2:6:2の法則についてご存知の方は多いでしょう。
- (略)
- よく働いているアリと、普通に働いている(時々サボっている)アリと、ずっとサボっているアリの割合は、2:6:2になる。
- (略)
- サボっているアリだけを集めると、一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。
これは働きアリの研究によるものですが、人間社会にまで広げて解釈している記事が少なくありません。例えば・・・。
組織エンゲージメントを高めるために必要な「2-6-2の法則」 | TUNAG
集団において、全体の2割の人間が意欲的に働き、6割が普通に働き、残りの2割が怠け者になる傾向が高いという法則です。
本当は、この法則を検証なく人間にまで拡大解釈するのは、学問的にどうかと思うのですが、面白い話なので、私も乗っかることにします。
目次
《東京都青梅市:金刀比羅神社》
6割の中間層をいかに仕事好きに仕立て上げるか
2:6:2を日本社会の労働に当てはめれば、
- 2割は、仕事好き層(仕事が好きで好きでしょうがない層)
- 6割は、中間層(まぁ普通に働いている人)
- 2割は、仕事嫌い層(全然働かないか、仕方なく最小限働く)。
となります。
仕事好き層の2割は、誰に言われることなく沢山仕事をするでしょうが、それだけでは社会全体としては不足でしょう。支配層・経営層は、残りの8割の人にもしっかりと働いてほしいわけですが、仕事嫌い層の2割は腰が重い。
そこで、ターゲットとなるのが6割の中間層。普通に仕事はする人達に対して、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、仕事をしてほしい。6割の中間層をいかに仕事好きに仕立て上げるかが勝負なわけです。
先に挙げた記事では、もっとマイルドに「エンゲージメント」なんて言葉を使っています。
エンゲージメントを高める方法で一番ベストな方法は「中間層の6割」にアプローチをすることだと考えています。中間層の引き上げしか、全体のエンゲージメントを高める方法はないと思っています。中間層を引き上げていくことで、高い上位2割の人たちを更に引き上げることもできます。
でも、露骨に表現すると、私が上記に書いたようなことになるわけです
仕事好きに仕立て上げるやり方
中間層を仕事好きにする方法ですが、これは、基本的には2割のもともとの「仕事好き層」が考案するものでしょう。というのも、「中間層を仕事好きにしなくては」と考えている支配層・経営層の多くが「仕事好き層」の出身だからです。
だから、その方法論にも「仕事好き層」の発想が強く反映される。特に日本で普及しているのは「やりがい」でしょうな。
「仕事好き層」は当然ながら「仕事というのはいいもんなんだ。やりがいのあるものなんだ」ということを考えている。逆に言えば、彼らの言っていること考えていることをつきつめると、結局「やりがい」というところに行きつく。
そこで、手を変え品を変え言葉を変え、その考え方の普及促進に努めている。
だからこそ、学生たちは就活の時点から「やりがいのある仕事を!」みたいなことを、異口同音に言うわけです。面接でも「~という理由で御社で働くことはやりがいにつながると考えています」などと言うのかもしれません。「やりがい」という言葉は、自らの仕事好きをアピールできますから。
「やりがい」という言葉をここまで浸透させたことで、本来、中間層であったはずの多くも人も、「仕事にやりがいを見出す」ことで仕事好きに変貌する。
あるいは、そこまで至らなくとも、「仕事にやりがいを見出すことで、自分も仕事好きにならなくてはならないんだ」と感化させる。そうすることで、少なくとも(表面上は)「仕事好き層」に迫るパフォーマンスを上げてくれるようになるわけです。
「やりがい」という言葉のルーツは「仕事」
この記事を書いていたら、いつの間にか「やりがい」の話になってしまったので、もう少し続けます。
2割の仕事好き層による「やりがい」の構造を、6割の中間層に持ち込んだことが、日本人の労働の在り方に深く関わっていて、これが日本の経済発展に大きく貢献したのでしょうが、現在では「やりがい搾取」などの問題を生んだのではないかと思っています。
ところで、この「やりがい」って言葉、いつ頃から、どのように使われていると思いますか?
早速、全13巻の日本国語大辞典をひいてみると、最初期の用例は次のごとし。
やりがい【遣甲斐】 あるものごとをするだけの値打ち。努力に見合う効果。
茶話(1915-30)<薄田泣菫> お水「女に有難られる仕事ほど行(ヤ)り甲斐のあるものは無い」
異形の者(1950)<武田泰淳> 「それに堪へる困難な路を歩むことは、やりがひのある仕事であらう」
つまり、この言葉はそう古いものではなく、明治から大正の頃に発生し、昭和戦後に普及していったものと見てよいでしょう。
興味深いことに、どちらの用例もやりがいの対象が「仕事」です。現代でも「やりがい」という言葉は、仕事に対して最も多く使われるのでしょうが、そのルーツは、ここにあったのです。
最初の用例をもっと多く青空文庫から持ってくると、
忠朝は生きてゐる間うちは、鉄の棒を揮(ふ)りまはす外には何の能も無かつた男に相違ないが、死んでからは面白い内職にありついてゐる。
内職といふのは、禁酒の願を聞くといふ事なのだ。
一体男に禁酒させるのは、女に有難がられる第一の功徳で、世の中に仕事といふ仕事は沢山あるが、女に有難がられる仕事ほど行り甲斐のあるものは無い。
やりがいのある仕事の第一号は「人に禁酒させること」、その理由は「女性に喜んでもらえるから」。結構、微笑ましいエピソードのように思いますが、今は手垢が付き過ぎまね、「仕事のやりがい」は。
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