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私セイルは50歳で早期退職、セミリタイアしました!その思いを綴ります。

【野党共闘総括・3】野党共闘は本当に効果があったのか?

 全くセミリタイアブログとして機能していませんが、野党共闘についての3回め。

 これまでは野党共闘の歴史について述べてきましたが、今回はいよいよ、「野党共闘は本当に効果があったのか?」というテーマについて、私の考えを述べていきます。

 

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50retire.hateblo.jp


目次

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《東京都奥多摩町奥多摩湖

野党共闘についての結論

 いきなりですが、結論は2段階に分かれます。

  1. 今回の選挙「だけ」を見るならば、共闘したことにより議席が若干増えている可能性がある。ただ、それは「共闘していなかったら、更に大惨敗していた」ことの裏返しである。
  2. ここまで党の支持が低迷しているのは、野党共闘が大いに関係しているので見直した方がよい。

というもの。

以下、詳しく。

今回の選挙だけを見るならば、共闘したことにより議席が増えた

 まず、自民・立憲・維新について、公示前勢力と当選者数を、小選挙区・比例ごとに表にまとめました。

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小選挙区における成果

 小選挙区については、立憲は48議席から57議席に増やしています。これをもって、「野党共闘は効果があった」という論調があり、私も一定程度、賛成しています。

 ただ注意しなくてはいけないのは、自民は210議席から189議席と21議席も減らしているのに、立憲は9議席しか増やしていない点。なぜ、このような差分が生じるか?それは、大阪で自民は維新に全敗したからです。つまり、自民の議席を削ったのは、立憲より、むしろ維新の方が多いのです。

「大物」議員の落選

 今回、自民の「大物」とされている、甘利氏、平井氏、石原氏が小選挙区で落選しました。これをもって、「野党共闘の成果」と言う方も、(野党支持者を中心に)多いです。

 ただ正直なところ、これらの方々は、麻雀で言うと小三元クラスです。しかも、それぞれ、落選に値する選挙区特有の事情がありました(詳細は略)。

 一方、立憲の方は、タンヤオピンフで相当に負けている他、小沢氏、辻元氏、平野氏といった大三元クラスまでもが小選挙区で落選。また、落選には至らなかったものの、枝野代表が接戦まで追い込まれてしまっており、共産の票が載っていなかったら落選濃厚でした。

東京選挙区での「共闘成功」

 東京では比較的、共闘が成功したと言われています。しかし、個別に東京で立憲が勝った選挙区を見てみると、実は維新も出馬しており、漁夫の利で勝利を掴んだケースが少なからず散見されます。例えば東京6区。

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共闘による効果は限定的

 以上を踏まえると、共闘による効果は見いだせるものの、かなり限定的なんだろうと思います。

 選挙後、良く言われているのは、立憲民主党は、足し算しか出来なかった。共産と組むことにより逃げる票を、甘く見ていた」というもの。

 共産と組むことで得られる票・逃げる票とありますが、小選挙区では、得られる票が結果的に上回ったからこそ、9議席増加することが出来たのでしょう。

 ただ、これは、相当に多くの選挙区で候補者を一本化したにも関わらず僅か9議席の増加にとどまった、という見方も出来るわけで、共闘していなかったら、さらにひどい惨敗となっていた可能性がありました。

 やはり、これは、共闘の成功を喜ぶよりも、何でここまで共闘したのに小選挙区でたった9議席しか増えないんだ、という問題設定をすべきなのだと思います。

ここまで党の支持が低迷しているのは、野党共闘が大いに関係している

比例代表の結果など

 党の支持の低迷が直接に分かるのは比例代表です。立憲の場合、公示前の62議席は難しかったとしても、せめて50議席ぐらいは欲しかったところ。しかし、実際には23議席も減らして39議席にまでなってしまいました。

 また、先日も述べた通り、今回の立憲の当落を系譜別にみると、旧・国民民主党からの合流組はやや善戦したものの、立憲民主党のエッセンスをより強く持っている旧・立憲民主党からいた人(特にスキャンダル追及型の人)の多くが落選してしてしまっています。あまり語られませんが、このことも、立憲民主党の低迷ぶりを示唆する事実です。

共産党との距離、という重いテーマが、党の地力を削っていった

 なぜ、こんなにも立憲民主党の支持が広がらないのか。それは多くの方がおっしゃっている通り、「何でも反対で建設的な提案に乏しい」「左に寄り過ぎ」と多くの国民に思われてしまったことにあるのでしょうが、ここでは、もう少し俯瞰して考えてみます。

 前々回で述べた通り野党共闘は2015年の安保法制の件をキッカケに共産党の言いだしっぺで始まって以降、党内に爆弾を抱えることになってしまいました

 あまりにもセンシティブ過ぎるテーマなので、大々的に「共産党がー」とは言いませんが、所属議員に常に重くのしかかっていた問題であり、それ以降の代表選、あるいは党の離合集散の背景には、必ず、「共産党との距離」という重いテーマが潜んでいたのです。

 このことで、所属議員は本来の党の政策の他、このテーマに対応するために相当にエネルギーを使わざるを得ず党の地力を削っていった、というのは否定できないと思います。

共産党と結びつくことで、発想・行動が共産化し、独自性を失った

 一方で、共産党と協力を行うことで成果が出ている選挙もあったので、ずるずると共産との結びつきは強くなっていきます。特に今回は、とうとう一線を越えて「政権選択選挙における、共産党との政策協定」を行うまでになってしまいました。

 共産党という党は、スキャンダル追及などもしますが、実は一方で、独自の政策を持っており、党として非常に強固です。一方、民進党立憲民主党は、「容共か反共か」「国の安全保障」といった根本的な部分で党内に対立があるため、党としてのまとまりが稀薄です。

 そんな2党が連携すると、民進党立憲民主党の発想・行動がどんどん共産党に引っ張られていくのは当然のことなのです。

【長島昭久氏、民進離党会見詳報(1)】「『アベ政治を許さない!』と叫ぶことを求められた。熟議も提案もない」と痛烈批判(5/7ページ)

「党内ガバナンス」という魔法の言葉によって、一致結束して「アベ政治を許さない!」と叫ぶことを求められ、(略)行き詰まると、院外のデモ隊の中に飛び込んで、アジる、煽る、叫ぶ。

 こうして、民進党立憲民主党という党の独自性が失われた結果、野党第一党」という無色透明な存在になってしまい、党としては、政権批判パフォーマンスと、共産票を獲得することが拠り所になってしまった。

なぜ民進党はここまでバカにされるのか 離党した長島昭久衆院議員が激白

私が掲げた国会戦術は、極めてシンプル。各議員が自分の得意分野で堂々と閣僚に論戦を挑むというもの。しかし、国対幹部からは、「そんな地味な質問をしても翌日のヘッドラインは取れないし、ワイドショーも取り上げない」と一蹴されてしまった。

 もっとも、各議員を個別に見れば、政策中心にやっている人もいるのでしょうが、そういう人達を党内で引き上げたり、彼らの政策を「党の政策」として一つにまとめあげて発信したり、ということは、あまり力を入れてこなかった(全くやってなかったとは言わないが、力点がそこに無かった)。

 結果、政治家としては、蓮舫氏や辻元氏みたいな方々ばかりが目立っていた。政策としては、本来の党の立ち位置である中道左派的なものより、アベノミクスの全否定みたいな、一体どこの共産党というようなものが並ぶことになった。

まとめ

 今回の選挙「だけ」を見れば、表面的には「野党共闘は効果があった」のですが、ここ5年間の野党共闘、および野党共闘を背景にした離合集散によって、民進党立憲民主党は、党としての地力が相当に削がれていて、潜在的に、相当な議席数を失っているのだと思います。そう、今回、野党共闘により小選挙区で増加した9議席以上に

 だから、非常に困難だけれども、野党共闘は見直した方がいいですね。まぁ、共闘だけ見直しても、その他の発想・行動が変わらなければ意味が無いのですが、ただ、共産党がセットでくっついてくる限りは、発想・行動を変えることはそもそも無理でしょうから。

 

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