50歳で早期退職し、セミリタイア!

私セイルは50歳で早期退職、セミリタイアしました!その思いを綴ります。

定年後にやることがない~「やること難民」は日本社会の根深き病?

 「定年後にやることが無い人」はどうすればよいのか、指南記事がありました。

 定年後にやることがない人はどうしたらいい? | TRILL【トリル】

 「定年退職したら、やることがない」という人は、公的年金額はそこそこ多い、退職金と現役時代に貯めたお金で、当面、生活費の不安がないからでしょう。60歳または65歳で定年退職した後は、25年から30年、あるいはもっと長い人生が残っています。

この時間は、何もしないで過ごすには長すぎると思いませんか? 家でぼんやりしていたら病気になってしまいます。やることを見つけて何かをすべきです。

 書かれていること自体は、「まーそーですねー」くらいのもんですが、定年後にやることが無いという人々、本稿では「やること難民」と称することにしますが、その「やること難民」が多数発生しているのだとしたら、それは日本社会に巣くう根深き病なのではないでしょうか。

 

目次

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 《埼玉県日高市:高麗川駅付近》

「やること難民」は日本社会としての病いでは?

 先の記事で「定年後にやること」として、オススメされているのは、次のようなことです。

  • お金目的ではない仕事をしよう!
  • 趣味・習い事、家事分担、地域活動、ボランティア活動などやることはたくさんある!

 これら自体に異論は無いのですが、ちょっと当たり前過ぎて、何のヒネリも無いな、というのが率直な感想です。

 でも、このTRILLというサイト(「オトナの女性におくるメディア」らしい)の編集部が「記事にすべき」と判断したからこそ記事になっているのでしょう。これを書いている10/6 10:55現在、カウンタは126,998を示していますから、それなりに気になる人が多いネタなんだと思います。

 

 この記事の読者として、金銭面の問題からやりたいことが出来ない、という人は対象となっていないのは、次の記載から分かる。

 「定年退職したら、やることがない」という人は、公的年金額はそこそこ多い、退職金と現役時代に貯めたお金で、当面、生活費の不安がないからでしょう。

 記事には書かれていませんが、病気や怪我などで身体的な制約がある人も、恐らく想定されていない。

 更には、定年になったのだから、時間的な制約も当然無い。

 つまり、制約らしい制約は無い状況。

 それだったら、何か自分の好きなこと・思いついたことをやればいいじゃないか。

 家でTVみたりネットしているだけでも、本人がそれでよければ充分じゃないか。

 どうしても外に出て何かしたいのだったら、マックのバイトなり、シルバー人材センターなりで、働けばいいじゃないか。

 ・・・などと私は思ってしまうのですが、そういう風に捉えられない人が、実は結構多いのかもしれません。

 「人から指南されないと、自分は何をすればよいのかさえ分からない」

という状況は、お世辞にも好ましい状況とはいえない。

 「何もしない」ことが問題なのではなくて、「何かしなくてはいけない」と思いながら、「何をすればよいのか分からない」と悩んでいるのが、よくないという話。

 もし、日本社会でこのような形で「やること難民」が本当に続出しているのだとしたら、これは、社会として病いを抱えている状況ではないか。こう感じるのです。

 以下、その病巣は何なのか、私個人の観察を書いていくのですが、少し話が飛びます。でも、最後には繋がるのでそのまま読み進めて下さい。

アイデンティティと会社・職場が密接に結びついている社会

 海外のことは分かりませんが、少なくとも日本は、アイデンティティと会社や職場が密接に結びついている社会だと思います。

  • (注)アイデンティティという語がどこまで浸透しているものかは分かりませんが、ここでは「自分を自分たらしめるもの」くらいの意味で使っています。

 入社日には、入社式なるものが厳粛に行われて辞令を交付され、以降、自分は「自分である」ということより、「○○社の社員である自分」ということの方が、アイデンティティの多くを占めるようになる。

 「会社員である自分」ではありません。「○○社の社員である自分」です。

 当然、日常生活でも「素の自分」である時間は少なくなり、「○○社の社員である自分」として活動する時間が長くなる。

 土休日は「素の自分」に戻れると思いきや、「○○社の社員」から逃れられるとは限らない。

"在職時の休日"と"日々のリタイア生活"で異なる点

 私の在職時は、前項に述べたように、休日とはいえど完全な休日ではないという感覚が、とにかく嫌でした。

(略)

 せっかく確保した趣味の時間も、一度、仕事のことが頭に思い浮かんでしまうと、そのことを頭から振り払うことができず、真の意味で楽しめない。

 こういう状況が続いて、「○○社の社員である自分」のウェイトが極限まで大きくなったとき、自らのアイデンティティと「○○社の社員であること」は同化してしまう。

 更には、○○社で部長になっていたならば、そのアイデンティティの内容は「○○社の部長であること」となり、「○○社のヒラ社員であること」ことよりも、より強い執着をもたらすものとなります。

やること難民、実は「アイデンティティ難民」

 このような方が、○○社を定年になって、「○○社の社員」「○○社の部長」というアイデンティティを失ったら、何をしたらよいのか分からない状況になっても不思議ではありません。何しろ、それまで人生でやってきたことは「○○社の社員としての活動」がほとんどなのですから。

 でも、単純な「指示待ち族」ではないんです。「○○社の社員」という枠内では、むしろ、他人からの指示を待たずに行動し、あるいは他人に指示する立場であった方々も多いはずです。

 でも、「○○社の社員」という枠の外に出た途端、何をしたらよいのか分からなくなる。というか、何をやったところで、自らのアイデンティティを満たすことが出来ないので、その意味を見いだせなくなる。

 これを打開するためには、「○○社の社員」に代わる、新しいアイデンティティを見つけ、この新しいアイデンティティを充足させるための活動をすることが必要になります。

 しかし、「○○社の社員」というアイデンティティは、それが強いものであれば強いものほど、「○○社の社員」という重い拘束を長年受けてきた結果なのですから、そう簡単に新しいアイデンティティが見つかるとは思えません。

 こう考えると、先には「やること難民」と書きましたが、実は、「アイデンティティ難民」、一般には、アイデンティティ・クライシスといった方が近いのかもしれません。

アイデンティティークライシスとは - コトバンク

自己喪失。若者に多くみられる自己同一性の喪失。「自分は何なのか」「自分にはこの社会で生きていく能力があるのか」という疑問にぶつかり、心理的な危機状況に陥ること。

 

 言うなれば、定年後にやることが無くなって、何か「やること」を探している方は、一見「やること」を探しているようでいて、実は「アイデンティティ」を探している、というのが全員でないにしろ、存外に多いのではないか。

 だから、TVやネット閲覧といった受動的な趣味、あるいは、マックで注文をとったり、シルバー人材として公園掃除するのでは、かつての「○○社の社員」というアイデンティティに代えることが難しいので、困っておられるのでしょう。

 一旦、このような状態に陥った場合どうしたらよいのかは、冒頭の記事のような月並みな話しか出来ないと思いますが、リタイア前であれば、あらかじめ「精神面での仕分け」をしておくことで対策できるかも。

 次の過去記事を参考にして下さい。

  【過去の当ブログ参考記事】 セミリタイア前にしておくべき「仕分け」2種類

 

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早期リタイアはたとえ50代でも極端な行動。「働く」を旨とする多数派からはそう映る。

 先日、「50代でリタイアした女性」が立ち上げた掲示板について取り上げましたが、その中で彼女の行動を「極端」と評したレスがありました。

恐い……女性リタイア者へ「幸せ自慢するな!」と攻撃

 

50代でひきこもりになりました。幸せです。 | 生活・身近な話題 | 発言小町

正社員で30年勤務した後、自主退職した50代女です。
愛犬と好きなだけ散歩し、好きなだけ本を読み、主人以外誰とも話さない生活が、この上なく幸せに感じます。


30年頑張ってきてボロボロだから仕事をやめて快適
そりゃそうでしょう。
お疲れ様でした。

 (略)

トピ主さんは随分極端ですよね。

今は仕事をやめて快適でしょうけど、50代で年金まで後10年以上
私も家庭の事情で専業主婦だった頃がありますが
ダンナの給料だけでやっては生けるけど、貯金が出来ないことにびっくり
で、年金を計算するとそのダンナの給料の手取りの半分に届くかどうか

 (略)

ボロボロになるほどの仕事をして健康を崩すのはなしですが
ただ、無為に時間をすごすより適度に稼ぐという生活はいいですよ。
多分もうちょっと時間がたつとその意味がわかってくると思いますよ。

 「極端」という語をニュートラルに使っているのではなく、明らかに「極端なのはダメだ、あなたはそのことを分かっていない」と価値判断を含んだ意味合いです。

 もちろん「適度に稼ぐ」のもありだと思います。でも、私が思うに、それは数ある人生のあり方の一つという位置づけ。

 仮に、50代でリタイアするのは、ある意味極端な選択であったとしても、「適度に稼ぐ」と比べて、いかにもダメなあり方のように言うのは違うのでは?と思います。

 

目次

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 《埼玉県入間市:狭山茶の産地》

「極端」の判断基準

 「極端」という語をネット辞書で調べると、次の通り。

極端(きょくたん)の意味 - goo国語辞書

1.普通の程度から大きく外れていること。一方にはなはだしくかたよっていること。また、そのさま。「議論が極端から極端へ走る」「極端な言い方」

2.(略)

  一般的な語義解釈だと思いますが、問題は、「極端かそうでないかの判断基準」はどうするのか?ということです。

 例えば、気温。

 私が子供の頃、真夏の最高気温は33度ぐらいが相場で、35度に達しようようものなら、充分に極端な値でした。しかし昨今は35度程度では誰も驚かなくなっています。

 気温という客観的な測定値においてすら、極端かどうか判断基準が一定でないのに、リタイアするべきか仕事するべきかみたいな、主観的・個別的要素の大きな事柄においては、尚更です。

極端かどうかの判断は主観的なもの

 問題は、「極端だ」と批判する方は、それが主観的判断である、ということに気づいていないことがあることですね。自らの主観的基準を、「誰もが認める絶対的基準」と取り違えていてそれと大幅にずれているものを「極端だ」と言う

 例えば、「随分極端ですよね」と批判の対象になっている、50代でリタイアした女性についても、彼女の資産状況とか、生活スタイルとか、退職前に激務を30年続けてきたこと、定年の下限である60歳まであと10年を切っていることなどを総合的に勘案すると、実は「それほど極端ではない」ということはあり得ます。

 しかし、「人間、働くべきなのだ」という判断基準が、批判者の中にあったら、「仕事をしないリタイア」というのは、いかにも極端な選択に映る

 更に、「人間、働くべきなのだ」というのは、少なくとも日本においては多数派の価値観ですから、「誰もが認める絶対的基準」と勘違いしやすいのです。

 そして、「誰もが認める絶対的基準」を論拠にすると、たとえそれが勘違いであったとしても、批判としては非常にやりやすくなります。ただ、法律違反したり、他人に迷惑をかけているわけではないから、「極端」ということを根拠として叩くのです。

 「多数派の判断基準からずれている」という、ただそのことだけをもって、「極端」という言葉を使って叩かれてしまうかもしれないというのは、何とも切ないことです。

「何歳でリタイアするか」は、極めて主観的・個別的な問題

 先にも述べた通り、「何歳でリタイアするか」なんてことは、実は、極めて主観的・個別的な問題であって、「誰もが認める絶対的基準」なんてものは、本来、存在し得ないものです。

 冒頭の批判者は、次のようなことも書いておられます。

まぁ億はともかくですが、50代でもし夫婦ともリタイアするなら数千万は必要ですよ。ちゃんと計算してみましたか?数千万と言う金額は都市伝説でも何でもありません。事実ですよ
少なくとも我が家で50代でリタイアするならそう計算できます。世間の話ではありませんよ。
トピ主さんはちゃんと計算してみましたか?

