50歳で早期退職し、セミリタイア!

私セイルは50歳で早期退職、セミリタイアしました!その思いを綴ります。

世帯年収300万台では幸せになれない!と力説する人達

 またまた年収論。

  「年収300万台の世帯でも過半数は幸せと感じている」という記事内容ですが、より興味深いのは、そこについているコメント。年収300万台では幸せにはなれない!と力説している人が少なくないのです。

 幸せの形なんて人それぞれなのに、彼らにそこまで言わせるものは、一体、何なのでしょうか。

 (注)当初はyahooの記事をリンクしていましたが、リンクがきれたため、内容が同じの別記事に差し替えました。以下に登場するコメントはヤフコメに載っていたものです。

 

目次

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 《誰もしらない青梅駅マスコットキャラ「おめにゃん」》

記事内容について

 まず、記事内容を簡単にまとめておきます。

 世帯年収300万台の人に幸せかどうかアンケートをとったところ、「とても」が3.6%、「どちらかというと」が50.8%。合計すると過半数が幸せに感じている。

 年収というのは幸せ感を醸成する一要素だけれど、それだけで幸せは計れない。

 収入・地位・所有物といった「地位財」よりも、愛情・人間関係・生きがい・健康などの「非地位財」を重視する方が幸せを感じやすいのだから。

 また、「幸せだ」と答えた人の理由としては、「健康状態」や「趣味の充実」「夫婦関係」「子供との関係」など。

 そこまで目新しい内容ではないが、取り立てて否定する内容でもなさそうです。

世帯年収300万円台。そこまで絶望的ではない(人にもよるが)

 世帯年収1000万円でも苦しいといっている人がいるくらいですから、300万円台が相当に少ない部類なのは事実でしょう、特に子供がいる方々にとっては。

50retire.hateblo.jp

 でも一方で、そこまで300万台は絶望的な額なのか?というと、それは人や環境によると思います。

我が家の場合

 例えば、ウチ。私がリタイア後も、妻一人のみで世帯年収300万台を優に超えてはいますが、夫婦あわせて年間200万円くらいしか使っていないのが現実(持ち家・子無しというのもありますが)。

 でも、お金を使ってないから不幸だと感じたことは一度も無い。もっとお金を使うという選択肢はあっても、その必要性を感じない。

手取り年収280万の世帯を想定

 世帯年収300万円台なら、手取りは、例えば280万円と想定してみます。彼らの支出が年間200万なら、それだけで毎年80万円貯金できてしまう。40年で3200万。

 更には、世帯年収300万台であれば収入の伸び代はまだあります。夫婦揃って年間200万円稼げば世帯では400万に達するのですから、コロナの世の中とはいえハードルは高くありません。リストラされたとしても、次の仕事を同程度の収入で探すことは難しくありません。

ポイントは住居費

 個人的な見解では、家計の最大のポイントは住居費にあります。郊外や地方、実家暮らしなど、住居費を安く済ませる方法はあります。全てを都心部(特に東京)を中心に置く思考に凝り固まっていると見えてこない、というだけです。

 とにかく、住居費を安くあげることに成功すれば、世帯年収300万円台というのは、贅沢は出来ないにしても、生活の難易度がものすごく高い、という程ではありません。特に300万円台後半の380万、390万もらっていれば。

 そのようにして生活の地歩を固めた上で、記事にある「非地位財」が構築できているのであれば、そこに幸せを見出すというのも人や環境によってはあり得ることです。調査では、そういう方々が「幸せ」と答えているのでしょう。

それでも年収300万円台では幸せになれない!

 ところが、記事のコメント欄には、賛同する意見もある一方、辛辣な意見も並んでいます。いくつか例を挙げると・・・。

お金がなくても健康なだけでとか、好きな人と一緒にいれるだけで幸せだと自分に言い聞かせるかも。負け惜しみ的な。

 いくら年収が低くても、それをカバーするために、いちいち「自分は幸せだ、幸せだ」と言い聞かせるなんて面倒なことするわけがない。大体、負け惜しみって、誰と勝負しているのよ

現状打破や成長を放棄して上を見ないで下だけ見てたらまぁ300万でも幸せだと思うよ

 現状打破して成長を志して上を見て、その結果得られる幸せって、何なのですかね? 年収1000万を得ている世帯でも不平不満ばかり言っている人は少なくないですよね(世帯年収1000万円でも不満な人々が集う掲示板参照)。

まず世帯年収が低くても幸せな人は、それがある程度の収入のある人間が君たちの代わりに払った税金のお金であることを理解した方がいい

 私はリタイア前は、300万など優に超える額をもらっていましたが、こんなことを考えたことがありませんでした。上には上がいるわけだし、こんなこと言ってよいのは、税金だけで何千万・何億と払っている人だけでは?

 それに、自分の生活が成り立っていること、そして(リタイア前は)自分がこれだけ収入を得られていることは、見えないところで薄給で頑張ってくれる人が多いからなんだろうな、ということを思い合わせると、ここまで傲慢になれる感覚って不思議に思えてきます。

やはり批判する人は幸せでない人が多い?

 前項のような、ひねくれた解釈を読むとき、そのようなコメントをする人は、きっと幸せではないのだろうなと、こちらもひねくれて解釈してしまいます。自分が不幸なので他人の幸福が許せない、というか。

 もっと言ってしまえば、「年収1000万あるウチがこんなに苦労しているのに、たかが300万ごときで幸せだなんて、そんなことあり得ないし、そんな幸せまやかしだ!」的な。

 確かにお金で齷齪(あくせく)することは、幸せを減ずる要素なのは間違いありません。

 でもそれは、収入の多寡そのものよりも、収入に比しての支出額のほうがポイントになるはず。どんなに収入が多くても、入ってくるだけ使っていたら、それは苦しいでしょう。

 冒頭の記事のポイントは、幸せは「地位財」よりも「非地位財」の方にある、ということですが、これまで多額のお金を費やして「地位財」を得ることに汲々としてきた方々にとっては、そんなこと認められるはずがありません

 でも今は、インターネットで無料・安価で得られる娯楽が多いです。また、無料・安価で楽しめるスポットの情報もインターネットで得られます。

 つまり、低収入でも生活をある程度楽しむことは出来るようになっています。

 だとすると「地位財」の重要度は昔よりも下がっているはずだと思うのですがいかがでしょうか。

 

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