50歳で早期退職し、セミリタイア!

私セイルは50歳で早期退職、セミリタイアしました!その思いを綴ります。

経営者が定年後も仕事することを賛美するワケとは?

 定年後の仕事を賛美する、次のような記事が定期的にあがってきます。

定年後、「絶望の30年」を過ごす人と「幸せな30年」を過ごす人の分かれ道はここにあった…3000万人の人たちが誤解している「お金の使い方」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

 しかし、蓄えがあればあったで、それをアテにして、新しい仕事に踏み出す意欲をなくしてしまう恐れもあります。毎日、何をするでもなくぼんやりと過ごし、仕事を通じて社会と関わることもない生活から、はたして生きる喜びや充実感を得られるでしょうか。定年退職は、「お金の本質」と「本当の幸福とは何か」について考えるよい機会だと思います。

 これを書かれた方は、丹羽宇一郎さんという、伊藤忠商事の会長まで勤められた方で、会長退任後、中国大使や、いくつかの名誉職を歴任されておられます。

 定年後、仕事をせず過ごすことに否定的な発信をする人のうち、一つの類型として、(元)経営者など社会的地位が上であったエリート(そこそこの人から一流の人まで。丹羽氏は後者でしょう)というのがあると思います。

 もちろん、定年後も仕事をするのが幸せな人も絶対いるとは思うのですが、何故わざわざ主語を大きくして一般化して語りたがるのか。個人的に考えてみました。

 


 いきなり話は飛びますが、今なおソフトバンクホークス球団会長を務めておられる王貞治氏。77歳まで現役で活躍された将棋の加藤一二三九段。

 こういう一芸の天才は、いくら自分が高齢になるまで現場の一線で活躍したからといって、それを一般化して「高齢者は仕事で人生を充実させるのがよい」的なことは言わないと思うんですよね(多分)。

 なぜか。一芸の天才というのは、その一芸について、常に他の天才との競争を強いられ、しかも一人で立ち向かっていかなければならないからなのでは?と思っています。

 上には上がいる。いつか自分の力が通用しなくなる。成績が落ちたからといって誰かが助けてくれるわけでもなく、引退に追い込まれる。

 王氏は、現役時、本塁打年間30本を打ってもなお、自らの理想のバッティングができなくなったことを理由に引退。時は下って、ソフトバンク監督に着任後、弱小だったチームを3回もリーグ優勝に導きながら、2008年は最下位に沈み引退。

 加藤九段は、将棋界の番付ともいうべき順位戦において、最も下のクラスであるC級2組で規定の成績を満たせず引退。

 そういう厳しい世界をくぐり抜けてきた方には、ある種の謙虚さがあって、人の力の有限性を知っており、かつ、「自分のような人生は一般化できるものではない」ということを感じているのではないか。

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 しかし、経営者などエリート系の人は違うようです。もちろん彼らのいた世界も色々と厳しいものであり、そして彼ら自身、非常に有能であったことと思います。

 ただ、その仕事というのは「部下に任せる」というのが基本であり、求められるのは政治力・調整力・先を見通す力などであって、実務能力ではないのです。一芸の天才達が自らその技能を極限まで磨く、というのとは違うのです。

 だから、彼らは、加齢や強力なライバルの出現によって自らの力が通用しなくなるという経験に乏しく、それどころか、高齢になるほど地位が上がり部下が増えて万能感が増す、という構造になっています。出世が頭打ちになることこそあれ、降格や強制引退に追い込まれることは、そうはありません。

 そういう世界に生きてきた方には、ある種の傲慢さが芽生えて、自分のそれまでの歩みをもとに「仕事に生きる人生こそ至高のものである」と考えがちなのでしょう。

 しかも彼らの多くは、経営者・エリートとはいえ、サラリーマンとしての人生を歩んできて、かつ多くの一般サラリーマンを部下に抱えていたでしょうから、その「至高の人生」を、一般サラリーマン、ひいては一般人にまで、無制限に適用させたがるのだと思います。

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 更に言ってしまえば、これはある種の承認欲求なのかもしれません。

 「高齢になっても、こんなに立派な仕事をしている自分はスゴイ」みたいなことはさすがに言えないし、そこまでは露骨に思っていないのだと思います。

 ただ、直接に「自分は~」と言えなくても、一般論に託せば言えるんですよね。自分ではそのつもりはなくても、「人というものは仕事をしていないと~」といった一般論のなかに、「自分は仕事をしているから~」という、見えざる意識が見え隠れしてしまうんですよね。

 極端な話、この手の人は、一般の(定年後の)人々を部下に見立てて

 高齢の社長「君ィ、やっぱり人は生涯現役で生きなくてはダメだよ」

 部下   「ハイ社長、そうですよね!」

みたいな説教をしているのと、そうは変わらないのではないかと。

 自分の人生を肯定的に自己評価すること。それは非常に良いことだと思います。ただ、この手の経営者などエリートは、自らのような人生を至高のもと捉えていて、それとは対極にある「仕事以外に生きる一般人」をsageる発言をするからウザがられるのでしょう。それは、上司が部下にアドバイス(と称したマウント)しているのと同じ構造なんです。

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 以上は私の観察です。反論というより、「どうして、この手の人達はこういう風に言うんだろう?」ということを考えてみたかったのです。

 

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