一部フリーランスが早期リタイアを槍玉に挙げる不思議
一部のフリーランスの方々が、セミリタイア・早期リタイアというものを槍玉にあげる記事を書いておられます。
例えば、、、、
これらに直接反論する気は無いのですが、「何故、これらの人々が、リタイアというものを槍玉に挙げるんだろう?」という点について興味深く思うので、少し書いてみます。
目次
《埼玉県寄居町:JR八高線・用土駅、植物に埋まり、あまり意味をなしていない駅名版》
フルタイム労働者から見たら、どちらも「あっち側の人」
賃金労働者の立場からのリタイア批判はありがち。次の過去記事でも取り上げました。
【過去の当ブログ参考記事】 恐い……女性リタイア者へ「幸せ自慢するな!」と攻撃
ただ、賃金労働をやめてフリーランスになった方からリタイアを批判される、というのは、どうにも解せないんですよね。
こんなこと言ったら怒る人もいるかもしれませんが、フルタイム労働者から見たら、先に挙げた批判記事の投稿者も、リタイア者も、同じ「あっち側の人」のように映ると思うのです。
とりたてて通う職場はなく、よって確定した・安定した給与というものもなく、ネットにコンテンツをアップしたりする生活。
一体何が違うん?
もちろんご本人達に言わせれば、色々と違いがあるのだと思いますが、大局的に見れば、目くそ鼻くそなんではないでしょうか?
だから、「似た者同士、仲良くしようよ」というのが私の感覚なのです。
リタイア者が槍玉にあげるのは「フルタイム賃金労働」
リタイアブログ界においては、リタイアの枠内で「全く働かない」「少しだけ働く」のどちらが良いか?という観点での記事は結構あるのですが、フリーランスの生き方を槍玉に挙げた記事というのは、フリーランス経験のある方くらいなものです。
リタイアブロガーが槍玉に挙げるのは何と言っても「フルタイム賃金労働」ですよね。それが嫌でリタイアしたという人が大半でしょうし、対象となる読者層も幅広い。生活面でもリタイア者とフルタイム賃金労働者とでは、かなり異なっています。
つまり、「フルタイム賃金労働」を差し置いて、フリーランスについてあれこれモノ申す必然性が見当たらないのです。仮にフリーランスにダメ出しする記事を書こうとしても、パンチに欠けるし、下手するとブーメランになりかねない。
だからこそ、逆に、一部とはいえフリーランスの方が、リタイアを槍玉に挙げた記事をお書きになっている、というのが、不思議というか、興味深く思えるのです。
「好きな仕事」がポイントか?
先の2つの記事におけるリタイア批判、リタイア志望者は念頭に置いておいても良いことだと思うので、一概に否定するつもりはありませんが、それよりも興味深いのは、両記事の結末近くの記述です。
アーリーリタイアの「不都合な真実」|ひらっち【フリーライター×農家の経済自由人】|note
僕が考える「ほぼセミリタイア」の本質は、リタイアできるぐらいの状況を作り出し、自分が本当に好きなこと、情熱を注げる仕事を選び、働き続けることだと思っています。
「セミリタイア」を現実逃避に使っていないか?|今日はヒトデ祭りだぞ!
結局自分達のほとんどは「仕事」から逃れる事が出来ません。平均寿命は伸び続けていて、年金もあまり期待出来ないとなれば尚更です
それならば、歯を食いしばりながら現実逃避をするよりも
今よりも苦しくない仕事
理想を言えば
自分にとって楽しい仕事
を続けていく必要があるんだと思いました
どちらも書かれていることが似ている(もっと言えばソックリ)と思いませんか?
両者の記事の構造は類似していて、延々とリタイア批判を続けてきて、結末に「好きな仕事」「楽しい仕事」を持ってくるというあたりに、彼らの深層心理が透けて見えてくる気がするのです。
このお二方の記事を読む限り、現に「好きな仕事」「楽しい仕事」をされている、少なくともそれを目指しておられるようで、そのことを肯定する(手前味噌な)結論に導くために、早期リタイア・セミリタイアというものをダシに使っているように読めてしまうのですね。
ムムっ、このようなスタンスの記事は、他にも見覚えがあるぞ!
以前、「道楽の仕事」は早期リタイア後にやればよい でご紹介した、大江英樹さんの次の記事ですね。
「早期リタイアしたい」という人が、実は幸せになれない理由2つ
たとえ会社勤めであったとしても、自分が担当する仕事の中で“好きなこと”や“得意なこと”を見つけることは可能だし、そうすべきです。
(略)早期リタイアすることを夢見て今の仕事を苦痛と思ってやっている人は、仕事を楽しんでやっている人には絶対に勝てません。(略)
私自身、サラリーマン時代、仕事はそれほど好きではありませんでしたが、自分が担当していた仕事の中のひとつに「人前で喋る」「講演の講師をする」というのがあり、これは自分でも好きな仕事でした。(略)60歳で独立してから8年経った現在でも年間150回近い講演の依頼を受けています。(略)
要するに「早くリタイアしたい」という姿勢を続ける限り、(略)その行く末は負け組になってしまう可能性はかなり高いと思います。
大江さんも、年は先の二者と大分離れていますが、「『好き』を仕事にして独立したフリーランス」であり、かつ、その立場から早期リタイアというものを否定的に扱っている点では、先の2つの記事と変わるところはありませんね。
これら3つの記事を読む限り、「好きな仕事」というのがポイントになりそうです。
つまり、リタイア者に無く、多くのフルタイム賃金労働者にも無く、でも、一部のフリーランスにあるものが「好きな仕事」。だから彼らは、自分の強みである「好きな仕事」を推してくるのでしょう。
ただ、それだけなら、人数が圧倒的に多いフルタイム賃金労働者に批判対象を絞れば良さそうですが、わざわざマイノリティであるリタイア者をターゲットにするのは何故でしょうか。
仕事にプライオリティを置くか置かないかが対立点
リタイア者は「仕事」というものにプライオリティを置いていません。
「仕事とはツライもの」というのが出発点なのですから当然です。
ただ、「生活のアクセント」「若干の定期収入を確保する」といった理由で、短時間の副業をすることはあります。でも、それは文字通り「副」業なのであって、メインは「仕事をしていない時間」にあります。副業がメインになってしまったら、それはリタイアではないですからね。
しかし、リタイア者のこのようなスタンスは、彼らのウリである「好きな仕事」ということと大きく対立するものです。「好きな仕事」というのは、相当程度、仕事にプライオリティを置いている考え方だからです。下手するとフルタイム賃金労働者以上に。
他の相違点が曖昧なだけに、この対立は余計に目立つものです。
そのため、彼らからすると、仕事にプライオリティを置かないリタイア者の姿勢は、いかにも根無し草のように映るだろうし(もっとも、彼らの生き方だって人のこと言えるほど盤石には見えませんが)、コンテンツ作成の面では競争相手でもあります。
特に、最近は早期リタイア・セミリタイアの他に、FIREの概念が紹介され、「好きな仕事で生きる」もいいけど、「そもそも仕事したくない」ということの露出が増えてきています。
このような現象に対して、「何か一言、言っておきたい」という気持ちにさせられた一部のフリーランスの方によって、リタイア批判の記事が書かれるのではないか、と推測いたします。
ちなみに、冒頭のお二方は、次のような記事も書かれています。まぁ、セミリタイアは気になる存在なんだろうなー。
また、次の当ブログ過去記事もよろしければお読みください。
【過去の当ブログ参考記事】 誰もが好きな事で生きていける訳でないという当たり前の事実
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