50歳で早期退職し、セミリタイア!

私セイルは50歳で早期退職、セミリタイアしました!その思いを綴ります。

30代でセミリタイアしていたら?と時折考える

 私が本格的にリタイアの検討を開始したのは40代半ば、実際にリタイアしたのはちょうど50歳のときでしたが、そのはるか前の30代の頃に「会社を辞めて自由になりたい」などと思ったことがありました。

目次

 

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 《埼玉県飯能市名栗地区:名栗川》

30代半ば頃にリタイアすることを検討していた

 30代半ば頃にリタイアを検討していたことについては、以前の投稿でも軽くふれています。

私がリタイアを目指した経緯

当時の通帳によると、37歳の時点で残高は2000万円ほどでした。

 「これを元手に、何とか会社を辞められないか…。」

 しかし、ちょっと考えてみて、それはさすがに無理だと思いました。

 (略)

 50過ぎで資金が尽きる計算です。
 当時は今と違ってセミリタイアブログなんてなかったので、「資金が足りない分だけ、投資やバイト等で稼ぐ」という発想もありませんでした。

 

 当時(2007年頃)はブログやSNS、youtubeなどのツールが黎明期であり、仮に少額リタイアをされている方がおられたとしても、その情報が今ほどネット上に出てくることはなかったと思います。

 そんな中で、早期リタイアを検討していたというのですから、個人的にはなかなか先進的だったな、などと訳の分からない自負をしています。

ネット検索をしなかった不思議

 今でも不思議なのは、当時、リタイアを検討するにあたり、ネット検索をしようとは全く思わなかったことです。

 今だったら、何はともあれググるというのは当然の行動ですが、実は当時においても、分からないことがあれば、googleを積極的に活用していました。その流れで、会社を早めに辞めることについても検索してみれば、今ほどではないにしても、何かしら有用な情報が見つかっていたのかもしれない。

 でもそれはしなかった。

 机上の単純計算のみで、リタイアを諦めていたのです。

 何故かと考えるに、結局、「会社を早く退職して遊んで暮らす」なんてこと、ネットで調べる対象とは捉えていなかった、ということなんでしょう。

 ネット検索をするのは、分からない言葉・種々の問題・商品・サービスなど、ある程度定式化されたものが対象であって、「会社を早く退職して遊んで暮らす」といった個人の生き方については、その対象とは、少なくとも私は捉えていなかった。

 セミリタイア・アーリーリタイアといった定式化した概念も、少なくとも当時の日本では一般的ではなかったと思います。

当時、リタイアしていたら?

 でも今になって思うのです。もしあの時セミリタイアしていたら、と。

 実際、今のセミリタイア界には、当時の私より若くて、資金も2000万(当時私が保有していた額)に達していない方がおられます。貧乏生活ではあるにせよ、様々な工夫によって、それなりに楽しそうに過ごしているとお見受けします。

 もし、当時もう少しネット検索して、例えば「バイトや投資などで足りない資金を補填する」というセミリタイアの発想だけでも得ることが出来ていたら、今とは別の人生を歩んでいたのかもしれません。

 まだ当時は若かったですから、資金が2000万円しかなくても、色々と工夫をしてやりくりをし、その結果をブログにアップすれば、今ごろ、貧乏セミリタイアの先駆者として、有名になっていたかも?などと妄想します。

50歳リタイアであっても後悔はしていない

 じゃぁ、結果的にリタイア年齢が50歳になって後悔しているのか?というと、そういうことでもありません。

 例えば、関西への転勤、海外での研修、結婚、戸建の購入といったイベントは、結局、あのとき会社員生活を続ける方を選択したからこそ、経験できたことなので。

 あとは、資金が充分に貯めることができたとか、自転車のツーリングに目覚めるようになった、などもそうですかね。

 30代でリタイアしていたら、それはそれで楽しかったのかもしれませんが、その選択をとらなかった以上、実際はどうなっていたのか知りようがない。一方、50歳でリタイアしたことについては、今が幸せと思えているので、まぁ結果オーライなのかな、と。

 30代リタイアと50歳リタイア、どちらが優れている、ということではなく、その時々の選択によって、その後の人生は大きく変わってしまうんだなぁ、ということを、最近思うようになった、というお話でした。

 

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東京・名古屋「中央線で30分」の恣意性に注意

 私は名古屋にも住んでいたことがあり、東・名の両地を走る中央線について知っているので、次の記事は「ちょっと恣意的だよね」と感じてしまいます。

 どってことのない話ではありますが、こういうのを読むとついつい何か言いたくなってしまうのが、私の悪い癖ですね。

目次

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 《朝の青梅駅(中央線の写真が無いので。。。)》

記事の概要

 中央線は東京~名古屋を塩尻経由で結ぶJRの幹線ですが、東京側・名古屋側から各々30分進んだ場合の沿線風景が全然違っている、というのが上述の記事。

比較したのは東京駅から中央線で30分の三鷹駅(三鷹市)と、名古屋駅から同じく離れた定光寺駅(春日井市)付近だ。

 三鷹駅前には駅ビル「アトレヴィ」やショッピングモール「三鷹コラル」(略)

 一方、定光寺駅は庄内川の渓谷沿いに立地。駅からの景色は川と山、(略)

 なお、元はツイッターの投稿らしいですが、それはここには貼りつけません。

 確かに、三鷹駅と定光寺駅は、それぞれ東京駅・名古屋駅から約30分ほどの駅だし、駅についての解説も合っています。

恣意的だと感じる点

定光寺駅は、中央線名古屋近郊では特殊な駅

 ただ、名古屋側の定光寺駅(および次の古虎渓駅)は相当な自然の中にあるとはいうものの、その前後の駅は普通の市街地・住宅地です。三鷹駅に比べれば落ち着いていますが、対極に位置付けるほど田舎という訳ではありません。

 名古屋周辺の地形と中央線のルートから、定光寺のような駅があるのは事実だけれども、それらは名古屋から数十分程度の区間の鉄道沿線風景を代表しているわけではない

 言い換えれば、名古屋近郊としては特殊な駅である定光寺駅を敢えてピックアップし、平地にある三鷹駅と比較するところに恣意性を感じるわけです。

 三宮駅から地下鉄10分でこんな山奥に!とか、京都駅から嵯峨野線20分でこんな美しい渓谷が!とか、間違ってはいないんだけど、それらと「東京駅から10分・20分の場所」とを比較されたら、おいおいそれは違うんじゃない?と言いたくなってしまうわけです。

東京側の起点を東京駅に設定している

 記事では、東京側の起点を東京駅に設定していますが、中央線において、東京駅は二番手です、ハッキリ言って。

 最大のターミナルは新宿駅。中央線の上りに乗っていると、それまでは満員であっても、新宿でゴソッと降ります。

 新宿駅は世界で最も乗降客数が多く、付近には東京都庁もある。特急も大多数が新宿始発。まさに東京の西側の玄関口。だから、「中央線で30分」の東京側の起点を新宿駅にしても別にいいわけです。というか、むしろそうしないと。

 というのも、中央線の東京~新宿間はS字形ルートになっており、ここだけで14分もかかってしまうからです。「中央線で30分」のうち14分をこの区間にとられているので、そりゃ、三鷹駅までしか行けないわけですよ。

新たな条件設定をしてみる

 ということで、同様の問題に、新たな条件設定をしてみることにしましょう。

 例えば、新宿駅・名古屋駅から特急を使わずに40分以内で行ける駅として、それぞれ西八王子駅と多治見駅があります。

 どちらも、何の変哲もない郊外の駅です。多治見駅の方が乗客は少ないけれども、西八王子駅の対極として扱うほど違いがあるわけでもない。

 更には、新宿駅・名古屋駅から50分となると立場は完全に逆転します。名古屋側は、自然が色濃くなっていくにしろ、人はそれなりに住んでいます。一方、東京側は小仏峠越えでほぼ無人地帯。車窓からは、トンネルの中か山の中しか見えなくなってしまうのです。

おわりに

 もちろん、私の設定した条件にも色々ツッコミ所はあるでしょう。例えば、「東京側の起点を新宿にずらすのなら、名古屋側の起点は千種にずらすべき」とか。それはそうかも。

 ここで言いたいのは、物事は切り取りようによって、いかようにも見せることができるんだ、ということ。「中央線で○分」という、どってことのない話であっても、上記に述べた通り、様々な切り取り方が出来てしまうのですから。

 

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他人ではなく自分のために"一生懸命"生きている

 『あやうく一生懸命生きるところだった』なる韓国書籍の邦訳版が出たそうで。その紹介記事が興味深いです。

「あやうく一生懸命生きるところだった」 会社辞めて知る自由の楽しみ

 会社員を辞めイラストレーターとの二足のわらじ状態から脱した韓国人の著者が、「一生懸命生きない」決断をした顛末などを、ゆるゆる語る。40年の半生でため込んだモヤモヤとそれを解き放ちたかった気持ちには、誰もが共感するはず。

 

 日本で言うセミリタイアですね。韓国も競争社会と聞いていますので、そういう考えを抱く人・共感する人が恐らく一定数いるんでしょうね。著書は読んでいないのですが、この紹介記事をネタに何か書いてみます。

 

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 《東京都檜原村[神戸岩]》

自分のために一生懸命の私

 この本を否定するつもりでは決してないのですが、私自身は一生懸命に生きています。ただそれは社会のため、会社のため、他人のためではなく、自分のため、家族のためというのが、世間一般と違うところかもしれません。

  • 家事をこなす。
  • 家族で楽しく生きていけるため、色々な仕組み作りの努力も怠らない。
  • このブログを書くのもそう楽なものではない
  • 奥多摩や山梨にサイクリング行くのも、ものすごく体力を使う(電動はついているけど)。
  • 昨日は、Wii(古い!)のゲームで高得点を出そうと一生懸命に頑張った。
  • (コロナで中断しているが)趣味の合唱が出来るところを頑張って探している。
  • 難解な書籍を読んでいるが(最近は漢文)、相当に頭を使う。

 

 「遊びや趣味っぽいことが多いけど、それで一生懸命と言えるの?」

 こんなツッコミが入りそう。

 う~ん、遊びや趣味に対して「一生懸命」という言葉を適用してはいかん、なんて日本語の文法・語法には無いはずなのですが。

 でも、自分の楽しみのために努力・精力を費やしても、それを「一生懸命」とは表現しない、少なくとも、社会や他人のためにそれを行うことよりは例外的なものと捉えられている節はありそうです。

 現に、先述の著書の邦題『あやうく一生懸命生きるところだった』に現れる「一生懸命」という言葉は、明らかに、会社や他人のために「一生懸命」になることですからね。韓国語の原題でどう表現しているのかは分かりませんが。

「自分はどうしたいのか」を考えるのが大事

 著書の紹介記事には、要点が5項目にまとめられています。

  • 要点1 結婚、持ち家、車…。本当に必要なのか?
  • 要点2 執着は悲劇の始まり 人生にも「損切り」を
  • 要点3 自分の選択なら失敗体験も有意義
  • 要点4 お金を優先したら一生自由になれない
  • 要点5 人生は答えよりリアクションが大事

 ただ、要点は5つといっても、紹介記事を読む限り、本質的には「自由」あるいは「自らの選択」といった、より少数のキーワードで括れそうな感じです。

 リタイア者にとって、そこまで目新しいことが書いてある訳ではなさそうですが、個人的に興味深いと思ったのは要点3ですかね。

要点3 自分の選択なら失敗体験も有意義

 

(略)我々はたかだか飲食店や映画を選ぶときですら、いちいちネットで評判を確認する。(略)失敗しないと検証された中間以上のものを選んでいるうちに、感性は退化し、いつしか自分の選択が信じられなくなっていく。結果的にそれが最高でなくても、自分で選んだものは記憶に残るし気分をほっこりさせてくれる。自分だけの人生は、いくつもの失敗の上に成り立つのではないか?

 

 これは大事な指摘でしょう。

 勿論、人の体験を参考にして適宜取り入れるのはいいことです。

 ただ、「結局、自分はどうしたいのだ?」ということも併せて考え、自らの感性を磨いていく訓練も必要なのではないでしょうか。「他人様にとって最高なモノ」を無条件に選択していてばかりでは、いつか、他人の人生を生きさせられている状態に陥りかねないからです。

 もちろん、失敗が許されないケースというのも存在しますから、何もかも自分のしたいように出来るとは限りません。自分はこうしたかったが、リスクを恐れて、その行動をとらなかった、ということもあるでしょう。著書の意図とは違ってしまうかもしれませんが、私はそれでもいいと思うんですね。

 ただ、無条件に、「他人様の選択」や「社会一般の規範」を至上のものとして祭り上げてしまうのもどうかな、と思うわけでして。

私のセミリタイアの経験に当てはめてみる

 前項で述べたことを、私のセミリタイアに当てはめてみます。

 もともと、会社で働くのは嫌いで、趣味三昧の生活を送りたい、というのが、偽らざる自分の思いでした。ただ、どうしても先立つ物が必要になりますので、大きなリスクをとってまでリタイアするつもりはありませんでした。

 そのため、決まった給料をもらえ、世間的にも聞こえがいい会社員生活は当面続けたのです。それは流されてそうしていたわけではなく、「いつかリタイアする」という自分の思いは忘れませんでした

 結果的にセミリタイアが出来たのは、その思いがあったからこそだと思います。「他人様の選択」や「社会一般の規範」を至上のものとして捉えている限り、セミリタイアなんて不可能であるどころか、発想さえ出てきませんから。 

おわりに

 『あやうく一生懸命生きるところだった』の著書から発展して、いつの間にか自分語りになってしまいました。セミリタイアに親和性がありそうな本だと思いますので、興味のある方はご一読してもいいのではないでしょうか(私は読んでいませんが)。

あやうく一生懸命生きるところだった

あやうく一生懸命生きるところだった

  • 作者:ハ・ワン
  • 発売日: 2020/01/16
  • メディア: Kindle版
 

 

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リタイア前に二拠点生活していた私、そのリアルを語る

 私はリタイア前のある時期、二拠点生活(二地域居住)をしていました。

 一方で、最近はコロナで都心部のリスクが認識され、地方に目が向いている人もいるそうです(感染拡大中にあまり行ったり来たりするのもどうかと思いますが)。

5割超が地方暮らしに関心あり、東京在住の20代以上の男女を調査

 希望する地方暮らしのスタイルは、都市と地方を往来する「二地域居住」が42.4%、「移住定住」が31.1%、仕事と休暇を両立する「ワーケーション」が24.3%で、(後略)

 

 それにしても、ネット上にあがっている二拠点生活は、いかにもハードルが高そうな方式が多いので、私のようにテキトーなやり方を提示してみるのも一興でしょう。

目次

 

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 《東京都青梅市》

二拠点生活を始めた経緯

 以下の投稿とかなり重複するのですが、二拠点生活を始めた経緯を書いておきます。

50retire.hateblo.jp

 私は職場が東京都多摩地域にあって、40代半ば当時の住居は社宅でした。社宅の立地はよく、通勤面・生活面、双方の利便性を兼ね備えていました。

 ただし、ボロい。家族で住むには狭い。格安の家賃も、年齢が上がるにつれ高くなっていく体系。何年か住んでいると、だんだん出たくなってくるわけです。

 そんな中、ある時突然「50歳でリタイアする!」と決心し、その後3ヶ月ほどで、リタイア後用住居として、青梅市の新築建売住宅を買ってしまったのです。

 リタイアまでまだ5年以上を残すこのタイミングで、早々に家を買ってしまったのは、以下の2つの理由により、気が急いていたのだと自分では分析しています。

  1. もともと、社宅を出て、新しい家に住みたい気持ちが強かった。
  2. まだ見ぬリタイア生活を、住居の形で先取りしたかった。

 何とも拙速ですが、冷静だったことが一つあります。それは、新住居が社宅・職場と同じ東京都多摩地区にあること。

 自然豊かな場所がよかったのは確かですが、コミュニケーション能力に欠け、運転も出来ない私にとって、遠隔地の田舎はあまりにも難易度が高い。自分の身の丈を考えると、この辺りが限界ではないかな、と。

 また同じ多摩地区ということで、新住居から職場を変えずに通勤が可能でした。もし私が独身だったなら、この時点で引越ししてしまったでしょう。しかし都心部に通う妻のことを考えると、すぐに社宅を引き払うわけもいかず・・・。

 正直なところ、その辺、あまり深く考えていなかったのですが(考えろよ!)、家を買ってしまったからには仕方が無い。図らずも、「平日は社宅、休日は青梅の新居」という二拠点生活が、突然に始まったのです。

行き来の交通手段

 原則、毎週土曜のお昼前に青梅へ向け出発、日曜の夕方以降に社宅へ帰還。

 基本は、妻の運転する車で片道1時間~1時間半くらい(時間は道路の込み具合にもよる)。

 毎回、同じコースで行き来するのはつまらないので、気分によって、青梅街道・新青梅街道・桜街道・五日市街道・奥多摩街道・永田橋通りなど適宜コースを変える。

 行きのお昼は、村山かてうどんを食べるのが楽しみ。讃岐うどんばかりがうどんではありません!

m-udon.com

 村山うどんを食べたら、また車に乗り、スーパーに寄って食糧を調達し、新住居に到着。

 妻が行かれない場合は、私一人で鉄道で行きます。土日だと、大体30分間隔で出ている。各駅停車なので、運賃は数百円ドアツードアの所要時間は、車と同じ1時間~1時間半くらい

 同じ多摩地域を行ったり来たりするだけなのですが、これでも、毎週となるとあまり楽なことではありませんでした。

 まして、仮に遠隔地だった場合、時間もかかります、交通費もかかります。これを毎週・隔週で続けられるのか。遠隔地に憧れがある方は、この辺、よく考えた方がいいと思います。

 自信の無い方は、普通電車で1~2本、あるいは私鉄特急、車なら一般道だけで行けるくらいの距離感で考えたらいかがでしょうか。新幹線や高速が必須という場所は、相当に難易度が高いと思います。

近隣住民との交流

 二拠点生活の記事においては、地域住民との温かい交流が強調されることが多いです。

 記事を書いている方は、それが醍醐味のように考えている節がありますが、実際、読む方からすると、知らない人とあれだけの交流が出来るだけのコミュ力が自分にあるのか?不安になる方は少なくないはずです。

 ただ思うに、ああいう記事に登場する方というのは、もともとコミュ力があるからこそ「記事に登場してくれないか」とオファーがかかるのです。つまり、内容的に偏っており、あのスタイルが二拠点生活を代表しているとは限りません

 私の場合、二拠点生活を始める際、近隣の方に挨拶しましたが、温かい交流などは特にありません。地域のお祭りなどは開催されていますから、温かい交流を求めて積極的に人と関わることは可能です。でも、自分から求めなければそれっきりです。

 ただ、あまり地域で何もしないのもどうかなと思ったので、一応、自治会には入りましたが、活動らしい活動はしていません。自治会に入るか入らないかは自由であり強制ではないとおっしゃっていました。

 ちなみに、自治会に入らないとゴミ捨て場が使えない市町村があり、このことで揉めることがあるそう。

www.asahi.com

 でも青梅市は、戸別回収なので、そもそもゴミ捨て場というもの自体が存在していないのです。

生活

 「田舎なんて旅行で行けば充分」的に言う方は多いですが、一つの地域に根付いて、そこで生活することの楽しさは旅行では味わえません

 荷物を毎回持って行かなくてもいい。宿の予約は不要。食事は自分達で作る。観光客目当てのハコモノは数が限られすぐに飽きるが、むしろそこからが本番。本当に素晴らしいものはそれ以外のところに無数にあることが発見できます

帰還

 何といっても辛いのは、日曜の夕方に帰還しなくてはいけないことですね。

 特に冬などは日が短く、周囲は真っ暗。そんな中、片側2車線の排気ガスくさい道路で帰るときの絶望感ったらない。

 「あ~あ。これからあのボロ家に帰って、明日からまた仕事かぁ。。」

 いうなれば、サザエさん症候群をより強烈にした感じ

 二拠点生活の記事では、こういうとき、「明日からまた頑張るぞ!」みたいに感じている人が多く登場します。でも私は、とてもそんな前向きに捉えられませんでした。

住宅について

 私の場合、社宅が格安で、購入した戸建も支払い済みだったので、双方合わせても住居費は大したことがありませんでした。

 ただ、二拠点生活が肌に合わない場合、あるいは新たな地域がイマイチだった場合も想定すると、いきなりの購入はリスクが高いのは事実。

 そこで皆さんが二拠点生活をする場合、最初は賃貸で様子をみることをオススメします。賃貸が豊富な地域は、それだけよそ者の参入障壁が低いってことでもあるし。

 青梅市山間部は5万も出せば、結構広いアパートが借りられます。奥多摩町や、山梨県丹波山村/小菅村など、より難易度の高い地域に住むための予行演習としてもよさそうです。

 

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小池氏、都知事当確

 小池百合子氏が、2位以下に圧倒的大差をつけ、都知事に当確したもよう。

 辺境ではありますが、一応、東京都に住んでいますので、都知事選の選挙権はあります。恥ずかしながら、小池氏に投票。でもここまで圧倒的なら、泡沫候補にいれてもよかったかな? 何しろ私はマック赤坂や、N国立花氏などに投票実績があるもので。

 故・又吉イエス氏や故・羽柴秀吉氏、外山恒一氏などもなつかしい(分かるかな?)。

 

 それはともかくとして、現在の東京都のコロナ対策が万全でないことは、前回も述べた通り。

50retire.hateblo.jp

 それでも小池氏に投票したのは、結局、都知事を変えたところで、コロナの現状が大幅に改善するとは思えないから。

 山本太郎氏とかになったら、かえって混乱に拍車をかけることになりそう。

 宇都宮氏は良い人そうなのだが、バックの政党を見たらとてもだけど食指が動かない。

 

 とにかく、コロナの面倒臭さは筋金入り。店舗や自営業者に配れる金も無限にある訳ではないのに、あまりばら撒きを強調されると、ひく。

 オリンピックは、個人的には中止にしてもらっても一向に構わないんだけど、世界中が相手であること、それまでの莫大な投資がチャラになってしまうことなどを考えると、今の段階で安直に中止とか延期とか言い出せる段階にはない、というのが順当。

 結局、この辺のバランスが取れている人ということを考えると、消去法になってしまうが、現職しかいない、という結論。

 望むこととしては、コロナに対しては、ポイントを絞って強力な対策を打ってほしい、といったところ。

 

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コロナ感染者数増加。おい東京!

 東京都の感染者数のトレンドは「増加基調」。先日はついに100人突破。東京に次ぐ規模の大阪でさえ、こんなことにはなっていません。

 このままでは、東京に引っ張られて、周辺の県、ひいては全国各地で第二波が襲ってくる。

 結局、東京のためにみんながヤキモキしている。このことを東京の人は分かっているのだろうか、都庁や政府を含めて。東京都の辺境に住んでいる私は、心配しています。

目次

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 《東京都千代田区》

こうなるとは思っていた

 ものすごく古いネタですが・・・

   

 

 「おい東京、何とかしろよ~ぉ!まじでよぉ!」

 「東京アラートってレベルじゃねーぞ!」

などと 揶揄したくなります(分かるかな?)。

  まぁ正直、いずれこうなるとは思っていました。

コロナ第2波?「本降りになって出て行く雨宿り」

 徐々に自粛が緩んで、感染者が再増加に転じるのだろうな、ということは、前々から想像しており、(略)

今後は「周囲の会社はみな出勤してしているから、コロナは恐いけど、自分達も出勤しなくてはダメだ」みたいになっていくのかもしれません。例え、周りで感染者が出まくっていたとしても。

 満員電車もかなり復活しつつあるみたいですし(満員電車そのものが感染源というより、密が復活していることの指標として)、あんなに夜の街、夜の街と騒いでいながら、都は注意を促すだけで止めることができない。

 夜の街を起点として、その家族・友人へ。その家族・友人から同級生や同僚へ。

 都心を起点として郊外や地方へ。

 まぁ、以前と違って、リスクの高い所の検査がかなり積極的に行えるようになったから、前回と同様に見ることができないということはあるものの、増加基調であることには変わりはない。

 この増加基調、人の動きが変わらないと止まることはない。

 感染症の増加のペースは指数関数的。指数関数の特性として、くすぶっている段階ではさほどでないが、臨界点を突破すると一気に増加する。

 そして、増加基調がこのままだと、いつかは臨界点に達するときが来る(下記グラフの(0,1)の点の前後の傾きに注意)。

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 くすぶっている段階でしっかりとした対策を打つのが、結果的には、人的被害も経済的被害も極小に抑えられる。でも、くすぶっているだけだと「まだ大丈夫だ」と甘くみてしまいがち。臨界点を突破してから、極限まで厳しい対策を打っても効果が上がらないのは、欧米で見た通り

 100人突破したことで、今後は警戒感が強まっていくことを望んでいます。

結局、東京次第ではないか

 特に、東京の感染者数は指数関数的な軌道に乗りつつあります。

 少し感染状況が良くなったからといって、あの異常な密集状態を復活させてしまえば、どんなに対策を取ろうと、感染者が増えるのは当たり前なわけで。

 そして東京と郊外・地方とで行き来が発生すると、郊外・地方での感染リスクが高まってしまう。

 東京(特に都心部)が密の状態を復活させたり、夜の街とやらを守るために、地方の人々が付き合わされている

 感染をこれ以上増やさないために、東京はもっともっともっともっと実効的な対策をとってもらわないと、日本全体が共倒れするのではないか

 結局、東京次第なのです。

「東京菌」扱いされるのは故無しという訳ではない

コロナで東京人への風評被害続出 “東京菌”扱いで葬儀にも帰れず…

「平時には意識されませんが、実は日本社会にはいまだに“ウチ”と“ソト”の間の壁があり、特別なことが起こると、それが“ヨソ者”を排除する力として作用する。今回も連日の報道で『東京=コロナ感染者』という度を越したイメージがつき、いわば中国での『武漢出身者』と同種の視線が向けられている。『ケガレたヨソ者を排除しよう』という心理が働いていると思います」

 こんなことは日本に限ったことではありません。感染拡大の初期の頃、欧米人はアジア人をコロナ扱いして迫害していましたよね。

 未知のウィルスに対して、防衛本能が働くのは当たり前のこと。東京との往来に敏感になることに、ウチとソトの理論を持ち出す必要なんて全くありません。

 マスコミなどでは「自分は感染者だと思って気をつけて下さい」とさんざん言っているのだから、必然的に、他人も感染者だと思って気をつけることになるのに、これについては何故か差別とか風評被害の扱いになってしまうのが不思議です。葬儀に行けないのは気の毒だけど、状況が状況だけにやむを得ない話。

 しかし当の東京は、自分達が日本の感染拡大の中心であるという自覚が充分でなく、だからこそ地方の人がヤキモキしているのに、「東京菌扱いされたー」と被害者意識。

 地方がヤキモキしているのは、東京がしっかりしないからなのに、そのことを棚に上げて、地方を閉鎖的な田舎扱いしている記事やコメントを見かけると、全くやるせない気持ちになります。

 この現状を見るに、「東京菌」扱いされるのも故無きことではないのかなと。

 本当にしっかり対策をとってこの結果ならともかく、本降りになってからどんどん雨宿りから出ていく状況を見ていると、少しは自分達の行動も考えろと言いたくなりますね。

 

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コンビニ売上減少・・リタイア後は私も行かなくなったな・・

 テレワークでコンビニの来店者・売上が減少とのこと。

来客数激減…リモートワーク定着でコンビニ経営は曲がり角|日刊ゲンダイDIGITAL

 大手3社が公表した5月の来店客数(既存店ベース)は、セブン―イレブンが前年同月比17・0%減、ローソン同20・8%減、ファミリーマート同19・9%減と、軒並み2ケタ減に沈んだ。

(略)
 「コンビニはどちらかといえば1人分の総菜が中心です。コロナ禍では家族4人分など多人数の食事を購入する人が増えているので、スーパー利用が急増したようです。その影響は大きい」(前出のコンビニ関係者) 

 

 そういえば、私は奇しくもコロナ本格化とリタイア時期が重なった訳ですが、やはりコンビニの使用頻度は相当に減っているので、このニュースは納得です。

 

目次

 

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 《東京都青梅市・・魚を鳥から守るためのカカシ》

リタイア直前、昼食はコンビニがデフォだった

 リタイアする直前、私の昼食はコンビニがデフォルトでした。

 もっとも、会社の食堂や飲食店、弁当販売などを利用することもできて、実際のところ、そちらの方がコンビニよりおいしいかった。

 にも関わらず、コンビニを利用していたのは、昼休みはなるべく多くの時間を席でゆっくりすることに充てたかったから。

 食堂にしろ弁当販売にしろ飲食店にしろ、昼休みになったら、必ず一旦は外に出ないといけない。休憩時間は1時間しかないのに、10分とか20分、食糧の確保だけで費やされてしまう

 若い頃はそれであっても、おいしいものを食べようと外に出ていたのですが、段々、席でゆっくりすることの方を優先したくなった

 その結果、最終的に次のスタイルが確立されたのです。

  • 朝、会社の最寄駅に到着
  • 会社への経路途中のファミリーマートで、おにぎり2つとダブルピーナッツのコッペパン(これはうまい)を調達。飲み物は水筒利用なので買わない。
  • 昼休みに突入したら、即それらを食べる。併せてネットサーフィン。
  • 食べ終わったら、午後が始まるまで昼寝する。

コンビニの需要は、忙しいサラリーマンに支えられていた

 職場には多くの人が働いていて、様々な昼食の選択肢の中、コンビニを選ぶ人も多かったので、需要は相当なものがあったと思います。

 私は、昼食の費用は500円以内という縛りをかけていました。月間にすると1万円ぐらいですかね。それくらいの金をコンビニに費やしていました。

 他の同僚は、1回の買い物でもっとお金を使うでしょうし、毎日、昼休みのために数百人が買い出しに出かけるとなると、私の職場のコンビニ昼食だけで月間数百万円の需要となります。

 夕食についても、忙しい単身者などはコンビニをよく使うだろうし、ついでに(スーパーに比べて割高な)飲み物などを買いますよね。こんな人が全国で何百万もいると、一日で何十億という額になります。

 このように、忙しいサラリーマンの、何とかして食料調達の手間を簡素化したい、という需要に、コンビニは支えられていたのでしょう。

テレワークの影響

 特筆すべきは、コンビニ飯の需要の多くが、「便利さ」によるものであって、「美味しさ」という食事本来の性質によるものではない点。

 いや、コンビニ飯の全てがまずいというのではありません。パンやデザートはまずまず。おにぎりもまぁ食える。

 でも、弁当や麺類はどうかなぁ。「作り立てを食するからこそ美味しい」という食品を、「冷めて何時間も経ったものをレンチン」では限界があるんじゃないかなぁ。セブンイレブンはおいしい、というコメントを見かけますが、作り立てのご飯に比べれば、五十歩百歩ではないでしょうか。

 とにかく、コンビニ飯が盛況だったのは、「美味しさ」よりも「便利さ」による所が大きかった。だとすると、テレワークなどで食事の裁量が広がって、「便利さを享受したいという前提」が崩れてしまうと、コンビニ需要は当然のように減ることになります。

 もし本当に、セブンイレブンの弁当が美味なのならば、テレワークしていても、デパ地下的な立ち位置が確立され、4人家庭でセブンが利用されてもいい。

 3密の飲食店に代わるものとして、自宅でコンビニ飯という選択をしてもいい。

 その結果、ビジネス街での売上は落ちても、住宅街での売上は上がり、トータルではそこまで減らないはず。

 にも関わらず、4月の売上は大幅減。

 つまり、コンビニ飯というのは、これまで「便利さ」という下駄を履くことで、食事としての品質がやや劣り、コスパが悪くても盛況だった。それが、テレワーク等により、食事本来の実力、あるいは値段などで勝負する場面が多くなると、売上は落ちざるを得ない。そういうことなのだと思います。

 まぁ、最近は自粛解除で、多くの職場で出勤が再開したみたいなので、コンビニの売上は回復するのでしょうが。

私もリタイア後はコンビニに行かなくなった

 上述の通り、働いていたときは毎日のようにコンビニに行っていた私も、リタイア後はほとんどコンビニへ行かなくなりました。

 もともと朝夕は自炊でした。そしてリタイア後は昼食まで自炊に切り替えた結果、コンビニへ行く機会がかなり限定的になったのです。自宅の周囲は田舎とはいえ、コンビニくらいあります。でも使わないんです。

 自炊の昼食はごく簡単なもので、コンビニ弁当よりも質素なメニューです。例えば、卵やハムを焼いたりとか、パスタとか、そんなもん。

 でも、「作り立てを食するからこそ美味しい」という質素な食品を、その通りに、作り立てで食べる。これが、豪華なレンチン弁当よりも圧倒的においしいんですな。

 レンチン弁当だって、作り立ての味に少しでも近づけるために、色々と対策はとっているだろうに。でも、そのことのために、どれほどのコストがかかり、どれほどの不純物が入っているのだろうか。

 月並みですが、何かを引き換えにしてようやく成り立っている便利さ、そのことが、コロナによってよく見えるようになった、ということです。

 

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世帯年収300万台では幸せになれない!と力説する人達

 またまた年収論。

  「年収300万台の世帯でも過半数は幸せと感じている」という記事内容ですが、より興味深いのは、そこについているコメント。年収300万台では幸せにはなれない!と力説している人が少なくないのです。

 幸せの形なんて人それぞれなのに、彼らにそこまで言わせるものは、一体、何なのでしょうか。

 (注)当初はyahooの記事をリンクしていましたが、リンクがきれたため、内容が同じの別記事に差し替えました。以下に登場するコメントはヤフコメに載っていたものです。

 

目次

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 《誰もしらない青梅駅マスコットキャラ「おめにゃん」》

記事内容について

 まず、記事内容を簡単にまとめておきます。

 世帯年収300万台の人に幸せかどうかアンケートをとったところ、「とても」が3.6%、「どちらかというと」が50.8%。合計すると過半数が幸せに感じている。

 年収というのは幸せ感を醸成する一要素だけれど、それだけで幸せは計れない。

 収入・地位・所有物といった「地位財」よりも、愛情・人間関係・生きがい・健康などの「非地位財」を重視する方が幸せを感じやすいのだから。

 また、「幸せだ」と答えた人の理由としては、「健康状態」や「趣味の充実」「夫婦関係」「子供との関係」など。

 そこまで目新しい内容ではないが、取り立てて否定する内容でもなさそうです。

世帯年収300万円台。そこまで絶望的ではない(人にもよるが)

 世帯年収1000万円でも苦しいといっている人がいるくらいですから、300万円台が相当に少ない部類なのは事実でしょう、特に子供がいる方々にとっては。

50retire.hateblo.jp

 でも一方で、そこまで300万台は絶望的な額なのか?というと、それは人や環境によると思います。

我が家の場合

 例えば、ウチ。私がリタイア後も、妻一人のみで世帯年収300万台を優に超えてはいますが、夫婦あわせて年間200万円くらいしか使っていないのが現実(持ち家・子無しというのもありますが)。

 でも、お金を使ってないから不幸だと感じたことは一度も無い。もっとお金を使うという選択肢はあっても、その必要性を感じない。

手取り年収280万の世帯を想定

 世帯年収300万円台なら、手取りは、例えば280万円と想定してみます。彼らの支出が年間200万なら、それだけで毎年80万円貯金できてしまう。40年で3200万。

 更には、世帯年収300万台であれば収入の伸び代はまだあります。夫婦揃って年間200万円稼げば世帯では400万に達するのですから、コロナの世の中とはいえハードルは高くありません。リストラされたとしても、次の仕事を同程度の収入で探すことは難しくありません。

ポイントは住居費

 個人的な見解では、家計の最大のポイントは住居費にあります。郊外や地方、実家暮らしなど、住居費を安く済ませる方法はあります。全てを都心部(特に東京)を中心に置く思考に凝り固まっていると見えてこない、というだけです。

 とにかく、住居費を安くあげることに成功すれば、世帯年収300万円台というのは、贅沢は出来ないにしても、生活の難易度がものすごく高い、という程ではありません。特に300万円台後半の380万、390万もらっていれば。

 そのようにして生活の地歩を固めた上で、記事にある「非地位財」が構築できているのであれば、そこに幸せを見出すというのも人や環境によってはあり得ることです。調査では、そういう方々が「幸せ」と答えているのでしょう。

それでも年収300万円台では幸せになれない!

 ところが、記事のコメント欄には、賛同する意見もある一方、辛辣な意見も並んでいます。いくつか例を挙げると・・・。

お金がなくても健康なだけでとか、好きな人と一緒にいれるだけで幸せだと自分に言い聞かせるかも。負け惜しみ的な。

 いくら年収が低くても、それをカバーするために、いちいち「自分は幸せだ、幸せだ」と言い聞かせるなんて面倒なことするわけがない。大体、負け惜しみって、誰と勝負しているのよ

現状打破や成長を放棄して上を見ないで下だけ見てたらまぁ300万でも幸せだと思うよ

 現状打破して成長を志して上を見て、その結果得られる幸せって、何なのですかね? 年収1000万を得ている世帯でも不平不満ばかり言っている人は少なくないですよね(世帯年収1000万円でも不満な人々が集う掲示板参照)。

まず世帯年収が低くても幸せな人は、それがある程度の収入のある人間が君たちの代わりに払った税金のお金であることを理解した方がいい

 私はリタイア前は、300万など優に超える額をもらっていましたが、こんなことを考えたことがありませんでした。上には上がいるわけだし、こんなこと言ってよいのは、税金だけで何千万・何億と払っている人だけでは?

 それに、自分の生活が成り立っていること、そして(リタイア前は)自分がこれだけ収入を得られていることは、見えないところで薄給で頑張ってくれる人が多いからなんだろうな、ということを思い合わせると、ここまで傲慢になれる感覚って不思議に思えてきます。

やはり批判する人は幸せでない人が多い?

 前項のような、ひねくれた解釈を読むとき、そのようなコメントをする人は、きっと幸せではないのだろうなと、こちらもひねくれて解釈してしまいます。自分が不幸なので他人の幸福が許せない、というか。

 もっと言ってしまえば、「年収1000万あるウチがこんなに苦労しているのに、たかが300万ごときで幸せだなんて、そんなことあり得ないし、そんな幸せまやかしだ!」的な。

 確かにお金で齷齪(あくせく)することは、幸せを減ずる要素なのは間違いありません。

 でもそれは、収入の多寡そのものよりも、収入に比しての支出額のほうがポイントになるはず。どんなに収入が多くても、入ってくるだけ使っていたら、それは苦しいでしょう。

 冒頭の記事のポイントは、幸せは「地位財」よりも「非地位財」の方にある、ということですが、これまで多額のお金を費やして「地位財」を得ることに汲々としてきた方々にとっては、そんなこと認められるはずがありません

 でも今は、インターネットで無料・安価で得られる娯楽が多いです。また、無料・安価で楽しめるスポットの情報もインターネットで得られます。

 つまり、低収入でも生活をある程度楽しむことは出来るようになっています。

 だとすると「地位財」の重要度は昔よりも下がっているはずだと思うのですがいかがでしょうか。

 

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満員電車を避ける、これが私のポリシー

 最近、自粛解除で満員電車が復活しているとか(もう私は通勤してないので詳細は不明)。

 満員電車が好きな人はいないでしょうが、東京都心部へ用事のある場合、どうしようも無いということで諦めている方が多いのかもしれません。

 でも、これまで私は何とかして満員電車を避けるように動いてきました。

目次

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 《東京都青梅市》

電車に乗る際のポリシー

 これまで生きてきて、電車に乗ること多数回。気が付いたら、私が電車に乗る際は、次のようなポリシーが出来上がっていました。

  • 満員電車は出来るだけ避ける
  • 出来るだけ座っていく
  • 上記2項のために最大限の努力を払う(一本待つ、空いている各停や始発を利用する、間もなく下車しそうな着席者の前に立つ、など)。

 もちろん、余儀なく満員電車で立ちん坊という最悪のケースもありますが、大体は、どうにかなっていますね。

 以下、具体論です。

郊外の職場に「下り電車」で通勤する

 狙って職場を郊外(東京都多摩地区)にしたわけではないのですが、結果的に、人生を通じての快挙、ということになりました。

 中央線の上りが大変なことになっている時間帯に、下り電車で優雅に通勤。座れるほどではなくとも乗車率は100%未満で、乗車時間も10分未満。

 毎日のことですから、これは大き過ぎる

 あそこまでして都心部に職場を集めまくって、それをありがたがる人が多い。全く不思議なことです。

始発駅・各駅停車の利用

 大阪で仕事をしていたときはこれでした。

 当初の最寄駅は、新大阪駅。梅田・難波・天王寺方面の始発が多数出ているので、狙ってこの駅を選びました。もちろん、楽勝で座れました(でも、帰宅時は中津行きが・・・)。

 その後、阪急京都線桂駅周辺に引越し。京都市内の桂から大阪までは遠いので、特急や快速急行といった種別を使うのが普通ですが、これだと座れないので、私は時間がかかるのを覚悟で各駅停車に乗っていました。

 例えば、「桂7:56の快速急行で梅田着8:38」ではなく、「桂7:27の各駅停車で梅田着8:35」といった塩梅。

 30分も早く家を出なくちゃいけませんが、私は、42分間立ちっぱなしよりも、68分間座れる方を選ぶ。座れれば、身体的に楽なのは勿論、読書なり、数学の問題を解いたり、居眠りをしたり、ということが落ち着いて出来るから。

 帰りは、梅田始発なので、特急でも余裕で座れました。

 ちなみに東京だと、上野東京ラインなるものが出来た結果、着席して帰宅することが難しくなってしまったとか。

青梅引越し後

 青梅引越し後も、始発駅たる青梅駅の利用により、立川、都心方面へは座って行くのが基本です。

 ただ帰りは、必ずしもそうはいかないのがツライところ。中央線の始発駅たる東京駅、西武新宿線の始発駅たる西武新宿駅などを上手く利用することを考えたいですね。

 まぁ、リタイア後は、コロナの件もあって、一回も電車に乗っていないのですが。

「引っかけ始発駅」に注意

 例えば、中央線に乗っているとよく「豊田行き」を見かけます。

 終点の高尾駅よりも何駅か東京寄りの途中駅ですが、「豊田行き」が多いことに引っ張られて、「豊田に住めば座って通勤できるんじゃ?」と考える方がいらっしゃるかもしれません。

 でも、それは再検討した方がいいです。

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豊田(東京)駅 時刻表|中央線|ジョルダン

6~8時台の上り始発列車は、6:01、6:22、6:27、6:56、7:17、7:33のみ

 立川駅

立川駅 時刻表|中央線|ジョルダン

6~8時台の上り始発列車は、8:06のみ

 武蔵小金井駅。

 武蔵小金井駅 時刻表|中央線|ジョルダン

6~8時台の上り始発列車は、6:04、6:34、8:04、8:19、8:33、8:42のみ

 途中駅からの始発列車、意外に少ないですね。これは競争率が高そう。

 始発列車に乗れることを期待するも、本数が少ない等で、なかなか始発列車にありつけない途中始発駅のことを、個人的に「引っかけ始発駅」と呼んでいます。

 結局、中央線については、終点の高尾駅で折り返す列車が基本ということ。特に朝の通勤時間帯は。

 途中駅止まりの下り列車がいくら多くとも、その中には、終点到着後、折返し上りの始発列車ではなく、回送列車となってしまうものが結構多い。その結果、実態以上に始発列車が多く運転されているように錯覚します

 中央線に確実に座って通勤したいなら、月並みですが、高尾駅にしておくのが無難かも(もしかしたら、高尾からほどない、西八王子、八王子あたりなら座れるかも)。

 え~、そんな遠くから?と思うでしょうが、「近くて立ちっぱ」よりは「遠くて座れる」方が絶対楽!(・・・と私は思っている)

 それが嫌なら、八王子、三鷹、吉祥寺、荻窪など、並行路線や私鉄の始発駅にしておくか。

 始発駅に住もうと思っている方は、乗ろうと思っている時間帯に、始発列車が使えるだけの本数出ているのか、前もって時刻表を確認するようにして下さい。

 

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孔子の教え「暇が辛いならゲームでもしていろ」ありがたくその通りにしよう

 ― 無職になると、退屈過ぎてツライ。

 こういう話が巷に満ち溢れています。定年退職された方、勤め先を解雇された方。また、一部にはセミリタイアの方からも聞こえてきます。例えば・・・。

40代でセミリタイヤしたら暇すぎた。 | 生活・身近な話題 | 発言小町

この調子ではぐだぐだ生活するだけ。かといって誰かに一日を拘束される生活に戻るつもりはないのですが、なんというか幸せ過ぎて暇過ぎて飽きました

  仕事をしていない、ただ退屈なだけの時間をどうやって時間を潰すのか?

 この永遠の課題について、古代中国の聖人が指針となりそうな言葉を残してくれています。

目次

 

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 《東京都瑞穂町》

孔子先生、ゲームで暇をつぶしすることを勧める

ある『論語』の言葉

 いきなりですが『論語』です。

子曰、飽食終日、無所用心、難矣哉。不有博弈者乎、為之猶賢乎已。

 

先生(孔子)がおっしゃった。

「一日三食、満足に食えるのはいいんだけど、何も心を働かせることが無いというのはツライことだよね。サイコロ(博)とか碁(弈)というものがあるじゃないか。何もしないよりは、そういうことをしていた方がいいよ。」

 サイコロや碁といった娯楽が紀元前500年頃には既に存在していた、というのは驚きですが、更に驚きなのは、孔子という偉い人が、暇つぶしとして、これらの娯楽を推奨していた、という事実です。

 というのも、孔子という人は、仁や義、礼といったものを学問を通じて学ぶことを説いていた、いかにも堅苦しそうなイメージのある人だからです。

 現代風に捉えるなら、無職・ニート・セミリタイア・ひきこもりといった人達に対して、

 「食っちゃ寝ばかりしていないで、資格をとるなり、職安に行くなりしなさい」

などと口うるさく言いそうなところ、

 「退屈でツライなら、ゲームでもしていたらいい」

と、随分、ユルイことをおっしゃる。

暇なときでも「有意義なこと」を探し回っている現代社会

 現代日本では、休日においてさえ、自己成長だったり、人との交流だったり、そういうことのために、「何か有意義なことをしていなくてはいけない」みたいな、(私に言わせれば)強迫観念みたいな考え方が行きわたっています。

 そういうことが身に染みついてしまっている人が、仕事を退職したりすると、新たにその「有意義なこと」を見つけ出すことが出来ず、結果、暇を持て余す人が続出しているようです。

 例えば、TVゲームなんかも別に悪くないはずですが、「有意義なこと」とは見なせなくて、それに時間を費やしてしまうと罪悪感を感じ、「これではいけないのではないか」などと考えてしまう。

娯楽の重要性を説いた孔子

 でも孔子先生によれば、そうではないんだと。何もしないというのはさすがに辛いけど、サイコロ遊び程度のものでもやっていれば、心がリフレッシュできるんだと。

 通常の論語の解説書などでは、仁や義などの説明に力点を置いているため、上記の一見堕落したような言葉はほとんど無視されています。でも私は、古代社会において、娯楽の重要性をいち早く指摘した、注目すべき言葉だと思っています。

孔子先生は、「ニート状態」にあった

 前項の言葉が、どのようなシチュエーションで発せられたのか、『論語』には何も書かれていませんが、娯楽に偏見を持っていたら、絶対に出てこなかった言葉でしょう。個人的には、孔子先生自らの無職時の経験に基づいているものと確信しています。

 以前も述べた通り、孔子先生は、当時の王様に仕える家臣を務めていましたが、クビになったり自ら三下り半を叩きつけたりして、無職の時間がかなり長かったようです。

50retire.hateblo.jp

 もっとも、弟子に学問を教えていたので、完全な無職ではなかったのでしょうが、ニート的な状態に置かれていた期間がそれなりにあったことは確かです(求職はしていたので「ニート的な状態」と、ややボカしたに表現しています)。

 時にはヒマ過ぎて、食うしか能の無いウンコ製造機の状態に陥って、これでいいのかと苦しんだときもあったのでしょう。

 そういうとき、孔子先生の心を慰めたのは、堅苦しい学問ではなく、サイコロや碁のような娯楽だった。

 また、孔子先生の弟子だって、順調に士官できているとは限らないから、自らの経験に基づいて、暇の潰し方をアドバイスした。

 孔子先生ほどの人でさえ、ゲームで暇潰ししていて、しかもそのことを肯定的に話している。今、暇を持て余している人も、何ら悪びれることなく、TVゲーム(には限らないですが)などにいそしめばいいと思います。

元祖・ツイッターであった孔子先生

 ちなみに、『論語』の文章は、そのほとんどが上述のような断片的な会話から成り立っています。しかも会話の相手は、王様とか他の家老ではなく、弟子がほとんど。気楽なおしゃべりなのです。

 日常生活で自分の気づいたこと、思ったことを短くつぶやいて弟子に拡散した、という点では、現代のツイッターに通ずるところがあります。元祖・ツイッターといってもよいかもしれません。そして『論語』は弟子たちによるリツイートの記録でしょうか。

 ただ、基本的には、『論語』は君主や父兄に忠実に仕えろ、というトーンなので、リタイア者にはあまりオススメできる内容ではないことは言っておきます(本稿で紹介したような面白会話が飛び出すこともたまにはあるのですが)。

 リタイア者にオススメなのは漢文だと『老子』『荘子』、日本古典だと『徒然草』『方丈記』などの隠者文学です。大穴として『菜根譚』を挙げておきます。

[決定版]菜根譚

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  • 作者:守屋 洋
  • 発売日: 2014/12/19
  • メディア: Kindle版
 

 

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時間を金で買う vs 自分でやって自由を得る

 厚切りジェイソン氏、実はFIREを達成していたとは知りませんでした。詳しくは、次のサイトに書いてあります。

money-bu-jpx.com

目次

 

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 《東京都あきる野市[横沢入]》 

コーヒーを自前で作って自由を得る、という考え方

 ジェイソン氏の話で、今日お話しようとしているのは、次の部分です。

厚切りジェイソンさんが収入の9割を投資につぎ込む理由とは | 東証マネ部!

たとえば、コーヒーだって完全に飲まないわけじゃなくて、自分でコーヒーを作って飲んだら数十円で済むんだからそれでいいじゃんって考え方。カフェで買って700円も払う必要はないんじゃない?って。それを飲むことで1時間多く働かないといけないなら、僕は1時間分の自由がほしい。

 最初、この文章はサラッと読み流してしまいました。節約系リタイア者にとっては、とりたてて何てことの無い、ごく当たり前の話なので。

 でも、よく考えてみると、それは「節約系リタイア者にとって」当たり前なだけで、これまでの日本社会一般からすれば全然当たり前でない

 日本社会一般で多く見かけるのは次に挙げるような考え方です。

 つまり、「お金を払って時間を買う」という考え方。できるビジネスパーソン!ありがちですよね。

 自分でコーヒー作るのも、食事作る時間も、家事する時間も、通勤する時間も、何もかも無駄だ、金で解決しちまえ!ってね。

 一方、ジェイソン氏の考え方は、「時間を費やしてでもお金を蓄える」というというもの。時間を買う論者とは正反対です。

 一旦、大雑把にまとめると次のようになります。

  • 自分のこと   時間を買う論者:外注  ジェイソン氏:自分でする  
  • お金      時間を買う論者:払う  ジェイソン氏:払わない
  • 得られるもの  時間を買う論者:時間  ジェイソン氏:自由

 でも、ジェイソン氏が得ようとしている「自由」って、言い換えれば、「仕事をしない、プライベートな時間」のことです。

 何のことはない、両者とも得ているものは「時間」なんです。やっていることや、その考え方は真逆なのに

 不思議ですね。どういうことなのでしょうか。

時間を買う論者とジェイソン氏の違い

 もう少し分析してみます。

時間を買う論者

 「時間を買う論者」が購入しようとしている時間とは、コーヒーを作る時間、買い物の時間、通勤時間など、要するに「仕事以外の時間」です。これらに費やす時間は無駄だから、金を払って解消するという発想です。

 そのようにして購入した時間はどうするのか、前出のサイトによれば、

空いた時間を自己成長や評価に繋がるタスクに使うことで更にお金を生み出せる人材になる。

ということで、要するに「仕事の時間」に充てるわけです。

ジェイソン氏

 一方、ジェイソン氏は、コーヒー作りや買い物など「仕事以外の時間」が多くても、それは甘受しています。そうして金銭を温存することで、「仕事の時間」を解消し、「プライベートな時間」を得ることができるからです。

 彼にとって、コーヒー作りや買い物に費やす時間は、無駄というより、プライベートな時間を生み出すための投資ではないか、と私は解釈しています。

再び、まとめ

 前項で述べたことを、改めてまとめてみると、次のようになります。

 時間を買う論者は、「買い物等の時間」を無駄と見なして、金銭を払ってこれを解消し、その結果「仕事の時間」を得ています。そして、仕事により得た金銭の一部を、再び「買い物の時間」を購入します。

 ジェイソン氏は、「買い物等の時間」を投資と見なして、これを甘受して金銭を蓄え、その結果、「プライベートな時間」を得ています。そして、プライベートな時間の一部を、再び「買い物の時間」に充てます

 両者とも、買い物等の時間⇒仕事/プライベートの時間⇒買い物等の時間⇒仕事/プライベートの時間・・・と、時間の変換を繰り返すルーティンを行っているのです。

私の場合

 これまでに述べた2つの考え方、二者択一という訳でもありませんので、私は使い分けていますね。

 コーヒー作りなどは、家で簡単に作れます。数十円で済むものに、わざわざ数百円を払うのは勿体ないので、基本、自分の家で作る派です。

 一方で、スーパーのハシゴをすることは少ないです。最初に行ったスーパーで、買おうとしているもの値段を見て、それが自分の許容範囲内だったら、そのままその店で買う、という感じ。

 ただ、全般的には、やはりジェイソン氏流になるのでしょう。 金銭を蓄えることで、最終的に自由を得たのですから。それに、時間を買う論者みたいな方法、バッファが無くて、生活が本当に窮屈そうです。

 

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スマホ決済(Pay系)に未来はあるか?コロナでインバウンド壊滅なのに・・

 キャッシュレスを煽る論調がちょっとウザい。特になんちゃらペイというネーミングのスマホ決済群。

 更には、この波に乗らない者は情弱!と現金派を異常に敵視し、スマホ決済を持ち上げまくる信者みたいな人がいるのが、そのウザさに拍車をかけています。例えば次の記事。

 でも、そんなスマホ決済も、壁にぶち当たっているのかも?

目次

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 《東京都青梅市・・道端に咲いていた小さな花》

そもそも、そこまでスマホ決済は浸透していない

 スマホ決済が最先端であるかのような取り上げ方を方々(ほうぼう)でなされているので、猫も杓子もスマホ決済のように見えてしまいます。

 でも、その鼻息の荒さの割に、そこまで広く浸透している訳ではなさそうなんですよね。

普段の支払いに「スマホ決済」が増加。最も利用しているのはPayPayで、2位は楽天ペイ | ネットショップ担当者フォーラム

普段の支払い方法

スマホ決済 2020年1月 28.6% 2019年8月 16.4%

 これは官民挙げての大キャンペーンの甲斐あって数値は伸びているという記事ですが、それでも3割弱。

 そしてコロナ後はどうなったかが、次の記事。

スマホ決済低調、巣ごもりで「かざせず」 クレカ最多 :日本経済新聞

5月の日用品の支払額データを分析したところ、クレジットカードの利用が36%と最多だった。店頭でかざして使うことが多いスマホ決済は7%にとどまった。対面決済での利用機会が減っているためだ。

f:id:retire50:20200619212532j:plain

 コロナで現金決済が減ったのだから、その分、スマホ決済がもっと増えてもいいはずなのに、多くはクレジットや電子マネーに流れてしまっている。支払額ベースだとマイナスにさえなっています。

スマホ決済を終了する店が現れた

 スマホ決済の取扱いを取りやめる店が現れたという話もあります。

利用者も加盟店も?じわじわと広がる「スマホ決済離れ」の予兆 - M&A Online

これまで増え続けてきた加盟店に、脱退の動きが広がっているのだ。巨額のキャンペーンコストをかけて市場を育ててきたスマホ決済サービスだが、刈り取り直前の失速も懸念される。

 一方で、スマホ決済が盛況だ、という調査もあったりするのです。

ferret-plus.com

 スマホ決済が幾分か伸びたのは事実なんでしょうが、もとからシェアの小さいスマホ決済。キャッシュレス全体で見れば、小幅な伸びにとどまったということでしょう。

 だとすれば、政府のキャンペーンが6月に終了すること、後述するインバウンドの壊滅など、総合的に勘案して「撤退する」という判断をする企業があっても不思議ではないかと。

スマホ決済の欠点

 なんちゃらペイ系のスマホ決済って、店側の導入コストが小さくて済むのはいいですが、実際の決済の場では簡便性に欠けるきらいがあります。

 使える決済サービスを確認して、そのアプリを立ち上げて、コードを読み込んで、金額を手入力して・・など、必要なステップが、電子マネーやクレジットよりも明らかに多い。

 これって一見小さなことのようでいて、毎度毎度繰り返される作業のユーザー・インターフェースの話ですから、実は本質的な欠点なのではないかと。この欠点は、多くの国民への普及させるにあたり致命的ではないかと。

 にも関わらず、昨年度は、キャッシュレス元年だの、五輪に伴うインバウンド需要だので、ただでさえ乱立気味のスマホ決済が、更にカオスになりました。セブンイレブンが盛大にコケたのも記憶に新しいところ。

 そのためか、規格の統一さえ出来ておらず、インフラたりえているとはいえない現状です。規格を統一しようとしても、各社の思惑があって上手くいかない。

 まぁ、企業がユーザーを囲い込むことばかりを考えている限りは、ダメでしょう。

そもそも、なぜスマホ決済?

