低い出費を毎日300円抑えるだけで、老後2000万円(が正しいとして)のうちの1割程度は捻出出来てしまう、ということです。

 これに付け加えるとすれば、年金は一人頭、国民年金で満額78万円、厚生年金でも百数十万円程度が普通。しかし、毎日300円を多く遣うだけで年間10万円、つまり年金額の数%から十数%を費やしている計算になり、それだけ生活が厳しくなってしまうのです。

 大体、「息をするように金を遣う」というクセのついている人は、毎日300円にとどまらず、色々なところで数百数千円レベルの出費を繰り返している(例えば、やたらとタクシーに乗ったり、ダラダラと飲み会に参加したり、リボ払いしていたりなど)。

 そういう人は固定費を削減したところで、知らず知らずのうちに、それを上回る出費をしているので、結局、生活の苦しさから逃れられない

対策らしきもの

 「たかだが数百円をケチって・・・」と言われるかもしれませんが、ケチっているのは数百円ではなく数百万円なんですよ。逆に言えば、数百万単位の出費なのに、大口の固定費と違って、一回一回の額が数百円単位なので、問題が見えづらいんですよね。

 例えていうなら、水の入ったバケツの底に小さな穴が空いている状態。

 漏れてくる一滴一滴は大したことないし、何滴漏れたのかの把握も難しいから、ついつい軽視してしまう。しかし、この状態では、たまにバケツに水を足したところで、バケツの水をいっぱいにするのは無理です。それどころか、放っておけば、バケツはどんどん空っぽに近づいていきます。

 だから、そのような穴は是非とも塞いで、必要なときに、必要な分だけ、バケツからコップでちゃんと水を汲むような形にした方がいいです。

 時には大きなコップでたくさん汲んでも構わない。ただ、穴から漏らすのではなく、必ずコップで汲んだほうがいいよ、と。あるいは、コップで汲む水をしっかり確保するためにも、穴はちゃんと塞いでおけ、と言うべきか。

 そのためには、家計簿をつけて、「息をするように少額の金を遣う」ことの弊害を認識するのが本当はいいのかもしれません。バケツのどこに穴が空いていて、そこから何滴漏れたのかちゃんと把握する、ということです。

 でも、「息をするように少額の金を遣う」人ほど、家計簿をつけるのが困難なんですよね。それなら、現状把握は後回しにして、まずは買い物の回数自体を減らすのが手っ取り早いんじゃないかと。例えば、スーパー・自販機・コンビニ・ネット通販全て含めて、1日1回までとか。

 こうすると、1回1回の買い物の額は増えるでしょうが、「買い物をする」という行為に自覚が生じ、結果、「息をするように少額の金を遣う」ことが減少するのではないしょうか。そこから色々な工夫に繋がっていくんじゃないかと思います。

 

★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
 ⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます

バリスタFIRE ⇒ フリーターの亜流みたいな名前は微妙だな

 今日は、「大きなお世話」と言われるであろう、でもどうしても私が感じてしまうことについて、書いてしまいます。

 それは、FIREの一形態として注目されている「バリスタFIRE」というものの名前についてです。

目次

 

バリスタFIREについて

 バリスタFIREというのは、(多くは生活資金の不足分を補うために)FIRE後も若干の副業やバイトを行う、というものです。「バリスタ」というのはネスレ製のコーヒーマシンのことで、カフェでバイトするようなイメージですね。

 実は、私が最初にリタイアを検討したときも、バリスタFIRE的なものを選択肢に入れていましたから、このような方式が登場する背景はよく分かります。

「完全リタイア的セミリタイア」が私のスタイル

 とにかく、完全リタイアできるだけの資産は貯めるんだけど、フルタイムの仕事を辞めた後でも、何かしら(フルタイムではない)仕事をしてもいい。あるいは、しなくてもいい。そのような選択ができたらどんなにいいでしょうか。

 でも、このような状態を実現するには、それだけの資金が必要。つまり、フルタイムで仕事する期間をそれだけ長くとらなくてはなりません。

 一方、リタイア後も、生活のために短時間働くことを許容すれば、数年早く辞めることができます。でも、「働いても働かなくてもいい」という自由は得られない。

 これはジレンマです。リタイアの検討を開始した頃、かなり悩みましたが、結局、前者をとりました。

 つまり、「低資産でいいから、なるべく早くリタイアしたい」という需要があるんですよ。

フリーターと何が違うの?

 ただ、この「バリスタFIRE」という言葉を最初に見たとき、思ってしまったのです。

  「それってフリーターと何が違うの?」

と。

 もちろん、フリーターとバリスタFIREとは似て非なるものなのだと思います。以前、私はフリーターとセミリタイアの違いについて述べましたが、フリーターとバリスタFIREの違いについても、概ね、当てはまると思います。

フリーターとセミリタイアの違いとは?

