50歳で早期退職し、セミリタイア!

私セイルは50歳で早期退職、セミリタイアしました!その思いを綴ります。

リタイアすると幸福の人になる理由は「忠義からの解放」

 先日、日本国語大辞典なる全13巻の巨大辞書で「幸福」という言葉を調べてみたら、その初出は次のものでした。

 すべて忠臣・孝子・貞婦とて名に高きは、必不幸つみつみて節に死するなり。世にあらはれぬは必幸福の人々なり。

 これは、上田秋成という人が書いた「胆大小心録(たんだいしょうしんろく)」という随筆に現れるもの。日本国語大辞典によれば1808年と言いますから、江戸時代後期の文化年間ぐらいでしょうか。

胆大小心録 (岩波文庫)

胆大小心録 (岩波文庫)

 

  ここに「不幸」という言葉と「幸福」という言葉がともに現れ、哲学者の書いた仰々しい幸福論とは一線を画した、上田なりの不幸・幸福論が簡潔に記されている、という点に、興味深いものを感じるのです。

目次

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 《埼玉県秩父市・秩父橋と旧秩父橋(奥)》

忠誠、孝行、貞操も行き過ぎると、継続する不幸をもたらす

 著者と著書については、wikiをリンクしておきますので、興味のある方はお読み下さい。

  上田秋成 - Wikipedia

 そして先の引用は『胆大小心録』の第155段に登場します。私の方で訳してみます。

 総じて、忠義の家臣、孝行息子、貞操を守る婦人といったことに評判高い者は、必ず、不幸が積み重なって、節義を守るうちに死んでしまうものだ。

 (そのような形で)世に知られることの無い者は、必ず、幸福の人々なのである。

 忠義、孝行、貞操というのは、何れも「他者のために自分を殺して奉仕せよ」という道徳

 こういうものを突き詰めていくと、世の中からは称賛されるんだろうけど、自分を殺している当人にしてみれば不幸。しかも、一時の不幸ではなくて継続して積み重なっていく不幸

 かといって、忠義、孝行、貞操を止めるわけにもいかない。それらによる心労のためか、あるいは、死をも辞さない覚悟のためか、結局は不幸な状態で死んでいく。かの赤穂浪士も、その一例でしょう。

 不忠、不孝、不貞を積極的に勧めるのではないが、忠義、孝行、貞操もホドホドに目立たないようにしておけば、世の中から称賛されない代わりに、気楽で幸福

 分かる気がするなぁ。

現代日本社会では、「忠義」が別格

 現代日本社会でも忠義、孝行、貞操という価値観は残っていますが、うち、孝行、貞操については、それを守って人を不幸にする要素はほとんど現代に残っていません。

 しかし、忠義だけは別格の扱いを受けていて、これが行き過ぎて、過労死、過労自殺で亡くなってしまったり、会社のために悪に手を染めたみたいなことで逮捕されてしまったりする人がいるわけです。世にパワハラが跡を絶たないのも、忠義が別格扱いであることの証でしょう。

 もちろん、現代に「殿さま」はいませんが、「会社」や「職場」、さらには「世間」がその役割を果たしていて、それらの価値観に対して忠義を示しておかなければならない、ということが少なからずあります(内心はともかく表面上は)。

 江戸時代であれば、忠義が求められたのは、武士や一部の商人など、組織で働く人限定の話ですが、現代日本では、その「組織で働く人」が大半を占めちゃってます。言うなれば、「一億総忠臣時代」なのです。

 そういうなか、競争をさせられ、とりわけ忠義を示したと認められた人、あるいは、忠義の示し方が上手だった人が、出世したりするわけです。

忠義の価値観だけが別格のまま現代まで保存されている理由

 孝行や貞操は、単なる親子間・夫婦間の関係であり、これらを軽視したところで、余程のことがなければ、家庭にいづらくなるぐらいの話ですが、こと忠義について言えば、それは社会との関係です。

 会社に対して忠義を示せなければ、行きつくところはクビですし、世間に対して忠義を示せなければ、行きつくところは「社会的な死」です。何れも飢えに直結します。

 このような状況が、いまだに忠義が幅をきかせていることに一役も二役も買っているのでしょう。

リタイアして「忠義」から解放されると「幸福の人」になれる

 そこで、早期・セミリタイアです。

 リタイアすると、「忠義」という価値観からかなり解放されます

 まず、特定の組織や上司に忠義を示すがために、自分のことを後回しにする必要が無くなります。

 セミリタイア後にバイトをする場合もあるでしょうが、目の前の仕事に真摯に取り組むのは必要としても、忠義を尽くすために、自らの幸福まで差し出す必要など、サラサラ無いのです

 世間に対してもそうです。というか、早期・セミリタイア自体、「勤労の義務」信奉者の多い世間サマに対しての重大なる不義なわけでありまして・・・。ここまで重大な不義を犯しているのであれば、あとの不義など全然大したことない(殺人・窃盗・脱税などの法令違反はここではおいておきます)。

 そして、この「忠義」という価値観から解放されると、これまで自分を拘束してきた枷(かせ)が外れ、本当に晴れ晴れした気分になります。上田秋成が言った「幸福の人」という表現はまさに至言ですね。

 

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