老子に「足るを知る者は富む(知足者富)」という言葉が出て来ます。「これで充分足りている」「ほどほど」ということをわきまえている者は、たとえ物理的な持ち物は少なくとも、実は富んでいるんだ、豊かなのだ、ということです。
こんなこと、わざわざ言葉にするということは、当時の中国(紀元前6世紀頃)では、既に「不知足者」、すなわち「足るを知らざる者」が存在したことの裏返しです。
それでは「不知足者」は一体何なのか? 興味深い話が仏教に出て来ますので書いてみます。
目次
NHKの番組「こころの時代」
いきなりですが、最近、NHKで禅の特集をやっており、興味深く見ています。
こころの時代~宗教・人生~ 禅の知恵に学ぶ5「いのちをいただく―典座・托鉢」
禅の修行道場の日々を通して、禅の知恵を学ぶシリーズの第5回。僧堂での日常に欠かせない「食べる」ことにまつわる知恵を学ぶ。托鉢や台所での修行で見えてくるものとは。
ここに出てくる禅寺においては、食事中、音をさせてはいけないとのこと(まぁ、このお寺に限ったものではないと思うのですが)。
一般人の食事においても、ペチャクチャ音をさせるのは行儀が悪いと言われますが、もっともっと厳格にやっているようです。
何故、音をさせてはいけないのか?
番組内でお坊様が解説していらっしゃいましたが、ここではNHKのテキストから引用してみます。
NHKこころの時代~宗教・人生~ 禅の知恵に学ぶ (NHKシリーズ)
- 発売日: 2019/03/25
- メディア: ムック
NHKこころの時代~宗教・人生~ 禅の知恵に学ぶ (NHKシリーズ)
なぜ食事のときに音を立ててはいけないか。それは餓鬼が妬むからだと言われています。
子供のことを卑しく「ガキ」と表現することがありますが、その由来となった餓鬼とは一体何なのでしょうか?
仏教の輪廻転生(生まれ変わり)の教えによると、一般には、次の六つの境遇を行ったり来たりしています。上にあるものほど良く、下にあるものほど苦しいものです。
- 天道
- 人間道
- 修羅道
- 畜生道
- 餓鬼道
- 地獄道
NHKこころの時代~宗教・人生~ 禅の知恵に学ぶ (NHKシリーズ)
餓鬼道は、飲食が自由にできず、常に飢えと渇きに苛まれる世界です。地獄よりはましですが、前世の悪行に応じた苦しみが与えられるのです。
つまり、こんなヤツですね。ガリガリで卑しい姿をしています(画像はwikipediaより)。
餓鬼道とはいいますが、天や地獄とは違い、人間・修羅・畜生と同じ地表に存在しています。
だから、我々人間の美味い食べ物、例えば、マツタケ、フカヒレ、あるいは何百万で競り落とされたマグロのトロだってある筈ですが、それを口にすることは出来ない。
NHKこころの時代~宗教・人生~ 禅の知恵に学ぶ (NHKシリーズ)
その餓鬼道に堕ちた者は、誰かが何かを食べる音だけが聞こえるそうです。僧堂で食べる音がすると、「お前たちだけうまいものを食いやがって」と餓鬼が妬みます。
これはつらい。
私が若い頃、ザ・ガマンというバラエティ番組がありましたが、それより遥か以前に、このような演出?が考案されていたのですから、全くオドロキです。
断食・断水(決勝)
決勝戦まで残った数名が、灼熱下などの苛酷な環境で1人を残して全員ギブアップするまで断食・断水を続けるという内容。(略)途中、リポーターが出場者の目の前でうまそうに飲食をする悪魔の様な誘惑を行い、これを目の当たりにして参加者が苦しむのが定番の演出となっており、この誘惑に負け脱落する者が多かった。
ただ、「餓鬼が妬み心を抱く」、そのこと自体が問題なのではありません。
妬み心を持つと、どうなるか。彼らは罪を一つ犯したことになり、餓鬼道にいる期間がその犯した罪の時間の五百倍分延びるのだそうです。だから、食事のときに音を立ててはいけないことになっているのです。
現代日本では、殺人のような極悪の行動であっても「殺意を抱いた」という、ただそのことだけで罰せられることはありません(準備に取り掛かかれば罪になる)。
しかし餓鬼の場合、「妬み心を持った」というだけで罰せられてしまうのですから、大変に辛い世界です。
この後、テキストには載っていないのですが、お坊様が大体、次のようなことをおっしゃったように記憶しています。
餓鬼とは「これじゃ足りない、もっと寄こせ」といった心から生じているもの。つまり、実は私達の心の中にも潜んでいるものなのかもしれない、と。
NHKの番組の話については以上とします。
足るを知らざる者は餓鬼
ところで、餓鬼と一口にいっても何種類かあり、特に「多財餓鬼」なるものが興味を引きます。
無財餓鬼 - (略)
少財餓鬼 -(略)多財餓鬼 - 人の残した物や、人から施されたものを食べることができるもの。天のような享楽を受ける者もこれに含む。多くの飲食ができる餓鬼。天部にも行くことが出来るものは富裕餓鬼ともいう。ただし、どんなに贅沢できても満ち足りることはないといわれる。
つまり、一般的な餓鬼とは違って、メチャクチャ贅沢できる餓鬼もいるということですが、メチャクチャ贅沢できるなら餓鬼ではないのでは?
肝心なのは「どんなに贅沢できても満ち足りることはない」という部分ですね。どんなに財産があっても、高級なものを食べていても、足るを知らざる者は餓鬼なのだと。
問題は、なぜ、多財餓鬼なんてモノが想定されているのか?ということ。
「飢えた鬼」というくらいだから、ほとんど食べることができない無財餓鬼と、ウンコやゲロなら食べることができる少財餓鬼だけ想定しておけば、事足りるように思えるのですが、「裕福な餓鬼」というものを、わざわざ想定するのは、ちょっと考えると不思議。
これは想像ですが、欲の亡者とも言うべき「足るを知らざる者」が、昔から多くいて、彼らをモデルにしたからなのでしょう。
どんなに金があっても名誉を得ていても、まだ足りない、もっと寄こせ、という状態は、単純にモノが食えないというのとは別に存在している「もう一つの飢え」である、という発想なのだと思います。
現代の日本社会は人間を餓鬼にするシステムが満載
「それなら、足るを知るということを覚えて、マッタリ暮らせばいいじゃないか」
と言いたいところですが、現在の日本社会に生きているとなかなか難しいですね。
- 学校ではよりよい成績を収めて、より上の大学や就職先を勝ち取ることが期待される。
- 会社では、常に前年より上の数字を目標値として設定させられる。
- 一流スポーツ選手が「もっと速く、もっと強く」と言いながら、ストイックに練習している映像が流れる。
- CMやマウントなどにより、ある特定の商品を持っていない、サービスを受けていないと惨めだと思わされる。
このような状態で「自分は今の状態で充分満足なんだ」なんて、なかなか言えないもの。つまり、人間を餓鬼にするシステムが満載なのです。
どうするか。なかなか難しいところですが、どこかしらで、線引きをしてみたらどうですかね。人間、行けるところまでしか行けないのだから、「どこまで行けたら自分はOKなのか」を一度考えてみるのもいいかもしれません。
これは、必ずしも「低レベルで満足しろ」と同義ではないことに注意して下さい。
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