 まず、形式的な面からいくと、フリーターの多くは「そもそも最初から就職していない」、リタイア者の多くは「就職していたが辞めた」という違いがあります。

 そしてこの形式的な違いが、資産状況の違いや現実の行動にも結び付いているのではないでしょうか。
 バブル期フリーターの多くが刹那的・享楽的な生き方をしていたのに対し、リタイア者のほとんどは、身の丈に合った生活をし、現役時代にある程度の資産を構築し、退職後どのように食っていくか、シミュレーションしています。下手な正規雇用者よりも堅実だといってよいくらいです

 

 ただ・・・ただです。

 「生活費を補うためにバイトをしてまーす!」

みたいなことを前面に押し出したネーミングはいかがなものかと。

 バリスタという言葉は日本人にはあまり馴染がないので、ピンと来ないですが、例えば、スタバFIRE、コメダFIRE、コンビニFIRE、吉野家FIRE、みたいに言い換えてしまうと、一気に生活感がアップしてしまいます。

バリスタFIREのメインは、「バリスタ」ではない

 バリスタFIREを目指している人って、別にスタバとかコメダで働きたくてバリスタFIREを目指しているんじゃないと思うんです。

 必要最低限の時間は補助的に働くけど、メインは「バリスタを使っている以外の時間」にあるはずです。ですが、バリスタFIREと言ってしまうと、バリスタというのが前面に出てしまって、「それってカフェで働いているフリーターと何が違うん?」と思ってしまうのです。

 一方、「バリスタFIRE」という語と類似の言葉に「セミリタイア」があります。この言葉の初出は故・大橋巨泉さんだと言われています。この言葉の本質は「セミ」という部分にあります。

 完全に引きこもってボケーッとするのではなく、テレビの仕事はほぼ引退するけれど、大好きなゴルフや世界各地の自分のお店の経営については、これまで以上に積極的に活動しますよ、という意味合いが込められています。

 夢のある言葉だと思います。

個人的には「サイドFIRE」という語が良いと思う

 ということで、バリスタFIREという、フリーターの亜流みたいな名前は、自嘲気味に言うならともかく、一般にはかなり微妙なネーミングではないでしょうか。

 自分が、もしこの形態のFIREを目指すのであれば、実際にバリスタを使うかどうかに関わらず、類義語の「サイドFIRE」と名乗るだろうな、。

 「サイド」でお金を稼ぐことは、それがバイトでもフリーランス的なことであっても、あくまで「サイド」であって、メインは自分が楽しく暮らすことにあります。

 こっちの語の方が、先のセミリタイアに似て、それを目指している人が、目指しているモノを的確に捉えている言葉のように思えます(もっとも、そのサイドであるはずのことに多量のリソースを割いている状態は、最早、サイドFIREというより、フリーターや個人事業主の領域ですけどね)。

 余計なお世話なんだけど、自分はそういう風に受け取りました、という話です。

 

★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
 ⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます

生活保護をリタイア生活のセーフティネットにすることについて

 最近、どこぞのインフルエンサーが生活保護(やホームレス)について煽ったところ、本来、彼が想定していたであろう場所以外のところで大炎上してしまって大変なことになっています。

 まぁ生活保護の善し悪しはともかくとして、リタイア生活が成り立たなくなった場合の最後のセーフティネットとして、生活保護というのが考えられなくもありません。このことについて考えていたことを、今回の炎上事件に便乗して、書いてみたいと思います。

目次

f:id:retire50:20210821112320j:plain
 《東京都青梅市》

最後の最後としてならアリ。ただ・・・

 いきなり結論っぽい話になりますが、生活保護をリタイア生活の、最後の最後のセーフティネットとして位置付けるのならアリだと思っています。

 これは、リタイア云々というより、セーフティネットとして国民全てに与えられた権利だから。本当にどうしようもなくなった場合に、生活保護を検討するのは当たり前だし、「リタイア者だから生活保護を受けてはならん!」ということにはならない。

 ただ一方で、一部インフルエンサー(ひろゆき氏など)が、やたらと生活保護を推奨するのは、どうにも胡散臭い、とも思っています。道徳的・倫理的に「安易に生活保護を受給するなんて怪しからん!」という話ではなく、

  • どこまで生活保護の現場を把握した上での話なの?
  • 「実際問題、生活保護を受けさえすれば万事オッケー」なんてことあり得るの?

といった素朴な疑問

 ひろゆき氏は、動画内で受けた人生相談に対し、ギリギリの人生計画を提示して、「これでダメだったら生活保護を受ければいい」とサラッと言うっていうのがパターン(の一つ)になっているのですが、本当にそんな簡単な話なのか?どうもそうは思えない。

生活保護は、原則、永続的に人を養っていく制度ではない

生活保護は受けられるのか?

 まず、生活保護はそんなに簡単に受けられるのか?という問題。

 役所がシブったら、某政党の地方議員かなんかに駆け込んで、間に立ってもらえばよい、という話もありますが、それでうまくいくのか本当のところは分からない。生活保護は各自治体が担っているから、当然、地域差も出てくる。

 また、生活保護の他に、「生活困窮者自立支援制度」という制度が最近できました。

生活困窮者自立支援制度について 東京都福祉保健局

 経済的に困窮し、最低限度の生活を維持することができなくなるおそれのある方に対して、個々の状況に応じた支援を行い、自立の促進を図ることを目的としています。

 身体・精神・年齢等に問題が無い人に対しては、生活保護の前に、まずは「生活困窮者自立支援制度」によって社会に復帰して下さい、というのが、国や自治体の基本的なスタンスじゃないか、と思われます。

 このようなスタンスが批判されることも多いけど、先立つモノがあって初めて成り立つ制度だから、国や自治体が表面上キレイなことを言っていたとしても、実際の運用においてシブくなるのは至極当然だろうと。

 だから、「お金が無くなった。さー、生活保護だ!」で、自治体が受給してくれるほどハードルが低いものなのか、というと、どうもそんな気がしないのです。

生活保護受給開始後のこと

 また、生活保護は、基本、「最後のセーフティネット」として設計された制度であり、永続的にそれで人を養っていく制度ではないということがあります。ここが年金と違うところ。

 もっとも、身体、精神など、何らかの事情で働けなくなってしまった人が、結果的に永続的に生活保護が続くということはあり、中には「けしからん!」と思われる事例もあるのでしょうが別にそれが原則ではない

 あくまで、生活保護は一時しのぎであって、「綱渡りの綱から落ちたが、命綱で助かった人」に対して、いつまでも命綱に繋ぎっぱなしでいいわけでないのは自明の話。

 だから、受給開始後、自治体の支援員・相談員みたいな人が「今後、どうやって社会復帰していきましょうか」みたいに、プレッシャーをかけてくるに決まっています。

 そのようなプレッシャーをモノともせず、受給し続けるということも、もしかしたら出来るのかもしれませんが、それが可能なのは、特殊な事情か、ある種の才能がある人だけだと思います。

まとめ

 つまり、生活保護が、「お金が無くなれば、誰にでも簡単に受けられて、生涯食いっぱぐれない、夢のような制度」的なイメージで語られているのが正しいのかというと、それは怪しいんじゃないか?ということ。

 だから、生活保護を「最後の最後のセーフティネット」として位置付けるのはいいけれど、ギリギリの人生計画(リタイアに限らず)を立てて、それが破綻したら、即、生活保護ね!というのは、相当に怖いやり方かな、と。

 それは、サーカス団員でもない素人が、「もし落ちても、命綱があるから大丈夫だよ」と綱渡りをしながら、いざというとき、その命綱がちゃんと働くのか、よく分からない、というくらい怖い。

 まぁ、それでも「賃金労働でお金を得る」ことに抵抗の無い人であれば、「生活困窮者自立支援制度」でも、「生活保護受給中の就職支援」でも何でもいいんだけど、とにかく仕事を見つけて働けるようになれば、それはそれでオッケーでしょう。彼にとって大事なのは、「食いっぱぐれない」ことであって、「働かない」ことではないから。

 でも、リタイア者にとってはそうではない。「リタイアしている」という、そのこと自体が非常に重要なのに、生活保護のレベルまで行ったら、それはリタイア生活の終焉に繋がっていく可能性が大きい。

 仕事が嫌で何年も無職でいた人間が、頭を下げて就職活動し、再び賃金労働に向かうことの厳しさは、想像を絶するものがあります。

 だとすれば、リタイア者にとって生活保護は、「最後の最後、食いつないでいくためのセーフティネット」とはなり得ても、「リタイア生活を継続していくためのセーフティネット」と位置付けるのは、ほとんど無理な気がします(少なくとも労働年齢のうちは)。積極的に「それのお世話になろう」と捉えるべきモノではない、というのが私の考えです。

 

★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
 ⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます

雨が続く。リタイア生活をどう過ごすか。

 雨が長く続きましたね。こんなとき、会社に行かなくてもよい身分というには有難さを感じますし、多くのリタイアブログでも、同様の趣旨のことが書いてあります。

 一方で、雨が長引くと、それだけ行動が制約されることになるので、リタイア済とはいえ、必ずしもいいことばかりではありません。

目次

f:id:retire50:20210818103041j:plain
 《東京都青梅市:雨で濁った多摩川》

私は「家ごもり」を決め込んでいる

 雨というと、梅雨が思い浮かびますが、梅雨よりも秋雨の方が長引くようなイメージを持っています。そして、私は、リタイア後、何度か、梅雨や秋雨を経験してきました。

 そんなとき、私は、特別な用事が無い限り、「家ごもり」を決め込んでいます。

 もともと、私は子供の頃から、屋内で一人でコツコツやる系統の作業が好きだったのです。過去記事を引用してみましょう。

あなたはセミリタイア向き?判断材料を一つ提案してみたい

 小学生の頃を思い出して下さい。

 放課後から夕食の間、塾や習い事等が無ければ自由時間になりますが、そのとき、どのように過ごしていたでしょうか。

 一人で過ごす時間が長く、苦痛や寂しさを感じずに楽しめていたというなら、セミリタイアに向いている可能性があるんじゃないかと思います。

(略)

 例えば私の小学生時代、放課後は、概ね次の5項目のどれかを、一人でやっていて、退屈も寂しさも感じていませんでした。

  • 読書
  • 音楽
  • 頭で考えたこと、想像した諸々をノートに書き留める
  • プラレール、ヒデオゲーム、ゲームウォッチ
  • 自転車で街を探検

 大人になった今でも、私がやっているのは、これらの趣向の延長にあるものです。そして、自転車以外はインドアの行動なので、家にいてもいくらでもやることはあるのです。

家に縛りつけられること

 しかし、それは私がそのような特性を持っているからであって、雨で家に縛りつけられる状態がツライという人も少なくないと思うんですよね。

 大雨の中、出勤しなくてはいけない人を嗤っているリタイアブログを読んだことがあります。

 確かに、雨の中の出勤は大変です。特に東京や大阪の都市部では、ただでさえ、電車は満員なのに、雨でムシムシした車内に、傘に気を配りながら乗らなくてはならないのです。また、災害クラスの台風の中、駅で並んでいる大勢の人々がテレビで映し出されると、「これはどうしたことか」と私も思います。

 ただ、じゃあ、雨で行動が制限されるなか、家にずっといて楽しいのか、と問われて、YESと答える人は、必ずしも多くは無いんじゃないでしょうか。出勤するのは確かに大変だけれども、辿り着いた職場で誰かと話したり、何か作業したり、ということにより、雨で鬱陶しくなった気分が紛れる人も、少なくないんじゃないでしょうか。

 雨の中、何がなんでも出勤することがスバラシイ、ということを言いたいのではありません。

 家にいるのがいいのか、出勤するのがいいのか、それは人それぞれの特性や環境によるものあって、どちらが優れているとか、そういうことではないということです。

 「雨の中、出勤しなくてはいけないなんて、労働者は可哀想だねー」という、リタイア者側からの一方的な見解を読むと、何か気恥しくなってくるのです。 

アウトドア派の場合

 私はどちらかというとインドア派なので、雨の中のリタイア生活もオツなものだと思っていますが、アウトドア派がリタイアしたらどうなるでしょうか?

 ここからは、私の想像によって書いていきます。また現在はコロナ拡大中ですが、ここではコロナ無しの世界について書いています。

ガチのアウトドア派の場合

 私が思うに、ガチのアウトドア派がリタイアした場合、雨で行動が制限される日が続いても、案外、上手く時間を使って楽しく過ごしてしまうのではないかと。

 例えば、ガチの釣り好きで、釣りを満喫したいからリタイアしたみたいなことだと、その人の生活は、釣り一色に染まると思うんですよね。

 単に、釣りに行く回数が増えるというだけでなく、釣りをしていないときでも、仕掛けを作ったり、釣果をネットにアップしたり、情報収集したり、次回の釣りの予定を立てたり。ガチの釣り好きなら、実践以外においても、色々やることはあるんじゃないかと。

 だとすれば、雨続きで釣りが出来ずに、残念に思うことはあっても、「やることがなくて退屈」なんてことは無いんじゃないかと思います。一種の晴耕雨読なのかも。

ガチではないアウトドア派の場合

 「ガチではない」と「ガチ」の境は何か、と言われると困るんですが、言うなれば「広く浅くのタイプ」が近いかもしれません。

 ガチの人は、実践以外にも、多くの付随活動があるので、家にいてもやることは尽きないんじゃないか、というのが前項の趣旨ですが、そこまでの深さが無い場合。実践はするけれど、付随活動はあまり行わないという場合。

 すると、「雨が降ること」、即、「やることが無い」に直結してしまいます。

 また、このような人が、リタイアしてアウトドアに頻繁に出かけていると、ガチではないので、そのアウトドア活動に段々飽きてきて、やりたいことが少なくなっていく。

 こうして、労働の適性とは無関係「リタイア生活そのものに飽きてしまう」というストーリーがあり得るかもしれません。

 

★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
 ⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます