何かの本か記事かで読んだのですが、「寝る時、翌朝に起きるのが楽しみだ」という趣旨の文章がありました。
確か、この人は自由な生活で楽しみたいことが色々あって、翌日何をしようか、前日、床に就くときからワクワクしている、という文脈だったと思います(残念ながら、出典が見つかりません)。
《東京都青梅市》
リタイアしてからの私がまさにこの気持ち。
まぁ、ワクワクといっても、
- 今読んでいる「ソフィーの世界」の続きはどうなっている?
- 明日は晴れるからサイクリングに行きたいが、どこにいこうか?
- 明日は買い物に行きたいが、どのような食材を買っておくべきか?
- ブログには何を書く?
等の、しょうもないことです。
まぁ、確かにしょうもないことなのですが、おそらく、子供ならこの手のしょうもないことでもワクワクできるのだと思います。リタイアしたことで、精神的に子供に還った部分があるのかも知れません。(でも子供の頃も学校に行くのが嫌だったから同じかな?)
リタイア前も、読書やサイクリングや買い物はしていました。でも、翌日が平日の場合、これらのことよりも先に、
- 明日は出社したら、まず○○を確認して□□さんに報告しないと。
- 明日は○時から△△の作業があるな~、面倒だな~。
- 来週は□□の会議があるから、そこに提出する資料の作成、明日には着手しないとな~。
みたいな考えが浮かんでしまうのです。
寝る時に考えたところで全く意味が無いことなのに!
自分の楽しみは二の次で!
でも、明日は仕事だから出社しなくてはいけない、という状況なら、「明日は仕事」ということは、どうしても意識せざるを得ません。すると、そこからの連想でどうしても上記のような考えが浮かんできてしまうのです。
すると、どんなに読書が楽しくても、その前に果たさなくてはいけない義務(つまり「仕事」)のことが大き過ぎ、「翌日が楽しみ」なんて感覚は持てませんでした。
「日常のささやかな楽しみ」くらいは何にも邪魔されずに楽しみたいのに、「大いなる義務」によってスポイルされてしまうのは、何とも残念なことです。
しかし、リタイア後は、この種の「大いなる義務」が消え失せたためか、「日常のささやかな楽しみ」をそのまま「楽しみ」として受け取ることができるようになりました。
あ~、でも遠くから聞こえてきます。
「そんな生活、すぐに飽きるよ」
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