50歳で早期退職し、セミリタイア!

私セイルは50歳で早期退職、セミリタイアしました!その思いを綴ります。

リタイア後に襲ってくる?「取り残され感」「おいてきぼり感」

 今のところ、私はリタイア生活を何の問題も無く続けていますが、それが可能である要因の一つとして、孤独耐性があるから、というのは絶対あると思っています。

 孤独感といっても色々とありますが、早期リタイアとの関連で言えば、「取り残され感」「おいてきぼり感」というものが、本質的なように思えますので、今回はそのことについて書いてみます。

目次

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 《東京都青梅市》

リタイア生活は孤独である

 先日も述べた通り、リタイア生活というのは、一人でいる時間が長くなります。以下、過去記事より。

リタイア生活と一人行動・孤独感について

(略)

 「集団か一人か」という選択肢から一人行動を選ぶのではなく、自分の周囲には一緒に行動してくれる人がみつかりにくくなり、必然的に一人で行動せざるを得ない、という状況に置かれることが多くなってくる訳です。

何もしないリタイア生活も板についてきた

  特に感じるのは、周りが働いているなか、自分だけがリタイア生活を送っているため、どうしても一人で過ごす時間が長くなること。

 だから、孤独耐性がある、もっと進んで孤独でも楽しい、というぐらいでないと、リタイア生活を続けていくのは困難かもしれません。

 何もしないリタイア生活も板についてきたでは、「孤独耐性の無い人がリタイアしたら陥りやすい3つのパターン」を、私が勝手に考えて書いています。

  1. 単純に、周囲に人がいないと寂しくてしょうがない
  2. それまでバリバリ仕事をしてきた人がリタイアすると、他者との比較切磋琢磨がなくなり、「おいてきぼり感」「取り残された感」を味わいやすい
  3. 趣味が、複数人でないと行えないものばかり(リタイア後に空いた時間で、趣味をやろうとしても一緒にやってくれる人がいない)

 勝手に考えたものとはいえ、どれも充分にあり得る話でしょう。

 私はどれも当てはまらないのですが、それでも1と3はまぁ分かるのです。

 寂しがり屋さんはこの世に多いだろうし、私が結婚を考えた直接の動機も、実は1によるものだったりします。

  【過去の参考記事】 リタイア生活と一人行動・孤独感について

 あるいは、草野球を毎日でもやっていたい人がリタイアしたら、平日何をやっていればいいの?ということで、3の問題が必然的に発生します。

「おいてきぼり感」「取り残され感」がリタイア後に襲ってくるケース

 一方、私が理解できないのは2です。

 ただこれは私が理解できないというだけで、「おいてきぼり感」「取り残され感」というのは、非常に本質的で根深いものを含んでいるような気がしています。

 満を持してリタイア生活に突入したが、しばらくして飽きて、仕事に戻ってきた、というのも、この「おいてきぼり感」「取り残され感」よるところ大なのではないでしょうか?

 例えば、、、

「早期リタイアしたい」という人が、実は幸せになれない理由2つ

 さらに言えば、自分で事業を興して成功し、早期リタイアした人の多くは、いったんリタイアしても再びまたビジネスの世界に戻ってくることが多いのです。でもこれは逆に考えると当然のことです。なぜなら仕事に成功したということは仕事の面白さを十二分に体験したからであり、すなわち仕事が苦行にならず、まさに本多静六氏の言う「職業の道楽化」が実践できたから成功したのです。だからこそリタイアした後も仕事の面白さが忘れられず、やはり何らかのビジネスに取り組みたいと思う気持ちが強いのでしょう。

 いや、本当に「職業の道楽化」が実践できているのなら、そもそも早期リタイアなど考えなくてよいはずですよ。

 「仕事の面白さが忘れられず」というと聞こえはいいけれど、「仕事でバリバリしていたあの頃に比べて今は・・・今も活躍しているライバルに比べて自分は・・・」といった感じで、「おいてきぼり感」「取り残され感」と言い換えられてしまったりするわけです。

経験してわかった!「早期リタイア」が実は楽しく無いと思う3つの理由。

早期リタイア後、人間関係が疎遠になって友人と会うのも辛くなった。
早期リタイア後、自分の能力の劣化があからさまに不安になった。
早期リタイア後、人生の意味がわからなくなって、逆にストレスが溜まってしかも太った。

 この人の言う3つの理由というのも、記事を読んでいくと、結局は「おいてきぼり感」「取り残され感」というワードでくくれそうです。「日本社会において何者でもない自分」というものが不安だった・許せなかった、という感じでしょうか。

 早期リタイア後、経済的理由以外で「やっぱり仕事に復活しました」という事例を、ネットでたまに見かけますが、それらを突き詰めていくと「おいてきぼり感」「取り残され感」に行きつくケースが多いのではないかと思います。

「おいてきぼり感」「取り残され感」の特異性

 先に挙げた3つのパターンのうち、

  • 単純に、周囲に人がいないと寂しくてしょうがない
  • 趣味が、複数人でないと行えないものばかり

については、物理的に人が近くにいないことで生ずる感覚、あるいは不都合です。だから、仲の良い人が出来たり、一人で出来る趣味を作ったりすれば解決します。

 一方、「おいてきぼり感」「取り残され感」というのは、物理的に人が近くにいるかどうかとは関係無く生ずる感覚です。自分が一人であることを寂しく思う、という意味では孤独感の一種なのですが、この点は特異です。

 周囲の人は働いているのに、稼いでいるのに、社会貢献しているのに、それにひきかえ自分一人だけこんな生活していていいのだろうか

 どんなに家族仲が良く、友人と頻繁に会ったりしていても、癒すことは難しいでしょう。それとは無関係の所で生じている感覚なのですから。

何故、「おいてきぼり感」「取り残され感」を感じるのか、考察。

 人間社会は、社会の中での自分のポジションというものを、常に確認し評価されるような構造になっています。

 学校では学業やスポーツの成績の上下、友人関係、部活。職場では地位や仕事。どれだけ社会やコミュニティに貢献しているか、あるいは貢献し得る人物か。細かな所では、お昼は誰と食べるか?なんてのも、自分のポジションの一つです。

 我々は、どのコミュニティにおいても自分のポジションを確立するよう、幼少時より社会から求められ続けます。老後は、そのようなポジション取りから、ある程度自由になって然るべきなのですが、「何かしら社会と繋がっていた方がいい」とか言って、やはり自分のポジションを作るよう勧められたりします。

  【過去の参考記事】 退職後にまで「社会と繋がって」ないと不安な社会

 それこそ、揺り籠から墓場まで、自分のポジションというものを意識させられる社会なわけですが、なかでも「働いている場所」というポジションは、極めて重要視されます。

 しかし、早期リタイアなんてのは、そのような社会からの要求に反旗を翻して「働いている場所」というポジションを放棄するわけです。

 そのため、次のような人が早期リタイアしたら、「取り残され感」「おいてきぼり感」を感じるのではないでしょうか。

  • 「働いている場所」というポジションに執着や未練がある人
  • 社会からの要求に反旗を翻しているということに不安を覚える人(つまり「世間体を気にするタイプ」)

 みんなは「働いている場所」というポジションを持っているのに、自分にはそれがなくなってしまった・・・・取り残されている、おいてきぼりにされている、と。

 ある意味、 「おいてきぼり感」「取り残され感」というのは、単純な孤独感ではなく、社会というものが、社会の各構成員の頭の中に作り出した虚構の感覚なのではないか?などと思ったりもします。

 

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