つなぎの総理で終わった菅氏。まぁ、よくつないだよ。
最近の当ブログの更新頻度は週2回。ほとんどリタイア関係の記事となっていますが、久しぶりに時事ネタを、この週2回の更新とは別に、番外的にアップします。というのも、菅総理が次期総裁選に出馬しない、という話ですから、少しこの関係について書いてみようと思ったのです。
目次
《東京都奥多摩町》
結局、つなぎの総理で終わった菅総理
前回の総裁選はちょうど一年前だったのですな。そのときの当ブログの記載より。
まぁ、菅氏はワンポイント・リリーフと位置づけ、次回の総選挙前に改めて本命を決める、というのがよいのではないでしょうか。ワンポイント・リリーフの総理なんて!と怒られるかもしれませんが、今、政策論争して本命を決めたところで、あまり得るところは無いような気がするのです。
その進捗次第では「つなぎの総理」から脱して、長期政権(とはいっても長くて3年くらい)に化ける可能性もあるような気がしてきました。
もっともそのためには、コロナの収束と、政権の運営を安定させること。1年後、政権支持率が概ね40%を超えているようであれば、その後も総裁を交代させることはせず、しばらく菅氏で行くのではないでしょうか。
あれから一年、新型コロナが、まだ収まらず、最近は支持率が30%を切っていますので、これ以上、総理を続けるのは得策ではない、との判断でしょう。
結局、つなぎの総理、ワンポイント・リリーフで終わった菅総理でした。
よくつないだとは思う。
ただ、このコロナ感染拡大の中、よくつないだとは思います。
多分、誰が総理であっても感染拡大は避けられないなか、火中の栗を拾い続け、サンドバッグとなって叩かれ続けた、というのはいかにも大変そうでした。
一方で、色々とボロがありながらも、まがりなりにもワクチン接腫は進んでいるようです。ちなみに私は先日、2回めを完了していますが、接腫翌日は無茶苦茶ツライ。接腫部位がすごく痛いのと、熱も36.9度(2回めのみ)出てしまいました。
ワクチンの効果は100%ではありませんが、接腫率の高い高齢者の感染・重症化・死亡が相対的に目減りしている感じなので、まぁ、ある程度の効果はあるのだと思います。
ワクチンの推進は菅総理の意志ですので、これは功績と言ってよいでしょう(ちなみに当初野党はワクチン慎重派でした)。
また、野党とかマスコミでは反対の声が強かったオリ・パラも、結局、開催してしまいました。世論調査でも同様だったのですが、オリンピックが近づくとともに、賛成が増えていき、結局、何事もなくオリ・パラは終了してしまいました。
東京都の感染者数ピークは、丁度、オリンピック期間付近だったのですが、減少傾向にある今、そのことに触れる人は、ほとんどいません。たまに、「やらなきゃよかったのに」とブツクサ言っている人もいなくはないのですが、大勢ではありません。
あの反対キャンペーンは一体何だったのだろう?と思います。
まぁ、先日も言いましたが、オリンピックを中止や延期にしていたら、何かとシコリが残る結果になっていたでしょう(私のリタイア生活とオリンピック参照)から、これで良かったのだと思います。
ワクチン接腫をかなりの程度進め、更に、あれだけの反対キャンペーンの中、無観客であれ、とにかく無難にオリンピックを終わらせた、というのは、確かにつなぎ的な政策ではありますが、この困難な情勢におけるつなぎとしては相当な功績ではないか、と私は思っています。
菅総理の支持率は上がるかも
安倍総理が退陣表明をした後、コロナで落ち込んでいた支持率が回復したんですよね。
安倍総理の内閣支持率が、いきなりアップして5割を超えたそうですね。
(略)
「安倍内閣の7年をトータルで振り返ってみて、支持する人が多かった」というのが近いんじゃないですかね。
同じような感じで、菅総理の支持率も多少回復するかもしれません。
コロナ感染拡大中の総理大臣の役割の一つとして「サンドバッグ」というのがあると思います。
いくら総理大臣とはいえ、コロナ対策には、日本国が持ち合わせているリソースしか使えず、技術的・法律的にも制約があって、出来ることには限りがある。致命的な失策は無くとも、必然的にコロナ対策は不十分となるので、その不満を総理大臣が一身に受けることになる。
その結果、支持率も落ちていたのですが、退陣表明をしたことにより、菅総理のサンドバッグとしての役割は終了に向かいつつあります。
すると不思議なもので、「あんなにボロクソ叩かれながらも、まぁ頑張った方じゃないか?」みたいな感想を持つ人が増える。叩かれている方に同情してしまう、一種の判官びいきと言えるかも。
あともう一つ、緊急事態が延長されたとはいえ、首都圏を中心に、感染者数がピークアウト傾向にあります。
結果、支持率が回復するのではないかと思うわけです。
総選挙は?
次期総裁が決まったら、支持率のご祝儀相場が続いているうち、そしてコロナが小康状態にあるうちに、総選挙に入る。実は、政権与党としてはいいタイミング。
すると、恐らくですが、次期総裁に余程のスキャンダルが発覚しない限り、自民・公明で過半数は維持するでしょう、議席は減らすかもしれませんが。
というのも、最近、内閣支持率は落ちていても、自民党の支持率はそこまで落ちていないし、野党の支持率も低いままだからです。
何より、前回、自民から民主へ政権交代したときは、「とにかく自民党から政権を取り上げよう」という雰囲気や流れをものすごく感じたのですが、今回はそのような雰囲気がほとんどしない。
前項で述べたように、コロナの不満の矛先が与党や総理大臣に向かっているのは確かなのですが、じゃぁだからといって「政権を変えよう」という意識を持つ人は、政権をひっくり返すほどに多くはないのだと思います。
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リタイア生活に「縛り」を入れよう、とは全く思わない
リタイア後の高揚感の後にやってくるのは、「平凡な日々」であって、これを楽しめる資質を持った人は一握りではないか、という話を前回アップしました。
一方で、この「平凡な日々」の時間を埋めるために、リタイア生活にある種の「縛り」を導入する、という考え方もあります。
考え方は分かるのですが、自分は、そのような「縛り」を入れよう、とは全く思わないかな。
目次
《山梨県北都留郡丹波山村:丹波バス停(始発)》
「平凡な日々」を埋めようとするなら、こんなところかもしれない
前書きに書いたようなことは、あるyoutubeの動画で、提案されていました(リンクは貼りません)。以下、その概要。
リタイア前に考えていた、「リタイアしたらやってみたい、こんなことやあんなこと」なんて、実際リタイアしてみると別に大したことなくて、自由な日々の感動が薄れて、当たり前になってくる。
幸福は、多少の不幸があってこそ感じられる感情なので、リタイア生活においても「縛り」を作って、その不幸を擬似的に作りだすことが、幸福を感じるのに必要なのだ、と。
例えば、縛りとして「毎日、筋トレをしなくてはいけない」と決めたとします。そして、毎日、筋トレというツライ作業が終わると、縛りから解放されて、「あ~、自由っていいな」と、リタイア直後に似た高揚感を、(多少は)再現できる、みたいな感じでしょうか。
分かります、考え方は。「平凡な日々」をダラダラ過ごすことに疑問を感じてしまうのであれば、その対策としては、こんなところなのかも知れないです。
そんな面倒臭いことしたくない
この動画をアップされた人は、セミリタイアかフリーランスの立場にあるお若い方。リタイアによって生じた時間を充実させて、幸福に過ごさなくてはいけない!みたいな発想があるんでしょう。真面目だなー、と思います。
一方で、私自身は、50を過ぎてもう枯れているのか、「別に、リタイア生活が充実してなくてもいいから、そんな面倒臭いこと、なるべくしたくない」という気持ちの方が勝っています。
私が最近力を入れているのは数学ですが、書物に書いてある難しい証明を地道に追っていく作業ですので、もしかしたら、いわゆる「縛り」に相当しているのかも知れません。
でも、私が数学をしているのは、ナチュラルに自分が面白いと思うことを、そのままやっているだけで、ノルマとか縛りという認識ではないんですよね。
結局、外出の予定が無い日は、毎日、行き当たりばったりで行動して、それだけで充分時間が埋まる。興味関心が別のところに移ったら、別のことをやり出すかもしれません。
まぁ、自由な日々を、ただダラダラと過ごしているだけですよ。でも、「自由過ぎて、幸福を感じられない」とか感じたことがありません。
実は、数学を改めて本格的にやり直すため、大学に再入学することも検討していますが、別にそれは「縛り」を設けて、相対的に幸福感を上げるためではなく、単純に自分の興味関心を追求した結果。
ただ、一方で、むしろそれ(通学)が結果的に「縛り」になってしまって、別のやりたいことがやりにくくなる、ことを警戒していたりもします。
有力な選択肢となり得るが幸福になるとは限らない
グダグダと書いてしまいましたが、多少の「縛り」を人工的に設けることで、幸福感がアップするというのであれば、そのことを否定するつもりはありません。
ただ、「縛り」を設けることで、本当に幸福になるとは限らない、ということも述べておきます。
というのも、現在の私のリタイア生活において、当ブログの記事執筆こそが「最も大きな縛り」として君臨しているわけですが、このブログ執筆によって、自分はどれ程幸福になったのか、というと、結構アヤシイものがあります。
当ブログの執筆は半年ほどサボった後、7月に再開しました。そしてサボっていたときと再開後の幸福感を比べてみますと、ただ面倒臭い要素が増えただけで、幸福感がアップしたという感じは全くしないのです。
そんなに「縛りから解放された幸福」を感じたいのであれば、おとなしく賃金労働しとくのが一番じゃないでしょうか、実際のところ。
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リタイア後は平凡な日々が続く。あなたは楽しめますか?
リタイア関連の記事を見ていると、「リタイア生活はスバラシイ!」と書いているものが結構ありますが、実際のところ、早期リタイアして、フルタイムの仕事を辞めたからといって、それだけでバラ色の生活が約束されるわけではありません。
毎日通う場所がなくなったらなくなったで、いつしかそれが普通になり、平凡な日々が永く続いていきます。
目次
《埼玉県:八高線沿線のどこかの駅付近(明覚あたり?)》
リタイア直後の解放感が無くなると、「平凡な日々」が待っている
多くの早期リタイア者は、リタイア直後にものすごい解放感・達成感を感ずるものだそうです。
もっとも、私の場合、そこまでの解放感は無く、会社員生活からリタイア生活へグラデーション的に移っていたので、正式にリタイアしても、いまいちピンと来ないのでした。そしてこの感じが、一年半経った今でも継続している状況です。
【過去の当ブログ参考記事】 リタイアして一週間。不思議な気持ちだが解放感はあまりない。
ま、私の場合は特殊だと思うので、多くの場合は「リタイア直後にものすごい解放感を感じる」のは事実なのでしょう。
ただ、リタイアしたからといって、豪遊しまくったり世界一周する、みたいなお金は無いのが一般的と思います。
完全リタイアの方は、これまで週2日だった休日が7日に拡大される。セミリタイアの方は休日のみにしていた副業を平日にも拡大する・・・みたいな感じで、リタイアしても、「毎日通う場所がなくなり、仕事の重圧から解放された」という以上のことでも以下のことでもないのです。
そして、リタイア直後の高揚感が無くなってくると、そこに待っているのは「平凡な日々」ということになります。
早期リタイア後の平凡な日々を楽しめる感性は「ずれている」
私も、平凡な日々を送っています。
家事の他、読書したり数学したり、ネット見たり、当ブログを書いたり。今は暑いしコロナもあるのでサイクリングは秋までお預け状態ですが(注:実際に当記事を書いたのは8月です)。
仕事の重圧が無くで非常に楽なのは事実ですが、何かバラ色の要素があるわけではありません。本当に、平々凡々な、どってことのない生活。
これが、早期リタイア後、何十年も続くのです。
私は、今のところ、このような生活を楽しいと思ていますが、一方で、このような自分の感性が、普通とは少しずれていることを自覚しているので、自分の生活スタイルが、多くの人にとって適用可能な望ましいものだとは思っていません。
【過去の当ブログ参考記事】 何もしないリタイア生活も板についてきた
FIRE批判も一理ある
最近、FIREが話題に上がることが多くなり、そのアンチとして「リタイアしてもどうせ暇でやることない」みたいな批判があり、その批判に対して、FIRE支持者が反論する、という構図が出来上がっています。
もちろん、人それぞれではあるのですが、リタイア後の日々というのは、リタイア志望の皆さんが考えているよりも平凡であって、このような境遇に若くして身を投じて何十年も楽しく過ごせる資質を持っていのは恐らく一部。
そして、あなたがその一部に入っているかは、実際のところリタイアして、しばらく過ごしてみないと本当のところは分からない。
「自分で好きなことをやれる時間こそが大切、会社に縛られる人生は嫌だ」と声高に叫んでいる人でも、その人が、実際リタイアした場合に、平凡な日々を何十年も楽しめる資質を持っているのかは、基本的には別問題なのです。
だから、FIRE批判も、あながち的外れだとも言えない気がしてきているのです、最近は。
早期リタイアの「資質」
上記では敢えて資質という言葉を使いました。
それはリタイア暇問題に関連して、「リタイアの目的を明確にせよ」とか「リタイア後に楽しめる趣味を持て」とか言われるのですが、私は、リタイアのために、わざわざひねり出すような目的や趣味なんてほとんど意味が無く、リタイア生活が楽しめるか否かは、資質によるものが非常に大きいと考えているからです。
【過去の当ブログ参考記事】 セミリタイアするのに「目的」は必要なのか?
仕事を抜け出したいという気持ちが強くあると、「リタイアさえすれば、楽しい日々を送れる資質が自分にはある」とバイアスがかかっても不思議ではありません。リタイア希望者は、そのようなバイアスが極度にかかっていないか、そこは慎重に見極めた方がよいと思います。
ちなみに、本稿の標題は、「リタイア後は平凡な日々が続く。あなたは楽しめますか?」となっています。「あなたは耐えられますか?」ではなく「あなたは楽しめますか?」です。
資質のある人にとっては、平凡な日々は「耐える対象」ではなく、「楽しむ対象」だからです。
本稿の続編もどうぞ
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少額でも「息をするように金を遣う」クセはリタイアを遠ざける
早期リタイアを目指すなら、収支を見直して資金を貯めるなり投資する、というのは基本中の基本で、特に言われるのが「大口の固定費を見直す」ということ。
確かに、それが最初にやるべき事柄であるのは間違いありません。ただ、少額の支出を見過ごしてもいいわけではなく、むしろ本丸はこちらかもしれない、ということを書いていきます。
目次
《東京都奥多摩町・奥多摩湖》
息をするように少額の支出をしてしまう習慣
最初に断っておきますが、1円でも安いスーパーを探し回ったり、極端に食費を削ったり、クーラーもつけずに猛暑日を耐えるなど、支出を極限まで減らして、サバイバルな生活をしろ、と言いたいわけではありません(山崎元氏の言を借りれば「爪に火(fire!)を灯す」)。
必要なところ、本当に楽しめること等に相応の支出をするのは当然だ、という認識のもとで、ただ、少額であっても「息をするように金を遣う」ような習慣からは、脱却した方がいいね、ということ。
少額の支出ってクセになるんですよ。しかも、自分のクセって、なかなか自分でそうだとは気づかないからタチが悪い。
例えば、どんなに高級な外食が好きだからといって、毎日ランチに5000円のうな丼に使っていたら、すぐに金が尽きてしまうのは誰でも分かるので、そんなことは、職業的なグルメか大金持ちでない限りはしない。
でも、コンビニや自動販売機、その他お店などで、息をするように数百円レベルのものを買い込む人はいて、多くの場合それはクセなんだけど、恐らく、本人はそれをクセだと自覚していない。
お金がある人なら勝手にすればいいけど、「老後2000万円が~、70歳まで働かせるなんて政府は許せん!」みたいに言っている人が、そういうクセをお持ちなのなら、老後のことよりも、まずは、目の前のそのクセを直したほうがずっといい。
毎日300円の出費でも、20年で200万円になる
当ブログ過去記事より。
例えば、毎日、150円のペットボトルを2本消費している人がいるとします。平日なら、職場で1本、帰りにコンビニで1本という感じで。
この人があるとき、ペットボトルをやめて、水筒持ち(中身は水・湯出しのお茶パック)に切り替えたとする。すると、1日300円の節約になる。年間で10万9500円。お茶パック代を差し引いて、きりよく年間10万円分の節約とする。
(略)
貯蓄に回せば、10年で100万円、20年で200万円、30年で300万円。リタイア後の資金としても無視できない金額にまで膨れ上がります。
言うなれば、優先度の低い出費を毎日300円抑えるだけで、老後2000万円(が正しいとして)のうちの1割程度は捻出出来てしまう、ということです。
これに付け加えるとすれば、年金は一人頭、国民年金で満額78万円、厚生年金でも百数十万円程度が普通。しかし、毎日300円を多く遣うだけで年間10万円、つまり年金額の数%から十数%を費やしている計算になり、それだけ生活が厳しくなってしまうのです。
大体、「息をするように金を遣う」というクセのついている人は、毎日300円にとどまらず、色々なところで数百数千円レベルの出費を繰り返している(例えば、やたらとタクシーに乗ったり、ダラダラと飲み会に参加したり、リボ払いしていたりなど)。
そういう人は固定費を削減したところで、知らず知らずのうちに、それを上回る出費をしているので、結局、生活の苦しさから逃れられない
対策らしきもの
「たかだが数百円をケチって・・・」と言われるかもしれませんが、ケチっているのは数百円ではなく数百万円なんですよ。逆に言えば、数百万単位の出費なのに、大口の固定費と違って、一回一回の額が数百円単位なので、問題が見えづらいんですよね。
例えていうなら、水の入ったバケツの底に小さな穴が空いている状態。
漏れてくる一滴一滴は大したことないし、何滴漏れたのかの把握も難しいから、ついつい軽視してしまう。しかし、この状態では、たまにバケツに水を足したところで、バケツの水をいっぱいにするのは無理です。それどころか、放っておけば、バケツはどんどん空っぽに近づいていきます。
だから、そのような穴は是非とも塞いで、必要なときに、必要な分だけ、バケツからコップでちゃんと水を汲むような形にした方がいいです。
時には大きなコップでたくさん汲んでも構わない。ただ、穴から漏らすのではなく、必ずコップで汲んだほうがいいよ、と。あるいは、コップで汲む水をしっかり確保するためにも、穴はちゃんと塞いでおけ、と言うべきか。
そのためには、家計簿をつけて、「息をするように少額の金を遣う」ことの弊害を認識するのが本当はいいのかもしれません。バケツのどこに穴が空いていて、そこから何滴漏れたのかちゃんと把握する、ということです。
でも、「息をするように少額の金を遣う」人ほど、家計簿をつけるのが困難なんですよね。それなら、現状把握は後回しにして、まずは買い物の回数自体を減らすのが手っ取り早いんじゃないかと。例えば、スーパー・自販機・コンビニ・ネット通販全て含めて、1日1回までとか。
こうすると、1回1回の買い物の額は増えるでしょうが、「買い物をする」という行為に自覚が生じ、結果、「息をするように少額の金を遣う」ことが減少するのではないしょうか。そこから色々な工夫に繋がっていくんじゃないかと思います。
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バリスタFIRE ⇒ フリーターの亜流みたいな名前は微妙だな
今日は、「大きなお世話」と言われるであろう、でもどうしても私が感じてしまうことについて、書いてしまいます。
それは、FIREの一形態として注目されている「バリスタFIRE」というものの名前についてです。
目次
バリスタFIREについて
バリスタFIREというのは、(多くは生活資金の不足分を補うために)FIRE後も若干の副業やバイトを行う、というものです。「バリスタ」というのはネスレ製のコーヒーマシンのことで、カフェでバイトするようなイメージですね。
実は、私が最初にリタイアを検討したときも、バリスタFIRE的なものを選択肢に入れていましたから、このような方式が登場する背景はよく分かります。
とにかく、完全リタイアできるだけの資産は貯めるんだけど、フルタイムの仕事を辞めた後でも、何かしら(フルタイムではない)仕事をしてもいい。あるいは、しなくてもいい。そのような選択ができたらどんなにいいでしょうか。
でも、このような状態を実現するには、それだけの資金が必要。つまり、フルタイムで仕事する期間をそれだけ長くとらなくてはなりません。
一方、リタイア後も、生活のために短時間働くことを許容すれば、数年早く辞めることができます。でも、「働いても働かなくてもいい」という自由は得られない。
これはジレンマです。リタイアの検討を開始した頃、かなり悩みましたが、結局、前者をとりました。
つまり、「低資産でいいから、なるべく早くリタイアしたい」という需要があるんですよ。
フリーターと何が違うの?
ただ、この「バリスタFIRE」という言葉を最初に見たとき、思ってしまったのです。
「それってフリーターと何が違うの?」
と。
もちろん、フリーターとバリスタFIREとは似て非なるものなのだと思います。以前、私はフリーターとセミリタイアの違いについて述べましたが、フリーターとバリスタFIREの違いについても、概ね、当てはまると思います。
まず、形式的な面からいくと、フリーターの多くは「そもそも最初から就職していない」、リタイア者の多くは「就職していたが辞めた」という違いがあります。
そしてこの形式的な違いが、資産状況の違いや現実の行動にも結び付いているのではないでしょうか。
バブル期フリーターの多くが刹那的・享楽的な生き方をしていたのに対し、リタイア者のほとんどは、身の丈に合った生活をし、現役時代にある程度の資産を構築し、退職後どのように食っていくか、シミュレーションしています。下手な正規雇用者よりも堅実だといってよいくらいです
ただ・・・ただです。
「生活費を補うためにバイトをしてまーす!」
みたいなことを前面に押し出したネーミングはいかがなものかと。
バリスタという言葉は日本人にはあまり馴染がないので、ピンと来ないですが、例えば、スタバFIRE、コメダFIRE、コンビニFIRE、吉野家FIRE、みたいに言い換えてしまうと、一気に生活感がアップしてしまいます。
バリスタFIREのメインは、「バリスタ」ではない
バリスタFIREを目指している人って、別にスタバとかコメダで働きたくてバリスタFIREを目指しているんじゃないと思うんです。
必要最低限の時間は補助的に働くけど、メインは「バリスタを使っている以外の時間」にあるはずです。ですが、バリスタFIREと言ってしまうと、バリスタというのが前面に出てしまって、「それってカフェで働いているフリーターと何が違うん?」と思ってしまうのです。
一方、「バリスタFIRE」という語と類似の言葉に「セミリタイア」があります。この言葉の初出は故・大橋巨泉さんだと言われています。この言葉の本質は「セミ」という部分にあります。
完全に引きこもってボケーッとするのではなく、テレビの仕事はほぼ引退するけれど、大好きなゴルフや世界各地の自分のお店の経営については、これまで以上に積極的に活動しますよ、という意味合いが込められています。
夢のある言葉だと思います。
個人的には「サイドFIRE」という語が良いと思う
ということで、バリスタFIREという、フリーターの亜流みたいな名前は、自嘲気味に言うならともかく、一般にはかなり微妙なネーミングではないでしょうか。
自分が、もしこの形態のFIREを目指すのであれば、実際にバリスタを使うかどうかに関わらず、類義語の「サイドFIRE」と名乗るだろうな、。
「サイド」でお金を稼ぐことは、それがバイトでもフリーランス的なことであっても、あくまで「サイド」であって、メインは自分が楽しく暮らすことにあります。
こっちの語の方が、先のセミリタイアに似て、それを目指している人が、目指しているモノを的確に捉えている言葉のように思えます(もっとも、そのサイドであるはずのことに多量のリソースを割いている状態は、最早、サイドFIREというより、フリーターや個人事業主の領域ですけどね)。
余計なお世話なんだけど、自分はそういう風に受け取りました、という話です。
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生活保護をリタイア生活のセーフティネットにすることについて
最近、どこぞのインフルエンサーが生活保護(やホームレス)について煽ったところ、本来、彼が想定していたであろう場所以外のところで大炎上してしまって大変なことになっています。
まぁ生活保護の善し悪しはともかくとして、リタイア生活が成り立たなくなった場合の最後のセーフティネットとして、生活保護というのが考えられなくもありません。このことについて考えていたことを、今回の炎上事件に便乗して、書いてみたいと思います。
目次
《東京都青梅市》
最後の最後としてならアリ。ただ・・・
いきなり結論っぽい話になりますが、生活保護をリタイア生活の、最後の最後のセーフティネットとして位置付けるのならアリだと思っています。
これは、リタイア云々というより、セーフティネットとして国民全てに与えられた権利だから。本当にどうしようもなくなった場合に、生活保護を検討するのは当たり前だし、「リタイア者だから生活保護を受けてはならん!」ということにはならない。
ただ一方で、一部インフルエンサー(ひろゆき氏など)が、やたらと生活保護を推奨するのは、どうにも胡散臭い、とも思っています。道徳的・倫理的に「安易に生活保護を受給するなんて怪しからん!」という話ではなく、
- どこまで生活保護の現場を把握した上での話なの?
- 「実際問題、生活保護を受けさえすれば万事オッケー」なんてことあり得るの?
といった素朴な疑問。
ひろゆき氏は、動画内で受けた人生相談に対し、ギリギリの人生計画を提示して、「これでダメだったら生活保護を受ければいい」とサラッと言うっていうのがパターン(の一つ)になっているのですが、本当にそんな簡単な話なのか?どうもそうは思えない。
生活保護は、原則、永続的に人を養っていく制度ではない
生活保護は受けられるのか?
まず、生活保護はそんなに簡単に受けられるのか?という問題。
役所がシブったら、某政党の地方議員かなんかに駆け込んで、間に立ってもらえばよい、という話もありますが、それでうまくいくのか本当のところは分からない。生活保護は各自治体が担っているから、当然、地域差も出てくる。
また、生活保護の他に、「生活困窮者自立支援制度」という制度が最近できました。
経済的に困窮し、最低限度の生活を維持することができなくなるおそれのある方に対して、個々の状況に応じた支援を行い、自立の促進を図ることを目的としています。
身体・精神・年齢等に問題が無い人に対しては、生活保護の前に、まずは「生活困窮者自立支援制度」によって社会に復帰して下さい、というのが、国や自治体の基本的なスタンスじゃないか、と思われます。
このようなスタンスが批判されることも多いけど、先立つモノがあって初めて成り立つ制度だから、国や自治体が表面上キレイなことを言っていたとしても、実際の運用においてシブくなるのは至極当然だろうと。
だから、「お金が無くなった。さー、生活保護だ!」で、自治体が受給してくれるほどハードルが低いものなのか、というと、どうもそんな気がしないのです。
生活保護受給開始後のこと
また、生活保護は、基本、「最後のセーフティネット」として設計された制度であり、永続的にそれで人を養っていく制度ではないということがあります。ここが年金と違うところ。
もっとも、身体、精神など、何らかの事情で働けなくなってしまった人が、結果的に永続的に生活保護が続くということはあり、中には「けしからん!」と思われる事例もあるのでしょうが、別にそれが原則ではない。
あくまで、生活保護は一時しのぎであって、「綱渡りの綱から落ちたが、命綱で助かった人」に対して、いつまでも命綱に繋ぎっぱなしでいいわけでないのは自明の話。
だから、受給開始後、自治体の支援員・相談員みたいな人が「今後、どうやって社会復帰していきましょうか」みたいに、プレッシャーをかけてくるに決まっています。
そのようなプレッシャーをモノともせず、受給し続けるということも、もしかしたら出来るのかもしれませんが、それが可能なのは、特殊な事情か、ある種の才能がある人だけだと思います。
まとめ
つまり、生活保護が、「お金が無くなれば、誰にでも簡単に受けられて、生涯食いっぱぐれない、夢のような制度」的なイメージで語られているのが正しいのかというと、それは怪しいんじゃないか?ということ。
だから、生活保護を「最後の最後のセーフティネット」として位置付けるのはいいけれど、ギリギリの人生計画(リタイアに限らず)を立てて、それが破綻したら、即、生活保護ね!というのは、相当に怖いやり方かな、と。
それは、サーカス団員でもない素人が、「もし落ちても、命綱があるから大丈夫だよ」と綱渡りをしながら、いざというとき、その命綱がちゃんと働くのか、よく分からない、というくらい怖い。
まぁ、それでも「賃金労働でお金を得る」ことに抵抗の無い人であれば、「生活困窮者自立支援制度」でも、「生活保護受給中の就職支援」でも何でもいいんだけど、とにかく仕事を見つけて働けるようになれば、それはそれでオッケーでしょう。彼にとって大事なのは、「食いっぱぐれない」ことであって、「働かない」ことではないから。
でも、リタイア者にとってはそうではない。「リタイアしている」という、そのこと自体が非常に重要なのに、生活保護のレベルまで行ったら、それはリタイア生活の終焉に繋がっていく可能性が大きい。
仕事が嫌で何年も無職でいた人間が、頭を下げて就職活動し、再び賃金労働に向かうことの厳しさは、想像を絶するものがあります。
だとすれば、リタイア者にとって生活保護は、「最後の最後、食いつないでいくためのセーフティネット」とはなり得ても、「リタイア生活を継続していくためのセーフティネット」と位置付けるのは、ほとんど無理な気がします(少なくとも労働年齢のうちは)。積極的に「それのお世話になろう」と捉えるべきモノではない、というのが私の考えです。
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雨が続く。リタイア生活をどう過ごすか。
雨が長く続きましたね。こんなとき、会社に行かなくてもよい身分というには有難さを感じますし、多くのリタイアブログでも、同様の趣旨のことが書いてあります。
一方で、雨が長引くと、それだけ行動が制約されることになるので、リタイア済とはいえ、必ずしもいいことばかりではありません。
目次
《東京都青梅市:雨で濁った多摩川》
私は「家ごもり」を決め込んでいる
雨というと、梅雨が思い浮かびますが、梅雨よりも秋雨の方が長引くようなイメージを持っています。そして、私は、リタイア後、何度か、梅雨や秋雨を経験してきました。
そんなとき、私は、特別な用事が無い限り、「家ごもり」を決め込んでいます。
もともと、私は子供の頃から、屋内で一人でコツコツやる系統の作業が好きだったのです。過去記事を引用してみましょう。
小学生の頃を思い出して下さい。
放課後から夕食の間、塾や習い事等が無ければ自由時間になりますが、そのとき、どのように過ごしていたでしょうか。
一人で過ごす時間が長く、苦痛や寂しさを感じずに楽しめていたというなら、セミリタイアに向いている可能性があるんじゃないかと思います。
(略)
例えば私の小学生時代、放課後は、概ね次の5項目のどれかを、一人でやっていて、退屈も寂しさも感じていませんでした。
- 読書
- 音楽
- 頭で考えたこと、想像した諸々をノートに書き留める
- プラレール、ヒデオゲーム、ゲームウォッチ
- 自転車で街を探検
大人になった今でも、私がやっているのは、これらの趣向の延長にあるものです。そして、自転車以外はインドアの行動なので、家にいてもいくらでもやることはあるのです。
家に縛りつけられること
しかし、それは私がそのような特性を持っているからであって、雨で家に縛りつけられる状態がツライという人も少なくないと思うんですよね。
大雨の中、出勤しなくてはいけない人を嗤っているリタイアブログを読んだことがあります。
確かに、雨の中の出勤は大変です。特に東京や大阪の都市部では、ただでさえ、電車は満員なのに、雨でムシムシした車内に、傘に気を配りながら乗らなくてはならないのです。また、災害クラスの台風の中、駅で並んでいる大勢の人々がテレビで映し出されると、「これはどうしたことか」と私も思います。
ただ、じゃあ、雨で行動が制限されるなか、家にずっといて楽しいのか、と問われて、YESと答える人は、必ずしも多くは無いんじゃないでしょうか。出勤するのは確かに大変だけれども、辿り着いた職場で誰かと話したり、何か作業したり、ということにより、雨で鬱陶しくなった気分が紛れる人も、少なくないんじゃないでしょうか。
雨の中、何がなんでも出勤することがスバラシイ、ということを言いたいのではありません。
家にいるのがいいのか、出勤するのがいいのか、それは人それぞれの特性や環境によるものあって、どちらが優れているとか、そういうことではないということです。
「雨の中、出勤しなくてはいけないなんて、労働者は可哀想だねー」という、リタイア者側からの一方的な見解を読むと、何か気恥しくなってくるのです。
アウトドア派の場合
私はどちらかというとインドア派なので、雨の中のリタイア生活もオツなものだと思っていますが、アウトドア派がリタイアしたらどうなるでしょうか?
ここからは、私の想像によって書いていきます。また現在はコロナ拡大中ですが、ここではコロナ無しの世界について書いています。
ガチのアウトドア派の場合
私が思うに、ガチのアウトドア派がリタイアした場合、雨で行動が制限される日が続いても、案外、上手く時間を使って楽しく過ごしてしまうのではないかと。
例えば、ガチの釣り好きで、釣りを満喫したいからリタイアしたみたいなことだと、その人の生活は、釣り一色に染まると思うんですよね。
単に、釣りに行く回数が増えるというだけでなく、釣りをしていないときでも、仕掛けを作ったり、釣果をネットにアップしたり、情報収集したり、次回の釣りの予定を立てたり。ガチの釣り好きなら、実践以外においても、色々やることはあるんじゃないかと。
だとすれば、雨続きで釣りが出来ずに、残念に思うことはあっても、「やることがなくて退屈」なんてことは無いんじゃないかと思います。一種の晴耕雨読なのかも。
ガチではないアウトドア派の場合
「ガチではない」と「ガチ」の境は何か、と言われると困るんですが、言うなれば「広く浅くのタイプ」が近いかもしれません。
ガチの人は、実践以外にも、多くの付随活動があるので、家にいてもやることは尽きないんじゃないか、というのが前項の趣旨ですが、そこまでの深さが無い場合。実践はするけれど、付随活動はあまり行わないという場合。
すると、「雨が降ること」、即、「やることが無い」に直結してしまいます。
また、このような人が、リタイアしてアウトドアに頻繁に出かけていると、ガチではないので、そのアウトドア活動に段々飽きてきて、やりたいことが少なくなっていく。
こうして、労働の適性とは無関係に、「リタイア生活そのものに飽きてしまう」というストーリーがあり得るかもしれません。
★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます
全員がFIRE・リタイアすると日本は成り立たない→そんなことあり得ないから安心して!
以前は日陰者扱いだった早期・セミリタイアですが、最近は装い新たにFIREという名を変えて、ネット記事どころか、TV番組にまで登場するようになったのは、少々オドロキです。
そうすると、必ず出てくる意見として「全員がリタイアしたら、日本という国が成り立たなくなる」というものがあります。
確かに「本当に全員がリタイアしたら」日本が成り立たなくなるのはその通りでしょうが、そもそも「全員がリタイア」なんてことが非現実的な仮定なので、安心して!と言いたいです。
目次
《東京都西多摩郡瑞穂町・多摩川水系残堀川上流端》
そもそも大半の人は目指すことさえしない
セミリタイアというものがi以前より表に出てきて、興味を持つ人の絶対数が増えたのは事実でしょうが、じゃぁ、それが日本経済に影響を与えるほどにメジャーな動きなのか、というとそうではないでしょう。
FIREとかセミリタイアとかいう概念をネットで見ても、大抵は「ふ〜ん」と思うくらいだろうし、一時的に興味を持っても、「じゃぁ、現実的に自分にそれが可能なのか」を計算してみると、加減乗除が出来るくらいの学力があればミッションの困難さに気づくことでしょう。
結果、大半の人はエントリーすることさえしない。目指すか目指さないか、という時点で、相当数がふるいにかけられる訳です。
リタイアの型とその実現性
残った数少ないリタイア志望者ですが、芸能界やプロ野球のように、リタイアを目指したからといって、実現できるとは限らないのがこの世界。
早期リタイアの実現パターンとして、大きく次の4つに分けてみます。
- 事業や投資などが当たったり、雇われでも営業成績抜群などによる高年収により、若くして生涯のお金を稼ぎ切った(稼ぎ切り型)。
- 不動産投資やフリーランス、資本家など、拘束時間の少ない業態への転身(個人事業型)。
- リタイア資金は非常に低額にとどめ、支出の最適化の範疇を超えた超節約生活、必要に応じて低負荷バイトなどをして乗り切る(低資産・超節約型)。
- 前々から収支の最適化や積み立てをコツコツ行ったことが報われて、中年以降にリタイアできるだけのある程度の資金を作ることが出来た(コツコツ型)。
もちろん、全ての事例において、綺麗にこの4つのどれかに分類されるものではありませんが、傾向としては、こんなところではないかと思います。リタイア後にも働くかどうかは、この分類では重視していません。
1番の稼ぎ切り型が最も理想的なのでしょうが普通の人にはかなり難しい。日本が成り立たなくなるほど、このような人が増加するとは思えない。
2番の個人事業型は、拘束時間が少ないというだけで、社会にサービスや資本を提供している側の人間ですから、日本が成り立たなくなる!の批判対象に含めるのは不適切でしょう。
3番の低資産・超節約型は、「こんなに少額でも工夫次第でFIRE出来るんです!」的なコンテンツを盛んにアップするから一部で目立っていますが、実態としてはそれほど多くないのではないかと、睨んでいます。
斜陽の40代・50代がリタイアしたからといって・・・
4番のコツコツ型は、地味だしリタイア年齢は遅めだが、難易度はメチャクチャ高いという程ではなく、実は早期リタイアのパターンとしては結構多いのではないか。
ボリューム・ゾーンは恐らく40~50代。彼らのうち、積極的に情報発信をする人は比較的少ないだろうから、サイレント・マジョリティといったところか。
とかく、40代・50代のサラリーマンは斜陽扱いされるもの。
例えば、昨今流行している(ように一見見える)早期退職勧奨は45歳とするのがトレンド。
【過去の当ブログ参考記事】 70歳就業法と45歳定年制。矛盾する流れ、日本はどうなる?
また、「50歳を過ぎた社員は新しい価値を生まない」みたいな、随分とひどい言われ方もしている。www.businessinsider.jp
だとしたなら、40~50代のほんの一部が早期リタイアしたところで、それは、斜陽の割に給料高めの人が、経済的に自立して自発的に辞めてくれるということだから、日本が成り立たなくなるどころか、多くの日本企業にとってはありがたい方向性なんじゃないの?
リタイアできる人はどんどんリタイアして、若い人にその席を譲る。新陳代謝が活発になっていいじゃないですか。
いつまでも会社にしがみついていたらいたで批判され、早めに辞めたら辞めたで批判される。いちいち取り合う必要は無さそうです。
色々書きましたが、要するに言いたいことは、 「リタイア者が増えて日本が成り立たなくなるなんて、そんなことありっこないから安心して下さい。」ということ。
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人生計画にFIREを組み入れる
前々回記事、FIREがブームになると水を差してしまう天邪鬼な私にて、FIREなるもの(の一部)に私は、胡散臭さを感じ、ついつい水を差してしまうということを書きました。
でも、私は「FIRE」が一方的に悪だと思ってもいなくて、むしろ、人々はもっと積極的に試みてよい、人生計画に組み入れろ!とさえ思う部分があります。
《東京都青梅市》
前々回の記事より
まぁ、これらの水差し系記事のターゲットは決まっています。「好きなことで生きていく」とか「リタイアで自分の時間を取り戻す」とか、何の免疫も無い状態でそういうセリフに感化されてしまった結果、超若年・極少額で、(傍目には無謀に映る)リタイアをしようとするパターンに対してです。
このような形でリタイアすると、そのときは良くても、長い目で見ると無理のあるスタイルだから、普通の能力・運しか持っていない方は、「○百万円でFIREできます!」みたいな話が、本当に自分に適用可能なことなのか、慎重に考えた方がいいよ、ということ。もちろん、「これをすればあっという間に資産が倍増してFIREできます!」みたいな怪しげな広告に引っかからないようにしなくてはいけない。
でも、一方で、人々は、無理の無い範囲で、FIREを人生計画に組み入れていけばいいとも思っています。
最近は、80歳くらいは普通に生きる可能性が高いですから、「それまで食いつないでいくための明確なプラン」と、「そのプランを長期にわたって継続的に実行し、また、ある程度の変化に対応できるだけの資産・フローの裏付け」を得ることが、FI(経済的独立)だと考えると、結構、敷居が高いように思えます。
でも、私は50歳で、財政的基盤を固めた上でリタイアしたと思っていますが、個人的な実感ベースでいえば、それがメチャクチャ困難なことだとは感じなかった。もう少しリタイアが早くでも大丈夫だったと思っている。
もちろん、私には恵まれていた点もそうでない点もあるので、全ての人が可能というつもりは無いのだけど、若い頃からFIを意識して準備を進められる人なら、アラフィフまでに安全度の高いリタイアができるだけの財政的基盤を作る、というのはそんなに再現性の低い話ではないと思う。
まぁリタイア年齢がアラフィフでは不満な人も多いでしょうから、そういう場合は、例えばアラフィフ辺りを基点にして、副業や投資に精を出したり、収支計画を甘く見積もったりして、どこまでリタイア年齢を早めることができるか、折り合える点を色々と模索すればよいと思います。
ただ一般に、REの年齢を早めれば早めるほど、難易度は飛躍的に上がっていく、という風に考えておいた方が無難です。
例えば、リタイア年齢を50歳から45歳に早める場合の難易度の上昇幅をαとすると、50歳から40歳に早める場合の上昇幅は2αではなく3α、50歳から35歳に早める場合の上昇幅は3αではなく6αみたいなイメージ。
こう書くと、絶望的な感じになりますが、逆に言えば、30歳の頃は遥か彼方のように思えた早期リタイアが、例えば40歳になる頃には、結構近くに来ていたりするということでもあります。
つまり、投資(金融投資、自己投資)と同じく、ある程度は長期目線に立ったほうが、最終的に上手くいく、、、というのが、私の考えるところです。これは、「リタイアするまでが長期」というよりも、「人生を長期目線で眺めて、どこでリタイアするのが最適なのか、焦らず考えていく」というようなイメージです。
会社というところは、辛くて不合理な場所ですが、福利厚生という点では圧倒的に勝っています。安定収入があるからこそ、副業や投資のリスクが取れる、という側面もあります。
会社に全てを捧げるのではなく、ひたすら身を引いてしまうのでもなく、こちらも会社を利用してやる!くらいの気持ちでいくのが、まずは良いと思う。
そして、まだ財政的基盤が脆弱な段階で、仕事がツライという場合。先の見えている人なら、そのままあと数年程度耐えれば、リタイアへの展望はもっとクリアになってくるでしょうし、まだまだ先の長い方は、リタイアよりも、まずは部署異動や転職を考えた方がよいのではないでしょうか、実際問題。
ああぁ、あまりにも月並みな話ですね。。。しかも、セミリタイア村で。。。「それが嫌だから早くリタイアするんだろ」という声が聞こえてきそうです。まぁ、ごもっとも。
私だって、仕事がツライということを実体験として理解しているつもり。
【過去の当ブログ参考記事】 リタイア後初めて仕事の夢。こんな悪夢を見るほどにトラウマが大きい
だから「リタイア後は、金銭的な理由で賃金労働に戻ることは絶対にしたくない!」と思っていました。
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働く意思を持たないことは犯罪なのか(軽犯罪法1条4号)
軽犯罪法という、立小便などの軽い罪を定めた法律があり、その中の条文の一つに次のものがあります。
第1条
左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。4 生計の途がないのに、働く能力がありながら職業に就く意思を有せず、且つ、一定の住居を持たない者で諸方をうろついたもの
この条文は、リタイア者に適用され得るものなのか?ということを考えてみます。
目次
《東京都八王子市》
この条文でリタイア者が逮捕されることは無いと思う
結論から言えば、この条文によって、リタイア者が逮捕・起訴されるようなことは無いと思います。
「働く能力がありながら職業に就く意思を有せず」 の表現がなかなかドンピシャなので、「働かないとアウトなのか?」と一瞬思ってしまいますが、他にも複数の要件が述べられていて、それらを同時に満たさないと、この罪には該当しないからです。
- 生計の途がない
- 働く能力がありながら職業に就く意思を有せず
- 一定の住居を持たない
- 諸方をうろついた
リタイア者は、ある程度の資産があるから「生計の途が無い」というのは違うし、持ち家だろうが賃貸だろうがホテル暮らしだろうが、屋根のある住居に身を構えており、「一定の住居を持たない」も満たさない。
だから、仮に警察に職務質問を受けても、「どこそこに住んでいる」ということが説明できれば、この条文で逮捕されることは無さそうです。
戦前の「浮浪罪」の後継が、この罪らしい
それでは、上記の条文を全て満たすのは、どういうケースなのか?どうも「浮浪者」を想定しているっぽいな、と思ったら案の定でした。
浮浪罪(ふろうざい)は、日本の内務省警察犯処罰令第1条第3号に規定されていた刑法犯の通称、俗称である。
(略)
なお警察犯処罰令は、1948年(昭和23年)、軽犯罪法の施行と伴に廃止された。軽犯罪法第1条第4号に浮浪罪相当の処罰規定が現存するものの、刑罰は拘留又は科料と軽罰となっている。
戦前は、「内務省警察犯処罰令第1条第3号」というものに規定された、いわゆる浮浪を戒める法令だったようですが、規定内容が曖昧であるため、警察が人をしょっ引くのに都合が良く、濫用されたみたいです。
戦後、人々を浮浪者と認定してどんどん逮捕するやり方はいけないよね、ということで、もっと適用条件を厳格にし、刑罰を軽くし、軽犯罪法に組み入れたのが、冒頭の条文のようです。更に同法第4条では次のように釘をさしています。
この法律の適用にあたつては、国民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない。
だから、特に人に迷惑をかけている訳でもない人を、正職が無いからといって、どんどん検挙するなんてことはしないわけです。
「諸方をうろつく」については注意が必要
では、この条文が死文なのか、というとそうでもなく、逮捕に至るケースもごくまれにあるそうです。
浮浪罪 -「寅さんのような生き方」は法に触れるか? | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
このように、浮浪を禁止する理由が必ずしも明確でないことが影響しているのか、実際に浮浪罪が適用され、検挙されるケースは極めて少ない。しかし、ゼロではない。2007年に奈良県のパチンコ店駐車場で、浮浪の疑いにより男性が現行犯逮捕された。その後、この男性の尿から違法薬物の陽性反応が出たとして、覚せい剤取締法違反でも再逮捕され、有罪判決を受けたのだ。
しかし、二審では逆転の無罪判決が示された。それは、被告人の車の中に求人情報誌やハローワークの求人票写しが見つかっており、職業に就く意思があったと判断されたからだ。
まぁ、このケースは、恐らく、見るからに怪しかったか、常習性があったか、薬物絡みということで、逮捕まで至ってしまったのだと思いますが、とにかく、あの条文が死文でないことを裏付けています。
最近はまず見かけないですが(路上生活の方も、服装・身なりをちゃんとしていらっしゃるので)、私が子供の頃、いかにも、あの4要件を全て満たしそうな人、ごくたまに街中で見かけました。もちろん、本当に要件を満たしているか調査しているわけではないですが、「見ただけで分かる」。確かに、あぁいう人が「諸方をうろついて」いたら、みんな不安がるから、あのような条文があるのも仕方が無いんだろうな。
だから、警官が、「諸方をうろついて」いる人に職務質問するのも、この軽犯罪法の規程と無関係ではないような。
逮捕されることは無いとはいえ、平日の真昼間に、清潔とは言えない格好で、「諸方をぶらつく」ことを高頻度で行うようなことはしない方が、変な誤解を招かないだろうということは言えそうです。
ちなみに、私はリタイア後、一度も警官から声をかけられたことはありません。そんな出歩かない、ということもありますが。
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FIREがブームになると水を差してしまう天邪鬼な私
私は、もともと天邪鬼なんだと思う。
だから、昨今のように「FIREがブーム!アーリーリタイアして、自分の好きな事だけをやる生活を手に入れよう!」と世の中が喧しくなってくると、自分自身はリタイアをしているにも関わらず、手のひら返して「いやリタイア生活なんて言うほど素晴らしいものではないから、そんなもんに人生賭けてもしょうがないよ」みたいなことを考え、結果、水を差してしまうのです。
目次
《東京都あきる野市・JR五日市線・武蔵引田駅》
過去の水差し系記事
ブログを再開してから、水差し系記事はいくつか書いています。
- FIRE:RE(早期リタイア)よりFI(経済的独立)を優先せよ、という意見に賛成する
- 「FIRE」について考える7つの論点 ~私が考えること~
- FIRE達成後の資産の取崩とインカム収入、およびFIREを目指す問題点(FIREについて考える7つの論点・3)
あるいは、 1年近く前には、次のような記事も書いています。
自分で書いておいて何ですが、このような水差し系記事は、あまり評判がよろしくなく、下手すると読者を減らしているかもしれない(と思う)。
というのも、もともとリタイアブログの読者というのは、リタイアにシンパシーを持っている方が大半だから、というのが一つ。誰がどのようなスタイルでリタイアしようと大きなお世話だろ、というのがもう一つ。
まぁ、これらの水差し系記事のターゲットは決まっています。「好きなことで生きていく」とか「リタイアで自分の時間を取り戻す」とか、何の免疫も無い状態でそういうセリフに感化されてしまった結果、超若年・極少額で、(傍目には無謀に映る)リタイアをしようとするパターンに対してです。
だから、若年であっても「営業成績トップを何年も続け(あるいは投資で成功して、等)、資産は結構持っています」とか、ある程度年齢がいっていて、「先が見えているので、資産は多くないけど、年金年齢までは食いつないでいけます」みたいな人は、完全に対象外です。
水を差したくなる理由
リタイア生活と会社員生活、どちらにもメリット・デメリットがあって、一方が他方に100%勝る、ということはあり得ない。あるいは、同じ人であっても、年齢によって、どちらのメリットが大きくなるのかは変わってくる可能性がある。
でも、最近は、
「会社員生活は全面的に悪であり、いわゆる『社畜』に甘んじなくてはいけないから、全面的に善なるFIREを達成し、一刻も早く好きなことが出来る生活に移行しなくてはならない」
みたいな極論が多い印象。
このような極論も、一部のリタイアブログで細々と語られている分には面白いし、有用かもしれないけど、それがあまり表に出てきてしまうと、結構、胡散臭く思えてくる。だから天邪鬼である私は、水を差したくなるのです。
リタイアしていない人が水を差しても「外野の戯言」かもしれないですが、一応、私はリタイア生活を楽しんでいる側なので「酸っぱいブドウ」にはならないでしょう。
「老婆心」(別名:老害の戯言)というのも少しある
FIREに水を差す理由としては、前項で述べた通り、「天邪鬼」というのが大半ですが、「老婆心」の要素も少しあります(老害の戯言ともいう)。
トラブルが起こったり、病気・事故にあったり、心境に変化があったり、副業や投資の収益が減ったり、節約生活に疲れたり、年を重ねて肉体や精神力に衰えが生じたときなどに、最も頼りになるのは「お金」、時に「正職」です。「リタイアすれば、お金は無くとも、時間がある!」とは言っても、時間がモノを言うのは多くは平時であって、緊急時やイベント発生時には、金の力を借りる必要が出てくる。
特に若ければ若いほど、その後の人生は長いので、そのようなイベントが起こる可能性は高く、資金を充分に用意する必要がある。目先の節約生活が成り立っているからそれでいいってものではないだろうと、これは真剣な話。
