物欲と節約、そしてセミリタイアへ
セミリタイア・FIRE関連のブログなどを読むと、「物欲がない」とか「節約」などの語がよく出てきます。
一瞬でも「いいな、欲しいな」と思ったものに対し、何でもかんでもお金を使ってしまうタイプは豪快であり、個人的に嫌いではありませんが、セミリタイアとかFIREを考えているとしたら、それは難しいんじゃないかと思います。
現在の私も物欲がない方だし、必要としないものにお金を(極力)使わないという節約体質の家計になっており、それがセミリタイアできたことの大きな要因であると、自己評価しています。
こう書くと、「そういう人生何が楽しいん?」みたいにおっしゃる否定派の物言いがあるわけですが、実際、欲しくないもの・必要のないものが、いくら大量にあったところで、自らの幸福には1ミリも寄与しないわけです。
このような考えの私ですが、そう考える理由が、以前と最近とで変化があります。以前の私だと、単純に「不要なものに金を使うのは無駄使いだ」ということだったのですが、最近は違います。
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まず、不要なもの・無駄なものが物理的に存在していること自体がストレス。
家が狭くて置く・しまうスペースが無い、というのではありません。あるいは、一部の人が言うように「物で家の場所が塞がれると、家賃に換算して○円損だ」みたいな損得勘定をしているのでもありません。
ただ、何か不純なものがある、喉元に何かがひっかかている、そういう感覚なのかもしれません。
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すると、私に不要と判断された物は、以降、不純なもの扱いされることになり、それが物に対して申し訳ないという気になってしまうのです。使わないまま処分するなんて物が可哀そうという風に感じるわけです。それが100円ショップで買ったものだったとしてもです。
私に買われなければ、これは他の人のもとで、もっと有効活用されたかもしれないのに・・・。
そのような気持ちになってしまうのは極力避けたいので、買い物の時点でモノを厳選する、というのが最近の私の思考回路なのです。
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もっとも最近はいい世の中になってきたもので、失敗した買い物はメルカリで売っています。儲けたいのではなく、物に第二の人生(物生?)を味わってほしいから。
テレビゲームは全てダウンロードだし、書籍や漫画も適宜デジタル版を活用しています。この種のコンテンツ系は、自分の知や娯楽の体系と思っているので、結果的にやらなかったゲーム、読まなかった本であっても不純なもの扱いをしていません。
だから処分もしたくないのですが、異常に場所をとるので仕方なく・・・ということを繰り返してきました(もちろんゴミ箱行きではなく古物商に引き取ってもらう、という方法ですが)。今後それをしなくてよいのは嬉しい。
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だから、現在の私には節約をしているという感覚はあまり無く、上記の思考回路により、自動的に節約になっている、だからセミリタイアも成立しているということです。
逆に、物理的なモノを伴わない商品、例えばテレビゲームのダウンロード版は、(セール狙いではあるにせよ)結構あっさり買うし、いざ物理的な物を買う場合でも、それが必要と判断したものであれば、(それがオーバースペックであったとしても)ワンランク上のものを選ぶようにしています。
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私は、これまでたびたび、もっとお金を使いたいみたいなことを述べていますが(例えば、死ぬまでに資産を全額使い切らなくてよいなど)、それは物理的なモノに使うというよりは、美味しいものを食べたり、珍しい体験をしたり、ということに重点を置いた発言です。私は今、自転車を二台持っており、それぞれ30万ほどしましたが、それはモノが欲しかったわけでなく、体験にお金を払っています。
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