 そもそも、クレジットや電子マネーなど、従来型の簡素なキャッシュレス手段が既にあるのに、なぜ、煩雑なスマホ決済を追加しなくてはならないのか? 屋上に屋を重ねるようなものではないか。

 色々理由はあるんでしょうが、私が思うに、インバウンド需要が根底にあったのではないかと思います。

 特に、今年はオリンピックで大量の外国人が来日することになっていました。中国をはじめとするアジア人の決済手段としてスマホ決済を普及させるんだ!みたいなのは、結構報道されていましたよね。

 お店としても、中国人がスマホ決済で爆買いしてくれればメリットは大きいので、乗り気だった部分もあったと思います。

コロナでインバウンド壊滅。未来は?

 でも、ここにきてまさかの新型コロナ。外国人観光客なんて壊滅状態で、当分復活することはなさそうです。来年か再来年、仮にオリンピックが開催できたとしても、平常時と同じような外国人観客数は見込めないでしょう。

 すると、そこまでしてスマホ決済、特になんちゃらペイにこだわらなきゃならん意味が薄れてくるわけです。最大のユーザー層となるはずだった外国人がそもそも日本に来ない。一方で日本人におけるシェアも高くない。規格の統一でさえ、小さなパイの覇権争いで内輪揉めしている。

 思うに、今後、スマホ決済が消滅することはないでしょう。例えば以下のような方には確かに需要がありますから。

  1. 初めてのキャッシュレスがスマホなどで、従来型キャッシュレスよりも馴染んでいる人
  2. 各社の機能やキャンペーンに即反応し、還元やサービスを受けようとする人
  3. 決済をキャッシュレシュに完全統一することに飽くなき努力を惜しまない人

 でも、上記2、3のような方の存在が、むしろライト層の障壁になって、それ以上の普及を妨げているような気がしなくもないんですけどね。

 

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世帯年収1000万円でも不満な人々が集う掲示板

 ネットには「(世帯)年収1000万あるけど家計はカツカツ」系のコンテンツがよく転がっています。例えば次の記事。

www.j-cast.com

目次

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 《東京都青梅市》

世帯年収1000万円の掲示板は壮大な自慢大会

 上述の記事は、世帯年収1000万円超の人達(特に女性)のための掲示板スレッドについて取り上げています。

 記事で紹介されていたのはガールズちゃんねるでしたが、以前、発言小町など他の掲示板でも同様のスレッドが立っていました。

 この手の掲示板の展開は、大体決まっています。

 自称(世帯)年収1000万円超の人達がワラワラと湧いてきて、「みんな分かってないけど、東京都内で1x00万円ぽっちでやっていくのは本当に大変なんだからっ!」みたいなコメントで溢れかえる。

 一見グチのようですが、家計にそこまで余裕が無いということを隠れ蓑にして、自らの(世帯)年収が1000万円を超えていることを披露しあっている。結果、壮大なる自慢大会と化しているのです。本人達にその自覚は無いのだろうけど。

世帯年収1000万もあれば充分な筈では?

 この手のスレッドにおいては、「1000万ではキツイ」のコメントが主流であり、「1000万円もあれば暮らしていくには充分だよ!」と主張する向きは少数派。だから、空気を読めてない次のコメントなどは食いつきが悪いです。

448. 匿名 2020/05/26(火) 19:37:41 [通報]

都内じゃなく地方都市住みだけど世帯年収はそんくらい。
年によって超えたり、下回ったり。
計画小梨です。

余裕ですね。
元々、世帯年収が700位だったから。
私が転職して少し上がったけどそん時の感覚のままだから。
賃貸アパート→中古マンション買いました。
別に毎年旅行(国内外)とか行かないし、外食先変わらずも安価なのだし。(吉牛、幸楽苑等)

コロナ不況の波が押し寄せますから、このままでいきますよ。

 

 しかし考えてみれば、年収1000万に遥か及ばない世帯の方が多いのです(このソースによると"児童のいる世帯"の平均が 743万6千円)。

 そういう人達は、税金の安さや各種の手当を考慮に入れても、年収1000万の世帯には到底及ばない収入しかないのに、充分食べて行っている。それならば、年収1000万もあれば充分過ぎる額ではないのか? 何故そんなに苦しいだのカツカツだのと言う?

庶民なのに庶民らしくしないから苦しくなる

 まぁでも、世帯年収1000万なんて、所詮、庶民というのは認めます。平均年収に毛の生えた程度の年収500万の男女が結婚して二馬力で働けば、それだけで1000万に到達してしまうのですから。「庶民の中では、上の下くらい」には位置するのでしょうが、それでも庶民は庶民

 庶民なら庶民らしく慎ましくしていれば、1000万もあれば楽に暮らせるのに、庶民らしくしないから苦しくなるんでしょう。

 スレッドより、彼らの家計の一例があったので引用。

390. 匿名 2020/05/26(火) 19:02:24 [通報]

>>266

だからさ、額面で1000万稼いでいても手取りにすると700万くらいなのよ。住宅ローン支払ったり、車のローン支払ったり、車庫がない都心部の家なら車庫代が月4.5万くらい別に掛かるんだよ?
住宅ローン15万
車のローン 3万
車庫代 4.5万
食費 8万
光熱費 2万
通信費 1.5万
雑費 3万
小遣い夫婦で 5万
これだけで月に42万吹っ飛ぶよね。そこに保育園7万としたら50万近く飛んでく。

 

 これは恐らくサンプルであって、現実の家計ではないでしょう。ただこんなサンプルを出してくる時点で、庶民の金銭感覚ではない

 固定費やそれに準ずる費用だけで50万近くかけるなんて、世帯年収1000万ごときでは相当に無理があるはずですが、これと大同小異の家計は存在するのでしょう。

 住居は、山手線から30~40分ぐらいの準急停車駅あたりが分相応なのに、都区内(の中でも馬鹿にされない場所)にこだわる。利便性や教育を勘案すると、都区内でないとダメらしいです。

 世帯年収1000万超の全てがこうとは言いませんが、こういう例も少なくないからこそ、1000万あっても苦しい、カツカツだ、なんてネットで愚痴る人が後を絶たないのでしょう。

そんなに辛いなら転職すればいいのに

 そんなに世帯年収1000万円が辛いものなのであれば、いっそ低年収の職場に転職すればいいのではないか?などと(意地悪にも)思ってしまいます。そうすれば、お望み通り、税金は(年収1000万に比べれば)安くなるし、手当も多くなる。

 でも、それはやらない。

 結局、苦しいのは、庶民から一歩抜け出した住宅、食事、旅行、教育などをしているからで、低年収になったら、それらが苦しいを通り越して不可能になってしまう。

 そういう身の丈に合わない、富裕層の真似事みたいなことをしている限り、いくらあっても苦しい、カツカツなどという状態から抜け出すのは難しいのでは?

 

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人生いつかは右肩下がりになる。そのとき・・・

 前回(何かを失う覚悟がなければセミリタイアなどできない)の続きをやります。 

目次

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 《東京都あきる野市》

右肩下がりの局面到来

多くの人は、いつか右肩下がりになる

 前回の投稿(何かを失う覚悟がなければセミリタイアなどできない )では、1億3000万円あっても、取り崩すのが怖く、リタイア生活に入るのに躊躇するという記事を紹介しました。 

allabout.co.jp

 また、この相談者を分析した記事もあり(【まだ足りない?】1億円あっても不安でセミリタイアできない3つの理由)、そこには次の記載があります。

>右肩下がりで減り続けるのが怖い

>減り続ける資産を眺めるのは、気持ちが良いものではないでしょう。

>対策(1):資産は原則取り崩さない

  つまり、「右肩下がりになるのは恐い、だからそうならないようにしよう」という論調です。

 でも私はむしろ、「人生いつかは右肩下がりになる局面が来るものだ」ということ、そして「そのときが来たら、軟着陸できるようにしておこう」ということを主張しようと思っています。

 そういえば、これまで私は「40代」や「中年の危機」ネタで、次のような記事を投稿しています。

 特に真ん中の、中年の危機 ~40代の悲哀を考える~については、何ヶ月も前の記事なのに、いまだに一定のアクセスがあります。それだけ関心が深いテーマなのでしょう。

 そして、これらの投稿で書いていることも結局同じで、(一部の恵まれた人を除けば)40代ぐらいになったら横ばいになり、更には右肩下がりの局面に入ってくる、ということです。

そのときまでは、右肩上がりが永遠に続くかのように錯覚する

 実際、多くの人にとって、それは避けることができないこと。

 自分の能力だったり、気力だったり、体力だったり、運だったり。あるいは職場の状況だったり、社会情勢だったり。どれか一つでも停滞すれば、それまでの右肩上がりや現状維持を阻害する要因になり得る。今回のコロナでもね。

 でもそれは、そのときが来るまでは気にもかけないもの。だから、これまでの右肩上がりが永遠に続くかのように錯覚してしまう。

 先の分析記事を執筆された方は、プロフィールなどを見る限り、まだ30代。上手に投資して「金の卵を産む鶏」を飼っていらっしゃって、「5年間まったくストレスなく」やれているそうです。

 だからなのか、死ぬまで同じ方法で配当金をもらい続け、資産を取り崩さないでいられるのだと確信していらっしゃいます。

 でも、本当に思惑通りにいくものなのでしょうか。それは、この人が死ぬときになってみないと分かりません。「これまでの5年間、まったくストレスなくやれていること」が、「今後死ぬまで何十年もの間、資産を取り崩さないでいられる」ことを直接保証するものではないからです。

 一時はタイトルを独占した羽生九段でさえ、今は無冠です。

右肩下がりの局面にあたって

右肩下がりを受け入れる

 右肩下がりと一口に言いますが、単に資産のことに留まらず、自分の体力・気力なども、人生半ばを過ぎれば、色々なことが右肩下がりになってきます。人生の残り時間は生まれたときから右肩下がりですが、このことを意識するときもやってきます

 このような種々の右肩下がりがあるなかで、資産のことばかり殊更に着目し、肩ひじ張ることもありません。人生のある時期を迎えたら、むしろ、右肩下がりを積極的に受け入れて、軟着陸する方向に気持ちを切り替えた方がよいと思うのです。

リタイアはその一つの手段

 早期リタイアやセミリタイアというのは、その一つの手段

 もちろん、右肩下がりのスピードが大き過ぎて、短期間でマイナスに至るようなことでは問題ですよ。でも、初期値に対して右肩下がりのスピードが緩やかなのであれば、そこまで怖がることはない

 資金面の右肩下がりのスピードは緩やかにすることなら、簡単なバイトや、生活を少し見直すことでどうにかなります。

 (右肩下がりを取り戻そうと投資するのは慎重にしたがよいと思う。あれは右肩上がりの局面でやるからこそリスクがとれる)。

 右肩下がりが充分に緩やかになれば、そのまま軟着陸が可能です。

 そして、生み出された自分の時間を、自分のために活用することに注げば、気力や楽しみの面においては、むしろ右肩上がりにもっていくことも可能かもしれません

資産額をゲームの得点のように捉えることから脱却

 資産のことを気にすれば気にするほど、ゲームの得点のようにバーチャルなものと化していく。ゲームの得点だと思うから、それまで積み上げてきた高得点を減らすことを受け入れがたく感じてしまう。

 でも本当は、資産はゲームの得点ではなく、人生を楽しむために有効活用するためのもの。そのためには、資産額を保とうと、過度に神経を擦り減らすことからは脱却した方がよいのではないでしょうか。

 金の卵ばかり食べていても、決して鶏は食べられません。

 コップから溢れたしずくをいくら舐めたところで、喉の渇きを癒すには全く足りません。

 死ぬまで鶏肉もコップの水も飲まず、卵やしずくで我慢するつもりなのでしょうか?

先の相談者について

 最後に、1億3000万円あってもリタイアできないという、冒頭記事に戻ります。

 私は、あの相談者の方、本稿で書いたようなこと、実は分かっていらっしゃるのだと思います。つまり、資産面での右肩下がりを受け入れて、第二の人生を歩もうとされているということ。

 もし、この方が「右肩下がりじゃ嫌だ、一銭も取り崩したくない」と思っているのなら、深野康彦氏の記事なぞを読破したり、ましてや相談などするはずがないからです。深野氏の記事では、資産取り崩しが原則であり、リスク資産を積極的に提案することは無いのですから。

 この相談者、51歳。奥さんは49歳。夫婦揃ってのリタイア希望年齢は50代前半。この10年間、奥さんには色々と我慢をしてもらってきたそうです。資産で高得点を積み上げるのはもういいから、背負ってきた荷物をそろそろ下したい

 そんなところなのでしょうか。

 

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何かを失う覚悟がなければセミリタイアなどできない

 私に言わせれば、セミ・早期リタイアは、何かを失うことで自由な時間を得ることです。もっとも、様々な工夫をこらして、ほとんど失わずにリタイア生活を送っている方も一部おられるかもしれません。ただ、少なくとも、何かを失う「覚悟」無しにリタイアに踏み切ることは出来ない。そう思います。

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 《東京都日の出町》

1億円あっても怖くてリタイアできない?

 前書きのようなややキツイことを書いてしまったのは、次のような記事を見かけたからでした。

allabout.co.jp

 すなわち、51歳で1億3000万円の資金があるのに、食いつぶす生活が怖くて早期リタイアに踏み切れないとのこと。

 普通に考えれば、充分な資金をお持ちなので安心してリタイアできそうなもので、実際、FPも「90歳時点でも2000万円あるから大丈夫だ」とアドバイスしています。

「1億円あっても不安でセミリタイアできない理由」とは?

 しかし、次のサイトまたは動画では、このFPのアドバイスは少々的外れだということのようです。

【まだ足りない?】1億円あっても不安でセミリタイアできない3つの理由 - こびと株.com

第79回 【まだ足りない?】1億円あっても不安でセミリタイアできない3つの理由【人生論】(動画)

もし私だったら、この回答では満足できません。やはり1億3千万円というカネが2,000万円まで減るのを指をくわえて見ていられないからです。

庶民の発想:お金をすべて使い切って死にたい

お金持ちの発想:築いた資産は1円たりとも減らしたくない

こういう話を読んだことがあります。コップからこぼれた水、利息で食べていくのが資産家の発想というわけです。

  そして、上記の相談者が、1億円あっても不安でリタイアできない理由として、次の3点が推測されています。

1億円あっても不安でセミリタイアできない理由

  1. 右肩下がりで減り続けるのが怖い
  2. いつ死ぬか分からない
  3. 稼げない自分に価値を感じられない(または機会損失を感じる)

 一般論としてなら、この推測は当を得ていると思います。ただ、先の相談者に当てはまるのかどうかは何ともいえません。

 今、この推測が正しいものとしましょう。そしてこの3つの理由は、何れも「何かを失うことに対する恐怖」という風に、私は理解しました。各項目を私なりに言い換えると次のような感じです。

  1. 「これまで築いてきた資産」を失うのが怖い
  2. 「死ぬまで経済的に困らない安心感」を失うのが怖い
  3. 「稼いできた自分」「稼ぐ機会」を失うのが怖い

 でも、セミリタイアや早期リタイアにあたり、上記のものを全く失っていない、今後も失うことはありえない、と断言できる人は稀ではないでしょうか。

 リタイアする際は、多かれ少なかれ、上記のものはある程度失うことを前提に、ただ、どこまで失ってもよいのか折り合いをつけていくものではないかと思います。

私の場合の「3失」

 私の場合を例に、上記の「3密」ならぬ「3失」について書いてみます。私は一億円もありませんが、4ケタ万円は持っていますから書く資格はあるでしょう。

 なお、記載の都合上、3失の順序は変更します。

「稼いできた自分」「稼ぐ機会」を失うことについて

 私がリタイアの検討を開始したのは、44歳のときでした。

 「稼いできた自分」そのものについては、特に執着はありませんでした。そもそも「稼いできた自分」から脱皮したくてリタイアするのですから。

 ただ「稼ぐ機会」が失われることについては、ある程度慎重になりました。

 早くリタイアした方が自分の時間をそれだけ多く持つことが出来ますが、以降、正社員として稼ぐ機会はほぼ失われます。

 後述する「死ぬまで経済的に困らない安心感」を担保するためにも、「稼ぐ機会」をただちに放棄するのは早計だろうと。

 色々と考えた結果、「稼ぐ機会」を、割増退職金が開始となる50歳までは有効活用し、以降は放棄することで折り合いをつけたのです(詳細は次の投稿参照)。

50retire.hateblo.jp

 退職金さえ見合った額をもらえたら、あとは「稼ぐ機会」にそこまで拘泥しなくてもいい。そんな気分でしたね。

「死ぬまで経済的に困らない安心感」を失うことについて

 確かにお金は多ければ多いに越したことは無いのでしょうが、「死ぬまで絶対に困らない保証」なんてあるはずがありません

 先のサイト(【まだ足りない?】1億円あっても不安でセミリタイアできない3つの理由)では「金の卵を産む鶏」さえ用意しさえすれば、あとは万事OKみたいに書いていますが、自分が死ぬそのときまで、用意した鶏が卵を産み続けてくれると、何で言えるのでしょうか。

 結局、そういう保証が無い以上、「死ぬまで経済的に困らない安心感」なんて、結局、自分がどこでどう安心するかの問題でしかないのです。

 私の場合、50歳まで働いて貯めた資金を元手にすれば、相当に長生きしても99%は大丈夫だろう、ぐらいの感じでした。もっともっとお金を増やしたり、あるいは「金の卵を産む鶏」を飼ったところで、安心度が99%が100%になることは決して無いのですから、その1%のギャップを埋めるために多大な労力やリスクを取るのも、何か違うなと。

「これまで築いてきた資産」を失うことについて

 もちろんこれは恐いですよ。27年近くも働いてきてようやく貯めたお金の大半が一瞬でパァになるような事態になれば。

 でも、リタイア生活のために、正当な対価を払ってそのために緩やかに資産が減ることは、そこまで怖いとは思っていません。

 私の場合、資産として持っている4ケタ万円のうち、最上位の桁の数字が1つ減るのに5年以上は要する計算です。公的年金が出て以降なら10年以上。

 このくらいの減少は容認しないと、早期/セミリタイアなど出来ないし、してはいけないのではないでしょうか。

 もちろん、投資や副業によって、ある時期、資産を取り崩さない状態にすることは可能でしょう。でも、その状態を死ぬまで続けられる保証はありません。

 その状態を維持できなくなったときでも、心穏やかにいられるようにしておく、というのが早期・セミリタイア(には限りませんが)において、肝要だと思うのですがね。

 

 本稿については、まだ書き足りないのですが、長くなりそうなので、一旦お開き。

 ↓続編です。

50retire.hateblo.jp

 

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