資金が充分でないところに、そのようなイベントが訪れて、やはり「お金」や「正職」が必要だ、となっても遅い。「組織で上手くやっていけなくて前職を辞めた、長期間ブランクのある無職の人」を好条件で雇う会社って、ほとんど無いんじゃないでしょうか。
あれほど忌み嫌っていた賃金労働、しかも前職より条件が悪い職に戻らざるを得なくなるような事態になっても、「リタイアいいよー、会社なんか早く辞めちゃいなよー」と煽っていた方々は、責任をとってくれないでしょう。
でも、私としては、せっかくリタイアした方が、そのような形で挫折する、ということはあってほしくない。だから、せめて当ブログぐらいは、老婆心ながら、耳障りなことではあっても、必要と考えることは言っておこうと思っているのです。
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リタイア2年めの住民税について
リタイアに関してよく言われることが、リタイア1年めの住民税は高いよ~、でも2年めには大幅ダウンするよ~、ということ。
この前、2年めの住民税通知が来たので見たところ、やはりそのことは真実でした。
目次
《山梨県甲州市》
昨年の住民税
私の昨年の住民税については、次の記事でまとめています。
【過去の当ブログ参考記事】 住民税の通知あり。給付金10万など軽く吹っ飛ぶ額に溜息。
今回通知があった税額をハッキリ書くのは憚られますが、年額ウン十万円といったところです。(略)
コロナの給付金10万円など軽く吹っ飛ぶその額に溜息。分かっていたこととはいえね。
(略)
給料をもらっていたときはそうでもなかったけど、これほどの額を直接自分の資産から取られる痛み。リタイアして初めて味わう感覚です。
確かに昨年の住民税はメチャクチャ高かった。噂は本当だったのです。
今年の住民税
で、今年の住民税。総額で12,600円でした。3ヶ月に1回、3000円程度を払うくらいなので、まぁ痛くはない金額(多少、痒いが)。
12,600円のうち、所得割が7,600円、均等割が5,000円。
私の退職日は昨年の2月1日ですから、1月分の給料は受け取っています。しかも、退職時に、次期の賞与を日割で受け取ったりしているので(50歳退職の特典)、昨年の会社在籍は1月のみとはいえ、結構な額の所得が発生していまして、その結果、所得割が発生したのです。
住民税の通知書をよくよく見たら、半年ほど前に、私が退職時の給与明細を見ながら、確定申告システムに入力した値が、そのまま通知書に書かれてあって、「ああ、これが住民税計算に使われたんだな」と納得した。恥ずかしながら、この年齢になって初めて税金のしくみを勉強したのです。
【過去の当ブログ参考記事】 リタイア後、初の「確定申告」はネットで(e-Tax)
来年以降の住民税
来年以降は、若干の所得があったとしても、それは、基礎控除や給与所得控除によりチャラになるぐらいの少額だと思います。だから所得割は恐らく消え、均等割のみが残る。つまり住民税は5000円ほどになる計算。
ちなみに、日本では、均等割さえも発生しない、住民税非課税世帯、という制度もあります。
1.生活保護を受けている
2.未成年者、障がい者、寡婦、寡夫で前年の合計所得金額が125万円以下(このため所得が給与所得のみの方は、給与収入が204万4000円未満)
3.前年の合計所得金額が各地方自治体の定める額以下(東京23区では扶養なしの場合35万円。扶養がある場合は35万円×本人・扶養親族・控除対象配偶者の合計数+21万円)
住民税非課税世帯に認定されると、国民健康保険が減免されるなど、均等割の5000円が免除されるだけでなく、様々な恩恵があるようです。
多くのリタイア者が狙い得るのは、上記の3のケースでしょう。記事によれば、控除した結果が計算式を満たせば、他に特殊な用件はいらないっぽいので、セミリタイアとかサイドFIREで少額稼いでいる場合など、一考の余地はありそうです。
もっとも、我が家では、私がリタイアしていても妻が働いているので、住民税非課税世帯に認定されることなど、絶対に無理ですが。
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私のリタイア生活とオリンピック
オリンピックの真っ最中。リタイア中なら、その気になれば一日中テレビにかぶりついていられる身分。さて、私はどのように過ごしているのでしょうか・・・・。
目次
《山梨県甲州市・柳沢峠付近》
「リタイア直後の夏は、オリンピック三昧だな」
私がリタイアを検討を始めた当初、退職日は2019年12月31日を想定していました(実際の退職日は2020年1月31日)。一方、オリンピックは、2020年7~8月に開催することになっていましたから、「リタイア直後の夏は、オリンピック三昧だな」などと、前々から密かに考えていたものです。
しかし、コロナで、オリンピックがまさかの1年延期。麻生氏が「呪われたオリンピック」などとおっしゃって叩かれていましたが、実際これまでの経緯を見ればまさにその通りで、コロナの問題が呪いの総仕上げみたいに、降って湧いてきたのでした。
そのときの感想は、「まぁ、この状況じゃ、しょうがないよね」というものでした。
「オリンピック無観客予想」は当たった
その後、私は「オリンピックは無観客であってもやるだろう」と予想しましたが、全くその通りになりました。以下、今年の正月の当ブログ記事です。
つまり、緊急事態宣言を出すにしろ出さぬにしろ、収束までには相当な期間を要するということです。オリンピックが行われる7~8月においても、似たようなことをやっているのだろうと思います。
オリンピックですが、多分、中止はしない。せっかく作った競技場ですから、選手や審判だけでも呼び寄せればテレビ放映ぐらいはできて、元手を少しでも取り戻せる。
つまり、最悪でも無観客ということ。更には、運営者はギリギリのギリまで有観客の道を探るでしょうね。これは、私が書くまでもなく、森会長ご本人がおっしゃっていることでもありますが。
もう既に開催しちゃっているので、今更な話になりますが、上記に補足させてもらえば、以下のようなことも思っていました。
- オリンピックは、国際的な約束事、しかも日本から手を挙げた事であり、開催に向け、最後の最後まで開催に向けた最大限の努力をする国際的な責任が日本にはあると思う。感染拡大中でも、というか感染拡大中だからこそ、そのような努力が求められるのではないか。
- 中止や延期は後々まで尾を引く。無観客でもいいし、どんなに盛り上がらなくてもいいから今年は開催して、とっとと、この問題を終わらせてほしい。もううんざりだよ。
何だかんだいって、あまりオリンピックを見ていない
ということで、私は「リタイアした後の夏は、オリンピック三昧だな」「無観客でもいいから2021年に開催」と考えていたのですが、実際に開催に至った今、私はオリンピックをあまり見ていません。
無観客ではあるものの、日本が金メダルを沢山とり、オリンピックショップでは売上が急増、「呪われたオリンピック」としては、かなり盛り上がっている部類だというのに。
結局、私は、オリンピックに限らず、もともとスポーツ観戦を取り立てて面白いとは思っていないからなんだろうな。
「リタイアした後の夏は、オリンピック三昧だな」と思っていたのは、本当にオリンピックを見たかったからではなく、リタイア後の自分の優越的環境を意識し、気分を盛り上げるために、そのように思っていただけ。
「無観客でもいいから2021年に開催」も、国際上の責務とか、少しでも元をとる、が理由であって、私自身、オリンピックやスポーツに思い入れがあったわけではなかった。
まぁ、日本がメダルをとれば「あぁすごいね、おめでとう」とは思うけど、そのくらい。スポーツ中継って長々と行われるから、それなりに思い入れを持って見ないと飽きてしまうんですよね。
じゃぁ、思い入れを持って日本を応援したとしても、必ずしも勝つとは限らない。長時間応援して、結局負けましたでは、カタルシスを感じることが出来ない。
結局、私は、オリンピック中もテレビをほとんどつけずに、本を読んだりネットを見たり、当ブログを書いたりといった、いつもと同じことをやっているだけなのでした。
更に言えば、オリンピックに限らず、テレビをあまり見なくなりました。世間に少しでもネガティブな出来事があると、清廉潔白な自称・有識者さま達が、しかめっ面でターゲットを批判しまくっているのが、何か見ていられなくなってきたのです。
★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
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FIRE達成後の資産の取崩とインカム収入、およびFIREを目指す問題点(FIREについて考える7つの論点・3)
前回、前々回に続き、7つの論点について、私の考えを書いてみます。
前々回
前回
目次
《東京都青梅市・荒川水系成木川源流部》
元記事
【論点1】率直に言って、FIREにどのような印象を持っていますか?
【論点2】なぜ、今、FIREが流行るのでしょうか?
【論点3】人は経済的自立の達成によって、心持ちが変わりますか?
【論点4】どのくらいの資産があれば経済的自立を達成したと言えるのでしょうか?
【論点5】FIREを達成するには何年かかるのでしょうか?
【論点6】FIRE達成後の資産の取崩とインカム収入をどう考えたらいいでしょうか
【論点7】FIREを目指すことの問題点は何でしょうか?
今回は論点6・7についてアップします。
【論点6】FIRE達成後の資産の取崩とインカム収入をどう考えたらいいでしょうか?
取崩しと収入をどうするかは人それぞれであって正解はありません。その時々の望ましい生活スタイルに見合った支出を続けた上で、死ぬまでにお金が尽きなければいい。
「死ぬまでにお金が尽きない」というのは一見困難そうに思えますが、考えてみれば、今でもほとんどの高齢者たちは、定年後、なんだかんだ言って「死ぬまでにお金が尽きない」という状態を維持しつつ死んでいくわけです。この状態をもっと早いタイミングで作り出すだけだと考えれば、言われているほどハードルが高いことではないと思います。
例えば、経済的独立に向けコツコツ地道な準備を進めて、例えば15年なり20年経つと、資産が良い感じに育っていて、「死ぬまでにお金が尽きない」というのも、あながち不可能ではなくなってくると私は思っています。
この域まで達すれば、完全リタイアは難しかったとしても、セミリタイアやサイドFIREに移行して、無理無い範囲でインカムを追い求め、いつしかそれが難しくなってきたとき・面倒になってきたときに、必要に応じて取崩しモードに移行していく、みたいな方法論が可能です。
一方で、最近は、20代で3桁万円でFIREしました!みたいな「ぼうけんしゃたち」が登場しています。
当面は何とかなるとしても、先の長さを考えると、ファミコン版ファイナルファンタジー1をLV.10でクリアする、あるいは、ナゴヤ撃ちを使わないでスペースインベーダーを1万点とるくらいの、相当な縛りプレイだと思います(例えが古すぎ?)。
彼らが将来もらえる年金はかなり少ないでしょうから、普通に考えて、その3桁万円は老後資金として、ほぼまるまる確保しておく必要があり、少なくとも60歳くらいまでは安易に取り崩せない。資産3桁万円では、投資収益もほとんど期待できない。
すると、生活費を限界まで削った上で、生活費以上のインカムを確保し続ける、みたいな持続可能性に問題のありそうなスタイルを、数十年間行っていく形にならざるを得ない。
つまり、FIREやセミリタイアというより、フリーターや個人事業主に限りなく近いのが彼らです。
「資産の取崩とインカム収入は人それぞれ」とは言え、「いざとなったら資産の取崩しだけで相当の期間生きていける」という奥の手を握っているかそうでないのかは、極めて重要なポイントでしょう。
【論点7】FIREを目指すことの問題点は何でしょうか?
一度FIREの魔力に憑りつかれると、その人はFIREのことしか見えなくなって視野が狭くなりがちではないか、と思うことがあります。
ただ、全ての人に当てはまることではなく、FIREのうちFIから入ってくる人、最終的にはREを目指しつつもまずはFIに注力している人などは、むしろ普通のサラリーマンよりも視野が広いよな、と思うことが多いです。
ただ、REに心を奪われ過ぎちゃっている人はどうかと思いますね。
実際にREできるような客観的条件が極めて不充分にも関わらず、労働や労働者に悪態をつきまくり、「一刻でも早くREしなくては、どんどん人生の時間が無駄になっていく・・・」みたいな思考に陥らないようにした方が、トータルで幸せになれると思います。
【過去の当ブログ参考記事】 FIRE:RE(早期リタイア)よりFI(経済的独立)を優先せよ、という意見に賛成する
まぁ、他人の人生なんで余計なお世話なのですが、FIREを目指すことの問題点を挙げるということであれば、こんなことを指摘したいということです。
★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます
経済的自立の達成に要する期間と資産・心持の変化(FIREについて考える7つの論点・2)
前回に続き、7つの論点について、私の考えを書いてみます。
前回
目次
《東京都青梅市》
元記事
【論点1】率直に言って、FIREにどのような印象を持っていますか?
【論点2】なぜ、今、FIREが流行るのでしょうか?
【論点3】人は経済的自立の達成によって、心持ちが変わりますか?
【論点4】どのくらいの資産があれば経済的自立を達成したと言えるのでしょうか?
【論点5】FIREを達成するには何年かかるのでしょうか?
【論点6】FIRE達成後の資産の取崩とインカム収入をどう考えたらいいでしょうか
【論点7】FIREを目指すことの問題点は何でしょうか?
今回は論点3・4・5についてアップします。
【論点3】人は経済的自立の達成によって、心持ちが変わりますか?
私が「逃げ切った」「完全リタイアがどうにか可能」、FIREの言葉に翻訳すれば、経済的自立がどうにか達成された、と認識しているのは48歳のタイミングです。
48歳4ヶ月ならギリギリ完全リタイア可能という結論を得ていました。この段階でリタイアする選択もあったでしょう。
ただこの条件だと、趣味や楽しみのために使えるお金が少ない。結局、48歳5ヶ月以降、50歳まで、ボーナスステージだと思って働くことにしたのですけどね。
ということなのですが、48歳以降と47歳以前とで何か心持ちが変わったのか、というと、あまり変わっていないような・・・。
よく言われることとして「経済的独立が達成されれば、いつ会社を辞めてもいいから気持ちに余裕が出る」というのがあります。でも、「あぁ、計算上はもうリタイアできるんだな」と思うことは出来たとしても、目の前の仕事の大変さを軽減することには何の役にも立ちませんでした。
【過去の当ブログ参考記事】 リタイア後初めて仕事の夢。こんな悪夢を見るほどにトラウマが大きい
結局、経済的自立といっても、ただの数字上のことであって、それ自体は、目の前の現実に変化をもたらす力は無いのです。それで心持が変わるかどうか、というのは、その人の性格と環境次第でしょう。
【論点4】どのくらいの資産があれば経済的自立を達成したと言えるのでしょうか?
経済的自立を文字通り解釈するならば、その人が、一生働かなくても最低限食っていけるだけの額は欲しいところ(生活費以外、たとえば、趣味や旅行などのために別途稼ぐのは可。年金を当て込んでもよい)。
だから、サイドFIREと言われるもののうち、副業収入が無いと、中長期的に生活を成り立たせられないタイプのものは、たとえそれが「好きな仕事」であったとしても、経済的自立と言うには、まだ中途半端な気がする(もちろん、そのような生活スタイルを否定するものではありません)。
額の絶対値については、人によって違うので一概には言えないでしょう。1億円あっても毎年1000万円使う人と、3000万円しかないが毎年150万円しか使わない人であれば、後者の方が経済的自立に近い。
【論点5】FIREを達成するには何年かかるのでしょうか?
私の場合、本格的にリタイアを意識していたのは45~50歳の間の5年強です。しかし、この5年強で全てを成し遂げたというのではありません。
思えば、リタイアとか関係無く、30歳くらいから家計の見直しをしたり、副業の可能性を模索したりしていました(モノにはなりませんでしたが)。あるいは、30代半ば頃、今の貯金でリタイアできるだろうか?などと計算したこともありました。
【過去の当ブログ参考記事】 30代でセミリタイアしていたら?と時折考える
すると、リタイアをビンビンに意識することはなかったとしても、実質的な準備は30歳ぐらいに始まっていたと言えます。そこから「完全リタイアがどうにか可能になった」と認識しているラインである48歳までは約18年、実際にリタイアするまでは約20年、ということになります。
もっと運用を積極的に行って、資金計算を甘目にすれば、13~15年くらいで行けたのかもしれないな、という気はしています。あるいは副業とかバイトを積極的にとりこんでいれば更に早く・・・ということもあったかもしれません。
まぁ、これは人それぞれだし、同じ人でも年齢によって必要期間は違ってきます。一般論としては、年齢が上の人ほど、種銭は少なくて済む一方、所得が高くなるので、準備期間は短く抑えられる。
一方、FIRE達成年齢という観点で見れば、当然、早く準備を開始した方が有利である。そこは、各人で丁度良いバランスがあるはず。
一つ確実に言えるのは、これは競走ではないので、早くFIREを達成した方が偉い、とか、遅めのリタイアだから価値が無い、ということでは全然無い、ということです。
だから、「あの人が辞めたから自分も早く辞めなきゃ」とか「いついつまでにリタイアしないと人生の時間の損失だ」などと考える必要は毛頭ありません。
続き
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