 このような金銭的な話は変に一般化されやすいですが、良く読めば、「自分がリタイアするなら数千万円が必要で、自分はそれを準備できてない」という個別の話に過ぎません。

 一方、リタイア女性の生活スタイルは「愛犬と好きなだけ散歩し、好きなだけ本を読み、主人以外誰とも話さない生活」というもので、そのために大金が必要とも思えず、また、こういう人がそれまで浪費をしてきていて貯蓄が少ない、とは考えにくいわけです。

 だから、誰もが50代になっても、なお労働して稼ぐ、ということが必須とは限らないのです。

 

 戦後の日本では、定年制度のもとに働いている人が非常に多くなったから、最低限、一般的な定年とされている年齢(60~65歳)までは働く、ということが「誰もが認める絶対的基準」かのように思い込んでいる人がいて、それに合わない行動をすると「極端」に映るのだと思います。

 

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セミリタイア前にしておくべき「仕分け」2種類

 セミリタイアとは「フルタイムの賃金労働」を仕分けすることを指すのが一般的でしょう。

 ただ、この仕分けはあまりに大きな話であるため、リタイア前に「予備の仕分け」を行って優先度をつけ、優先度の低いものは切り捨てて身軽になる、ということを、多くのリタイア達成者は自然にやってきているのだと思います。というのも、重い荷物を背負いながらリタイアするのはなかなか難しいからです。

 ところで、この「予備の仕分け」ですが、私は「金銭面の仕分け」と「精神面の仕分け」の2つに大別されるのではないか、と思っています。

目次

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 《東京府 淺川町・神奈川縣 千木良村:大埀水峠・府縣境》

金銭面の仕分け

 「金銭面の仕分け」というのは、非常に大雑把に言ってしまえば、これまで行ってきた出費を「本当に必要な出費」と「実はそれほど必要の無かった出費」に仕分けることです。

 具体的には

  • 住宅費
  • 保険
  • 交通費、あるいは自動車の費用
  • 通信費
  • 食費
  • 旅行費用
  • 交際費
  • 嗜好品
  • その他

などを棚卸しして、何にいくら使うべきなのか再構築する

 というのも、「自分が生きていくための必要経費」というのは重たい荷物だからです。ゼロにするのは不可能にしろ、なるべく荷物を減らした状態でリタイアするのが望ましいのです。

 まぁ、あまり言わなくてもお分かりだと思うので、ここではあまりクドクド述べません。

 一つ言っておくとすれば、出費を見直すというのは、生活を見直すことに直結する場合が少なくないので(住宅費、食費、交際費、自動車など)、「リタイアしてから見直せばいいや」というのはオススメしません。本当に出費が削減できるのか未確定でリスクが高いからです。

 逆に言えば、出費と生活があらかた見直されて、身軽な状態になってから、リタイアするのが比較的安全ということです。

 もちろん、「リタイア後はどこかに移住したい」という人もいるので、出来る範囲内で、ということにはなるのですが。

精神面の仕分け

金銭への執着

 金銭面の仕分けが概ね完了していても、「精神面の仕分け」が出来ていないと、例えば、次の過去記事のように不安を抱えることになります。

  【過去の参考記事】 何かを失う覚悟がなければセミリタイアなどできない

 この記事の登場人物は、1億円の資産持ちで、リタイアを希望しているのですが、不安で踏み切れないんだそうです。例えば、次のようなことを恐れているのではないかと想定されます。

  • 「これまで築いてきた資産」を失うのが怖い
  • 「死ぬまで経済的に困らない安心感」を失うのが怖い
  • 「稼いできた自分」「稼ぐ機会」を失うのが怖い

  しかし考えてみれば、この人は既に1億円も持っている以上、このような恐怖は人生設計上大した意味は無く、むしろメンタルの問題です。

  • これまで築いてきた資産は一円たりとも失ってはならない
  • 死ぬまで経済的に困らないという、絶対の安心感が必要である
  • 自分は常に稼いでいなくてはならない

 例えば、このような思考から自由になるのが「精神面の仕分け」です。

 墓場に金は持っていけないのだから、生きている間、食べていけるぐらいあればいいじゃないか、というわけです。前項で述べた「金銭面での仕分け」が上手くいっていると、資産の減少割合が少なくて済むので、こういう気分になりやすいです。

 これは、リタイア後に副業や投資をして稼ぐことを放棄しろ、ということではありませんし、リタイア後も生活費として多少の金額を稼ぐ計画なら、そうせざるを得ないわけです。

 ただ、上記のような「~でなければならない」という思考は、せっかくのリタイア生活を精神的に追い詰めるものなので、事情の許す限り、自由になった方がいい、ということです。

 「働いている状態」の執着

 あと、金銭的な不安・執着などとは別に、リタイアしてから「自分の働いている場所」「自分が働いている状態」に郷愁を感じてしまうパターンがあります。

 これは、当ブログでも何度が述べてたことです。

リタイア後に襲ってくる?「取り残され感」「おいてきぼり感」

  • 「働いている場所」というポジションに執着や未練がある人
  • 社会からの要求に反旗を翻しているということに不安を覚える人(つまり「世間体を気にするタイプ」)

セミリタイア達成者・中川淳一郎氏、この先思いやられるなぁ

 どんなに家族仲が良くても、自宅も居場所の一形態という観点をナチュラルにスルーして、本来の自分の居場所は自宅の外にあると捉えているわけです。

 リタイアするのは、「フルタイム労働から抜け出したい」ためであるのに、どういうわけか、このような事象が発生してしまうのです。

 思うに、多くのセミリタイア志望者は、自分には「働いている状態」への執着が無いと、はなから決めつけているが、実はそうでない人というのが、恐らく存在する。

 このような「働いている状態の執着」についても、リタイア後の重い荷物として、のしかかってくるわけです。

 これも、リタイア後にどこかに働きに出てはいけない、と行動を縛るものではありません。ただ、リタイア後に「フルタイムで働いている自分」を取り戻すのは困難ですから、バイトで満足できるくらいには、仕分けしておくのがよいと思います。

 「金銭面の仕分け」だけでなく、「精神面の仕分け」にも目を向ける

 「金銭面の仕分け」は分かりやすいので、みんな熱心にやるけれど、「精神面の仕分け」というのを気にかけている人は少ない。人間先立つモノが無いと生きていけないのだから、金銭に目が行くのは仕方が無い。

 でも、前項のように考えると、「精神面の仕分け」というのは、「金銭面の仕分け」と同じくらい大事であると言えそうです。

 「金銭面の仕分け」がある程度進捗してからでいいので、「精神面の仕分け」にも目を向けた方がいいのではないでしょうか。特に、前項で述べた「金銭への執着」「働いている状態」について、どこまで自分は自由になっているのか?

 「精神面の仕分け」をした結果、「実は、自分はセミリタイアすべきことではないことが分かった」というのであれば、それはそれでOK。

 結果的にセミリタイアしなくても、検討段階で行った「仕分け」によって、その後の人生の選択肢をきっと増やしてくれます

 

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浪費父さん 堅実父さん。老後資金は人さまざまだね。

 必要老後資金は2000万円。一時期話題になりました。

 でも、生活スタイルは人それぞれ。浪費父さんが使うお金、堅実父さんが使うお金には雲泥の差があるのだから、一律でそんな数字が出せるわけなどないのです。

 本稿では、私が聞いた実話をもとに、そのことを語ってみましょう。

目次

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 《埼玉県日高市:高麗川駅(JR八高線・川越線) この駅舎は残してほしいが・・》

ある演奏会帰りの会話

 以前、私は混声合唱団に入っていました。あるとき、演奏会に出場して、その後、打上げで大いに盛り上がりました。

 打上げは、夜11時頃まで続いてやっと終了。私は、Aさん(男性)とBさん(女性)と3人で帰宅。

 AさんもBさんも70前後の高齢者。

 何故か、いきなりAさんが次のようなことを言いだしました。

 

Aさん:

「老後にすごく金がかかるとよく言われているけど、一体、何に使うんだか。実際に生活してみると、金なんて全然かからないよ」

 

 音楽とは全く関係無い話題だったので、一瞬、虚を突かれました。でも当時、私のリタイア計画は既に進行していたので、「我が意を得たり」と内心思いました。

 全面的に賛同してもよかったのですが、敢えて、次のように返してみました。

 

私:

「それは、多分、Aさんが堅実で、お金の使いどころをわきまえていらっしゃるからですよ」

 

 実際、Aさんは普段、家庭菜園や料理など創造的なことをされていて、結構楽しそうではありましたが、明らかにお金はかかっていないでしょう。

 

 そうしたら、Bさんが、次のように口を挟んできました。

Bさん:

「そうそう、亡くなったウチの主人は、結構、お金を使ってた。お金を使うのが趣味みたいな人だった(以降、旦那さんの金遣いの話)」

 

 もちろん、Aさんと、Bさんの旦那さんが具体的にいくら使っていたのかは、知るよしもありませんが、何となく感覚は分かります。

 リタイアブログや投資ブログなどで時たま出てくる『金持ち父さん 貧乏父さん』にならっていうと、『浪費父さん 堅実父さん』とでもなりましょうか。 

 老後資金って人によって様々

 これだけの話ですが、お金の使い方が対照的な二つのケースを、直接同時に知ることができたので、ものすごく印象的で、あれからもう何年も経っているのにいまだに記憶しています。

 これから考えたのは、一口に老後資金といっても、人によって様々だよなぁ、ということ。生活スタイルによって雲泥の差が出てしまう。

 お金をあまり使っていないAさんが不幸なのか、というとそういうこともなさそうです。合唱の練習が終わると飲み会に行くのですが、Aさんは自らの生活についても楽しそうに語っていたのですから。

必要な老後資金を2000万円と一律で語ってしまうことの愚

 以前、「必要な老後資金は2000万だ!」的な話がありましたが、前項までのことを考えると、一律の数値をもって語ってしまうというのは、本当に愚かな話です。

 あの2000万円という数字は、平均値を単純計算して得られた数字に過ぎず、この数字を個々のケースに当てはめたところで、何ら意味がありません。

 浪費父さんだったら、2000万円あっても全然足りないだろうし、堅実父さんだったら、2000万円より少なくても済む可能性は大いにある。

 もっとも、2000万円の件が話題になる前も、必要な老後資金額は色々と語られていました。しかもその金額はどんどんインフレしていて、なかには1億を超える数字を提示していたものもありました。

 なので、2000万円という数字が出てきたとき、私は「何と良心的だろう」とさえ思ったものです。これで、5000万、1億といった非現実的な値を示して、老後不安を煽って無茶な投資に向かわせる手合い絶滅してくれれば言うことなしでした。

 しかし、最近は「2000万円じゃ足りない説」がまた復活してきています。

2,000万円では足りない!幸せの老後のために、いくら必要か?

 夫婦2人で「7,000万円」もの大金が必要になる理由
政府の発表では、老後のために貯蓄すべき金額は「2,000万円」ですが、中島社長によると、さらに多い「7,000万円」もの大金が必要になるのだといいます。実際にその内訳を見てみましょう。

(略)

住宅ローンや家賃支払い等があれば、80歳までに月額10万円としてプラス1,800万円、サービス付き高齢者向け住宅の入居費用があればそこで数千万円、子どもからマイホーム資金の援助を頼まれるかもしれないので、1,000万円くらいは準備してあげたいものです。

(略)

老後、普通の生活を送るために、2,000万円では無理だということは、間違いありません。だから老後を見据えて、4,000万円、7,000万円の大金を、どのように貯めるかが、とても重要になってくるわけです」

 そもそも、政府が「2000万円貯蓄すべきだ」なんて発表したことは一度もないし、マイホームの資金援助とか、サ高住とか言い出したら、キリが無いですよね。

 日本人の大半は、このような老後不安を煽る手合いに、多かれ少なかれ、影響されていると思います。

 直接的この記事を読めば「怪しい」と思う人でも、間接的に、誰かから「老後はやっぱり2000万円じゃ足りないらしいよ」と漠然と言われると、不安になってしまうのが、多くの日本人のサガ(外国人は知りませんが)。

 内容的に怪しい記事でも、一部の真に受けた人が吹聴してくれれば、宣伝効果は大きいのでしょうね。

 

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足るを知らざる者は「餓鬼」である

 老子に「足るを知る者は富む(知足者富)」という言葉が出て来ます。「これで充分足りている」「ほどほど」ということをわきまえている者は、たとえ物理的な持ち物は少なくとも、実は富んでいるんだ、豊かなのだ、ということです。

 こんなこと、わざわざ言葉にするということは、当時の中国(紀元前6世紀頃)では、既に「不知足者」、すなわち「足るを知らざる者」が存在したことの裏返しです。

 それでは「不知足者」は一体何なのか? 興味深い話が仏教に出て来ますので書いてみます。

目次

 

NHKの番組「こころの時代」

 いきなりですが、最近、NHKで禅の特集をやっており、興味深く見ています。

こころの時代~宗教・人生~ 禅の知恵に学ぶ5「いのちをいただく―典座・托鉢」

禅の修行道場の日々を通して、禅の知恵を学ぶシリーズの第5回。僧堂での日常に欠かせない「食べる」ことにまつわる知恵を学ぶ。托鉢や台所での修行で見えてくるものとは。

 ここに出てくる禅寺においては、食事中、音をさせてはいけないとのこと(まぁ、このお寺に限ったものではないと思うのですが)。

 一般人の食事においても、ペチャクチャ音をさせるのは行儀が悪いと言われますが、もっともっと厳格にやっているようです。

 何故、音をさせてはいけないのか?

 番組内でお坊様が解説していらっしゃいましたが、ここではNHKのテキストから引用してみます。

NHKこころの時代~宗教・人生~ 禅の知恵に学ぶ (NHKシリーズ)

 なぜ食事のときに音を立ててはいけないか。それは餓鬼が妬むからだと言われています。

 子供のことを卑しく「ガキ」と表現することがありますが、その由来となった餓鬼とは一体何なのでしょうか?

 仏教の輪廻転生(生まれ変わり)の教えによると、一般には、次の六つの境遇を行ったり来たりしています。上にあるものほど良く、下にあるものほど苦しいものです。

  1. 天道
  2. 人間道
  3. 修羅道
  4. 畜生道
  5. 餓鬼道
  6. 地獄道

 NHKこころの時代~宗教・人生~ 禅の知恵に学ぶ (NHKシリーズ)

  餓鬼道は、飲食が自由にできず、常に飢えと渇きに苛まれる世界です。地獄よりはましですが、前世の悪行に応じた苦しみが与えられるのです。

 つまり、こんなヤツですね。ガリガリで卑しい姿をしています(画像はwikipediaより)。

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 餓鬼道とはいいますが、天や地獄とは違い、人間・修羅・畜生と同じ地表に存在しています。

 だから、我々人間の美味い食べ物、例えば、マツタケ、フカヒレ、あるいは何百万で競り落とされたマグロのトロだってある筈ですが、それを口にすることは出来ない。

NHKこころの時代~宗教・人生~ 禅の知恵に学ぶ (NHKシリーズ)

 その餓鬼道に堕ちた者は、誰かが何かを食べる音だけが聞こえるそうです。僧堂で食べる音がすると、「お前たちだけうまいものを食いやがって」と餓鬼が妬みます。

 これはつらい。

 私が若い頃、ザ・ガマンというバラエティ番組がありましたが、それより遥か以前に、このような演出?が考案されていたのですから、全くオドロキです。

ザ・ガマン - Wikipedia

断食・断水(決勝)
決勝戦まで残った数名が、灼熱下などの苛酷な環境で1人を残して全員ギブアップするまで断食・断水を続けるという内容。(略)途中、リポーターが出場者の目の前でうまそうに飲食をする悪魔の様な誘惑を行い、これを目の当たりにして参加者が苦しむのが定番の演出となっており、この誘惑に負け脱落する者が多かった。

 

 ただ、「餓鬼が妬み心を抱く」、そのこと自体が問題なのではありません。

妬み心を持つと、どうなるか。彼らは罪を一つ犯したことになり、餓鬼道にいる期間がその犯した罪の時間の五百倍分延びるのだそうです。だから、食事のときに音を立ててはいけないことになっているのです。

 現代日本では、殺人のような極悪の行動であっても「殺意を抱いた」という、ただそのことだけで罰せられることはありません(準備に取り掛かかれば罪になる)。

 しかし餓鬼の場合、「妬み心を持った」というだけで罰せられてしまうのですから、大変に辛い世界です。

 この後、テキストには載っていないのですが、お坊様が大体、次のようなことをおっしゃったように記憶しています。

 餓鬼とは「これじゃ足りない、もっと寄こせ」といった心から生じているもの。つまり、実は私達の心の中にも潜んでいるものなのかもしれない、と。

 NHKの番組の話については以上とします。

足るを知らざる者は餓鬼

  ところで、餓鬼と一口にいっても何種類かあり、特に「多財餓鬼」なるものが興味を引きます。

餓鬼 - Wikipedia

無財餓鬼 - (略)
少財餓鬼 -(略)

多財餓鬼 - 人の残した物や、人から施されたものを食べることができるもの。天のような享楽を受ける者もこれに含む。多くの飲食ができる餓鬼。天部にも行くことが出来るものは富裕餓鬼ともいう。ただし、どんなに贅沢できても満ち足りることはないといわれる。

 つまり、一般的な餓鬼とは違って、メチャクチャ贅沢できる餓鬼もいるということですが、メチャクチャ贅沢できるなら餓鬼ではないのでは?

 肝心なのは「どんなに贅沢できても満ち足りることはない」という部分ですね。どんなに財産があっても、高級なものを食べていても、足るを知らざる者は餓鬼なのだと。

 問題は、なぜ、多財餓鬼なんてモノが想定されているのか?ということ。

 「飢えた鬼」というくらいだから、ほとんど食べることができない無財餓鬼と、ウンコやゲロなら食べることができる少財餓鬼だけ想定しておけば、事足りるように思えるのですが、「裕福な餓鬼」というものを、わざわざ想定するのは、ちょっと考えると不思議。

 これは想像ですが、欲の亡者とも言うべき「足るを知らざる者」が、昔から多くいて、彼らをモデルにしたからなのでしょう。

 どんなに金があっても名誉を得ていても、まだ足りない、もっと寄こせ、という状態は、単純にモノが食えないというのとは別に存在している「もう一つの飢え」である、という発想なのだと思います。

現代の日本社会は人間を餓鬼にするシステムが満載

 「それなら、足るを知るということを覚えて、マッタリ暮らせばいいじゃないか」

と言いたいところですが、現在の日本社会に生きているとなかなか難しいですね。

  • 学校ではよりよい成績を収めて、より上の大学や就職先を勝ち取ることが期待される。
  • 会社では、常に前年より上の数字を目標値として設定させられる。
  • 一流スポーツ選手が「もっと速く、もっと強く」と言いながら、ストイックに練習している映像が流れる。
  • CMやマウントなどにより、ある特定の商品を持っていない、サービスを受けていないと惨めだと思わされる。

 このような状態で「自分は今の状態で充分満足なんだ」なんて、なかなか言えないもの。つまり、人間を餓鬼にするシステムが満載なのです。

 どうするか。なかなか難しいところですが、どこかしらで、線引きをしてみたらどうですかね。人間、行けるところまでしか行けないのだから、「どこまで行けたら自分はOKなのか」を一度考えてみるのもいいかもしれません。

 これは、必ずしも「低レベルで満足しろ」と同義ではないことに注意して下さい。

 

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セミリタイア者の自主性、サラリーマンの「自主性」

 学校や職場でよく聞かれる言葉に「自主性」あるいは「自主的」なるものがあります。

 「自主性」を日本国語大辞典という巨大辞書で調べると、次のように載っています。

他に頼らず、自分の方で考えたり行ったりすることのできる性質。

 無色透明な語義解釈ですが、セミリタイアして、学校や職場などの組織に属していない今から捉えなおすと、かなり手垢のついた言葉だよなぁ、と感じます。

 

目次

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 《東京都奥多摩町:多摩川(左)、日原川(右)合流点》

「自主性」という言葉の歴史

 日本国語大辞典によると、「自主性」という言葉のもとになった、「自主」という言葉自体、それほど古いものではなく、最初期の出典は、維新前後に書かれた福澤諭吉の書です。恐らく、西洋の概念が輸入されたものでしょう。

 これに「性」がついた「自主性」だと、更に新しく、最初期の出典は、戦後間もない1950年に出版された次の本だそうです(Amazonリンクは2018年発売となっていますが、もちろん後世の文庫化です)。

改訂新版 ものの見方について (角川ソフィア文庫)
 

改訂新版 ものの見方について (角川ソフィア文庫)

日本・自主喪失

第三には、よく云われるように我々には自主性が欠けている。

 これは日本国語大辞典からの孫引きで、この前後の文章までは載っていませんが、おそらく、日本という国、あるいは日本人はもっと自分というものを持って行動せにゃならん、という文脈なんだと思います(多分、敗戦後によくあった日本反省論の一つ)。

 

 時代は下って、1980年頃、すなわち私の小学3~4年の頃には、この言葉はかなり浸透していたようで、あるとき先生が「自主性というものをもっと持つように云々」みたいなことを言いだしました。

 「ジシュセイ?なにそれ?」という感じでしたが、要するに、例えば、親や先生が口うるさく言わなくても、宿題を片付けるとか、掃除をちゃんとするとか、そういう類です。「自分の好きな漫画を率先して読む」的なことは、自主性の対象外であることに注意して下さい。

 

 そして現在、自主性とはどういう文脈で使われるのか。ネットで検索すると、例えば、次のようなサイトが最初にヒットします。

「自主性」と「主体性」【社員教育相談室】

自主性というのは、あることに対して率先して行動することです。例えば、「掃除をする」という決められたテーマに対して、自ら率先してやることです。「イヤイヤ」やるのではなく、「ハイ、よろこんで!」と笑顔で答え、誰よりも早く行動に移し、一生懸命にやることと言えます。物事に対する「やる気」の現れのようなものであり、新入社員に求められる行動力です。

 他のサイトでも大同小異。

 ここで、日本国語大辞典の無職透明な語義解釈を再掲しましょう。

他に頼らず、自分の方で考えたり行ったるすることのできる性質。

 どうですか? 両者を比較してみると、先に私が述べた「かなり手垢のついた言葉」ということが、よく分かるでしょう。

「組織の中の自主性」

 「自主性」という言葉、本来はもっと無職透明な意味であったはずですが、最近の用例を見ていると、相当に偏った使われ方をしているようです。

 子供で言えば、宿題や掃除、大人で言えば会社内で仕事を率先して行う、そういう態度のこと。

 言うなれば、学校や職場といった、組織の中で指示を待たずに、自分のやるべきことを自ら判断して実行するということです。

 私が思うに、こういった「組織の中の自主性」については、日本人は優れている。勿論、全員が全員というわけではありませんが、諸外国に比べれば、日本人はこの意味での自主性が平均的に優れているから、色々と品質の高い商品やサービスが作れるのだと思う。

 ただ問題は、これって文字通りに自主性、つまり「自分が主」って言ってよいものか?ということ。

 「主」なのは組織であって、自分は「従」だよね。まず組織というものがあって、自分を組織に最適化させている、ということだよね。組織の望まないことを自分で考え出して実行しても、それは「自主性」とは言わんよね。

 「忖度」という言葉が最近一気に広がりましたが、あれも「主」なのは「忖度先」です。自ら判断して行っている行為であるにも関わらず、自分は「従」に過ぎないのです。

「自分が主の自主性」

 それでは、「組織の中の自主性」ではなく、「自分が主の自主性」はどうなのかというと、かなり心許ないと思います。

 以前、当ブログでは、次の記事をアップしました。

  【過去の参考記事】 80歳まで働ける?いいと思います。私はノーサンキューだけど。

 ノジマの80歳まで働ける、というあれです。「80歳まで働くなんて嫌だ!」

 あるいは、竹中氏が最近提唱したベーシックインカム7万円。「月7万円じゃ暮らせない!」

 老後2000万円問題。「2000万円なんて準備できない!」

 

 何かにつけて、この手の悲鳴があがり、ネット上では批判コメントが多くあがります。でも、私は、このような批判コメントを読むたびに、批判者の自主性の無さ、というものを感じるのです。

 何故かというと、80歳にしろ、7万円にしろ、2000万円にしろ、マスコミに登場した数字を自分流に咀嚼(そしゃく)するということをしている形跡が見当たらないからですね。

 自らの人生設計までお上任せになってしまっているから、出て来た数字に対して、ただただ、怒りをぶつけるしかないのではないか。一見、政府を批判しているようで、実は、一番、政府に隷属している人達ではないか。

 このようになってしまったのは、自主性というものが「組織の中の自主性」に偏重しており、自分のこと、特に、自分の人生のことについて、自主性を発揮することを忘れてしまったからなのかもしれません。

セミリタイア検討者は、それだけで「自分が主の自主性」がある

 そう考えると、セミリタイアを検討されている方は、それだけで「自分が主の自主性」がある方だな、と思うのです。

 というのも、「仕事を何歳まで続けるか」ということは、「自分が主の自主性」を高度に発揮しないと考えることが出来ないからです。

 あるいは、セミリタイア生活それ自体も、「自分が主の自主性」を発揮しないとやってられないよな、と思います。自分がやること・やりたいことは、誰かが与えてくれる、というものではないのですから。

 

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投資・副業ネタが少ない当リタイアブログ

 多くのリタイアブログでは投資ネタ・副業ネタが付き物ですが、当ブログではかなり少ないです。ゼロとは言わないまでもかなり控えめです。

目次

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 《東京都奥多摩町:ポールが無く金網に取り付けられているバス停標示》

投資や副業ネタが少ない理由

 リタイアを考えていらっしゃる方が最も知りたがっている情報は、何はともあれ、資金面。いくらあればリタイアできるのか、それを一刻でも早く達成するための手段として、どのような投資や副業をすればよいか。だから、投資や副業について情報満載なブログはかなり繁盛しています。

 でも、私の場合、残念ながら、投資や副業について有益な情報をほとんど持ち合わせていません。

 投資していなくはないのですが、ここで語るほどには儲かってはいません。ほとんどほったらかし状態なので、この分野にあまり口出ししない方が利口だろうと。

 副業、中でも、ネットで稼ぐ系のネタは、かなり需要があるものだと思います。しかし私自身が実践するとなると、どうにも面倒臭く感じており、当ブログを更新して時折アマゾンのリンクを貼るというだけで精いっぱいで、それ以上のことは考えられない。

  【過去の参考記事】 「稼ぐ」のが面倒臭いのです、正直なところ

投資・副業ほとんど無しでリタイアした実例か?

 まぁそれでも、当ブログには一定のアクセスがあるため、どうにかめげずに続けられています。しかも、先日述べた通り比較的若い層からのアクセスがある、という不思議なことにもなっています。

 若い方こそ、投資や副業に精を出して、どんどん資金を増やしていくべきだと思うのですが、そのために役に立つ情報を当ブログはほとんど提供できていません。

 ただ一つ、投資や副業抜きでリタイアを達成した実例である、ということは言えそうです。厳密にいえば、投資はしていますが、リタイアの可否には影響を与えるほどの利益はあげていないのです。

 じゃぁどうやってリタイアするだけの資金を準備したのかというと、結局は、収入に比して低燃費の生活をしてきたこと。これに尽きます。

 投資や副業を全面に押し出すブログが多いなか、リタイア年齢は遅れるけれども、投資・副業抜きで早期リタイア・セミリタイアすることは、滅茶苦茶高いハードルではない。

 そういう実例を知って頂くには、当ブログも捨てたものではないかと思います。

節約ネタに強いわけでもない

 つまり、私はそれだけ節約してきたということなんでしょうが、「じゃあ具体的にどんな節約をして、生活費をどこまで少なく抑えているの?」というと、何とも心許ない。

 低燃費でやっているのは確かなのですが、ネット上には、私以上のツワモノが数多くおられるので、そういう方に比べると、私なんて何もしていないに等しい

 例えば、今住んでいるこの戸建、その気になれば、住宅ローン減税で節約できたかもしれないのですが、面倒臭いので一括で購入しています。だから、住宅ローン減税について語ることなどできないのです。

 結局、書いているのは、次のような抽象的な御題がほとんど。

  • 取り崩し方リタイア資金の基本的な計算の仕方・考え方
  • 生活費を無駄に拡大することへの違和感・警告

 需要の高いリタイア資金ネタについて、唯一私が語れるのがこれらのことだから、それなりに力を入れています。でも、投資・副業・節約ネタとは違って、直接的に金銭を生み出すものではありません。「生活をスモールにしろ」という心構えの問題を手を変え品を変えて書いているだけです。

  リタイアブログに実利的なものを求めていらっしゃる方にとっては、やはり物足りないとお感じになることでしょう。

私自身が実利的なものを求めていない

 結局、私自身、少しでも金銭的なトクをしようと、あれこれ実践するタイプではないから、ブログにもそのような情報が載せられないのです。ただ、お金を使って贅沢することにあまり興味が無かったから、その分貯金が出来たというだけ。

 もちろん、当ブログに収益など1円もありません最近、数百円レベルの収益が発生しました)。だから逆に収益のことなど気にせず、好き勝手書いていられる側面はあります。

 実利の情報満載のブログは、それはそれとして素晴らしいですが、それとは別方向のリタイアブログがあってもいいんじゃないか、などと適当な自己弁護をしています。

 

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東証システム障害。現場担当者の苦労、身につまされる思い。

 既に忘れられていますが、東証のシステム障害でバックアップに切り替わらなかった理由が公表されました。

 まず、東証が作成した資料を直接ネットで参照できます。

  10月1日に株式売買システムで発生した障害について | 日本取引所グループ

 結構、読むのにエネルギーがいりますが、私の現役時代も似たような資料を読む機会は結構あったので、何か当時を思い出します

 上記の資料より、もう少しかみくだいた記事がこちら。

  自動バックアップ、5年間オフのまま 東証システム障害、富士通のマニュアルに不備

 それにしても、こういう大障害が発生したとき、現場のシステム担当者の苦労を思うと身につまされます。

 

目次

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 《東京都奥多摩町:奥多摩湖》

バックアップに切り替わらなかった「直接の」要因

 障害の内容をいちいち説明するのが本稿の趣旨ではありませんが、いちおう、記事から抜粋してみます。

 2010年1月に稼働を始めた初代アローヘッドでは自動切り替えが「オフ」でも、トラブルを検知すると15秒後に予備に切り替わる仕組みだったが、2015年9月に導入した2代目からは「オフ」時にはバックアップが作動しない方式に変更されていた。

 これを富士通が把握せず、初期設定を「オフ」にして東証に納入。マニュアルにも反映されていなかったため、東証も気付かないままシステムを運用していたという。

 要するに、今回の障害が起こるまで、誰もが障害発生後15秒後に切り替わるつもりでいたが、システム更改時に、人知れず機器の仕様が変わっていました、ということ。

 ちなみに以前の私の記事。

東証システム障害。富士通の技術者はこれからが大変だ

  1. 1号機のハード故障の仕方が特殊過ぎて、そもそも切替動作に入らなかった。
  2. 切替動作には入ったが、それを阻む何らかの要因があり、動作が完了しなかった。

 どちらかというと1番に近い。ただ、原因は「ハード故障の仕方が特殊」ということではなく、「設定の仕様変更」だった訳ですが。

切替テストを行うには行っていたが・・・

 見えないところで製品の仕様が変わってしまう、というのはメチャクチャ珍しいという程のことではありません。私も何度か経験しました。

 皆さんも、WindowsやiOSなどで、バージョンアップすると勝手に仕様が変わっていることってあるでしょう? あれと似たようなものです。

 多分、使っているハードは富士通製ではないでしょうから、その内部仕様はブラックボックスです。熟練の技術者であっても、ブラックボックスの中身を100%把握するなんて到底不可能

 じゃ、どうするか?

 システム更改前は色々な事態を想定してテストをするのです。

 今回のような二重化システムについては、切替テストは絶対にテスト項目としてピックアップするはずです。

 にも関わらず、なぜ、今回の事象がテスト段階で発見できなかったのか?

