50歳で早期退職し、セミリタイア!

私セイルは50歳で早期退職、セミリタイアしました!その思いを綴ります。

感染は恐い!でも経済は回す!の不条理、心理学で考えてみた

 緊急事態宣言が解除になったはずですが、東京では再度の感染拡大が始まっているもよう。おそらく「夜の街」あたりが中心なのでしょう。

東京アラート実効性は 休業要請対象の店で感染拡大 - SankeiBiz(サンケイビズ):自分を磨く経済情報サイト

 新型コロナウイルスの感染再拡大の兆候があるとして、東京都が「東京アラート」を発動した要因の一つに、休業要請対象の接待を伴う飲食店での相次ぐ感染がある。

  感染が恐い、命より大切なものは無いと言いながら、結局、経済は再開しなくてはいけないという不条理さについて考えてみたいと思います。

目次

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 《東京都青梅市[成木川源流]》

類似の事例

 「危険という認識はあるのに、経済のほうを優先しなくてはいけない」というのは、別に今回に限ったことではありません。個人的に顕著だと思う例を2つ挙げておきます。

エイズも厭わない、小学生娼婦

 まずは、『ナニワ金融道』で有名な漫画家、故・青木雄二氏の著作より。

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いつだったかの新聞に、発展途上国の小学生の娼婦が、「エイズが心配ではないのか?」という記者の質問に、こう答えていた。

「エイズになっても、一年か二年かは生きられる。でも、家には今日の食べ物がない」

苛政は虎よりも猛し

 次は中国の俚諺。現代日本の政治が苛政かどうかはともかく、危険があっても経済的な事情などから、危険を受け入れなくてはならない、という例。

苛政は虎よりも猛し|故事成語|国語の部屋|学習教材の部屋

【意味】
(略)
【由来】
孔子が墓の前で泣いている母親を見かけて、その理由を尋ねると、その母親は父、夫、息子を虎に食い殺されたという。そこで、孔子がなぜ、こんなあぶない土地から逃げないのかと尋ねると、「ここでは、悪い政治(重税や厳しい刑罰)がないからです。」と答えたことから、この語ができた。 

同様のことが現代の先進国で起きている

 前項のエイズや虎にあたるのが、「新型コロナウイルス」というやつです。前項は、発展途上国や大昔の外国で起こった事例ですが、同様のことが現代の先進国で起ころうとは・・。 

 日本ではどうにか第1波は食い止められましたが、野放図に経済を回してしまうと、第2波はあっという間にやってくるでしょうね。

 第2波を食い止めるには、経済など再開せずに、もっと家に籠っていればいいのですが、そうはなかなかいかない。そのことの説明として、次項以降で心理学の学説を援用します。

マズローの欲求5段階説

 この学説は日本では結構人気のようですが、私は会社の講習で習うまで知りませんでした。以下、解説サイトから引用します。

マズローの法則とは? 知っておくべき5つの「欲求」 - STUDY HACKER|これからの学びを考える、勉強法のハッキングメディア

  1. 生理的欲求
  2. 安全の欲求
  3. 社会的欲求
  4. 承認欲求
  5. 自己実現の欲求

これら5つの欲求にはピラミッド状の序列があり、低次の欲求が満たされるごとに、もう1つ上の欲求をもつようになるのです。

 

 大体、この学説が持ち出されるのは、自己啓発に関する文脈においてです。メシ食ってクソして寝てればいいだけじゃなくて、高次の欲求(第4・5階層)の実現を目指しなさい、と意識付けるものです。

 でも、本稿で取り上げたいのは、より基層的な、第1~2階層の生理的欲求・安全の欲求の部分。

 これまで現代日本で基層的欲求が満たされていないのは、一部の例外と見なされていましたが、コロナの状況下においては、必ずしも例外的ではなくなったからです。

「生理的欲求」と「安全の欲求」の微妙な関係

 コロナの感染から逃れたい、というのは「安全の欲求」であり、下から2番目の階層に位置しています。「命より大切なものは無い」といいながら、命を守るための欲求が最基層には位置していない。本質はここですね。

 「安全の欲求」を抑えて 栄えある最基層となったのは「生理的欲求」です。先のサイトによると、

生理的欲求は、生命活動を維持するために不可欠な、必要最低限の欲求を指します。いわゆる「3大欲求」(食欲・睡眠欲・性欲)のほか、呼吸をしたい、排せつをしたい、水を飲みたいなどの欲求も、生理的欲求に該当します。(太字:セイル)

 

 個人的には、上記説明のうち「必要最低限」という部分が、問題をより複雑にしている根源だと思います。というのも、何が必要最低限か人それぞれだからです。

 本当に生命だけ維持できればでいいのであれば、そこらの草や虫などを採集して食べとけばいい。そこまで極端でないにしろ、コンビニでバイトしてカップラーメンでも食べとけばいい。実際、それで満足している人はゼロではない。

 でも、多くの人々にとっては、その程度では「必要最低限」を満たせていないことになるんですよ。たまには外食でおいしいものを食べないといけないんです。

 あるいは「接待を伴う飲食店」における「接待」なんて性欲のバリエーションですし、ジムやカラオケ、パチンコなんてのも、それによってストレスを発散したいという、身体的な欲求に基づいている部分は多分にありそうです。

 そう考えると、現代日本人が各々の「生理的欲求」を満たすということは、実は途方も無く広範囲で高い水準の話であることが分かります。

不自然な状態は続かない

 そして自粛期間中は、その高い水準の「生理的欲求」をなかなか満たせないことに、人々はフラストレーションを抱いていた。

 それは、サービスを受ける側もそうですが、商売をする側もそう。これまでと同じような水準の生理的欲求を満たすためには、店を開けて金を稼がなくてはならないが、それを行わないで自粛している状態。

 これは、マズローの説を応用すれば、より基層の「生理的欲求」(経済)を差し置いて、高位の「安全の欲求」(感染防止)を追求するというということ。不自然な状態ではありますが、自粛期間という縛りにより耐えていた

 でもやっぱりそういう不自然な状態は長くは続かない。

 自粛期間であっても、そこから脱落する人は出てきていたし、まして自粛が解除されれば、ここぞとばかり「生理的欲求」を満たすために、多くの人々が街中に出てくる。

 「生理的欲求」を低レベルに抑えられれば、無闇に街中に出なくてすむから「安全の欲求」も充足できる。でも、それでは我慢できず、「安全の欲求」を犠牲にしてまで、高水準な「生理的欲求」を充足しようとする。

 これが人間の性なんですかねぇ。不条理ですねぇ。

 

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