「稼げない人は価値が無い」という発想で人生後半に幸せになれるか?
今日は次の記事。
人生後半戦に「価値のないオジサンになる人」と「ずっと稼げる人」の8つの分岐点
人生の後半戦に「価値のないオジサン」にならないためにはどうすればいいのか。マーケティングコンサルタントの酒井光雄氏は「年齢にかかわらず、成長を続ける人は自問と行動を繰り返す。仕事を通じて自身のブランドを築くことが、人生の後半戦を左右する」という――。
この標題は「稼げない人は価値の無いオジサンである」ということと、ほぼ同義だと思いますが、なかなか辛辣ですね。
もっとも標題をつけたのは、おそらく酒井氏ご本人ではなく、プレシデントの編集部だと思いますが、記事の内容はここまで辛辣でないにしろ、大同小異です。
記事内容を完全否定するわけではないにせよ、それを実践して幸せになれるのって、ホンの一握りではないのか?などと思うわけです。
目次
《東京都奥多摩町:仏様の脇に宝暦4年(1754)とある》
大半の40代後半~50代は、職場において「アガリ」になる
40代後半から50代にかけて定年退職が視野に入り始めると、これから自分はどれだけ実績を上げ、どんな評価を得られるかを自身で把握できるようになります。この年齢で管理職に昇進していなければ、これから先も役職に就く可能性は限られ、収入は増えていきません。
(略)
40代後半から50代に「アガリになる人」と、「伸び続ける人」との分かれ目はどこにあるのでしょうか。その分岐点ともいえる8つのポイントを踏まえて、後半戦も社会が求める人材として活躍できるように自身をチェックしてみてください。
これの前半部分は、概ね正しい認識だと思います。以前も当ブログで次のような記事をアップしています。
【過去の当ブログ参考記事】 中年の危機 ~40代の悲哀を考える~
ただ、後半部分、40代後半から50代において、「アガリになる人」と「伸び続ける人」はフィフティ・フィフティで存在するのではなく、前者が大半であり、後者は一部である、という点が抜けています。
また、ここでいう「アガリ」とは、「職場において、より上の役職について収入を増やす、という可能性が断たれた」という、限定的な状況であることにも注意。
逆にいえば、「伸び続ける」とは、「職場において、より上の役職について収入を増やす」ということになります。
職場で「伸び続ける」を目指しても、多くの人は幸せになれない
「伸び続ける」って、字面上は、いかにも良いことであり、誰もが目指すべきことのように捉えてしまいますが、「職場において、より上の役職について収入を増やす」と具体的に言い換えてしまうと、その言葉にまとわりついていた普遍的なニュアンスが取り払われ、限定的・個別的な話になってきます。
逆にいえば、「職場において、より上の役職について収入を増やす」という限定的・個別的な話でしかないモノに、「伸び続ける」といった美辞麗句が冠され、それが普遍的な価値があるかのように扱われ、「伸び続ける」ことに邁進させられるのが、多くのサラリーマンの姿です。
それでも、定年に至るまで「伸び続ける」がことが本当にできるのなら、努力が報われて幸せなんでしょうが、先にも述べた通り、40代後半・50代になると、大半は頭打ちになります。
大半の人が、いつまでも伸び続けるなんて出来っこない仕組みになっているのに、「稼げない人は価値が無い」などと煽られて、40代後半・50代になってもなお、不毛な「伸び続ける」ための努力をさせられ、やっぱり伸び続けることが出来ずに、定年を迎えることになる。
不幸とは言わぬまでも、あまり幸福ではなさそうなストーリーです。
仕事とは別のところに価値を見出す
これまで述べた、
- 稼げない人は価値が無い
- アガリになる人
- 伸び続ける人
というのは、あくまで、仕事、しかも出世目線の言葉。
仕組み上、40代後半以降は「アガリになる人」が大量に発生してくるのは避けられないわけで、それを一律に「稼いでいない、価値の無いオジサン」と言うのもどうなのかな、と。
文句を言うばかりでもしょうがないので、いくつか提言っぽいことも書いてみます。
私が思うに、「伸び続ける」ということにいつまでも拘るから、苦しい状態が続く。伸びる伸びないって、たかが職場の地位や収入といった限定的な話です。
そこで、まずは、40代後半になったら、「伸びる伸びないといったことを忘れて、今までのキャリアの範囲内でよいので、目の前の業務に真摯に取り組む」ということ。
出来もしない「伸び続ける」努力を続けるよりは、その努力を「積み重ねてきたものを良い形で生かす」方に振り向けた方が、いい結果が出るのではないかと思うからです。
もう一つは、仕事とは別のところに価値を見出しておくことです。
先の記事では
成長を続ける人は、「仕事を通じて、(略)
人生の分岐点を迎えても、年齢によって自分の限界を決めつけることなく、自身の可能性を拡張するために知恵を使い行動を起こしましょう。「アガリの人」などという概念は自分自身で払拭し、一度しかない人生を価値あるものとして過ごしてください。
などとありますが、「アガリの人」「一度しかない人生を価値あるものとして過ごしてください」というのが、仕事・出世目線の捉え方でしかないことに、発想の狭さを感じます。
しかし、人生には、仕事の他にも様々な要素がありますから、そういうところに価値を見出しておけば、たとえ、職場では「アガリの人」となっても、その分野ではまだまだ伸び代はあるわけです。
つまり、トータルで見れば「アガリの人」でも何でもない。稼げないからって価値が無いわけでもない。
人生後半戦においては、この人の言うようなことはあまり役に立たず、「仕事・出世とは別の価値観」を、自分の中に醸成しておくことが幸せになるポイントではないか、と個人的には思っています。
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二拠点生活なんて楽勝。場所はトカイナカが狙い目だろう。
コロナのテレワークの影響で注目されているのでしょうか、地方移住&2拠点生活の特集が、例のダイヤモンド・ザイ12月号で組まれるそうです。
ただ、こういう話になると、必ず「そんなこと出来っこない!」という声が大半を占めることになるんですが、地方移住はともかく、2拠点生活なんて楽勝ですよ? 実際に2拠点生活していた私が言うんだから間違いない。
【過去の当ブログ参考記事】 リタイア前に二拠点生活していた私、そのリアルを語る
目次
《東京都檜原村:秋川の水面》
難易度を上げ過ぎることが、2拠点生活を失敗に導く
2拠点生活が失敗するのは、恐らく、難易度を上げ過ぎるからですね。
もちろん、難易度が高いということは、それだけ秘境感漂う場所で非日常的な生活を送ることになるので、成功すれば、かけがえの無いものになります。ただ、やはり難易度の高さがネックになるのです。
例えば、冒頭の記事は、東京都心部と東京檜原村での2拠点生活ということですが、檜原村は下手な周辺県の郡部よりも難易度が高い場所です。
自然環境、買い物、交通、住居、人との交流・・・。
生活環境の厳しさの点では、山梨県の山岳地域などとほとんど遜色ありません。ただ、東京都にあるために、「お気楽な田舎」としてバイアスがかかっているだけです。
そのため、移住にしろ2拠点生活にしろ、かなりの目的意識が無いと難しい場所です。冒頭の記事で紹介されていた方は事業を目的とされているので、まぁ大丈夫だと思いますが。
難易度を下げろ
じゃぁどうするのか?
簡単な話。
難易度を下げればいいのです。
前項では色々と脅すようなことを書いてしまいましたが、それは、
- 自分に見合った難易度の場所を選んだ方がいいよ。
- メディアなどで紹介されているパターンは、結構難易度が高かったりするので気をつけなよ。
ということであって、2拠点生活自体の難易度が高いのではありません。
大体、2拠点生活とか地方移住となると、次の記事のようなアドバイザーが出てきます。
この手のアドバイザーは、「難易度の高い地方移住・2拠点生活」を達成された方が多いので、逆に言えば、「難易度の高い方法」しか頭に無く、その結果、「甘っちょろい考えで地方移住・2拠点生活など考えるんじゃないぞ」と、その困難さを強調しがちです。
すると、これを読んだ人が「あぁ、やっぱり地方移住とか2拠点生活なんて馬鹿なことはするべきじゃないんだ。都市部に住んでいる自分は正解なんだ」と、自らの現状維持バイアスを肯定する材料として利用するわけです。
難易度を下げる方法
とはいえ、2拠点生活なんて、別にそんな難しいことじゃありません。ズボラな私でさえ、3年も続けられたくらいですから。
【過去の当ブログ参考記事】 リタイア前に二拠点生活していた私、そのリアルを語る
今住んでいるのと別の住宅を用意して行ったり来たりする。ただそれだけのことです。極端な話、別宅の最寄駅が本宅の隣の駅であっても全然構わないわけです。
さすがに隣の駅では味気ないということであれば、なるべく自宅に近いトカイナカを候補にすればよい。そう、これまであなたが田舎だと見下していた近隣地域ですよ。
昨日、次の記事をアップしましたが、同様の理由で、安く2拠点生活する場合でもトカイナカが手っ取り早いのです。
【過去の当ブログ参考記事】 貧乏リタイアにはトカイナカが手っ取り早い?
