節約ネタで、「スーパーでせせこましい節約をしているのに、高額の出費について無頓着なのは本末転倒・・・」みたいなのがあります。
でも、私が数千・数万円程度の買い物する場合は、あまりケチケチせず、小銭のようにポーンと出しています。
逆に、普段、スーパーで買い物をする場合、数十円レベルの差額であっても、数万円レベルのものを買うときのように、吟味するようにして買うようにしています(ただしハシゴは基本しない)。
逆じゃないの?
そう思う方も多いでしょう。そのココロについて書いてみます。
目次
《山梨県甲州市・大月市(笹子隧道内部)》
当記事の標題について
スポーツに関連して次のような標語があります。
- ONE for ALL, ALL for ONE(ラグビー)
- 稽古は本場所の如く、本場所は稽古の如く(相撲)
これらの言葉について詳しく説明はしませんが、一見逆説的に思えて、そこに真理が含まれていることは認めざるを得ない、というのは分かるでしょう。
本記事のタイトル「小銭は1万円の如く、1万円は小銭の如く」も同様の意図を含んでいます。
小銭は1万円の如く
例えば、スーパーで食材を買う場合、値札を見て、効率の良い出費を心がけています。セール品、半額シール等で安くなっているものがあったら、それで出来る料理は無いか考えます。
豊漁・豊作により「良い物が安く売られている」ことも多いので、「安い=品質が悪い」とは限らなかったりするのです。
もちろん、単なる金額の最小だけを狙っているのではありません。半額シールが貼られていても、魚の体液でビチョビチョになっている刺身なんかは買いません。これを食べるだけで自分と家族が幸せになれる、と思えるなら、少々高額でもカゴに放り込むこともあります。
このようにしていっても、一回あたりで浮く額って、せいぜい数十円から数百円の小銭レベルなんですけど、1万円を使うときのようにちゃんと吟味します。
1万円は小銭の如く
例えば、最近、私はiPadのノートアプリに数学の問題や証明を書き込んでいる時間が極度に長くなったので、ブルーライトカットの眼鏡を買いました。
1000円前後の安物ではなく、数千円する物です。
値段と品質の良さが正比例するとは限らないけれども、数千円クラスの方が良い物・使いやすい物である可能性が高いので、最初からその価格帯に狙いを定めたのです。
もちろん、数万円クラスのものを買うときも同じ。
先日、自宅で使うための事務用椅子を9万円ほどで買った話を若干しました(リタイア後の生活費の推移)。個人ユースとしては結構高いように感じますが、躊躇せず、小銭を支払うのと同じ感覚で9万円を支払いました。
分析
数千・数万クラスの買い物をするたびにコスパを追求していっても、それで節約できる金額って、死ぬまでの間に100万ぐらい、と思っているんですよ、私の場合。
その100万の有無で今後の人生が変わるかどうかというと、多分、何も変わらない。死ぬときの貯金残高が100万円多くなるだけの話。だったら、今後の生活・人生がなるべく快適になる可能性の高い行動をとった方がいい。数千・数万ぐらいは小銭だと思って、良い物・サービスを買った方がいい。
こういう言い方に関して、「それはあなたがお金に余裕があるからそう思えるだけ」と反論を受けるやもしれません。
でも、私は、小銭を使うときでも、あたかも一万円のように吟味して使うようにしています。たとえ少額でも不要なものを買わない習慣が出来ているから、数千・数万クラスを買い物をするときにも、同様の行動をする。
つまり、「実際に数千・数万クラスの買い物をする段階」に至ったということは、そのような吟味を経ている、ということです。すると「安く買うこと」よりも「良い物えを買うこと」の方が重要性になってくる。
息をするように数千・数万を支出するのとは違うわけです。
★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます