50歳で早期退職し、セミリタイア!

私セイルは50歳で早期退職、セミリタイアしました!その思いを綴ります。

ヒラに「経営者目線」を要求する現代日本 ~古代中国との比較~

 ただの従業員に対して「経営者目線」とやらを要求する会社があります。

 また、コンビニの店員って、仕事の範囲が多岐にわたっていて、給料に合わず大変だと聞きます。

 現代日本は、薄給の従業員に対して、要求が多過ぎるんですよね。これに関連して、古代中国の書『孟子』に面白いエピソードが載っていたので、書いてみたいと思います。

 ちなみにここで言う仕事とは「どうやって天下を治めていくか」みたいな高尚なことではありません。低賃金の単純労働における話です。

 

目次

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 《埼玉県飯能市:天文岩》

フリーター・孔子のエピソード

 『孟子』には、孔子先生も時折登場します。

 以前も述べましたが、孔子先生は、王様の家臣になろうと求職していましたが、なかなか良い職が見つからず、ゲームで暇つぶしをしていたりしました。

50retire.hateblo.jp

 また、バイトなどもしていたようで、もしかしたら、記録に残っている世界最古のフリーターなのかもしれません。以下、『孟子』の中に出てくるフリーター時代の孔子のエピソードです。

孔子嘗為委吏矣、曰「會計當而已矣」。嘗為乘田矣、曰「牛羊茁壯長而已矣」。

 

孔子は以前、倉庫番(委吏)をしていたときには、「品物の出し入れと金勘定が合っていればそれでいいんだよ」と言っていた。また以前、牧場管理(乘田)をしていたときには「牛や羊がしっかりと育っていればそれでいいんだよ」と言っていた。

  倉庫番とか牧場管理とか、いかにも当時のフリーターにふさわそうな職種ですが、その仕事さえちゃんと出来ていれば、それ以上のことは別に求めないし、求められない。

 一見、当たり前のように思えますが、ヒラの従業員にさえ、「経営者目線」とか「お客様は神様です」とか、面倒臭いことを言い出す日本の職場とは随分違う感覚です(松下さんや三波さんの発言が、かなり曲解されて伝わった印象)。

「貧乏人が食いつないでいくための仕事」の心構え

 実は、前項の孔子先生のエピソードの前後には、孟子先生の言葉があります。

 まずエピソードの前に書かれている言葉。

孟子曰「仕非為貧也、而有時乎為貧(略)。為貧者、辭尊居卑、辭富居貧(略)。惡乎宜乎。抱關擊柝。」

 

孟子は言った「仕事というのは、(本来、)貧乏の(なか食っていく)ためにするというものではないのだが、時には貧乏のために仕事するということもある(略)。貧乏のために仕事する者は、高い地位(尊)は諦めて低い地位(卑)に甘んじ、金持ち(富)になるのは諦めて、貧乏に甘んじることになる(略)。どういう職種がいいだろうか。門番(抱關)とか夜警(擊柝)なんかどうだろうね」

 孟子先生も孔子先生と同じく、どこぞの王様の家臣になり、世の中をよりよくしようと考えていた方ですから、その「仕事」というのも本来は尊いものであって、自分が生活していくためのものではなかった。

 でも一方で、「貧乏人も食べていくために仕事しなくてはいけない」という事実も、ちゃんと認めていた。薄給ではあるが、門番や夜警(今でいう「守衛」か?)のような職種を提案しているわけです。

 ここで、先の孔子先生のエピソード、つまり、「貧乏人が食いつないでいくための仕事(倉庫番、牧場管理)」でバイトしていた孔子先生のセリフが引用されます(以下、再掲)。

孔子嘗為委吏矣、曰「會計當而已矣」。嘗為乘田矣、曰「牛羊茁壯長而已矣」。

 

孔子は以前、倉庫番(委吏)をしていたときには、「品物の出し入れと金勘定が合っていればそれでいいんだよ」と言っていた。また以前、牧場管理(乘田)をしていたときには「牛や羊がしっかりと育っていればそれでいいんだよ」と言っていた。

更にその後、孟子先生が次の言葉を続けて終わりになります。

「位卑而言高、罪也。立乎人之本朝、而道不行、恥也。」

 

「地位が低いのに高言を吐くのは罪である。(一方で、)朝廷で人の上に立ちながら、正しい政治の道が行われないのは恥である」

 「貧乏人が食いつないでいくための仕事」は、高い地位・給料が得られない、発言権もない(下手に発言したら罪に問われる)、いうなれば賤業です。このことだけを見れば、孟子先生は職業に貴賤をつける差別主義者ということになるかもしれません。

 でも、そのような職種は、業務範囲や責任が限定的に抑えられています。

 倉庫番なら、品物の出し入れと金勘定があっていればそれでいい。牧場管理なら、牛や羊がしっかりと育ってくれればそれでいい。最低限のことだけはしっかりやるべきだが、それ以上のことは求めない

 道徳の権化のような孔子先生・孟子先生でさえ、こういう感覚。

 倉庫番や牧場管理、門番や夜警は、得られるものが少ない分、彼らに過剰な負担を与えたり、高貴な志を求めたりして、疲弊させるようなことはヨシとしなかったのです。

高官で仕事ができない者は"恥"

 一方で、地位や給料が高い、発言権がある職種の人に対しては、多くのものを得ている分、それだけの実績を出せなければである、という評価を、孟子先生はしています。

 "恥"というと、単に恥しいというだけのように捉えてしまいますが、『孟子』の他の部分を読み合わせると、「存在自体が恥」みたいな、まことに強烈な批判の言葉のように思えます。

 なにしろ、「高官であっても、高官の名に値しない仕事しかできない人物」が多数いた時代のことです(え、今も?)。そのような人物は、門番や夜警に甘んじるべきなのに、高官に就いて、人々を困窮させるようなことばかりしているのですから困ったものです。

おわりに

 現代日本は、ヒラ社員やただの店員に対し、薄給なのに、異常に多くのことを求め過ぎるきらいがあります。職業に貴賤なしとはいうものの、そのことを逆手に取って、平社員や、単純労働者にまで高い道徳を求めたりする。ほとんど彼らに見返りを与えないのに。

 だから、古代中国のこのエピソードを読むと、むしろこちらの方が考え方としては普通というか、まともに思えてくるのです。前にも言いましたが、2000年以上前の外国の話ですよ。これが現代日本よりまともに思えてしまうのです。

 

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