例えば、青梅市の1Kの賃貸であれば2万円台、2Kなら3万円台からあります。単にテレワークが出来ればよいとか、気分がリフレッシュできればよいというのであれば、これで充分。
トカイナカなので買い物には困らず、その気になれば車もいらない、というのは貧乏リタイアにはトカイナカが手っ取り早い?で書いた通り。
ネットも、トカイナカ程度ならどうにでもなる。
ガスは契約しない。料理は、IHかカセットコンロで。お風呂に入りたいのなら、次の機器を使う。
家具や寝具はなるべく自宅にあるものを流用し、自家用車か、割安な引越パックを利用して、新たな別宅へ運んでおく。
2拠点間の移動も、「自宅に近いトカイナカ」であるなら、時間的にも金銭的にも、それ程の負担にはならないはず。
そして金曜日の夜は会社から別宅へ直行し、 月曜の朝は別宅から会社へ直行する。これで、週に足かけ4日、別宅にいることができる。
このような形で最低1年暮らしてみて、その地が気に入れば、今度は、トカイナカの方を広い本宅、都会を狭小の別宅とすれば、住宅費は大幅に抑えられる(ちなみに、冒頭の記事の檜原村家賃8.5万円は高すぎ)。
もし、その地での2拠点生活が向いていないな、と思ったら、その地の賃貸を解約し、1拠点生活に戻すか、別の地での2拠点生活を始めればよい。
こうすれば、結構手軽に、低リスク・低負担の2拠点生活が営めます。低負担であることから、成功確率も高くなるでしょうし、仮に失敗しても痛手は小さく、経験値が上がったんだと考えれば、充分ペイするものだと思います。
近隣のトカイナカの2拠点生活ってつまらなくはないか?
問題はこれですよ。
「せっかく2拠点生活するのに、近隣地域なんてつまらなそう」ということで、秘境感・非日常感を求めて、遠隔地、更にはガチの田舎に目が行っちゃうんでしょうね。でも遠隔であればある程、田舎度がガチであればある程、難易度は飛躍的に上がります。
それよりは、「近場」をもう少し見直してもよいのではないか、と思います。大都市であっても、その中心部から普通電車で1~2時間も行けば、著名な観光地でないにせよ、結構、自然豊かな場所に行きつくはずなのです。本当は良い場所なのに、近場ってだけで変なバイアスがかかってしまう。
特に、2拠点生活を考える人などは憧れが先行してしまいがち。でも、憧れで生活はできないですから、そこは地に足のついたプランを立てることが必要なんだと思います。
【過去の当ブログ参考記事】 リタイア前に二拠点生活していた私、そのリアルを語る
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貧乏リタイアにはトカイナカが手っ取り早い?
リタイア後どこに住むかは人それぞれですが、金を使わずに貧乏リタイアしたいなら、都会と田舎の中間に位置する「トカイナカ」あたりが手っ取り早いのではないか、という話。
今更な気もしますが、一応書いてみます。
目次
《山梨県上野原市:中央本線四方津駅、コモアしおつの最寄駅》
トカイナカを「理想郷」だと言う森永卓郎氏
低年収で暮らすならやっぱりトカイナカだろ!と、トカイナカ押しなのが、経済がご専門の森永卓郎氏。自身も所沢のトカイナカで暮らしている、ということで、その経験に基づいた記事が時折ネットにあがります。
年収200万円代でも豊かに暮らせる理想郷「トカイナカ」の魅力
じつは、私は30年以上前から都心から1時間半もかかる都会と田舎の中間に存在する「トカイナカ」で生活しており、そこから都心に出稼ぎに出ています。
東京と比べれば、自然も豊かで、人の密集もはるかに少ない。近隣の農家が作った農産物を直接買うこともできます。私自身、畑を借りて、野菜作りもしています。こうしたトカイナカこそ、年収200万円時代でも豊かに暮らすのにふさわしい「理想郷」なのです。
ただ、この手の記事がヤフーなどに上がると、大抵は評判がよろしくない。森永氏は200万よりもっと沢山もらっているだろ、とか、所沢は充分都会だろ、とか、あまり森永氏の真意を汲もうとしていない批判が多い。
まぁ、それはそれとして、森永氏がトカイナカ推しなのは、私も理解するところです。
トカイナカとは・・
私が思うに、トカイナカといっても、2種類あります。
- 大都会(東京、大阪、名古屋等)の郊外で自然のあるところ
- 地方都市の中心部以外で、中心部からそれほど離れていないところ
私が経験しているのは1なので、以下、1を念頭に置いて書きますが、2についても当てはまることは多いと思います。
住宅費は安く、車無しでもいける
リタイア生活の大きな敵は、やはり固定費です。固定費の中でも更に目の敵にされがちなのが、住宅費と車。そして、トカイナカだと、どちらも抑えることが出来るのが大きいのです。
東京で立地のいいところだと、6000万や7000万ほど出しても猫の額ほどの広さの家(マンション)しか買えませんが、トカイナカなら新築でも2000万ほどから充分な広さの戸建を売っています。中古を視野に入れれば、数百万円でも可能。
【過去の当ブログ参考記事】 コロナで注目?郊外の中古住宅、リタイア住居としてはどうなのか?
ちなみに10年ほど前、埼玉県の某トカイナカ地域で、値下げの末に1180万という驚愕の価格となった新築建売を見たことがあります。最近は、コロナで若干値上がり傾向ですが、程なく頭打ちになるでしょう。
このように住宅費を抑えることで数千万が浮くことになりますが、この数千万が、リタイア生活にとっては非常にデカイのです。
そして、自宅の庭に車を止めてしまえば、駐車場代などいらない。
何なら、車など持つこと無く、自転車で生活してもいい。ガチの田舎なら無理でしょうが、トカイナカなら可能。
私が住んでいるのは、青梅の中でも、トカイナカというよりは田舎というべき地域ですが、車が多数派とはいえ、自転車もそれなりに見かけます。
「トカイナカ」地域まで下りると、更に自転車は増えます。近隣の飯能、高尾、あきる野、日の出なども同様であることを考えると、トカイナカでの自転車生活に、それほどの高いハードルは無いのだと思います。
【過去の参考記事】 郊外リタイア生活の移動手段。車は必要か?
