50歳で早期退職し、セミリタイア!

私セイルは50歳で早期退職、セミリタイアしました!その思いを綴ります。

定年後にやることがない~「やること難民」は日本社会の根深き病?

 「定年後にやることが無い人」はどうすればよいのか、指南記事がありました。

 定年後にやることがない人はどうしたらいい? | TRILL【トリル】

 「定年退職したら、やることがない」という人は、公的年金額はそこそこ多い、退職金と現役時代に貯めたお金で、当面、生活費の不安がないからでしょう。60歳または65歳で定年退職した後は、25年から30年、あるいはもっと長い人生が残っています。

この時間は、何もしないで過ごすには長すぎると思いませんか? 家でぼんやりしていたら病気になってしまいます。やることを見つけて何かをすべきです。

 書かれていること自体は、「まーそーですねー」くらいのもんですが、定年後にやることが無いという人々、本稿では「やること難民」と称することにしますが、その「やること難民」が多数発生しているのだとしたら、それは日本社会に巣くう根深き病なのではないでしょうか。

 

目次

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 《埼玉県日高市:高麗川駅付近》

「やること難民」は日本社会としての病いでは?

 先の記事で「定年後にやること」として、オススメされているのは、次のようなことです。

  • お金目的ではない仕事をしよう!
  • 趣味・習い事、家事分担、地域活動、ボランティア活動などやることはたくさんある!

 これら自体に異論は無いのですが、ちょっと当たり前過ぎて、何のヒネリも無いな、というのが率直な感想です。

 でも、このTRILLというサイト(「オトナの女性におくるメディア」らしい)の編集部が「記事にすべき」と判断したからこそ記事になっているのでしょう。これを書いている10/6 10:55現在、カウンタは126,998を示していますから、それなりに気になる人が多いネタなんだと思います。

 

 この記事の読者として、金銭面の問題からやりたいことが出来ない、という人は対象となっていないのは、次の記載から分かる。

 「定年退職したら、やることがない」という人は、公的年金額はそこそこ多い、退職金と現役時代に貯めたお金で、当面、生活費の不安がないからでしょう。

 記事には書かれていませんが、病気や怪我などで身体的な制約がある人も、恐らく想定されていない。

 更には、定年になったのだから、時間的な制約も当然無い。

 つまり、制約らしい制約は無い状況。

 それだったら、何か自分の好きなこと・思いついたことをやればいいじゃないか。

 家でTVみたりネットしているだけでも、本人がそれでよければ充分じゃないか。

 どうしても外に出て何かしたいのだったら、マックのバイトなり、シルバー人材センターなりで、働けばいいじゃないか。

 ・・・などと私は思ってしまうのですが、そういう風に捉えられない人が、実は結構多いのかもしれません。

 「人から指南されないと、自分は何をすればよいのかさえ分からない」

という状況は、お世辞にも好ましい状況とはいえない。

 「何もしない」ことが問題なのではなくて、「何かしなくてはいけない」と思いながら、「何をすればよいのか分からない」と悩んでいるのが、よくないという話。

 もし、日本社会でこのような形で「やること難民」が本当に続出しているのだとしたら、これは、社会として病いを抱えている状況ではないか。こう感じるのです。

 以下、その病巣は何なのか、私個人の観察を書いていくのですが、少し話が飛びます。でも、最後には繋がるのでそのまま読み進めて下さい。

アイデンティティと会社・職場が密接に結びついている社会

 海外のことは分かりませんが、少なくとも日本は、アイデンティティと会社や職場が密接に結びついている社会だと思います。

  • (注)アイデンティティという語がどこまで浸透しているものかは分かりませんが、ここでは「自分を自分たらしめるもの」くらいの意味で使っています。

 入社日には、入社式なるものが厳粛に行われて辞令を交付され、以降、自分は「自分である」ということより、「○○社の社員である自分」ということの方が、アイデンティティの多くを占めるようになる。

 「会社員である自分」ではありません。「○○社の社員である自分」です。

 当然、日常生活でも「素の自分」である時間は少なくなり、「○○社の社員である自分」として活動する時間が長くなる。

 土休日は「素の自分」に戻れると思いきや、「○○社の社員」から逃れられるとは限らない。

"在職時の休日"と"日々のリタイア生活"で異なる点

 私の在職時は、前項に述べたように、休日とはいえど完全な休日ではないという感覚が、とにかく嫌でした。

(略)

 せっかく確保した趣味の時間も、一度、仕事のことが頭に思い浮かんでしまうと、そのことを頭から振り払うことができず、真の意味で楽しめない。

 こういう状況が続いて、「○○社の社員である自分」のウェイトが極限まで大きくなったとき、自らのアイデンティティと「○○社の社員であること」は同化してしまう。

 更には、○○社で部長になっていたならば、そのアイデンティティの内容は「○○社の部長であること」となり、「○○社のヒラ社員であること」ことよりも、より強い執着をもたらすものとなります。

やること難民、実は「アイデンティティ難民」

 このような方が、○○社を定年になって、「○○社の社員」「○○社の部長」というアイデンティティを失ったら、何をしたらよいのか分からない状況になっても不思議ではありません。何しろ、それまで人生でやってきたことは「○○社の社員としての活動」がほとんどなのですから。

 でも、単純な「指示待ち族」ではないんです。「○○社の社員」という枠内では、むしろ、他人からの指示を待たずに行動し、あるいは他人に指示する立場であった方々も多いはずです。

 でも、「○○社の社員」という枠の外に出た途端、何をしたらよいのか分からなくなる。というか、何をやったところで、自らのアイデンティティを満たすことが出来ないので、その意味を見いだせなくなる。

 これを打開するためには、「○○社の社員」に代わる、新しいアイデンティティを見つけ、この新しいアイデンティティを充足させるための活動をすることが必要になります。

 しかし、「○○社の社員」というアイデンティティは、それが強いものであれば強いものほど、「○○社の社員」という重い拘束を長年受けてきた結果なのですから、そう簡単に新しいアイデンティティが見つかるとは思えません。

 こう考えると、先には「やること難民」と書きましたが、実は、「アイデンティティ難民」、一般には、アイデンティティ・クライシスといった方が近いのかもしれません。

アイデンティティークライシスとは - コトバンク

自己喪失。若者に多くみられる自己同一性の喪失。「自分は何なのか」「自分にはこの社会で生きていく能力があるのか」という疑問にぶつかり、心理的な危機状況に陥ること。

 

 言うなれば、定年後にやることが無くなって、何か「やること」を探している方は、一見「やること」を探しているようでいて、実は「アイデンティティ」を探している、というのが全員でないにしろ、存外に多いのではないか。

 だから、TVやネット閲覧といった受動的な趣味、あるいは、マックで注文をとったり、シルバー人材として公園掃除するのでは、かつての「○○社の社員」というアイデンティティに代えることが難しいので、困っておられるのでしょう。

 一旦、このような状態に陥った場合どうしたらよいのかは、冒頭の記事のような月並みな話しか出来ないと思いますが、リタイア前であれば、あらかじめ「精神面での仕分け」をしておくことで対策できるかも。

 次の過去記事を参考にして下さい。

  【過去の当ブログ参考記事】 セミリタイア前にしておくべき「仕分け」2種類

 

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