お腹が弱い私にとっての隠れたリタイアの効用。それはトイレにいつでも行けるようになったこと。
リタイアブログ界でも見かけたことが無い話ですが、結構、これは真剣に思っていることなので、書いてみます。
目次
《埼玉県本庄市:JR八高線・児玉駅》
「排泄の欲求」ほど基層的な欲求は他に無い
以前、マズローの欲求5段階説を取り上げました。
【過去の当ブログ参考記事】 感染は恐い!でも経済は回す!の不条理、心理学で考えてみた
欲求5段階説は、基層的なものから順に、生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現の欲求と、5つの階層をなしている、と主張するものです。
「排泄の欲求」はその最も基層的な「生理的欲求」に属します。
生理的欲求は、生命活動を維持するために不可欠な、必要最低限の欲求を指します。いわゆる「3大欲求」(食欲・睡眠欲・性欲)のほか、呼吸をしたい、排せつをしたい、水を飲みたいなどの欲求も、生理的欲求に該当します。
そして数ある基層的な生理的欲求のなかでも「排泄の欲求」ほど基層的なものは無いと思うんですよね。
禁欲的な生活を送っている修行僧みたいな人であれば、食事はほとんどお湯だけの粥で済まし、性欲は全く湧かない、というケースもあるでしょうが、尿や便はしないわけにいかない。
体が大量の排出を求めるなら、どんなに禁欲的であろうと、体の求めに応じて満額回答しなくてはいけない。
体が即時の排出を求めるなら、どんなに禁欲的であろうと、体の求めに応じて一刻も早く欲求を満たしてやらなくてはいけない。
そういう点で、他の基層的であるとされる食欲・睡眠欲・性欲などと比べても、更に次元が違った欲求だと思うんですよね。
勤め人は、この基層的欲求の充足に制限がかかる
たかがトイレとは言いますが、数ある生理的欲求の中でも更に基層的なこの欲求。にも関わらず、勤め人である限り、この充足には制限がかかる。要するに、行きたいときに行けるとは限らない。
制限がかかる場面は大きく2つ。会議と通勤です。
会議
まず会議。ある時期、15人ほどを相手に、私が延々と報告を行う会議を、出社のたびに行っていたのですが、その最中に催したことがあります。
私が席を外したら、その会議はストップしてしまうので、そう簡単に欲求を満たすことは出来ない。
しかし、不思議なことに、制限がかかっている場面であればあるほど、その欲求はますます強力になっていくものなのです。
一進一退の状況が続きました。
しかし、欲求には勝てませんでした。報告の途中で、
「すみません、トイレに行かせて下さい」
欲求が強力であっただけ、所要時間も長く10分ほどはかかったと思います。その間、会議室では「そのことには触れない」という暗黙の了解のもと、雑談でもしていたのでしょう。
通勤
これについては、数ヶ月に一度くらい壮絶な戦いを強いられてきました。
関西にいたときは、京都市内から阪急で梅田まで通っていたのですが、座席にありつくために、いつも各駅停車を利用していました。
【過去の当ブログ参考記事】 満員電車を避ける、これが私のポリシー
ある朝、電車内で催したので、途中、各駅停車しかとまらない大山崎駅で下車しました。欲求を満たし終えるにはかなりの時間を要したのですが、「まだどうにか間に合う!」と再びホームに立つと、通過電車ばかりでなかなか乗ることが出来ず。
結局、この日は遅刻しました。
各駅停車マニアの私ですが、このときばかりは思いました。
「通勤時に途中下車するなら、特急停車駅にしておくべき」
と。
青梅に越してからも、通勤時のトイレには何度も泣かされましたね。
通勤時は、次の行動が基本でした。
- 自宅最寄駅から上り青梅行きに乗る
- 青梅駅到着後、一本見送って次の上り東京方面行きに乗る
- 会社最寄駅に到着
あるとき、自宅最寄駅から電車に乗ってすぐに催したので、青梅駅で次の電車を待っている間に欲求を満たしました。その後、次の電車に乗車して、またすぐに催したので、2つ先の河辺駅で下車し、更に次の電車に乗ったらまた催して、またまた別の駅で・・・なんてこともありました。
また別のあるとき、会社最寄駅までどうにか耐え抜き、会社最寄駅のトイレに駆け込むも、全て埋まっていた!
仕方なく、そのまま会社に向かったが、案の定、途中で耐えきれなくなった。
「もうダメ・・・。最早これまで・・・」
というところで、ファミリーマートが目の前にあり、入店してみたらトイレが使えた。
会社近くのコンビニでトイレに行ったのはこれが初めてでしたが、このときの緊急事態を救ってくれた、あのファミマには本当に感謝してもしきれない。
以降、私は、昼食をコンビニで買うときは、セブンからファミマに転向したのでした。
ありがとう!ファミリーマート!
中央線・青梅線の通勤特快には怖くて乗れない
こういう状態ですから、長時間停車しないトイレ無しの列車には怖くて乗れません。
中央線・青梅線には朝、通勤特快という列車が走っているのですが、国分寺を出たあと、新宿に至るまで30分近く無停車というシロモノ。
こういう列車ですから、国分寺駅到着前には、「具合の悪いヤツは国分寺で降りろ」という車内放送も流れるそうです。
この電車に乗ると新宿や東京まで早く着けるのだが、私は都心部に用事がある場合でも、絶対にこの列車には乗らない。
もし国分寺発車後にお腹がグルグル言い出したら・・・嗚呼、考えるだに恐ろしい。
数ある「想定されていない場所での排泄」の中でも、通勤電車の車内というのは最強・最悪ではなかろうか。他の場所なら人目につかない場所で次善の策を講ずることが出来ても、この列車の場合、それが出来ませんから。
最近は、中央線の車輛もトイレ設置工事がなされつつあるが、満員の車内で思い通りにトイレに行けるとは到底思えない。途中、人身事故でもあったら、乗車時間は更に延びる。
お腹が弱い人間は、絶対に中央線・通勤特快の国分寺~新宿間を乗車してはならない。
基層的な欲求が満たせないで、何が「自己実現の欲求」だ
リタイアすると、このような悩みからは、かなり解放されます。これだけでもリタイアする価値はある、と言ってもいいぐらいに私は思っています。
それは、言うまでもなく、リタイアすると、一番トイレが混雑している時間帯に電車で出かけることがなくなるからです。家でならいつでも出来るわけですし、外出する場合でも、お腹の調子が悪ければ、無理して予定通りに行動しなくていいのです。ラッシュ時を避ければ、外出先のトイレも案外空いているものです。
逆に言うと、勤め人は、この大いなる基層的な欲求を満たすのにも制限がかかっているわけで、何が「自己実現の欲求」だ、などと、しょうもないことを思っています。
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