先日、中島らも氏の著書を引用し、江戸時代の「宵越しの金は持たねぇ」というのは、「経営者が一旦渡した金を再び吸い上げて、労働者を毎日働かせるシステム」であった、ということを述べました。
「宵越の銭は持たねぇ」とは金を吸い上げて毎日働かせるシステム
- 作者:中島らも
- 発売日: 2016/04/01
- メディア: Kindle版
刹那主義
当時は雇用者側の親方や口入れ屋などが、自ら胴元となって賭場をひらくケースが多かった。一度人に与えたお金をバクチでもう一度吸い上げるわけで、社会全体が一種の「タコ部屋構造」になっていたのである。
これはそういう欲得のこともあるのだが、ひとつには当時の職人の気質の問題もある。何日分か食べていける金が手元にあると、もう次の日からは働こうとしないのだ。(略)
当の本人はそれでいいのだろうが、それでは雇う側が困る。(略)このタコ部屋システムを維持するために「宵越しの銭を持たない」のがダンディという気風を広めたのである。(略)
実は、この章には続きがありまして、そのことを今回は書いていきます。
目次
《埼玉県日高市》
貯蓄の概念が浸透してきた明治から昭和
江戸時代は前述の通り「「宵越しの銭を持たねぇ」のがダンディだったわけですが、明治以降は貯蓄重視の世の中に変わってきたと、らも氏は指摘します。
それが明治から現在にかけて徐々に変わってきた。何度かの取りつけ騒ぎを経て、銀行というものが絶対につぶれないシステムになっていくとともに、通帳を眺めてニタニタ笑うのが趣味だという人の数も増えていった。
ニタニタしてたかどうかは別にして、私が子供の頃は「しっかり貯金をしておくべき」というのが常識だったような気がします。
- 月給制が普及し、計画的に金を使うことが必要になった
- 定期預金に預けておけば、お金が勝手に増えた(インフレもあったのですが)
- 当時は高額だった家電(三種の神器や3C)を手に入れるには、貯蓄しないと買えなかった。
などの背景があるでしょう。
アリとキリギリスの話では、一方的にキリギリスが愚か者扱いされていましたし。
バブルにより、貯蓄観念が江戸時代に回帰
しかし、らも氏は、続けて次のように書いています。
ところが、ここ十年くらいでそうした貯蓄観念にまた変化が起きているような気がする。
僕の友人に、一部上場の超一流企業に勤めている男がいるが、彼はほとんど貯金というものをしていない。毎年何度かは海外へ遊びに行って、ウィンドサーフィンやスキーにうつつをぬかしている。せっかくいい給料をもらっているのに、どうしてなんだ、とたずねると彼はこう答えた。
「それはたしかに給料はいいよ。しかしそこから仮に月十万円貯めたとしろよ。一年で百二十万円、十年で千二百万だ。いま千二百万で何ができると思う?」
そう言われてみればたしかにそうだ。千二百万では家は買えない。それなら借家住まいで遊んだほうが身のためなのかもしれない。宵越しの銭があまり役に立たない時代なんだろうか。
今では信じられないくらいに刹那的な考え方です。
本当に、このような刹那主義に回帰したのであれば、それはバブルの影響をおいて他に考えられません。
バブル期は1986年12月~1991年2月だそうで、一方、この本の初版は「1993年6月10日」。恐らくこの会話はバブル時代、あるいはその残り香のある時期になされたものでしょう。
オイルショックから立ち直り、バブルにより経済が急拡大した時代、フリーアルバイター(フリーター)なるものが、「何者にもしばられない新しい生き方」として、持てはやされてた記憶が私にもあります。以下、当ブログ過去記事からの引用。
フリーアルバイター、今でいうフリーターが持ち上げられていたのは、私が就職するかしないかの頃ですから、(コメントにあった)氷河期世代ではなく、バブル世代です。
今、フリーターというと、「正規ではどこも雇ってくれないので、やむを得ず非正規雇用で食いつないでいる人」というニュアンスですが、当時は違いました。「敢えて非正規を選び、自分のやりたいことをやる人」のことでした。
「バイトで金が貯まったら定期的に海外旅行で豪遊する人」、「自分の夢の実現に向け活動する傍ら、バイトで生活費を稼ぐ人」などが、多数登場していました。当時は空前の人手不足でバイトでも充分稼げたので、そのようなことが可能でした。
これも、相当な刹那主義です。
当時のフリーアルバイターにせよ、らも氏の友人の「一部上場の超一流企業会社員」にせよ、形態こそ違え、刹那主義という点では選ぶところがありません。
もちろん、人によって様々であったのですが、このような刹那主義がバブル期の一つの側面であったというのは間違い無いでしょう。
もっとも、それも故無きことではありません。
確かに当時の不動産価格は高く、しかもどんどん値上がりしていました。1200万円、いや、その倍の2400万があっても、全くお話にならないということが、少なくともイメージとしてはありました(今でもある?それは失礼)。
また、今と違って、100円ショップもユニクロもネットも普及しておらず、商品は割高で買えるものが限定されていた。お金の使い出が悪かったのです。
【過去の当ブログ参考記事】 今は空前のセミリタイアの好機?でも実行者は少ないね
こんな状態で日常生活でチマチマ節約するよりは、遊びにパーッと使ってしまって、また稼げばいい、というのも、確かに一つのあり方ではあったのです。
再び、刹那主義が後退
しかし、バブルがはじけて後は、刹那主義で生きることが難しくなって今に至っています。
マスコミで「その日暮らし」の人が取り上げられても、多くの場合、前項のような享楽家ではなく、非正規で金が無いから仕方なく、というパターンです。
老後破産がセンセーショナルに取り上げられ、若いうちからの老後資金準備が大事なのだ、という論調も盛んで、まさに「宵越しの銭は持たねぇ」の対極です。
いずれにしても「これだけ準備すれば安心」という基準はありませんが、準備をしているかどうかで、老後の生活に大きく影響してきます。とくに若い世代の人は、年金に期待できないからこそ、それに代わる備えが必要になります。
以上をまとめると、次のようになりますが、まるでシーソーのようですね。
- 江戸時代(職人層)
刹那主義(宵越しの金は持たない極端な形も) - 明治~昭和バブル前
貯蓄重視 - バブル期
刹那主義 - バブル以降~現在
貯蓄重視(若年から老後に備える極端な形も)
今も残る刹那主義の残滓
ただ、バブル期以降は貯蓄重視に振れてきたとはいえ、「若いうちは、金をどんどん使え」みたいな話は、今でも結構盛んに語られています。例えば・・・、
私の推測なのですが、これらはかつての刹那主義、特にバブル期の刹那主義の残滓なんだと思います。
上の記事を書かれた方が、バブル時代に既に社会人であったとは限りません。しかし、バブル期の頃から言われていた話が、バブル崩壊とともにきれいさっぱり無くなってしまうわけではなく、このような考え方も、現在まで脈々と受け継がれてきているのだと思います。
「刹那主義とは違う!自己投資だ!」と怒られてしまうかも知れませんが。
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