都会から離れるなら車必須・・・的な固定概念みたいなものを感じるのですが、少なくとも、トカイナカに関してはそれは思い込みではないでしょうか。
限界集落はともかく、トカイナカの物価は高くない
田舎に行くと物価が安い・・・・のアンチとして、田舎は実は物価が高いのだ、という議論が盛ん。
【定年後の落とし穴】田舎暮らしは生活費安上がり…はウソ! - 経済・マネー - ZAKZAK
「安いのは家賃ぐらいだっぺな。東京と同じ生活をしようと思ったら東京以上にかかるよ。物価は全然変わんないね。電化製品とか日用品なんかは、東京に比べたらこっちの方が高いぐらいだよ。秋葉原の家電街とか、ディスカウントの多慶屋(たけや=東京・御徒町の有名格安店)なんかねーしさ。スーパーの食料品だって東京と変わらん。いや、ものによっては東京の方が安い。下町の商店街なんかへ行くとすげー安いんでびっくりするよ」
限界集落みたいなところはともかく、トカイナカに関していえば、物価が高いなんてことは無いと思います。
「田舎の方が物価が高い」の理由として、「都会と違って競争が無いから」ということが挙げられますが、トカイナカについてそれが本当とは思えない。
確かに、店舗はそれほど密集していませんから、都会の常識だとあまり競争が無さそうに一見見える。
ただ、車での移動が盛んであるため、一つの店の商圏が広くて、離れた店舗の商圏とバッティングしています。ある店が割高ならば、離れた別の店へも車で行けるから、競争はあるのです。スーパーが1つしかない駅前なんかよりは、競争は熾烈ではないでしょうか。
更にいえば、家賃単価が低いですから、店舗は大型になって、これが品揃えの豊富さやスケールメリットに繋がっていきます。
ただ、これらのメリットを享受するには、数万規模の人口が必要なので、ガチの田舎では難しく、トカイナカということになるのです。
まぁ、限界集落のように、さびれた雑貨屋が一つだけ、というところなら物価が高くなるのは当然です。
でもそういう地域の方々の多くは、自給自足や地域の助け合いで、あまりモノを購入することなく質素に生活されているわけで、半ば資本主義の枠外におられる人達なのです。
さびれた雑貨屋だって、割高とはいえ、競争が無いのに乗じてぼろ儲けしているわけが無く、ほとんどボランティアみたいなものでしょう。都会の映画館やテーマパークの中の売店よりは余程良心的ではないでしょうか。
そういう所に考えなく飛び込んでいった、元・都会人の失敗談をネタにして、都会の価値観ムキ出しに、「田舎は生活費が高い、だから田舎はダメなんだ」と言わんばかりの記事を書く。
これは、彼らの生活圏に土足で踏み込むようなものであり、限界集落をいちいち引き合いに出さないと、都会の優位性を確認できないのか?などと、私の目には映るのですが、いかがでしょうか。
いざというときは都会にアクセスできる
それはともかくとして、トカイナカだと、いざというとき、都会に容易にアクセスできるというのも大きい。当ブログでは都会を否定的に扱うことが多いですが、それでも都会と全く無縁でいるわけではありません。
私が今住んでいる青梅の場合も、やや遠いとはいえ、最寄の繁華街である立川・八王子や、山手線内へ普通・快速列車だけで行けるというのは、結構、安心感があります(もっともリタイア後は、立川を超えて都心側に行ったことは全く無いのですが)。
23区外である立川や八王子レベルでも充分発展しているし、頑張れば、都心部へも通えなくはない距離なので、ガチの田舎のように仕事(賃金労働)が無い、ということもありません。東京都扱いなので最低賃金も高く、リタイア後のバイトにオススメ。
何なら、早々に自宅をトカイナカに移してしまって、そこから数年間、都会へ頑張って通勤した後、リタイア生活にそのまま移行する、という作戦も可能です。例えば、次の過去記事のように。
【過去の参考記事】 リタイア前に二拠点生活していた私、そのリアルを語る
「手っ取り早い」が最適とは 限らない
以上、トカイナカでセミリタイア生活を送ることの利点を述べてきましたが、あくまで「少ないお金で手っ取り早くリタイアする」という観点で書いており、全ての人に最適、ということではない、ということは言っておきます。
都会の様々な施設や店で楽しみたい、あるいは、農業を本格的にやりたい、という場合は、トカイナカはあまり向いていないのではないか、と思います。
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50歳リタイアは若年リタイアとは異なる発想
リタイア年齢が50歳前後のケースに対し、「早めの定年退職。リタイアする意味ってあるの?」みたいな若年リタイア者のコメントを読んだことがあります。
確かに一理あるのですが、一方で、50歳リタイア者と若年リタイア者とでは、発想が異なる点があるんだと思います。
目次
《東京都武蔵村山市:鉄道廃線跡を利用した自転車道》
早期リタイア年齢のボリュームゾーンは、多分、アラフィフ
50歳というリタイア年齢、早期リタイア界では遅めかもしれませんが、世間一般では、65や70くらいまで(嫌々ながらも)仕事する気マンマンの人が大多数ですから、それに比べれば早い年齢であります。
ブログや動画など特定の個人によって運営されている場所だと、確かに先鋭的な意見が目立つのですが、多くの人が書き込む掲示板で、早期リタイアや定年延長等が話題になると、「自分は、お金を貯めて5x歳でリタイアした・するつもり」的な書き込みをよく見かけ、その年齢でさえ羨ましがられる、あるいは嫉妬のレスがつくのです。
【過去の当ブログ参考記事】 恐い……女性リタイア者へ「幸せ自慢するな!」と攻撃
「5x歳」ではなく「4x歳」のときもありますが、「3x歳」や「2x歳」は僅少です。
つまり、早期リタイア年齢というのは、50歳を中心にしてプラマイ5歳というあたりが、ボリュームゾーンなんじゃないかと思うんですよね。
どういう人がアラフィフ・リタイアを目指すか
それでは、ボリュームゾーンにあたる、アラフィフでリタイアするのは、どういう方なのでしょうか?
私の想像ですが、例えば、以下のような人々では?
- 巷で言われているように、70過ぎまで働くのは絶対に嫌だが、かといって、一刻でも早く辞めるために、人生のあり方を、ことごとくそちらへ寄せていくつもりはない。
- 40歳くらいまでは普通に仕事をやってきたが、それ以降、中年の危機にぶちあたり、リタイアを考えるようになった。
【過去の当ブログ参考記事】 中年の危機 ~40代の悲哀を考える~
つまり、仕事と自由を、「完全な二項対立」として捉えているのではない。
もちろん、「仕事」の割合を究極まで減らして、「自由」の割合を究極まで増やせるのなら、サイコーです(少なくとも自分は)。それが多くの若年リタイア者だと思うのですが、なかなかそこまで踏み切れない。
また、仕事は確かに大変ではあるけれども、経験だったりお金だったり、そこで得られるものもある。
そうしたことも考慮して、仕事と自由の折り合いをつけていくと、
- ある程度の年齢までは仕事。そこから先は自分の生き方。
みたいな風になってきます。そして「ある程度の年齢」っていつだ?ということになると、「50歳プラマイ5歳」あたりの年齢に、収斂していくのではないかと。
悪く言えば「妥協」、良く言えば「仕事と自由のバランスをとった」。
「もっとうまくやれば、更に早くリタイアできたかもしれんが、まぁそれでも、どうにかアラフィフでリタイアでき、70過ぎまで仕事しなくても済んで、まずまず満足している」というのが、アラフィフ・リタイア者の気持ちの最大公約数的なところではないでしょうか。
【過去の当ブログ参考記事】 50歳でのリタイア、その特徴を書いてみよう
金銭面が見えやすい
アラフィフ・リタイアの利点として、金銭面が見えやすい、ということがあります。何といっても「早めの定年退職」ですから、金銭面で考えることは「真の定年退職」とそう変わらない。
というのも、リタイア目指して倹約していれば、50歳くらいにもなると、いっぱしの貯蓄額になっているだろうし、退職金や年金額も「真の定年退職」に近づいてくる。
お子さんがおられる方は、子育ての目途がついてくる頃。住宅ローンを堅実に返済しておられる方は、完済に向けてもうひとふんばり、という頃。年金受給開始まであと15年くらいと比較的短い。
つまり、金勘定がやりやすい。
世間では「60歳で定年になった後、65歳での年金受給までどうやって暮らせばいいんだ!」と悲鳴が上がっていますが、早期リタイアを考えて準備を進めてきた人であれば、「50歳で退職後、65歳までどうやって暮らすか」のシミュレーションは、そう難易度の高いことではない。
だから、リタイア年齢が50歳前後の方のブログを読むと、死ぬまでの最低限の生活費は既に準備済と思しき方は、全員ではないにしろ、結構多い。
いくら儲かった、いくら損した、いくら金使った、いくら節約した、ということよりも、「リタイア生活そのものの充実」の方が大事になってくる印象ですね。
そして、「リタイア生活そのものの充実」というのは、実は金では買えないんですよね。もし金で買えるものなのであれば、ビジネスで財を成してリタイアした人が、リタイア生活に飽きて、再びビジネスに戻ってくるなんて、あり得ないですからね。
【過去の当ブログ参考記事】 リタイア後に襲ってくる?「取り残され感」「おいてきぼり感」
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アメリカ大統領選挙。トランプ氏は不思議な人だ。
アメリカ大統領選挙の投票が行われています。
アメリカにとってどちらの候補がよいのか私には分かりませんが、世界的に注目されている選挙ですし、色々考えるところはあるので、少し書いてみます。
目次
《東京都奥多摩町日原地区:昨年台風19号による道路被災から仮復旧、5月から小型バスで運行が再開された》
4年前は、まさかの結果に・・・
4年前を思い出すと、トランプ氏は、「共和党公認を獲得するための予備選挙」の候補として名前が挙がって選挙運動を開始した時点で、その過激な言動から、既にキワモノ扱いでした。
「こんなヤツ、公認していいのか」
当の共和党員でさえ苦悩している、という報道が日本においても流れていましたが、何故だかトランプ氏は強く、対立候補同士で結託してトランプ公認を阻止しようと頑張ったようなのですが、結構な大差で共和党公認候補として決定してしまったのです。
本選挙においても、「メキシコとの間に壁を作る。メキシコ側の負担で!」など演説されていて、
「こんなヤツ、大統領にしていいのか」
的な報道が多く、トランプ氏が当選するだろう的な報道は皆無だったように思います(少なくとも日本では)。
そして投開票のその日。朝イチでもなく、夕刻でもない、恐らくお昼頃。
そのとき、私は会社のパソコンで仕事をしていたと思います。
私の席から少し離れた後方から、
「え~、トランプさんが勝ったの?」
と部長の驚きの声。
もちろん全ての開票が終わったのではなく、日本で言う、当選確実という状態が報じられたのだと思います。
多分、そのときはお昼休みではなかったはずなので、部長は、就業時間帯に、選挙結果をネットでチェックしていたと、こういうことになります。
部長の声からも分かる通り、本当にこの結果は大どんでん返しでした。
世論調査ではクリントン氏が有利だった、そのこと以上に、トランプ氏の過激発言が繰り返し報道され、
「こんなヤツ、大統領にしていいのか」
という空気が醸成されてきたはずなのに、それを覆してしまったことの方が、オドロキを大きくしている気がします。
バイデン氏の応援にレディー・ガガさんが歌う。日本では利益供与。
今回も、つい先ほどまで選挙運動が行われていて、レディー・ガガさんがバイデン氏を応援し、あざやかな歌を披露しておられました。
レディー・ガガさんも応援、バイデン陣営最後の訴え 米大統領選 写真26枚 国際ニュース:AFPBB News
米歌手レディー・ガガ(Lady Gaga)さんが2日、米大統領選の最大の激戦州であるペンシルベニアで、民主党候補ジョー・バイデン(Joe Biden)前副大統領(77)のドライブイン方式で行われた集会で演説した他、集会前にはパフォーマンスを披露した
上記記事ではパフォーマンスと書いていますが、実際にはお歌いになっていました。メチャクチャ本格的に。
これを見て私はオヤ?と思いました。
これって、アメリカでは選挙違反にならないんだ、と。
日本では、本職の歌手が、選挙運動で歌を披露すると、利益供与で選挙違反になる、という解釈が一般的です。
国政選挙や知事選などでたまにあるのは、知り合いや友人の歌手に集会などで選挙応援をお願いするケース。選挙応援のスピーチをする分には問題ないのですが、そこで一曲披露となると途端に問題になってしまいます。
本来であればプロの歌手は歌を披露するのが仕事ですので、その分の公演料を徴収しなければなりません。それを無料で披露したとなると、その歌手の方の公演料で集会の参加者を買収したことになってしまうのです。
でも、アメリカの法解釈では選挙違反ではないからこそ、堂々と歌を披露されているんだと思うんですよね。
「歌を披露」ではなくて「パフォーマンスを披露」と表現しているところに、日本のマスコミの苦心が窺えるのです(よく言えば)。
ボロクソ言われながら接戦まで持ちこむトランプ氏の不思議
それにしても、トランプ氏は大統領になってからもお騒がせでした。
移民を迫害してみたり、北朝鮮のトップに「ロケット・マン」と挑発してみたり、イスラエルに異常に肩を持ってみたり、TPPやWHOを敵視してみたり(ちなみに、TPPって、今どうなってんの?)、中国に喧嘩を売ってみたり、コロナでマスクを軽視してみたり、アフリカ系への差別解消に消極的だったり。
その都度なされる報道には、
「こんなヤツ、このまま大統領にしておいていいのか」
感が満載でした。
日本の大手マスコミの報道を見ていると、トランプ氏にはお騒がせな差別主義者のイメージしか持つことはできず、決定的な敗北を喫するとしか思えなかったりするわけですが、当のアメリカではトランプ氏を支持する人がイメージほどには少なくなくて、それまで、バイデン氏有利と見られていた情勢が、接戦になってきている。
もし新型コロナが無かったら、トランプ氏が有利だったかもしれない。
全く不思議なことです。
トランプ氏の保護主義がポイントか?
私が思うに、トランプ氏の政策の本質は保護主義にあるのではないでしょうか。トランプ氏のお騒がせネタは、保護主義に発しているものが多い(日本の報道では「自国第一主義」などと言い換えられてしまっていますが)。
国内外の反発をも顧みず、ここまで過激な保護主義を打ち出して実行している人って、これまでいなかったと思うんですよ。しかも、本来、自由貿易推進の立場であるはずの共和党出身というのが更にオドロキなのです。
この保護主義には賛否両論あると思いますが(いや「否」の方が一方的に多い?)、これによって助かっている(と見なしている)アメリカ人は実は少なからずいるはず。
もちろん、対立候補のバイデン氏は民主党なので、彼が大統領になっても自由貿易マンセーになるとは思えませんが、トランプ氏の過激なやり方に比べれば、よく言えば融和的、悪く言えば妥協的な方向に走ることは想像に難くありません。
トランプ氏はお騒がせではあるけれども、変に妥協的な態度を取られるよりは、今のような強硬路線を歩んでほしい・・・・日本の報道からは聞こえて来ない、そういう考えを持った人達がトランプ氏への支持を、実は押し上げているのかもしれません。
まぁ、私には保護主義が良いのか悪いのかは分かりませんが、敢えて推測するなら・・・ということです。
選挙結果がすぐに決まらない可能性
あと、選挙結果がすぐには決まらない可能性について、指摘されています。
アメリカ大統領選で勝者が決まらなかった場合はどうなるのか?(@DIME)
あまりにも接戦だったり、郵便投票が増えたり、法廷闘争に持ち込まれたり、という展開で、誰が大統領になったのかの最終的な確定が、当分持越しになるかもしれない、という話。
選挙後の展開は、投票結果を見極めざるを得ないが、前述の2000年の大統領選後に株価は大きく下落しており(図表2)、勝者が決まらないリスクには注意が必要だ。
そういえば20年前の選挙でも、随分と揉めていましたよね。私はあまり投資には詳しくありませんが、どう転んでも狼狽せず、じっと我慢の子でいるのがいいのではないでしょうか? まぁこれも個人的な意見。
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定年後にやることがない~「やること難民」は日本社会の根深き病?
「定年後にやることが無い人」はどうすればよいのか、指南記事がありました。
定年後にやることがない人はどうしたらいい? | TRILL【トリル】
「定年退職したら、やることがない」という人は、公的年金額はそこそこ多い、退職金と現役時代に貯めたお金で、当面、生活費の不安がないからでしょう。60歳または65歳で定年退職した後は、25年から30年、あるいはもっと長い人生が残っています。
この時間は、何もしないで過ごすには長すぎると思いませんか? 家でぼんやりしていたら病気になってしまいます。やることを見つけて何かをすべきです。
書かれていること自体は、「まーそーですねー」くらいのもんですが、定年後にやることが無いという人々、本稿では「やること難民」と称することにしますが、その「やること難民」が多数発生しているのだとしたら、それは日本社会に巣くう根深き病なのではないでしょうか。
目次
《埼玉県日高市:高麗川駅付近》
「やること難民」は日本社会としての病いでは?
先の記事で「定年後にやること」として、オススメされているのは、次のようなことです。
- お金目的ではない仕事をしよう!
- 趣味・習い事、家事分担、地域活動、ボランティア活動などやることはたくさんある!
これら自体に異論は無いのですが、ちょっと当たり前過ぎて、何のヒネリも無いな、というのが率直な感想です。
でも、このTRILLというサイト(「オトナの女性におくるメディア」らしい)の編集部が「記事にすべき」と判断したからこそ記事になっているのでしょう。これを書いている10/6 10:55現在、カウンタは126,998を示していますから、それなりに気になる人が多いネタなんだと思います。
この記事の読者として、金銭面の問題からやりたいことが出来ない、という人は対象となっていないのは、次の記載から分かる。
「定年退職したら、やることがない」という人は、公的年金額はそこそこ多い、退職金と現役時代に貯めたお金で、当面、生活費の不安がないからでしょう。
記事には書かれていませんが、病気や怪我などで身体的な制約がある人も、恐らく想定されていない。
更には、定年になったのだから、時間的な制約も当然無い。
つまり、制約らしい制約は無い状況。
それだったら、何か自分の好きなこと・思いついたことをやればいいじゃないか。
家でTVみたりネットしているだけでも、本人がそれでよければ充分じゃないか。
どうしても外に出て何かしたいのだったら、マックのバイトなり、シルバー人材センターなりで、働けばいいじゃないか。
・・・などと私は思ってしまうのですが、そういう風に捉えられない人が、実は結構多いのかもしれません。
「人から指南されないと、自分は何をすればよいのかさえ分からない」
という状況は、お世辞にも好ましい状況とはいえない。
「何もしない」ことが問題なのではなくて、「何かしなくてはいけない」と思いながら、「何をすればよいのか分からない」と悩んでいるのが、よくないという話。
もし、日本社会でこのような形で「やること難民」が本当に続出しているのだとしたら、これは、社会として病いを抱えている状況ではないか。こう感じるのです。
以下、その病巣は何なのか、私個人の観察を書いていくのですが、少し話が飛びます。でも、最後には繋がるのでそのまま読み進めて下さい。
アイデンティティと会社・職場が密接に結びついている社会
海外のことは分かりませんが、少なくとも日本は、アイデンティティと会社や職場が密接に結びついている社会だと思います。
- (注)アイデンティティという語がどこまで浸透しているものかは分かりませんが、ここでは「自分を自分たらしめるもの」くらいの意味で使っています。
入社日には、入社式なるものが厳粛に行われて辞令を交付され、以降、自分は「自分である」ということより、「○○社の社員である自分」ということの方が、アイデンティティの多くを占めるようになる。
「会社員である自分」ではありません。「○○社の社員である自分」です。
当然、日常生活でも「素の自分」である時間は少なくなり、「○○社の社員である自分」として活動する時間が長くなる。
土休日は「素の自分」に戻れると思いきや、「○○社の社員」から逃れられるとは限らない。
私の在職時は、前項に述べたように、休日とはいえど完全な休日ではないという感覚が、とにかく嫌でした。
(略)
せっかく確保した趣味の時間も、一度、仕事のことが頭に思い浮かんでしまうと、そのことを頭から振り払うことができず、真の意味で楽しめない。
こういう状況が続いて、「○○社の社員である自分」のウェイトが極限まで大きくなったとき、自らのアイデンティティと「○○社の社員であること」は同化してしまう。
更には、○○社で部長になっていたならば、そのアイデンティティの内容は「○○社の部長であること」となり、「○○社のヒラ社員であること」ことよりも、より強い執着をもたらすものとなります。
やること難民、実は「アイデンティティ難民」
このような方が、○○社を定年になって、「○○社の社員」「○○社の部長」というアイデンティティを失ったら、何をしたらよいのか分からない状況になっても不思議ではありません。何しろ、それまで人生でやってきたことは「○○社の社員としての活動」がほとんどなのですから。
でも、単純な「指示待ち族」ではないんです。「○○社の社員」という枠内では、むしろ、他人からの指示を待たずに行動し、あるいは他人に指示する立場であった方々も多いはずです。
でも、「○○社の社員」という枠の外に出た途端、何をしたらよいのか分からなくなる。というか、何をやったところで、自らのアイデンティティを満たすことが出来ないので、その意味を見いだせなくなる。
これを打開するためには、「○○社の社員」に代わる、新しいアイデンティティを見つけ、この新しいアイデンティティを充足させるための活動をすることが必要になります。
しかし、「○○社の社員」というアイデンティティは、それが強いものであれば強いものほど、「○○社の社員」という重い拘束を長年受けてきた結果なのですから、そう簡単に新しいアイデンティティが見つかるとは思えません。
こう考えると、先には「やること難民」と書きましたが、実は、「アイデンティティ難民」、一般には、アイデンティティ・クライシスといった方が近いのかもしれません。
自己喪失。若者に多くみられる自己同一性の喪失。「自分は何なのか」「自分にはこの社会で生きていく能力があるのか」という疑問にぶつかり、心理的な危機状況に陥ること。
言うなれば、定年後にやることが無くなって、何か「やること」を探している方は、一見「やること」を探しているようでいて、実は「アイデンティティ」を探している、というのが全員でないにしろ、存外に多いのではないか。
だから、TVやネット閲覧といった受動的な趣味、あるいは、マックで注文をとったり、シルバー人材として公園掃除するのでは、かつての「○○社の社員」というアイデンティティに代えることが難しいので、困っておられるのでしょう。
一旦、このような状態に陥った場合どうしたらよいのかは、冒頭の記事のような月並みな話しか出来ないと思いますが、リタイア前であれば、あらかじめ「精神面での仕分け」をしておくことで対策できるかも。
次の過去記事を参考にして下さい。
【過去の当ブログ参考記事】 セミリタイア前にしておくべき「仕分け」2種類
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⇒50歳でセミリタイア達成!その概要を書きます
早期リタイアはたとえ50代でも極端な行動。「働く」を旨とする多数派からはそう映る。
先日、「50代でリタイアした女性」が立ち上げた掲示板について取り上げましたが、その中で彼女の行動を「極端」と評したレスがありました。
50代でひきこもりになりました。幸せです。 | 生活・身近な話題 | 発言小町
正社員で30年勤務した後、自主退職した50代女です。
愛犬と好きなだけ散歩し、好きなだけ本を読み、主人以外誰とも話さない生活が、この上なく幸せに感じます。
30年頑張ってきてボロボロだから仕事をやめて快適
そりゃそうでしょう。
お疲れ様でした。(略)
トピ主さんは随分極端ですよね。
今は仕事をやめて快適でしょうけど、50代で年金まで後10年以上
私も家庭の事情で専業主婦だった頃がありますが
ダンナの給料だけでやっては生けるけど、貯金が出来ないことにびっくり
で、年金を計算するとそのダンナの給料の手取りの半分に届くかどうか(略)
ボロボロになるほどの仕事をして健康を崩すのはなしですが
ただ、無為に時間をすごすより適度に稼ぐという生活はいいですよ。
多分もうちょっと時間がたつとその意味がわかってくると思いますよ。
「極端」という語をニュートラルに使っているのではなく、明らかに「極端なのはダメだ、あなたはそのことを分かっていない」と価値判断を含んだ意味合いです。
もちろん「適度に稼ぐ」のもありだと思います。でも、私が思うに、それは数ある人生のあり方の一つという位置づけ。
仮に、50代でリタイアするのは、ある意味極端な選択であったとしても、「適度に稼ぐ」と比べて、いかにもダメなあり方のように言うのは違うのでは?と思います。
目次
《埼玉県入間市:狭山茶の産地》
「極端」の判断基準
「極端」という語をネット辞書で調べると、次の通り。
1.普通の程度から大きく外れていること。一方にはなはだしくかたよっていること。また、そのさま。「議論が極端から極端へ走る」「極端な言い方」
2.(略)
一般的な語義解釈だと思いますが、問題は、「極端かそうでないかの判断基準」はどうするのか?ということです。
例えば、気温。
私が子供の頃、真夏の最高気温は33度ぐらいが相場で、35度に達しようようものなら、充分に極端な値でした。しかし昨今は35度程度では誰も驚かなくなっています。
気温という客観的な測定値においてすら、極端かどうか判断基準が一定でないのに、リタイアするべきか仕事するべきかみたいな、主観的・個別的要素の大きな事柄においては、尚更です。
極端かどうかの判断は主観的なもの
問題は、「極端だ」と批判する方は、それが主観的判断である、ということに気づいていないことがあることですね。自らの主観的基準を、「誰もが認める絶対的基準」と取り違えていて、それと大幅にずれているものを「極端だ」と言う。
例えば、「随分極端ですよね」と批判の対象になっている、50代でリタイアした女性についても、彼女の資産状況とか、生活スタイルとか、退職前に激務を30年続けてきたこと、定年の下限である60歳まであと10年を切っていることなどを総合的に勘案すると、実は「それほど極端ではない」ということはあり得ます。
しかし、「人間、働くべきなのだ」という判断基準が、批判者の中にあったら、「仕事をしないリタイア」というのは、いかにも極端な選択に映る。
更に、「人間、働くべきなのだ」というのは、少なくとも日本においては多数派の価値観ですから、「誰もが認める絶対的基準」と勘違いしやすいのです。
そして、「誰もが認める絶対的基準」を論拠にすると、たとえそれが勘違いであったとしても、批判としては非常にやりやすくなります。ただ、法律違反したり、他人に迷惑をかけているわけではないから、「極端」ということを根拠として叩くのです。
「多数派の判断基準からずれている」という、ただそのことだけをもって、「極端」という言葉を使って叩かれてしまうかもしれないというのは、何とも切ないことです。
「何歳でリタイアするか」は、極めて主観的・個別的な問題
先にも述べた通り、「何歳でリタイアするか」なんてことは、実は、極めて主観的・個別的な問題であって、「誰もが認める絶対的基準」なんてものは、本来、存在し得ないものです。
冒頭の批判者は、次のようなことも書いておられます。
まぁ億はともかくですが、50代でもし夫婦ともリタイアするなら数千万は必要ですよ。ちゃんと計算してみましたか?数千万と言う金額は都市伝説でも何でもありません。事実ですよ
少なくとも我が家で50代でリタイアするならそう計算できます。世間の話ではありませんよ。
トピ主さんはちゃんと計算してみましたか?
このような金銭的な話は変に一般化されやすいですが、良く読めば、「自分がリタイアするなら数千万円が必要で、自分はそれを準備できてない」という個別の話に過ぎません。
一方、リタイア女性の生活スタイルは「愛犬と好きなだけ散歩し、好きなだけ本を読み、主人以外誰とも話さない生活」というもので、そのために大金が必要とも思えず、また、こういう人がそれまで浪費をしてきていて貯蓄が少ない、とは考えにくいわけです。
だから、誰もが50代になっても、なお労働して稼ぐ、ということが必須とは限らないのです。
戦後の日本では、定年制度のもとに働いている人が非常に多くなったから、最低限、一般的な定年とされている年齢(60~65歳)までは働く、ということが「誰もが認める絶対的基準」かのように思い込んでいる人がいて、それに合わない行動をすると「極端」に映るのだと思います。
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セミリタイア前にしておくべき「仕分け」2種類
セミリタイアとは「フルタイムの賃金労働」を仕分けすることを指すのが一般的でしょう。
ただ、この仕分けはあまりに大きな話であるため、リタイア前に「予備の仕分け」を行って優先度をつけ、優先度の低いものは切り捨てて身軽になる、ということを、多くのリタイア達成者は自然にやってきているのだと思います。というのも、重い荷物を背負いながらリタイアするのはなかなか難しいからです。
ところで、この「予備の仕分け」ですが、私は「金銭面の仕分け」と「精神面の仕分け」の2つに大別されるのではないか、と思っています。
目次
《東京府 淺川町・神奈川縣 千木良村:大埀水峠・府縣境》
金銭面の仕分け
「金銭面の仕分け」というのは、非常に大雑把に言ってしまえば、これまで行ってきた出費を「本当に必要な出費」と「実はそれほど必要の無かった出費」に仕分けることです。
具体的には
- 住宅費
- 保険
- 交通費、あるいは自動車の費用
- 通信費
- 食費
- 旅行費用
- 交際費
- 嗜好品
- その他
などを棚卸しして、何にいくら使うべきなのか再構築する。
というのも、「自分が生きていくための必要経費」というのは重たい荷物だからです。ゼロにするのは不可能にしろ、なるべく荷物を減らした状態でリタイアするのが望ましいのです。
まぁ、あまり言わなくてもお分かりだと思うので、ここではあまりクドクド述べません。
一つ言っておくとすれば、出費を見直すというのは、生活を見直すことに直結する場合が少なくないので(住宅費、食費、交際費、自動車など)、「リタイアしてから見直せばいいや」というのはオススメしません。本当に出費が削減できるのか未確定でリスクが高いからです。
逆に言えば、出費と生活があらかた見直されて、身軽な状態になってから、リタイアするのが比較的安全ということです。
もちろん、「リタイア後はどこかに移住したい」という人もいるので、出来る範囲内で、ということにはなるのですが。
精神面の仕分け
金銭への執着
金銭面の仕分けが概ね完了していても、「精神面の仕分け」が出来ていないと、例えば、次の過去記事のように不安を抱えることになります。
【過去の参考記事】 何かを失う覚悟がなければセミリタイアなどできない
この記事の登場人物は、1億円の資産持ちで、リタイアを希望しているのですが、不安で踏み切れないんだそうです。例えば、次のようなことを恐れているのではないかと想定されます。
- 「これまで築いてきた資産」を失うのが怖い
- 「死ぬまで経済的に困らない安心感」を失うのが怖い
- 「稼いできた自分」「稼ぐ機会」を失うのが怖い
しかし考えてみれば、この人は既に1億円も持っている以上、このような恐怖は人生設計上大した意味は無く、むしろメンタルの問題です。
- これまで築いてきた資産は一円たりとも失ってはならない
- 死ぬまで経済的に困らないという、絶対の安心感が必要である
- 自分は常に稼いでいなくてはならない
例えば、このような思考から自由になるのが「精神面の仕分け」です。
墓場に金は持っていけないのだから、生きている間、食べていけるぐらいあればいいじゃないか、というわけです。前項で述べた「金銭面での仕分け」が上手くいっていると、資産の減少割合が少なくて済むので、こういう気分になりやすいです。
これは、リタイア後に副業や投資をして稼ぐことを放棄しろ、ということではありませんし、リタイア後も生活費として多少の金額を稼ぐ計画なら、そうせざるを得ないわけです。
ただ、上記のような「~でなければならない」という思考は、せっかくのリタイア生活を精神的に追い詰めるものなので、事情の許す限り、自由になった方がいい、ということです。
「働いている状態」の執着
あと、金銭的な不安・執着などとは別に、リタイアしてから「自分の働いている場所」「自分が働いている状態」に郷愁を感じてしまうパターンがあります。
これは、当ブログでも何度が述べてたことです。
- 「働いている場所」というポジションに執着や未練がある人
- 社会からの要求に反旗を翻しているということに不安を覚える人(つまり「世間体を気にするタイプ」)
どんなに家族仲が良くても、自宅も居場所の一形態という観点をナチュラルにスルーして、本来の自分の居場所は自宅の外にあると捉えているわけです。
リタイアするのは、「フルタイム労働から抜け出したい」ためであるのに、どういうわけか、このような事象が発生してしまうのです。
思うに、多くのセミリタイア志望者は、自分には「働いている状態」への執着が無いと、はなから決めつけているが、実はそうでない人というのが、恐らく存在する。
このような「働いている状態の執着」についても、リタイア後の重い荷物として、のしかかってくるわけです。
これも、リタイア後にどこかに働きに出てはいけない、と行動を縛るものではありません。ただ、リタイア後に「フルタイムで働いている自分」を取り戻すのは困難ですから、バイトで満足できるくらいには、仕分けしておくのがよいと思います。
「金銭面の仕分け」だけでなく、「精神面の仕分け」にも目を向ける
「金銭面の仕分け」は分かりやすいので、みんな熱心にやるけれど、「精神面の仕分け」というのを気にかけている人は少ない。人間先立つモノが無いと生きていけないのだから、金銭に目が行くのは仕方が無い。
でも、前項のように考えると、「精神面の仕分け」というのは、「金銭面の仕分け」と同じくらい大事であると言えそうです。
「金銭面の仕分け」がある程度進捗してからでいいので、「精神面の仕分け」にも目を向けた方がいいのではないでしょうか。特に、前項で述べた「金銭への執着」と「働いている状態」について、どこまで自分は自由になっているのか?
