ネットにはFIRE解説記事が溢れ、書店では資産運用本が山積みとなる。曰く、カネがどれだけあれば自由になれる、いやリタイアしても趣味や目的が無ければ、人は退屈に耐えられない・・・等々。
今、現にセミリタイア生活をしている私からすると、間違ってはいないが表層的な話ばかりだなぁと思います。リタイアしたことのないセルサイドのポジショントークだったり、最近はリタイア失敗者の一方的な体験談も増えてきました。
しかし、あなたがセミリタイアを志すなら、そのような記事や書籍を大量に読み漁るよりも、まずは、セミリタイア文学?の祖ともいえる『徒然草』に触れ、自分でよくよく考えてみることがオススメです。
徒然草は、鎌倉時代滅亡の前後に兼好法師により書かれました。彼は出家者ではありますが、多少は人々との関わりがあったので、当時のセミリタイア実践者といってよいでしょう。
ここでは、セミリタイア心得とも言うべき事柄を直接的に記した第123段を紹介していきましょう。古文が難しければ、現代語訳のみ辿っていくのでもOKです。
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無益のことをなして時を移すを、愚かなる人とも、僻事する人とも言ふべし。国のため、君のために、やむことを得ずしてなすべき事多し。その余りの暇、幾ばくならず。
【訳】無益なことをして時を過ごす人を、愚かな人とも間違ったことをする人とも言わなくてはならない。国のため、主君のため、やむを得ずやらなくてはならないことが多い。そうして残った余暇の時間は、いくらもない。
無益なこと、間違ったこと、組織のためにやっていること。そういうことにかまけている間に、自分のための時間がどんどん削られていく。そのことを嘆いた記録が、14世紀の日本に既に存在していたというのは、結構な驚きです。
しかし、そこまで時間を費やしてやっていることって実は大したものでもなく、人間にとって本当に大切なことって三つくらいしかないんだよ、というのが次に述べることです。
思ふべし、人の身にやむことを得ずして営む所、第一に食ふ物、第二に着る物、第三に居る所なり。人間の大事、この三つには過ぎず。飢ゑず、寒からず、風雨に侵されずして、閑かに過ごすを楽しびとす。
【訳】考えてもみよ、人の身にどうしても必要だから務めていることといえば、第一に食べ物、第二に着る物、第三に住むところだ。人間にとって大事なことは、この三つ以外にはない。飢えることなく、寒くて凍えることもなく、雨風を凌げるようにして、静かに過ごすのを楽しみとするのだ。
その三つって、自由とか思いやりとかの精神的なものではなく、食・衣・住という現実的な三つです。身も蓋もないように思えますが、人間が生きていくのに必要なことが明確に整理されており、現代日本に至るまで「衣食住」として重要な概念であり続けています。
更に進んで「その三つさえあれば、あとは静かに過ごしていけるわけだから、それで十分楽しいよ」と、いかにもセミリタイア者らしい、極端とも思える見解まで述べているのは微笑ましいですね。
ただし、人皆病あり。病に冒されぬれば、その愁へ忍び難し。医療を忘るべからず。
【訳】ただ、人には皆、病というものがある。病におかされてしまうと、その辛さは耐え難い。医療のことを忘れてはならない。
先の衣食住は、「生活を通常運転するのに必要なもの」でありましたが、トラブルも考慮しろ、ということ。それが当時だと「病気」だったのでしょう。「医療」という概念を持ち出したのも、なるほどと思わせます。リタイアブログを読むと、「健康の大切さ」を説いた記事も散見されますよね。
ちなみに、「医療」という言葉、西洋語を幕末・明治期に翻訳したものと思えば、さにあらず。8世紀に編まれた「続日本紀」に既に登場しており、息の長い漢語です。
薬を加へて、四つの事、求め得ざるを貧しとす。この四つ、欠けざるを富めりとす。この四つの外を求め営むを、おごりとす。四つの事倹約ならば、誰の人か足らずとせん。
【訳】(先の三つに)薬を加えて、四つのことを求めて得られないのが貧しいということだ。この四つに不足しないのが富んでいるということだ。この四つ以外のことを求めて行うのは贅沢というものだ。四つのことを無駄使いせずに暮らしていくならば、誰が不足を感じるというのか。
ということで、兼好は、人間にとって大事なものを、最終的に「衣・食・住・医(薬)」にまとめました。これらに不足しないなら、それはもう裕福と言ってよいし、それ以上を求めるのは贅沢である、というのは、セミリタイアの先駆者としては当然の見解でしょう。
が、一方で「これらに不足するなら貧しいよ」とも書いているのは注目です。当時の生活水準からして、「衣・食・住・医」に不足しない、というのは、それがたとえ「倹約」なものであったとしても、経済的なハードルは決して低くなかったはずです。
「静かに過ごすことを楽しみとする」ために、贅沢が必要ないのは当然として、修行僧のような禁欲を前提にしているのでもない。必要なもの・不要なものを取捨選択し、バランスのとれた経済力を確保せよ、それが「楽しく静かに過ごす」ことの秘訣だ、ということを兼好は言いたかったのでしょう。
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この段はセミリタイアに直結するようなネタでしたが、徒然草は、この手のネタで盛り沢山、ということではありません。
ただ、題材のチョイス、エピソードへの評価、処世術などが、隠遁者的な感性とユーモア・皮肉に溢れ、かつ俗世と付かず離れずの現実主義も顔をのぞかせるのです。
「700年前のセミリタイア者は、こんなことを考えていたのか」と思いを馳せることで、セミリタイアのための見えざるベースが出来ていく。最近増えているFIRE失敗(卒業)者には、このようなベースが欠けていたんじゃないか。そんな気がしています。
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