 問題の核心はここでしょう。

 記事によると、

 テストを行わなかったのは、これまでのアローヘッドの稼働実績を鑑みた結果だとしている。

 東証の担当者によると、製品マニュアルから自動切り替えの発動パターンをメモリやCPUの故障、ネットワークの切断と想定していたという。

 ネットワーク切断については切り替えテストを行ったが、メモリなどの故障については「NASの設定値とマニュアルの整合性については富士通内の製品出荷プロセスで検証されている前提だった」とし、テストを行っていなかった。

  やや分かりにくい記述ですが、要するに、

  • (ケーブルを抜くだけで容易にテスト出来る)ネットワーク切断のテストは行った
  • メモリやCPU故障は、(多分、故障事象を引き起こすのを嫌って)机上チェックと従来の実績から試験は行わずOKとした。

ということなんだと思います。

 想像をたくましくすれば、ネットワーク切断テストにより切替動作自体の確認は出来ているのだから、メモリやCPUの故障まで試験するには及ばないと思ったのでしょう。

 ただ、考えてみれば、ネットワークは機器の外部に存在するものであり、メモリやCPUは機器の内部に存在するもの。故障した際の切替ロジックが異なっていたんでしょうね。

今だから怠惰だと言える

 今だから言えますよ。怠惰だったと。メモリやCPU故障も試験しておくべきであったと。

 ただ、システムのテストというのは、チェック項目が山ほどあって、これを複数人で結構な時間をかけて、夜遅くまでやるわけです。だから、期日通り間に合わせるためには、ある程度ポイントを絞る必要も出てきます

 特に、東証側のシステム担当者は、ハードの切替動作といった基層部分のテストは最小限に抑えて(富士通に任せて)、東証システム独自のアプリケーション、例えば、画面が正しく表示されるか、株価の計算が正しくなされるか、といった部分に時間を割くのは当たり前のように思える。

 こういう風にメーカーと受入先の棲み分けにより、テストの効果が最大限に生かされるわけですから、東証側がメモリやCPU故障の試験を机上で済ませてしまったことが一概に悪いとは言い切れない。

 ただ、富士通側はもっと何か出来ることは無かったのか、とは思うのですが。

担当者はこれからが大変だ

 東証の資料には、「再発防止のために講じる措置」として色々なことが書いてあります。どれも考えるだに大変そうな作業。

 あと資料には書いていないですが、今後、再びシステム更改する場合、実機テストはどこまで行い、机上チェックはどこまでするのか、という大問題が残っています。

 もちろん、「メモリとCPUの故障時の切替テスト」を行うのは当然ですが、それだけで済むとは思えません。

 これまで机上で済ませていた項目のうち、かなりの部分も、今後は実機でやれ、ということになるのは確実。 

 もちろん、その分、人員と時間を増やしてくれれば何の問題も無いのですが、多分、そうはいかない。少なくとも、私が前いた会社では、リソースは今までのまま、作業だけは青天井に増やす、というのが常態化していました。

 このような重大システムで障害があると、その担当者は、生きている心地が全くしなくなる

 当ブログの読者に学生さんは少ないでしょうが、もしおられるならば、就職先にシステム業界はオススメしません、これは本当に。

 

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リタイア後の「朝」は至福のひと時。会社員生活はこれをスポイルする。

 リタイア生活で一番すがすがしい時間帯は、個人的には「朝」であり、至福のひと時と思っています。でも会社員時代は違いました。「朝」という時間帯を出勤準備に捧げなくてはいけなかったからです。

目次

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 《山梨県上野原市》

リタイア生活における「朝」

 私は東京都青梅市西部に住んでいますが、この地域の朝の気持ちよさ、というのは何にも代え難いものがあります。

 春の目覚めは小鳥の声です。灼熱の夏でも朝はとても涼しい。秋・冬はヒンヤリするも、何故かこれも気持ちいい。

 柔らかな日差しが顔にあたる。窓からは自然の風。

 妻がいれてくれたコーヒーを飲みながら、また楽しい一日が始まるな、ブログにはどんなことを書こうか、今日は読書をどこまで進めようか、などとゆっくり考える。

 リタイアして分かったのです。朝というのは本当にすがすがしい時間帯であり、至福のひと時なのだと。

 だから、前日の夜の時点で、翌朝が来るのがとても楽しみになります。

  【過去の参考記事】 リタイアしてから翌朝に起きるのが楽しみでしょうがない

会社員時代の「朝」

 でも、会社員時代は違いました。

 春に小鳥の声が聞こえてきても、夏の朝が涼しく感じられても、そのことにゆっくり思いを致すことは、なかなかできません。

 それは、準備をとっとと済ませて、出勤しなくてはいけないからです。小鳥の声よりも、青梅線や中央線が遅れていないか確認する方が大事なのです(ちなみに、いかにも青梅線がよく遅れるように言われるけれど、中央線が人身事故で遅れている方がずっと多いです)。

 妻がいれてくれたコーヒーは、時間が無いので、大抵は飲み切ることができません。

 家を出ると、山や川などの自然が目に入ってはいますが、電車の時間に遅れてはいけないので、小走りで通り過ぎなくてはいけません。

 それでも、電車では必ず座れる、というのは幸いでした。

 ただ、電車に乗っている間にトイレに行きたくなると最悪でした。

 始業は本来9時なのですが、ある意味、仕事は出勤時から始まっています。今日の仕事の進め方を頭の中で事前シミュレーションしているからです。

 だから、前日の夜は、その日の自由時間が終わってしまうのが名残惜しく、翌朝が楽しみだとは、なかなか思えませんでした(金曜除く)。

 まして、仕事で厄介な案件を抱えているときは、翌朝が来て欲しくない!とさえ思うこともありました。

「朝」は会社勤めでスポイルされている

 こう比較すると、リタイア生活と会社員生活とで雲泥の差ですね。

 「朝」という時間帯が、会社勤めでいかにスポイルされていたか、ということが分かります。

 会社勤めのシステムに組み込まれてしまうと、朝という時間帯の素晴らしさに気づけない。朝がいかに会社勤めでスポイルされているか、ということ自体、頭に浮かぶことがない。

 「会社に行ってしまえばどってことない」とは言っても、朝という、本来至福である時間帯を、長年会社に捧げてきたということについては、かなりの損失でした。

 

 このように、朝がスポイルされている会社員は私だけではありますまい。でなければ、次のような記事がネット上で大量生産されることなど無いはずなのだから。

 もっとも、「仕事の道楽化」に成功した人なら別なのでしょうが、なかなか私のような凡人では難しいのです。

  【過去の参考記事】 「道楽の仕事」は早期リタイア後にやればよい

 

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恐い……女性リタイア者へ「幸せ自慢するな!」と攻撃

 今回は、リタイア者が下手に幸せ自慢をすると、メチャクチャ叩かれるかもしれない、という話。

 具体的には、次の掲示板で「セミリタイア女性」が叩かれています。

  同情的なコメントもありますが、モロに敵意を露わにしているコメントもあり、怖いです(笑)。

目次

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 《東京都青梅市:御岳渓谷》

トピックの流れ

50代でひきこもりになりました。幸せです。 | 生活・身近な話題 | 発言小町

 

 正社員で30年勤務した後、自主退職した50代女です。
愛犬と好きなだけ散歩し、好きなだけ本を読み、主人以外誰とも話さない生活が、この上なく幸せに感じます。
もともと人間関係が苦手です。
LINEに登録されている人も、弟と主人のみ。
友人も今となっては、誰もいません。

今までは働く事が当たり前と思ってきましたが、やめてみて、時間に追われない生活、人に会わない生活は、これほど心穏やかに過ごせるものなんですね。

もちろん金銭的な不安はあります。
これからは質素倹約を心がけて、貯金でゆっくり生活していこうと思います。

今頑張ってる人へ。仕事やお金だけじゃないですよ、自分の心や体が1番大事、こんな生き方もあると伝えたいです。

 何てことのない低燃費生活。ひきこもりと称しているけど、私のリタイアとほとんど同じ。この方はおそらく「準ひきこもり」に分類される。

  【過去の参考記事】 完全リタイアは「ひきこもり」か?

 

 最初は普通に同意するレスが付く。

帰国後、当時の知り合いからお誘いがあっても断っています。
新しく人間関係を開拓する必要が無い今、すごく自由で幸せです。

ただ、パートで働く事はしたいと思っています。

 しかし、だんだん、言いがかりチックなレスが付いていく。

ご主人がいて成り立つ生活ですよね。トピ文をよく読めば。今の時代夫婦関係脆いですよ。(略)
トピ主夫婦はまずそう言うことは無いと思いますが、そのトピ主さんの生き方を他人に勧めるのはどうかと思いますよ。


今も昔も、世の中はこういう話で溢れかえっているんですけど、今更言ってももう圧倒的に手遅れですから、今トピ主ができることは、ひたすら天に祈ることだけ。

 そして、どんどん攻撃的に。

トピ主さんの現状は恵まれているんです。そんな恵まれた生き方を勧められても出来ない人達が沢山いるということ、トピ主さんは分からないのかなあ?
伝えたいですって、、、なんだか偉そう。 


人間関係が苦手で友人もいないとのこと。それが快適とは言っても一方では自分の生き方をもっと知ってほしい、という承認欲求は強いのですね。


トビ主さんは我が家はまぁ余裕だわっていう自慢?
50代で年金生活までにはまだまだ相当時間が歩けど
貯金たっぷり、資産あり?それともダンナさんの稼ぎがいい? 


今のご時世、明日にも仕事を失いそうな人、資金繰りで走り回っている人、休業して家賃を払えない。そういう方々がたくさんいることはご存知ですよね?

  トピックが荒れてきたので、トピ主は次のように補足する。

誤解のないように付け加えますが、仕事が生きがいの方、ずっと続けてらっしゃる方に、退職したらと薦めている訳ではありません。ずっと仕事を続ける事も、
尊い事ですよね。

ただ、仕事があるうちは、していた方がいい、
体が動くうちは、仕事はしてた方がいい、
老後の為には、貯金は数千万、1億でも足りない、とか
そういう世間の話にとらわれて、心身ボロボロになるまで頑張らなくてもいいんじゃないかな、と

 しかし、「ああいえば、こういう」状態に陥る。

トピ主さんは誰に向かっておっしゃっているのでしょう?
配偶者が病気とか働けない、事業資金の返済がある、独身で身寄りがないなんて人、たくさんいるんですけど…無職の身でも当然のように養ってもらえる家族がいない人は眼中になさそうですね。

運が良かったんですね、とだけは思います。 


トピさんの自慢話を ただ、ご自身が納得して
私達に 言っている様にしか 感じないのですが? そんな生き方もあると言うことですよね? 

 そこで、再び、トピ主登場

まず、私の文章に不快な思いをした方々がいらっしゃるようで、申し訳ありませんでした。

不特定多数の人のいる掲示板で、特にこの時期に書く事ではない、辞めたくても辞められない立場の人たちがいる、適度なストレスは必要、後々お金が足りなくなったらどうするのか、上から目線、寂しいんでは?等、全てその通りですね、反省しています。


御主人がいるからこそでは、と書いて下さった方々。
今まで主人とは別会計で暮らしてきましたし、これからも自分の分はそのようにするつもりでしたが、
主人が働いていてくれるからこそ、自分も今のような貯金が出来た事は事実ですね。


それから、暖かい言葉を書いて下さったたくさんの皆様。皆さんの文章を読んで、PCの前で、泣きました。
本当に、ありがとうございました。

  最終的には、攻撃的なレスは影をひそめ、再び、肯定的レスが増える。

トピ主さんが30年企業で働いてきたのは、堅実さと持続性があったから。結果今の生活の土台が築けたのです。身を粉にして働いた分、今後は健康に好きに生きる事を選択された、大変バランスのとれた生き方だと思います。人生は選択の連続で、それらの結果が我々の現状です。それを忘れて成功者を妬むのはどうかと思いますね。

「幸せ自慢するな!」

 どうですか? ここまでボロクソに言われる。本当に怖いですね。

 何故、ここまで攻撃的なレスがついたのか?

 一言で言うと、このトピが「幸せ自慢」と解釈されたからでしょう。なによりも、トピの題にも「幸せです」と書いてあるし、次の文がいかにも上から目線のように読める。

今頑張ってる人へ。仕事やお金だけじゃないですよ、自分の心や体が1番大事、こんな生き方もあると伝えたいです。

 もっとも、彼女が本当に自慢しているのか、上から目線なのかは分かりません。ただ、この手の言葉に敏感な人は存在していて、一つ批判レスがつくと、便乗の批判が山ほど降ってくるというのが、発言小町というコミュニティのありがちなパターンなわけです。

掲示板やSNSは共有空間である

 これが個人のブログやyoutubeだったりするならば、ここまで叩かれることは普通ありません。実際、女性のリタイアブログというものも存在していますが、批判コメントが沢山来て困る、ということは聞いたことないですし。

 それは、ブログやyoutubeは個人空間だからです。基本、リタイアブログはリタイアに関心を持っている人しか見ません。仮に批判的な読者がいても、リタイアというものについて知識や免疫はありますから、批判するにしても、ツボを突いた批判になるでしょう。

 一方、掲示板やSNSは共有空間です。

 セミリタイアという概念に免疫が無い人も多数閲覧します。赤ちゃんが生まれての幸せ自慢ならともかく、リタイア者の幸せ自慢というのは、全く空気の読めていない行為だと見なす人も出て来るのでしょう。

 すると、「私達の空間に入って来ないでよ!」という排除の論理が働きます。「恵まれない人」などを引き合いに出していますが、要は「気に食わないからここに書き込むな」ということを言いたいわけです。

 一度、排除の論理が働くと、相手を徹底的にやり込めることに精力が費やされることになります。

 

 ただ今回紹介したトピックでは、幸いなことに、トピ主に同情的な意見も多数見られたので、最後は穏やかに終わりました。

 トピ主の「仕事やお金だけじゃないですよ、自分の心や体が1番大事、こんな生き方もある」というは、変な色眼鏡をかけなければ、一つの見識として充分肯定され得る内容だと思うんですがね。

 

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人の贅沢がエスカレートしていく仕組み(象箸玉杯)

 一点豪華主義のつもりが、贅沢がエスカレートしていき、ついには身を滅ぼしてしまう。

 いかにもありがちな話ですが、それは現代日本だけではありません。古代中国にも同様の話がありますので、書いてみます。

目次

 

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 《東京都青梅市:彼岸花》

象著玉杯、酒池肉林の故事

 今私が読んでいる『韓非子』。

 これまで半分くらい読みましたが、同様の説話が二ヵ所に載っていました(「喩老」篇と「説林」篇)。ここでは、両篇の文章を、私の方で適当に合体させて紹介します。

昔者、紂為象箸、而箕子怖。

 昔、[殷の王である]紂(チュウ)が、象牙の箸を作らせたところ、[家臣の]箕子(キシ)は、そのことに恐怖を抱いた。

 中国の王朝は古い方から夏、殷、周…とされていて、うち、殷は紀元前17世紀から紀元前1046年までとされています。その最後の王が「」であり、屈指の暴君として古代中国史では超有名人です。

 あるとき、紂王が象牙の箸を作らせたところ、家臣の箕子がそれを見て感じることがあり、恐れをなした、ということです。

 

「以為象箸、必不加於土鉶,必將犀玉之杯」

 「象牙の箸を作っておいて、素焼きの土器(土鉶)に食べ物を盛り付けるなんてことはあり得ない。サイの角や宝石で出来た杯(犀玉之杯)に盛り付けるに決まっている」

 

「象箸玉杯、必不羹菽藿,則必旄象豹胎」

 「象牙の箸や宝石の杯を使っておいて、食べるものが、豆や豆の葉のスープ(羹菽藿)といった粗食はあり得ない。カラウシ()や象、豹の子供といった珍味を食べるに決まっている」

 

「旄象豹胎、必不衣短褐而食於茅屋之下,則錦衣九重,廣室高臺」

 「カラウシ、象、豹の子供を食べるのに、短い野良着(短褐)を着てかやぶき屋根の下にいるなんてことはあり得ない。錦の衣を幾重にも着て、高台の広い部屋で食べるに決まっている」

 箕子という人は、かなり鋭い直感を持っており、紂王が、象牙の箸の一点豪華主義に留まらず、どんどん贅沢がエスカレートしていくと予想します。

 

「稱此以求,則天下不足矣。吾畏其卒,故怖其始」

  「王の求めに応じて、こんなことをしていったら、天下の物が丸ごとあっても足りないぞ(天下不足)。私は、その行く末が恐い。だからその発端[象牙の箸]を怖れるのだ」

  贅沢にはキリが無いもの。ましてや、一国の王ですから、その気になれば一国の贅沢品を全てかき集めることができます。それでも、まだ足りない、もっと持って来い、などと言い出しかねない。

 そうなってしまったときのことを考えると、たかが象牙の箸とも言っていられないわけです。

 

居五年,紂為肉圃,設炮烙,登糟邱,臨酒池。紂遂以亡。

 そうして5年。紂王は、肉を田んぼのように敷き詰めて(肉圃)、焼肉の炉(炮烙)を設け、酒かすの丘(糟邱)に登って、酒の池(酒池)を見渡すまでになった。こうして紂王は亡んだのである。

 象牙の箸を作ってから早5年。箕子が言ったことが当たり、メチャクチャ盛大な焼肉パーティーを開くまでになっていました。

 しかし贅沢が過ぎて、恐らく人々の反感を買いすぎたのでしょう。紂王は殷という国とともに滅ぼされ、周にとって代わられたのです。

 

故箕子見象箸以知天下之禍。

 箕子は象牙の箸を見て、天下の禍(わざわい)を知ることになった。

 

聖人見微以知萌,見端以知末。故曰「見小曰明」。

 聖人というものは、微かな事象を見るだけで、大きな出来事の兆しを察知するものである。些末な発端を見るだけで、その行く末を見抜くものである。[老子では]「小を見て明を見る(見小曰明)」と言っているが、それはこのことである。

 この説話から導かれる教訓というのは、「見小曰明」、つまり、国の滅亡といった大事件を察知するためには、「象牙の箸」という些細な事柄にもアンテナを張っておくことが必要なのだ、ということです。

  以上が、象著玉杯酒池肉林の故事です。

この話は多分、史実ではない

 ただこの説話は多分、伝説であって史実ではありません。そもそも、殷の時代に箸があったのか相当に疑わしいからです。

 殷を滅ぼした周が、殷の悪宣伝をするために後世になって作った話、というのが妥当でしょう。

 近代になって、「甲骨文」という殷王朝の一次文字資料が出土し、それを分析したところ、紂王はそこまで悪い人ではなかった、ということが明らかになっているようです。

 ただ、象がかつて中国にいたというのは本当らしいです。でなければ、「象」という象形文字など誕生しようがありませんから。詳細は次のサイト参照。

 

 なお、本項の記述は、次の書籍を参考にして書いています。

漢字の字源 (講談社現代新書)

漢字の字源 (講談社現代新書)

  • 作者:阿辻 哲次
  • 発売日: 1994/03/16
  • メディア: 新書
 

「贅沢はエスカレートするものだ」がもう一つの教訓

 作り話だったとしても、このような話がそれなりの説得力を持って書物に取り上げられ、それが現代に伝わっているということ自体、興味深いものです。

 この話の教訓は、先にも述べた通り「見小曰明」でありますが、当ブログ的には、「贅沢はエスカレートするものだ」をもう一つの教訓として提唱したい。

 贅沢がエスカレートする仕組みとしては、贅沢の連鎖でしょうか。象の箸を作ったからには、やはりそれに見合う食器、食べ物、家がなくてはならない。一点豪華主義だと割り切れる人がどのくらいいるのか。

 現代でいえば、すごく贅沢なスーツを買ったとすると、それに合わせて、ネクタイやタイピン、Yシャツ、靴、腕時計などの高級品も欲しくなってくるわけです。

 あるいは、高級な自宅を買った後、それに合わせて生活が派手になっていき、教育にも金をかけるようになって、首が回らなくなっていくなど、ありそうなパターンです。

 贅沢をしてはいけない、というつもりはさらさらありませんが、分をわきまえて、このような贅沢の連鎖には陥らないようにしたいものです。

 

 今回紹介した『韓非子』には、

  • 最強の矛で最強の盾を突いたらどうなるか答えられなかった話(矛盾
  • うさぎが株にぶつかるのを待って身を滅ぼした話(守株待ちぼうけ
  • 大人しい龍でも、鱗が逆さに生えている部分に触れると怒り狂う話(逆鱗)。
  • 良薬は口に苦いとか、忠言は耳に逆らうという話

など、面白い説話が沢山載っています。『論語』は理想主義過ぎて微妙、という人でも、この本なら現代にも通ずるリアルな人間観で楽しめます。

「韓非子」を見よ! (知的生きかた文庫)

「韓非子」を見よ! (知的生きかた文庫)

  • 作者:守屋 洋
  • 発売日: 2009/04/20
  • メディア: 文庫
 

 

 

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リタイア後に襲ってくる?「取り残され感」「おいてきぼり感」

 今のところ、私はリタイア生活を何の問題も無く続けていますが、それが可能である要因の一つとして、孤独耐性があるから、というのは絶対あると思っています。

 孤独感といっても色々とありますが、早期リタイアとの関連で言えば、「取り残され感」「おいてきぼり感」というものが、本質的なように思えますので、今回はそのことについて書いてみます。

目次

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 《東京都青梅市》

リタイア生活は孤独である

 先日も述べた通り、リタイア生活というのは、一人でいる時間が長くなります。以下、過去記事より。

リタイア生活と一人行動・孤独感について

(略)

 「集団か一人か」という選択肢から一人行動を選ぶのではなく、自分の周囲には一緒に行動してくれる人がみつかりにくくなり、必然的に一人で行動せざるを得ない、という状況に置かれることが多くなってくる訳です。

何もしないリタイア生活も板についてきた

  特に感じるのは、周りが働いているなか、自分だけがリタイア生活を送っているため、どうしても一人で過ごす時間が長くなること。

 だから、孤独耐性がある、もっと進んで孤独でも楽しい、というぐらいでないと、リタイア生活を続けていくのは困難かもしれません。

 何もしないリタイア生活も板についてきたでは、「孤独耐性の無い人がリタイアしたら陥りやすい3つのパターン」を、私が勝手に考えて書いています。

  1. 単純に、周囲に人がいないと寂しくてしょうがない
  2. それまでバリバリ仕事をしてきた人がリタイアすると、他者との比較切磋琢磨がなくなり、「おいてきぼり感」「取り残された感」を味わいやすい
  3. 趣味が、複数人でないと行えないものばかり(リタイア後に空いた時間で、趣味をやろうとしても一緒にやってくれる人がいない)

 勝手に考えたものとはいえ、どれも充分にあり得る話でしょう。

 私はどれも当てはまらないのですが、それでも1と3はまぁ分かるのです。

 寂しがり屋さんはこの世に多いだろうし、私が結婚を考えた直接の動機も、実は1によるものだったりします。

  【過去の参考記事】 リタイア生活と一人行動・孤独感について

 あるいは、草野球を毎日でもやっていたい人がリタイアしたら、平日何をやっていればいいの?ということで、3の問題が必然的に発生します。

「おいてきぼり感」「取り残され感」がリタイア後に襲ってくるケース

 一方、私が理解できないのは2です。

 ただこれは私が理解できないというだけで、「おいてきぼり感」「取り残され感」というのは、非常に本質的で根深いものを含んでいるような気がしています。

 満を持してリタイア生活に突入したが、しばらくして飽きて、仕事に戻ってきた、というのも、この「おいてきぼり感」「取り残され感」よるところ大なのではないでしょうか?

 例えば、、、

「早期リタイアしたい」という人が、実は幸せになれない理由2つ

 さらに言えば、自分で事業を興して成功し、早期リタイアした人の多くは、いったんリタイアしても再びまたビジネスの世界に戻ってくることが多いのです。でもこれは逆に考えると当然のことです。なぜなら仕事に成功したということは仕事の面白さを十二分に体験したからであり、すなわち仕事が苦行にならず、まさに本多静六氏の言う「職業の道楽化」が実践できたから成功したのです。だからこそリタイアした後も仕事の面白さが忘れられず、やはり何らかのビジネスに取り組みたいと思う気持ちが強いのでしょう。

 いや、本当に「職業の道楽化」が実践できているのなら、そもそも早期リタイアなど考えなくてよいはずですよ。

 「仕事の面白さが忘れられず」というと聞こえはいいけれど、「仕事でバリバリしていたあの頃に比べて今は・・・今も活躍しているライバルに比べて自分は・・・」といった感じで、「おいてきぼり感」「取り残され感」と言い換えられてしまったりするわけです。

経験してわかった!「早期リタイア」が実は楽しく無いと思う3つの理由。

早期リタイア後、人間関係が疎遠になって友人と会うのも辛くなった。
早期リタイア後、自分の能力の劣化があからさまに不安になった。
早期リタイア後、人生の意味がわからなくなって、逆にストレスが溜まってしかも太った。

 この人の言う3つの理由というのも、記事を読んでいくと、結局は「おいてきぼり感」「取り残され感」というワードでくくれそうです。「日本社会において何者でもない自分」というものが不安だった・許せなかった、という感じでしょうか。

 早期リタイア後、経済的理由以外で「やっぱり仕事に復活しました」という事例を、ネットでたまに見かけますが、それらを突き詰めていくと「おいてきぼり感」「取り残され感」に行きつくケースが多いのではないかと思います。

「おいてきぼり感」「取り残され感」の特異性

 先に挙げた3つのパターンのうち、

  • 単純に、周囲に人がいないと寂しくてしょうがない
  • 趣味が、複数人でないと行えないものばかり

については、物理的に人が近くにいないことで生ずる感覚、あるいは不都合です。だから、仲の良い人が出来たり、一人で出来る趣味を作ったりすれば解決します。

 一方、「おいてきぼり感」「取り残され感」というのは、物理的に人が近くにいるかどうかとは関係無く生ずる感覚です。自分が一人であることを寂しく思う、という意味では孤独感の一種なのですが、この点は特異です。

 周囲の人は働いているのに、稼いでいるのに、社会貢献しているのに、それにひきかえ自分一人だけこんな生活していていいのだろうか

 どんなに家族仲が良く、友人と頻繁に会ったりしていても、癒すことは難しいでしょう。それとは無関係の所で生じている感覚なのですから。

何故、「おいてきぼり感」「取り残され感」を感じるのか、考察。

 人間社会は、社会の中での自分のポジションというものを、常に確認し評価されるような構造になっています。

 学校では学業やスポーツの成績の上下、友人関係、部活。職場では地位や仕事。どれだけ社会やコミュニティに貢献しているか、あるいは貢献し得る人物か。細かな所では、お昼は誰と食べるか?なんてのも、自分のポジションの一つです。

 我々は、どのコミュニティにおいても自分のポジションを確立するよう、幼少時より社会から求められ続けます。老後は、そのようなポジション取りから、ある程度自由になって然るべきなのですが、「何かしら社会と繋がっていた方がいい」とか言って、やはり自分のポジションを作るよう勧められたりします。

  【過去の参考記事】 退職後にまで「社会と繋がって」ないと不安な社会

 それこそ、揺り籠から墓場まで、自分のポジションというものを意識させられる社会なわけですが、なかでも「働いている場所」というポジションは、極めて重要視されます。

 しかし、早期リタイアなんてのは、そのような社会からの要求に反旗を翻して「働いている場所」というポジションを放棄するわけです。

 そのため、次のような人が早期リタイアしたら、「取り残され感」「おいてきぼり感」を感じるのではないでしょうか。

  • 「働いている場所」というポジションに執着や未練がある人
  • 社会からの要求に反旗を翻しているということに不安を覚える人(つまり「世間体を気にするタイプ」)

 みんなは「働いている場所」というポジションを持っているのに、自分にはそれがなくなってしまった・・・・取り残されている、おいてきぼりにされている、と。

 ある意味、 「おいてきぼり感」「取り残され感」というのは、単純な孤独感ではなく、社会というものが、社会の各構成員の頭の中に作り出した虚構の感覚なのではないか?などと思ったりもします。

 

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既婚者のセミリタイア。「夫婦共同財布」はお勧めできない。

 共働き夫婦の家計管理でよく話題になるのが、夫婦共同財布 vs 夫婦別財布。そして別財布だと貯蓄が出来ないから、共通財布にしなさいと勧める記事が定番です。

共働きでもお金が貯まらない夫婦の共通点「夫婦の財布が別々」(女性自身)

このように財布が別々でお互いの収入が不透明だと、思ったほどお金が貯まっていかないのです。

(略)

 そこで中島さんが提案するのは、夫婦の財布とは別に“第3の財布”(銀行口座)を作り、お互いの収入の大部分をプール。そこで家計を管理する方法だ。

 共通財布だと、支出が一元化されて、家計が透明になって貯蓄ができるそうです。

 でも、夫婦別財布で基本やってきた私からすると、何で自分のお金の大半を、わざわざ共通財布に移すなんて、厄介なことしなくちゃならんの?という感じです。

 まして、セミリタイアしようとする場合、そのリタイア資金を夫婦共同財布から出さなくてはならないのです。

目次

 

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 《東京都日の出町:日の出山頂》

我が家の家計管理方法

 とは言っても、我が家に、全く共通財布が無いわけではありません。

 共通財布に最低限の金額を入れ、夫婦共通の出費はそこから出す、ということくらいはやっています。

我が家の家計とリタイア資産状況について、もう少し詳しく書いてみる

 夫婦共通の銀行口座では、1年弱で100万円ぐらい減少しており、減ってきたら適宜入金するというパターンが出来ているので、年間に直すと120万くらい?ということで、

  • 年間、夫婦二人で60万円ずつ出し合って、計120万円の生活費とする。

となっています。

 なので、ここでいう生活費は「夫婦共通」であるものに限られますね。

  • 固定資産税(年間12万円)
  • 食費のうち、自炊または2人での外食(月3~5万くらい。外食が多い月は増える)
  • 自宅の通信費(月6千円)
  • 電気・ガス・水道・燃料費(月1~3万;季節により変動)
  • 2人での旅行

などは、夫婦共通の生活費に入るのですが、

  • 食費のうち、一人の外食・飲み会の参加
  • 個人の通信費
  • 自家用車の費用(妻)

は、個別費用からの支出となります。

 ただ、共通財布への入金は年間60万円ほどと、持てる全資産に比べて圧倒的に少ないです。

 また、共通財布の管理は、財布の中身が少なくなってきたら、それぞれの個別財布から同額ずつ補充する、というだけのズボラなやり方。

 「共通財布の利点を生かして、家計をしっかり管理する」なんてこと、ほとんどしていないのです。

 さらに、夫婦それぞれの貯蓄残高や収入・支出などは、いちいち細かくチェックしておらず、完全な個人管理です。それでも、お互い貯蓄は出来ています。

 つまり、我が家の共通財布はただの割り勘ツールに過ぎず、事実上、別財布といってよいのです。

 ちなみに、このようなやり方は自分財布と共通財布の2つがあって面倒そうですが、クレジットカードを使い分けることで、随分と楽になっています。キャッシュレシュに懐疑的な記事も以前書きましたが、必要なところではちゃんと取り入れています。

 【過去の参考記事】 リタイア後2度目の住民税は自動引落し。キャッシュレシュでは痛みを感じないね。

共通財布のデメリットだと感ずる点

 「共通財布は貯蓄に最適」みたいな記事が多いけど、私に言わせれば結構デメリットが多い気がします。以下、私の感ずる点を書いていきます。

かえって財布の紐が緩くなることもある

 共通財布は責任が曖昧になるから、かえって財布の紐が緩くなることがあります

 例えば、私の場合、夫婦で結構高い店に外食に行った場合、自分の財布なら絶対節約するであろうところ、共通財布なので心置きなくオーダーできてしまうのです。

 我が家の場合は、共通財布の用途が限定的なのでこのくらいで済んでいますが、これが資産の大半に及んだ場合、このようなルーズさをも資産の大半に持ち込むことになりかねないわけです。そうなってしまったら貯蓄のためにいいことだとは思えません。

財布の紐を緩めたいときでも緩めにくい

 逆に、ここはぜひ財布の紐を緩めて、一念奮発したいと思うことがあります。

 例えば、私が今、趣味で乗っている電動アシストクロスバイクは30万円しましたが、これは当然、自分の財布から出したものです。

 しかし、資産のほぼ全額を共通財布にまとめてしまった場合、このように高額の買い物をしようとするたびに、夫婦間での摺合せが必要になります。もともとは自分のお金だったものを使うだけなのに、人の許可が必要になってしまいます。

 しかも、お金の出所が共通財布であるため、購入した後も「自分の物」感が薄れることになります

メリハリを利かせた支出をしたい場合、共通財布は不向き

 つまり、外食のような比較的少額なものに対する支出はルーズになる一方、高額の出費はやりづらくなる、という方に流れがちなのが共通財布。少なくとも私はそう。

 私は、少額なものの支出はおさえて、ここぞというときの出費は惜しまない、というメリハリを利かせたスタイルなので、共通財布はなじまないのです。

セミリタイアもやりにくそう

 あと、共通財布を主体にする方式だと、セミリタイアもやりにくそうです(不可能とは言わないが)。

 というのも、セミリタイアは個人の資金で行う、というのが原則だからです。

 別財布なら「個人の資金」というのが自明なため、夫婦共通の折半額さえ出せれば問題ないわけで、例えば私の場合、「毎年、共通財布へ60万を拠出できるだけの資金がある」ことを妻に説明すれば、終わりです。

 しかし、共通財布を主体に運用していると、そうはいきません。

 「リタイア資金を共通財布から出す」

 ちょっと考えただけで夫婦間の調整がめんどくさそうです。リタイア資金って、要は自分が楽するための費用ですよ。これを共通財布から出すことの理解を配偶者に求めなくてはならないのです。

 例え、配偶者から理解を得られても、リタイア後は共通財布の運用の仕方に変更が生ずるのは免れない。課題が一つ増えるわけです。

共通財布それ自体に貯蓄を増やす効果はない

 いや、分かりますよ。共通財布でちゃんと貯金が増えたという家庭があるということを。

 でも、それは、

  • 夫婦双方で協力しあって財布を管理していくものだということを、夫婦双方が認識し、その運用の仕方について定期的に話し合っていく
  • あるいは、夫婦の、より堅実な方が、ルーズな方をコントロールする

といった、夫婦双方(ないしは片方)の努力の賜物なんじゃないですかね。

 2つのザルを1つの大きなザルにまとめたところで、努力をして穴を塞がなければ、ザルはザルのままですよ。それまでザルだった夫婦が、そのような努力をしていくことが本当に出来るのか?という話。

 一方、うちのようにほぼ別財布でやっていても問題無くやっているところもあり、変に財布を共通化すると、管理の負担が増えるだけでなく、前述のデメリットが目立つようになるかもしれません。

 あるいは、セミリタイアや起業といったチャレンジで資金を拠出するということも、しにくくなる。

 結局、貯蓄できるかどうかは、財布の形態よりも意識の問題の方が大きい。

 共通財布というのは、家計を適切に管理するための手段の一つではあるけれど、それ自体に貯蓄を増やす効果など無いよ、ということです。

 

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宝くじ当せん後も仕事は辞めるな……という公式アナウンス

 もしあなたが宝くじでウン億円当たったとしたら、仕事は辞めますか?

 当ブログの読者であれば、100人中99人の割合で「辞める!」と答えるかもしれません。

 でも、世の中は必ずしもそういう方ばかりではないですよね。

 「人間というのは仕事をすることによって(中略)、だから、私は宝くじがあたっても働き続けますよ」などと、良識的に話してくれる方もおられるでしょう。

 「宝くじで高額当せんしても仕事は辞めてはならぬ」

 これは巷で言われているというのみならず、公式にアナウンスされていることでもあるのです。

目次

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 《東京都青梅市》

1000万円以上あたったら配られる冊子『その日から読む本』 

 宝くじで1000万円以上あたったら、ある冊子が配られるそうです。

【その日】から読む本 - Wikipedia

『【その日】から読む本』(そのひからよむほん)とは、日本の宝くじにおいて、1000万円以上の高額当せん者に対して無料で配布されている小冊子。

  大概の人は1000万円もの大金を、「濡れ手に粟」で手にいれる機会などまず無いので、その心構えを説いた本、ということにでもなりましょうか。

 wikipediaには、その内容が概略ベースで記載されています。

当せん金の使い道について、ローンや借金の返済を優先すること、当せんについて知らせる人をリストアップすること、仕事は辞めないようにすること、冷静になって落ち着くことなどの基本的なことから、

 実際、高額当籤者のなかには、舞い上がって見境がなくなり、人生を破滅に導いてしまうな人もいるでしょうし、そのことに対して、宝くじ販売主体は責任が持てないから、あらかじめアナウンスをしているのだと思います。

 そして、「仕事を辞める」というのは、舞い上がって見境がなくなった人がとる行動として代表的なものなのでしょう。

リタイアブログに宝くじで一発当てようというネタは皆無

 宝くじで高額当せんすると、額によっては、そのまま早期リタイア・セミリタイアが可能となったりもします。でも、リタイアブログをいくら読んでも、そのようなネタは皆無。リタイア達成者・志望者がネタにしている、お金を増やすネタの多くは投資や副業によるものです。

 まぁそれはそうでしょう。皆さんが投資をするのは、期待値が100%を超えるという確信があるからであって、一方、宝くじの期待値は50%以下と決まっています。何百万分の1の確率でウン億円あたるのだとしても、ほぼ1の確率で金をドブに捨てる結果になるのが目に見えている。

 リタイアを検討される方は堅実なので、こういうものには手を出さない。

 逆に、宝くじを買いまくるような方は、正直なところ、そんなに堅実なようには見えない。万一、そういう方が当せんしてしまった場合、先に述べたように、冷静な行動がとれずに破滅コースを歩んでしまうということもありそうです。

 だから、宝くじで高額当せんをしても、仕事を辞めてはならないと、こういうアナウンスがなされるのでしょう。

ウン億円あたって、仕事を辞めないのもつまらない話

 でも思うのです。

 ウン億円あたっても、仕事を辞めないとすると、そのウン億円は一体、何に使うの?

 フリーランスならともかく、多くのサラリーマンは、会社を辞めない限り、毎日夜遅くまで残業し、休日はその疲れを癒すため、なかなかアクティブに活動ができないといった状態を続ざるを得ない。ウン億円ものお金はいつ使うのでしょうか。

 当せん金を元手に、例えば、世界一周旅行や、その他、まとまった時間をとって好きなことをしたいといっても、フルタイムの正社員でいる限り、困難ですよね。

 せいぜい、豪邸を買うか、高級な料理を食べまくるか、毎日高級バーに飲みに出かけるか、旅行のホテルを最高ランクにするか、移動の際にグリーン車を使うようにするか、子供の教育に金をかけるか。

 つまり、今までの生活の延長線で、受けるサービスのグレードを上げる、という方向性しかないのです。

 もちろん、そのことによって生活が快適になるのはいいことなのですが、あそこまで人々の射倖心を煽りたてて宝くじを売っている意味が分からないのです。

 「宝くじを買うとウン億円もの大金があたるんです!」

 でも実際にあたったら、

 「仕事は辞めないで堅実にやって下さいね」

 一体何のための宝くじなんだか

 まぁ、こういうつまらない話になってしまうのも、高額当せん者のなかには、お金の使い方をわきまえておらず、当せん金をスッてしまう人が少なからずいるからだとは思うのですが。

 

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セミリタイア達成者・中川淳一郎氏、この先思いやられるなぁ

 元ネットニュース編集者?の中川淳一郎氏がセミリタイアを達成して、僅か3日(9/2時点)で「悲しい。寂しい」とおっしゃっています。

中川淳一郎氏 セミリタイア3日目にして早くも「悲しい。寂しい」 | マネーポストWEB

 (略)フリーランスとしてのセミリタイア宣言は亜種の「定年退職」といえましょう。そうしたところから、今の率直な気持ちを述べます。

 悲しい……。

 これに尽きるんですよ。

 今からこれじゃ、この先が思いやられるなぁ・・・。

 

目次

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 《東京都奥多摩町:多摩川(左)と日原川(右)の合流点》

リタイア理由について壮大な記事を書いていた中川氏

 中川氏は、「なぜセミリタイアするのか」、結構、壮大な記事を書いておられました。

  これをネタに、私も当ブログに記事をアップしたこともありました。

  つまり、人生には潮時や引き際というものがあるのだ、と。自分にとっては、47歳という年齢がそれなのだ、と。

 この理論が間違っているとは全く思いません。

「自宅が居場所」と言えない人は、多分セミリタイアに向いていない

 でも、僅か3日で「悲しい、寂しい」では、この人はセミリタイアに向いていなかったのかな?と思ってしまいます。

 特に、記事の最後の一文。

それにしても人間関係って本当に大事なんだなァ……。つくづく「居場所」がある有難さを今は感じています。

 居場所って、「自宅」は居場所ではないのでしょうか?

 「リタイア後は徒歩で日本一周するんだ」的な人で無い限り、リタイアした人のホームグラウンドは「自宅」になります。

 自宅という最もスタンダードであるべき居場所を差し置いて、「居場所がある有難さ」というものを語ってしまっているところに、「この人はセミリタイアしてはいけない人だったのかも?」という危惧を感じるのです。

 世間には、家族仲が険悪で、退社後も家に帰れないフラリーマンのような「真の意味で自宅に居場所が無い人」がいるそうです。

 家に帰れない"フラリーマン"の哀しい心情 仕事もないのに休日出勤する人々 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

マーケティングコンサルタントの酒井光雄氏は「マイホームを買い、子供の教育費がかかるため収入を上げようと懸命に仕事をするが、妻子の待つ家には自分の居場所がなく、一人で居酒屋やバーでボーッと無為に時を過ごすビジネスマンは少なくない」という。

 でも、中川氏の場合は、多分そうではありません。実際、次のようにおっしゃっている。

日本一有名なネットニュース編集者が「もう疲れた」と引退を決めた理由 (2/2)

コロナ騒動で再確認するパートナーとの幸せ

今回の新型コロナ禍はまったく想定していなかった緊急事態だが、それでも私が計画どおり、セミリタイアを実行しようと決意できているのは、妻の存在も大きい。

 

 恐らく、「真の意味で自宅に居場所が無い人」とは別に、「そもそも自宅を居場所と捉えていない人」が一定数いる。どんなに家族仲が良くても、自宅も居場所の一形態という観点をナチュラルにスルーして、本来の自分の居場所は自宅の外にあると捉えているわけです。

 こういう人が、セミにしろアーリーにしろ定年にしろ、リタイアして、「居場所とは捉えていなかった自宅」がホームグラウンドになってしまったら、そりゃ、「悲しい」とか「寂しい」という気持ちになるわなぁ。

 一方、日本一有名なネットニュース編集者が「もう疲れた」と引退を決めた理由 (1/2)の壮大な理由記事は、突き詰めていくと「職場に居場所が無くなってきた」ということです。それであれば、なおのこと、代替の居場所として自宅がふさわしいか? 事前にもっと検証する必要があったのでしょう。

先が思いやられる

 冒頭の記事には、他にも気弱な記述が盛りだくさん。

自分が「終わった人」になることがここまでキツいことなのだとは新鮮な驚きでした。


同世代の皆さんがキチンと会社に行き、仕事をしている中、私だけは家でぐーたらしている状況が到来することが予想できるわけです。


この原稿を執筆中の3日目にしてもう不安しかありません。


やはり、「仕事をしている」という状態があることこそ人間には重要なんですよね。


たとえ定年が近づいても無駄に厭世的にならず、その職場を大切にする方がいいんじゃないかな、と思うようになりました。

  たった3日でこれでは、先が思いやられます。今日(10/12)は、それから一ヶ月以上が経過しているので、少しは気分が紛れているのでしょうか?

 それにしても、中川氏はあそこまで大見得を切ってセミリタイアした割に、やっていることって、セミリタイアを大々的に悪宣伝しているだけだよなぁ。いかにも、セミリタイアすると「終わった人」になるみたいに書いているし(ちなみに私のリタイア直後は、「終わったか終わってないか」という概念自体、頭に浮かぶことがありませんでした。「これから始まる」とは考えたけど)。

 私個人はリタイア済だからいいけど、「リタイア適性のある人がリタイアしにくくなる世の中」にはなって欲しくない

 「寂しい、悲しい」ということよりも、

読者の皆様方に対して有益な情報を出せるよう、セミリタイアの身ながら新しい挑戦をし続けなくちゃな、と思う次第です。

という方向性を突き詰めて頂き、ご自身の人生上の選択をもっとポジティブに語ることを期待したいと思います。大丈夫、中川さんはまだ終わっていませんよ

 

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