生活保護をリタイア生活のセーフティネットにすることについて
最近、どこぞのインフルエンサーが生活保護(やホームレス)について煽ったところ、本来、彼が想定していたであろう場所以外のところで大炎上してしまって大変なことになっています。
まぁ生活保護の善し悪しはともかくとして、リタイア生活が成り立たなくなった場合の最後のセーフティネットとして、生活保護というのが考えられなくもありません。このことについて考えていたことを、今回の炎上事件に便乗して、書いてみたいと思います。
目次
《東京都青梅市》
最後の最後としてならアリ。ただ・・・
いきなり結論っぽい話になりますが、生活保護をリタイア生活の、最後の最後のセーフティネットとして位置付けるのならアリだと思っています。
これは、リタイア云々というより、セーフティネットとして国民全てに与えられた権利だから。本当にどうしようもなくなった場合に、生活保護を検討するのは当たり前だし、「リタイア者だから生活保護を受けてはならん!」ということにはならない。
ただ一方で、一部インフルエンサー(ひろゆき氏など)が、やたらと生活保護を推奨するのは、どうにも胡散臭い、とも思っています。道徳的・倫理的に「安易に生活保護を受給するなんて怪しからん!」という話ではなく、
- どこまで生活保護の現場を把握した上での話なの?
- 「実際問題、生活保護を受けさえすれば万事オッケー」なんてことあり得るの?
といった素朴な疑問。
ひろゆき氏は、動画内で受けた人生相談に対し、ギリギリの人生計画を提示して、「これでダメだったら生活保護を受ければいい」とサラッと言うっていうのがパターン(の一つ)になっているのですが、本当にそんな簡単な話なのか?どうもそうは思えない。
生活保護は、原則、永続的に人を養っていく制度ではない
生活保護は受けられるのか?
まず、生活保護はそんなに簡単に受けられるのか?という問題。
役所がシブったら、某政党の地方議員かなんかに駆け込んで、間に立ってもらえばよい、という話もありますが、それでうまくいくのか本当のところは分からない。生活保護は各自治体が担っているから、当然、地域差も出てくる。
また、生活保護の他に、「生活困窮者自立支援制度」という制度が最近できました。
経済的に困窮し、最低限度の生活を維持することができなくなるおそれのある方に対して、個々の状況に応じた支援を行い、自立の促進を図ることを目的としています。
身体・精神・年齢等に問題が無い人に対しては、生活保護の前に、まずは「生活困窮者自立支援制度」によって社会に復帰して下さい、というのが、国や自治体の基本的なスタンスじゃないか、と思われます。
このようなスタンスが批判されることも多いけど、先立つモノがあって初めて成り立つ制度だから、国や自治体が表面上キレイなことを言っていたとしても、実際の運用においてシブくなるのは至極当然だろうと。
だから、「お金が無くなった。さー、生活保護だ!」で、自治体が受給してくれるほどハードルが低いものなのか、というと、どうもそんな気がしないのです。
生活保護受給開始後のこと
また、生活保護は、基本、「最後のセーフティネット」として設計された制度であり、永続的にそれで人を養っていく制度ではないということがあります。ここが年金と違うところ。
もっとも、身体、精神など、何らかの事情で働けなくなってしまった人が、結果的に永続的に生活保護が続くということはあり、中には「けしからん!」と思われる事例もあるのでしょうが、別にそれが原則ではない。
あくまで、生活保護は一時しのぎであって、「綱渡りの綱から落ちたが、命綱で助かった人」に対して、いつまでも命綱に繋ぎっぱなしでいいわけでないのは自明の話。
だから、受給開始後、自治体の支援員・相談員みたいな人が「今後、どうやって社会復帰していきましょうか」みたいに、プレッシャーをかけてくるに決まっています。
そのようなプレッシャーをモノともせず、受給し続けるということも、もしかしたら出来るのかもしれませんが、それが可能なのは、特殊な事情か、ある種の才能がある人だけだと思います。
まとめ
つまり、生活保護が、「お金が無くなれば、誰にでも簡単に受けられて、生涯食いっぱぐれない、夢のような制度」的なイメージで語られているのが正しいのかというと、それは怪しいんじゃないか?ということ。
だから、生活保護を「最後の最後のセーフティネット」として位置付けるのはいいけれど、ギリギリの人生計画(リタイアに限らず)を立てて、それが破綻したら、即、生活保護ね!というのは、相当に怖いやり方かな、と。
それは、サーカス団員でもない素人が、「もし落ちても、命綱があるから大丈夫だよ」と綱渡りをしながら、いざというとき、その命綱がちゃんと働くのか、よく分からない、というくらい怖い。
まぁ、それでも「賃金労働でお金を得る」ことに抵抗の無い人であれば、「生活困窮者自立支援制度」でも、「生活保護受給中の就職支援」でも何でもいいんだけど、とにかく仕事を見つけて働けるようになれば、それはそれでオッケーでしょう。彼にとって大事なのは、「食いっぱぐれない」ことであって、「働かない」ことではないから。
でも、リタイア者にとってはそうではない。「リタイアしている」という、そのこと自体が非常に重要なのに、生活保護のレベルまで行ったら、それはリタイア生活の終焉に繋がっていく可能性が大きい。
仕事が嫌で何年も無職でいた人間が、頭を下げて就職活動し、再び賃金労働に向かうことの厳しさは、想像を絶するものがあります。
だとすれば、リタイア者にとって生活保護は、「最後の最後、食いつないでいくためのセーフティネット」とはなり得ても、「リタイア生活を継続していくためのセーフティネット」と位置付けるのは、ほとんど無理な気がします(少なくとも労働年齢のうちは)。積極的に「それのお世話になろう」と捉えるべきモノではない、というのが私の考えです。
★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます