私は先の1月31日に会社を退職し、リタイア生活に入っているので、前の会社が今頃どうしているかなど、気にしたところでどうしようもない立場です。
でも、何故か心配してしまうんです。
「今頃、会社ではどうやってコロナに立ち向かっているだろうか。大丈夫かなぁ」
目次
《東京都昭島市[拝島橋から]》
でもどこか他人事だったりもする
でも、「あぁ、変なときに退職してしまった! せめて騒動が収まるまでは会社にいて対応してあげられればよかった」なんてことは全然思いません。どこか他人事のように捉えているのです。
実際、他人事な訳です。もうその会社とは雇用関係には無いのですから。
給料を頂くことは無い代わりに、彼らのピンチを救う義務も無い。義務が無いどころか、部外者となった私が業務に携わることは立場的に許されない。
だから、心配はするものの気楽です。
例えていうなら、東京オリンピックをどうするのか、の話。
当のIOCやJOC、日本政府、東京都、出場予定・当落線上のスポーツ選手やその団体などは、気が気でないでしょうが、部外者である一般の日本国民や他国民は、心配はするけれど、他人事なのと同じ、といった感じでしょうか。
部外者なのに心配してしまう心理を分析
それでも東京オリンピックの行く末は、今後、日本経済(世界経済も?)へかなり影響しますし、オリンピックを見たい人も多いでしょうから、部外者であっても気にするのには合理性があります。
しかし、私が前いた会社については、もらうものはもらったし、実生活に影響するものでもないので、彼らがどうなろうと知ったこっちゃないのです、本来は。
にも関わらず、こういう心理になる理由を自己分析してみました。
会社員のときの気分が抜けていない
自分はつい数ヶ月前までは会社で仕事をしていました。当時の仕事についての記憶はまだまだ鮮明です。そのため、こういう緊急事態を迎えたとき、会社はどういう事態に陥るか、自分はどう動くべきか、退職した今でも、充分に想像を巡らすことができてしまいます。
例えば・・・
部分的に発注がキャンセルされたり、急を要しない業務は後回しが許されたとしても、毎日の仕事が全てなくなる訳ではない。在宅で作業を行うフローは確立されていないから、結局は出社を余儀なくされる。
一方、今の世間の状況だと、少しでも熱があったり怪しい場合は休め、ということになっている。
皆で協力しながら行う仕事だから、そんなにバンバン休まれたら、とてもフローは回らない。だからバンバン休まれたときのことを想定して、どうやって仕事を進めるのか、あらかじめシミュレーションをしておかなければならない。
なんてことを、ついつい考えてしまうわけですよ。
そういえば、リタイア前の土休日も、翌週からの仕事の進め方について色々と考えていましたね。案件によっては憂鬱になっていたりもしました。
まだまだ、会社員のときの気分が抜けていないのかもしれませんね。
部外者心理・野次馬根性を楽んでいる
一方で、上記のようなことを考えるのが、実はちょっと楽しかったりもします。
もし現役で仕事をしていて上記のような事態に陥った場合、非常に面倒臭く、かつ憂鬱な気分になっていたでしょう。
しかし、もう私は、そのようなことを行わなくてはいけないいわれはない。だから、面倒臭かったり憂鬱になったりすることもないのです。
つまりは部外者心理、野次馬根性です。野次馬というのは、内情がわかっていればいるほど楽しめるものなのかも、と思えています。
我ながら性格が悪いし、真剣に対応されている方には申し訳ないと思いますが、言い訳をさせてもらえれば、これも人間の本能だそうです。
非日常的事象に対して関心が向くのは人間の本能である。野次馬とは、こうした人間本来の本能が行動となって現れた現象の、好ましくない側面を指して言う言葉であり概念である。
まとめ
コロナ騒動が本格化したのは、私の退職直後でした。そのため、私の在職時の記憶とコロナ騒動との結びつきが強く、心配内容がより具体的になります。
その一方、その対応を自分が行わなくてよい、という安心感、内情を知っているが故に強まる部外者心理・野次馬根性のため、心配はするもののどこか他人事、という心理が引き起こされたのでしょう。
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