最近私が拝見しているyoutuberの方が、現在危篤になっています。このことを知って、色々と考えることがあったので、書いていきます。
目次
《東京都青梅市(よく見ると都バスのバス停あり)》
そのyoutuberの方のこれまでの流れ
そのyoutuberは次の方。
最初30代くらいかな、と思ったのですが、様々な動画を拝見する限り、テレホーダイやドラクエ3の抱き合わせ販売のことなど相当古い話題が出てくるので、私よりは年齢は下なものの、メチャクチャ下という訳でもなさそう。
動画を見始めたのはここ数ヵ月のことなので、詳しいことは存じ上げないのですが、命にも関わってくるようなご病気をお持ちのようです。そのためかどうかは分かりませんがキリスト教を信仰されています。
また、最近、大学に通い始めて(社会人入学?)、フランス語を専攻されているようです。ご病気の関係で進級も危ぶまれたが、どうにかGW後から2年生として通学を再開、その矢先に倒れられた。
このような重篤な状態であって、病院のベッドから動画をアップ。「死ぬかもしれません」というのは比喩でも引っ掛けでもなくガチです。動画を見始めたのは最近のことですが、ご快復を心からお祈りしたい。
「時間は大切」ということどこまで差し迫って考えているか?
この動画で、「死ぬのは怖くない。天の国に行くだけだから。でも大学は卒業したい・・・あと3年・・・」と泣きながらお話されているところは、特に印象に残りました。
FIREとか早期リタイアの文脈でよく出てくる「仕事に縛られたくない」とか「自由に生きたい」みたいなセリフとは次元の違う重さがある。
私も「本を読みたい」とか「大学で数学を学びなおしたい」とか考えていたけれど、この動画投稿者の「大学は卒業したい」に比べれば、何と軽いんだろうと。
「時間は大切」というのは観念的には誰でも理解している。でも、どこまで差し迫って考えているのだろうか?
私もリタイアして時間はいっぱいあるけれど、いや時間があるだけに、全然切迫感が無い、というのが正直なところ。
「できるビジネスパーソン」が「スキマ時間をうまく活用!」みたいなのも、ここでいう「時間は大切」とはちょっと違う。「生きているうちにこれだけは!」という自分の内から湧き出てくる切なる思い、というか、そういうものに突き動かされて生きている人というのは、リタイア者も、できるビジネスパーソンも含めて、そんなにいないんじゃないかと思うわけです。
私の同期は既に3人も亡くなっている。もっと切迫感を。
ちなみに、私の会社の同期は二十数人いましたが既に3人亡くなっています。実に1割強。うち2人は結構最近のことです。事故と病気。あとタレントの上島さん。
ついこの間まで元気だった人たち(あるいはそのように見えた人たち)です。
そう考えると、私だって、まだまだ残り時間は何十年もあるように考えていても、実はあと少しなのかもしれない。リタイアして「素(す)の時間」は十分得ていますが、その「素の時間」をもっと色付けすべく、もう少し切迫感を持って生きたほうがよさそう。
それは「社会に役に立つ」とか、必ずしもそういうことではなくて、「生きているうちにこれだけは!」と心の底からそう思えることを、もっと生活の中心に寄せていきたいですね。
★初めてお越しの方へ。以下にて私のセミリタイアの概要をまとめてあります。
⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます