人の贅沢がエスカレートしていく仕組み(象箸玉杯)
一点豪華主義のつもりが、贅沢がエスカレートしていき、ついには身を滅ぼしてしまう。
いかにもありがちな話ですが、それは現代日本だけではありません。古代中国にも同様の話がありますので、書いてみます。
目次
《東京都青梅市:彼岸花》
象著玉杯、酒池肉林の故事
今私が読んでいる『韓非子』。
これまで半分くらい読みましたが、同様の説話が二ヵ所に載っていました(「喩老」篇と「説林」篇)。ここでは、両篇の文章を、私の方で適当に合体させて紹介します。
昔者、紂為象箸、而箕子怖。
昔、[殷の王である]紂(チュウ)が、象牙の箸を作らせたところ、[家臣の]箕子(キシ)は、そのことに恐怖を抱いた。
中国の王朝は古い方から夏、殷、周…とされていて、うち、殷は紀元前17世紀から紀元前1046年までとされています。その最後の王が「紂」であり、屈指の暴君として古代中国史では超有名人です。
あるとき、紂王が象牙の箸を作らせたところ、家臣の箕子がそれを見て感じることがあり、恐れをなした、ということです。
「以為象箸、必不加於土鉶,必將犀玉之杯」
「象牙の箸を作っておいて、素焼きの土器(土鉶)に食べ物を盛り付けるなんてことはあり得ない。サイの角や宝石で出来た杯(犀玉之杯)に盛り付けるに決まっている」
「象箸玉杯、必不羹菽藿,則必旄象豹胎」
「象牙の箸や宝石の杯を使っておいて、食べるものが、豆や豆の葉のスープ(羹菽藿)といった粗食はあり得ない。カラウシ(旄)や象、豹の子供といった珍味を食べるに決まっている」
「旄象豹胎、必不衣短褐而食於茅屋之下,則錦衣九重,廣室高臺」
「カラウシ、象、豹の子供を食べるのに、短い野良着(短褐)を着てかやぶき屋根の下にいるなんてことはあり得ない。錦の衣を幾重にも着て、高台の広い部屋で食べるに決まっている」
箕子という人は、かなり鋭い直感を持っており、紂王が、象牙の箸の一点豪華主義に留まらず、どんどん贅沢がエスカレートしていくと予想します。
「稱此以求,則天下不足矣。吾畏其卒,故怖其始」
「王の求めに応じて、こんなことをしていったら、天下の物が丸ごとあっても足りないぞ(天下不足)。私は、その行く末が恐い。だからその発端[象牙の箸]を怖れるのだ」
贅沢にはキリが無いもの。ましてや、一国の王ですから、その気になれば一国の贅沢品を全てかき集めることができます。それでも、まだ足りない、もっと持って来い、などと言い出しかねない。
そうなってしまったときのことを考えると、たかが象牙の箸とも言っていられないわけです。
居五年,紂為肉圃,設炮烙,登糟邱,臨酒池。紂遂以亡。
そうして5年。紂王は、肉を田んぼのように敷き詰めて(肉圃)、焼肉の炉(炮烙)を設け、酒かすの丘(糟邱)に登って、酒の池(酒池)を見渡すまでになった。こうして紂王は亡んだのである。
象牙の箸を作ってから早5年。箕子が言ったことが当たり、メチャクチャ盛大な焼肉パーティーを開くまでになっていました。
しかし贅沢が過ぎて、恐らく人々の反感を買いすぎたのでしょう。紂王は殷という国とともに滅ぼされ、周にとって代わられたのです。
故箕子見象箸以知天下之禍。
箕子は象牙の箸を見て、天下の禍(わざわい)を知ることになった。
聖人見微以知萌,見端以知末。故曰「見小曰明」。
聖人というものは、微かな事象を見るだけで、大きな出来事の兆しを察知するものである。些末な発端を見るだけで、その行く末を見抜くものである。[老子では]「小を見て明を見る(見小曰明)」と言っているが、それはこのことである。
この説話から導かれる教訓というのは、「見小曰明」、つまり、国の滅亡といった大事件を察知するためには、「象牙の箸」という些細な事柄にもアンテナを張っておくことが必要なのだ、ということです。
この話は多分、史実ではない
ただこの説話は多分、伝説であって史実ではありません。そもそも、殷の時代に箸があったのか相当に疑わしいからです。
殷を滅ぼした周が、殷の悪宣伝をするために後世になって作った話、というのが妥当でしょう。
近代になって、「甲骨文」という殷王朝の一次文字資料が出土し、それを分析したところ、紂王はそこまで悪い人ではなかった、ということが明らかになっているようです。
ただ、象がかつて中国にいたというのは本当らしいです。でなければ、「象」という象形文字など誕生しようがありませんから。詳細は次のサイト参照。
なお、本項の記述は、次の書籍を参考にして書いています。
「贅沢はエスカレートするものだ」がもう一つの教訓
作り話だったとしても、このような話がそれなりの説得力を持って書物に取り上げられ、それが現代に伝わっているということ自体、興味深いものです。
この話の教訓は、先にも述べた通り「見小曰明」でありますが、当ブログ的には、「贅沢はエスカレートするものだ」をもう一つの教訓として提唱したい。
贅沢がエスカレートする仕組みとしては、贅沢の連鎖でしょうか。象の箸を作ったからには、やはりそれに見合う食器、食べ物、家がなくてはならない。一点豪華主義だと割り切れる人がどのくらいいるのか。
現代でいえば、すごく贅沢なスーツを買ったとすると、それに合わせて、ネクタイやタイピン、Yシャツ、靴、腕時計などの高級品も欲しくなってくるわけです。
あるいは、高級な自宅を買った後、それに合わせて生活が派手になっていき、教育にも金をかけるようになって、首が回らなくなっていくなど、ありそうなパターンです。
贅沢をしてはいけない、というつもりはさらさらありませんが、分をわきまえて、このような贅沢の連鎖には陥らないようにしたいものです。
今回紹介した『韓非子』には、
- 最強の矛で最強の盾を突いたらどうなるか答えられなかった話(矛盾)
- うさぎが株にぶつかるのを待って身を滅ぼした話(守株、待ちぼうけ)
- 大人しい龍でも、鱗が逆さに生えている部分に触れると怒り狂う話(逆鱗)。
- 良薬は口に苦いとか、忠言は耳に逆らうという話
など、面白い説話が沢山載っています。『論語』は理想主義過ぎて微妙、という人でも、この本なら現代にも通ずるリアルな人間観で楽しめます。
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