「精神面の仕分け」をした結果、「実は、自分はセミリタイアすべきことではないことが分かった」というのであれば、それはそれでOK。
結果的にセミリタイアしなくても、検討段階で行った「仕分け」によって、その後の人生の選択肢をきっと増やしてくれます。
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浪費父さん 堅実父さん。老後資金は人さまざまだね。
必要老後資金は2000万円。一時期話題になりました。
でも、生活スタイルは人それぞれ。浪費父さんが使うお金、堅実父さんが使うお金には雲泥の差があるのだから、一律でそんな数字が出せるわけなどないのです。
本稿では、私が聞いた実話をもとに、そのことを語ってみましょう。
目次
《埼玉県日高市:高麗川駅(JR八高線・川越線) この駅舎は残してほしいが・・》
ある演奏会帰りの会話
以前、私は混声合唱団に入っていました。あるとき、演奏会に出場して、その後、打上げで大いに盛り上がりました。
打上げは、夜11時頃まで続いてやっと終了。私は、Aさん(男性)とBさん(女性)と3人で帰宅。
AさんもBさんも70前後の高齢者。
何故か、いきなりAさんが次のようなことを言いだしました。
Aさん:
「老後にすごく金がかかるとよく言われているけど、一体、何に使うんだか。実際に生活してみると、金なんて全然かからないよ」
音楽とは全く関係無い話題だったので、一瞬、虚を突かれました。でも当時、私のリタイア計画は既に進行していたので、「我が意を得たり」と内心思いました。
全面的に賛同してもよかったのですが、敢えて、次のように返してみました。
私:
「それは、多分、Aさんが堅実で、お金の使いどころをわきまえていらっしゃるからですよ」
実際、Aさんは普段、家庭菜園や料理など創造的なことをされていて、結構楽しそうではありましたが、明らかにお金はかかっていないでしょう。
そうしたら、Bさんが、次のように口を挟んできました。
Bさん:
「そうそう、亡くなったウチの主人は、結構、お金を使ってた。お金を使うのが趣味みたいな人だった(以降、旦那さんの金遣いの話)」
もちろん、Aさんと、Bさんの旦那さんが具体的にいくら使っていたのかは、知るよしもありませんが、何となく感覚は分かります。
リタイアブログや投資ブログなどで時たま出てくる『金持ち父さん 貧乏父さん』にならっていうと、『浪費父さん 堅実父さん』とでもなりましょうか。
老後資金って人によって様々
これだけの話ですが、お金の使い方が対照的な二つのケースを、直接同時に知ることができたので、ものすごく印象的で、あれからもう何年も経っているのにいまだに記憶しています。
これから考えたのは、一口に老後資金といっても、人によって様々だよなぁ、ということ。生活スタイルによって雲泥の差が出てしまう。
お金をあまり使っていないAさんが不幸なのか、というとそういうこともなさそうです。合唱の練習が終わると飲み会に行くのですが、Aさんは自らの生活についても楽しそうに語っていたのですから。
必要な老後資金を2000万円と一律で語ってしまうことの愚
以前、「必要な老後資金は2000万だ!」的な話がありましたが、前項までのことを考えると、一律の数値をもって語ってしまうというのは、本当に愚かな話です。
あの2000万円という数字は、平均値を単純計算して得られた数字に過ぎず、この数字を個々のケースに当てはめたところで、何ら意味がありません。
浪費父さんだったら、2000万円あっても全然足りないだろうし、堅実父さんだったら、2000万円より少なくても済む可能性は大いにある。
もっとも、2000万円の件が話題になる前も、必要な老後資金額は色々と語られていました。しかもその金額はどんどんインフレしていて、なかには1億を超える数字を提示していたものもありました。
なので、2000万円という数字が出てきたとき、私は「何と良心的だろう」とさえ思ったものです。これで、5000万、1億といった非現実的な値を示して、老後不安を煽って無茶な投資に向かわせる手合いが絶滅してくれれば言うことなしでした。
しかし、最近は「2000万円じゃ足りない説」がまた復活してきています。
2,000万円では足りない!幸せの老後のために、いくら必要か?
夫婦2人で「7,000万円」もの大金が必要になる理由
政府の発表では、老後のために貯蓄すべき金額は「2,000万円」ですが、中島社長によると、さらに多い「7,000万円」もの大金が必要になるのだといいます。実際にその内訳を見てみましょう。(略)
住宅ローンや家賃支払い等があれば、80歳までに月額10万円としてプラス1,800万円、サービス付き高齢者向け住宅の入居費用があればそこで数千万円、子どもからマイホーム資金の援助を頼まれるかもしれないので、1,000万円くらいは準備してあげたいものです。
(略)
老後、普通の生活を送るために、2,000万円では無理だということは、間違いありません。だから老後を見据えて、4,000万円、7,000万円の大金を、どのように貯めるかが、とても重要になってくるわけです」
そもそも、政府が「2000万円貯蓄すべきだ」なんて発表したことは一度もないし、マイホームの資金援助とか、サ高住とか言い出したら、キリが無いですよね。
日本人の大半は、このような老後不安を煽る手合いに、多かれ少なかれ、影響されていると思います。
直接的この記事を読めば「怪しい」と思う人でも、間接的に、誰かから「老後はやっぱり2000万円じゃ足りないらしいよ」と漠然と言われると、不安になってしまうのが、多くの日本人のサガ(外国人は知りませんが)。
内容的に怪しい記事でも、一部の真に受けた人が吹聴してくれれば、宣伝効果は大きいのでしょうね。
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足るを知らざる者は「餓鬼」である
老子に「足るを知る者は富む(知足者富)」という言葉が出て来ます。「これで充分足りている」「ほどほど」ということをわきまえている者は、たとえ物理的な持ち物は少なくとも、実は富んでいるんだ、豊かなのだ、ということです。
こんなこと、わざわざ言葉にするということは、当時の中国(紀元前6世紀頃)では、既に「不知足者」、すなわち「足るを知らざる者」が存在したことの裏返しです。
それでは「不知足者」は一体何なのか? 興味深い話が仏教に出て来ますので書いてみます。
目次
NHKの番組「こころの時代」
いきなりですが、最近、NHKで禅の特集をやっており、興味深く見ています。
こころの時代~宗教・人生~ 禅の知恵に学ぶ5「いのちをいただく―典座・托鉢」
禅の修行道場の日々を通して、禅の知恵を学ぶシリーズの第5回。僧堂での日常に欠かせない「食べる」ことにまつわる知恵を学ぶ。托鉢や台所での修行で見えてくるものとは。
ここに出てくる禅寺においては、食事中、音をさせてはいけないとのこと(まぁ、このお寺に限ったものではないと思うのですが)。
一般人の食事においても、ペチャクチャ音をさせるのは行儀が悪いと言われますが、もっともっと厳格にやっているようです。
何故、音をさせてはいけないのか?
番組内でお坊様が解説していらっしゃいましたが、ここではNHKのテキストから引用してみます。
NHKこころの時代~宗教・人生~ 禅の知恵に学ぶ (NHKシリーズ)
- 発売日: 2019/03/25
- メディア: ムック
NHKこころの時代~宗教・人生~ 禅の知恵に学ぶ (NHKシリーズ)
なぜ食事のときに音を立ててはいけないか。それは餓鬼が妬むからだと言われています。
子供のことを卑しく「ガキ」と表現することがありますが、その由来となった餓鬼とは一体何なのでしょうか?
仏教の輪廻転生(生まれ変わり)の教えによると、一般には、次の六つの境遇を行ったり来たりしています。上にあるものほど良く、下にあるものほど苦しいものです。
- 天道
- 人間道
- 修羅道
- 畜生道
- 餓鬼道
- 地獄道
NHKこころの時代~宗教・人生~ 禅の知恵に学ぶ (NHKシリーズ)
餓鬼道は、飲食が自由にできず、常に飢えと渇きに苛まれる世界です。地獄よりはましですが、前世の悪行に応じた苦しみが与えられるのです。
つまり、こんなヤツですね。ガリガリで卑しい姿をしています(画像はwikipediaより)。
餓鬼道とはいいますが、天や地獄とは違い、人間・修羅・畜生と同じ地表に存在しています。
だから、我々人間の美味い食べ物、例えば、マツタケ、フカヒレ、あるいは何百万で競り落とされたマグロのトロだってある筈ですが、それを口にすることは出来ない。
NHKこころの時代~宗教・人生~ 禅の知恵に学ぶ (NHKシリーズ)
その餓鬼道に堕ちた者は、誰かが何かを食べる音だけが聞こえるそうです。僧堂で食べる音がすると、「お前たちだけうまいものを食いやがって」と餓鬼が妬みます。
これはつらい。
私が若い頃、ザ・ガマンというバラエティ番組がありましたが、それより遥か以前に、このような演出?が考案されていたのですから、全くオドロキです。
断食・断水(決勝)
決勝戦まで残った数名が、灼熱下などの苛酷な環境で1人を残して全員ギブアップするまで断食・断水を続けるという内容。(略)途中、リポーターが出場者の目の前でうまそうに飲食をする悪魔の様な誘惑を行い、これを目の当たりにして参加者が苦しむのが定番の演出となっており、この誘惑に負け脱落する者が多かった。
ただ、「餓鬼が妬み心を抱く」、そのこと自体が問題なのではありません。
妬み心を持つと、どうなるか。彼らは罪を一つ犯したことになり、餓鬼道にいる期間がその犯した罪の時間の五百倍分延びるのだそうです。だから、食事のときに音を立ててはいけないことになっているのです。
現代日本では、殺人のような極悪の行動であっても「殺意を抱いた」という、ただそのことだけで罰せられることはありません(準備に取り掛かかれば罪になる)。
しかし餓鬼の場合、「妬み心を持った」というだけで罰せられてしまうのですから、大変に辛い世界です。
この後、テキストには載っていないのですが、お坊様が大体、次のようなことをおっしゃったように記憶しています。
餓鬼とは「これじゃ足りない、もっと寄こせ」といった心から生じているもの。つまり、実は私達の心の中にも潜んでいるものなのかもしれない、と。
NHKの番組の話については以上とします。
足るを知らざる者は餓鬼
ところで、餓鬼と一口にいっても何種類かあり、特に「多財餓鬼」なるものが興味を引きます。
無財餓鬼 - (略)
少財餓鬼 -(略)多財餓鬼 - 人の残した物や、人から施されたものを食べることができるもの。天のような享楽を受ける者もこれに含む。多くの飲食ができる餓鬼。天部にも行くことが出来るものは富裕餓鬼ともいう。ただし、どんなに贅沢できても満ち足りることはないといわれる。
つまり、一般的な餓鬼とは違って、メチャクチャ贅沢できる餓鬼もいるということですが、メチャクチャ贅沢できるなら餓鬼ではないのでは?
肝心なのは「どんなに贅沢できても満ち足りることはない」という部分ですね。どんなに財産があっても、高級なものを食べていても、足るを知らざる者は餓鬼なのだと。
問題は、なぜ、多財餓鬼なんてモノが想定されているのか?ということ。
「飢えた鬼」というくらいだから、ほとんど食べることができない無財餓鬼と、ウンコやゲロなら食べることができる少財餓鬼だけ想定しておけば、事足りるように思えるのですが、「裕福な餓鬼」というものを、わざわざ想定するのは、ちょっと考えると不思議。
これは想像ですが、欲の亡者とも言うべき「足るを知らざる者」が、昔から多くいて、彼らをモデルにしたからなのでしょう。
どんなに金があっても名誉を得ていても、まだ足りない、もっと寄こせ、という状態は、単純にモノが食えないというのとは別に存在している「もう一つの飢え」である、という発想なのだと思います。
現代の日本社会は人間を餓鬼にするシステムが満載
「それなら、足るを知るということを覚えて、マッタリ暮らせばいいじゃないか」
と言いたいところですが、現在の日本社会に生きているとなかなか難しいですね。
- 学校ではよりよい成績を収めて、より上の大学や就職先を勝ち取ることが期待される。
- 会社では、常に前年より上の数字を目標値として設定させられる。
- 一流スポーツ選手が「もっと速く、もっと強く」と言いながら、ストイックに練習している映像が流れる。
- CMやマウントなどにより、ある特定の商品を持っていない、サービスを受けていないと惨めだと思わされる。
このような状態で「自分は今の状態で充分満足なんだ」なんて、なかなか言えないもの。つまり、人間を餓鬼にするシステムが満載なのです。
どうするか。なかなか難しいところですが、どこかしらで、線引きをしてみたらどうですかね。人間、行けるところまでしか行けないのだから、「どこまで行けたら自分はOKなのか」を一度考えてみるのもいいかもしれません。
これは、必ずしも「低レベルで満足しろ」と同義ではないことに注意して下さい。
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セミリタイア者の自主性、サラリーマンの「自主性」
学校や職場でよく聞かれる言葉に「自主性」あるいは「自主的」なるものがあります。
「自主性」を日本国語大辞典という巨大辞書で調べると、次のように載っています。
他に頼らず、自分の方で考えたり行ったりすることのできる性質。
無色透明な語義解釈ですが、セミリタイアして、学校や職場などの組織に属していない今から捉えなおすと、かなり手垢のついた言葉だよなぁ、と感じます。
目次
《東京都奥多摩町:多摩川(左)、日原川(右)合流点》
「自主性」という言葉の歴史
日本国語大辞典によると、「自主性」という言葉のもとになった、「自主」という言葉自体、それほど古いものではなく、最初期の出典は、維新前後に書かれた福澤諭吉の書です。恐らく、西洋の概念が輸入されたものでしょう。
これに「性」がついた「自主性」だと、更に新しく、最初期の出典は、戦後間もない1950年に出版された次の本だそうです(Amazonリンクは2018年発売となっていますが、もちろん後世の文庫化です)。
日本・自主喪失
第三には、よく云われるように我々には自主性が欠けている。
これは日本国語大辞典からの孫引きで、この前後の文章までは載っていませんが、おそらく、日本という国、あるいは日本人はもっと自分というものを持って行動せにゃならん、という文脈なんだと思います(多分、敗戦後によくあった日本反省論の一つ)。
時代は下って、1980年頃、すなわち私の小学3~4年の頃には、この言葉はかなり浸透していたようで、あるとき先生が「自主性というものをもっと持つように云々」みたいなことを言いだしました。
「ジシュセイ?なにそれ?」という感じでしたが、要するに、例えば、親や先生が口うるさく言わなくても、宿題を片付けるとか、掃除をちゃんとするとか、そういう類です。「自分の好きな漫画を率先して読む」的なことは、自主性の対象外であることに注意して下さい。
そして現在、自主性とはどういう文脈で使われるのか。ネットで検索すると、例えば、次のようなサイトが最初にヒットします。
自主性というのは、あることに対して率先して行動することです。例えば、「掃除をする」という決められたテーマに対して、自ら率先してやることです。「イヤイヤ」やるのではなく、「ハイ、よろこんで!」と笑顔で答え、誰よりも早く行動に移し、一生懸命にやることと言えます。物事に対する「やる気」の現れのようなものであり、新入社員に求められる行動力です。
他のサイトでも大同小異。
ここで、日本国語大辞典の無職透明な語義解釈を再掲しましょう。
他に頼らず、自分の方で考えたり行ったるすることのできる性質。
どうですか? 両者を比較してみると、先に私が述べた「かなり手垢のついた言葉」ということが、よく分かるでしょう。
「組織の中の自主性」
「自主性」という言葉、本来はもっと無職透明な意味であったはずですが、最近の用例を見ていると、相当に偏った使われ方をしているようです。
子供で言えば、宿題や掃除、大人で言えば会社内で仕事を率先して行う、そういう態度のこと。
言うなれば、学校や職場といった、組織の中で指示を待たずに、自分のやるべきことを自ら判断して実行するということです。
私が思うに、こういった「組織の中の自主性」については、日本人は優れている。勿論、全員が全員というわけではありませんが、諸外国に比べれば、日本人はこの意味での自主性が平均的に優れているから、色々と品質の高い商品やサービスが作れるのだと思う。
ただ問題は、これって文字通りに自主性、つまり「自分が主」って言ってよいものか?ということ。
「主」なのは組織であって、自分は「従」だよね。まず組織というものがあって、自分を組織に最適化させている、ということだよね。組織の望まないことを自分で考え出して実行しても、それは「自主性」とは言わんよね。
「忖度」という言葉が最近一気に広がりましたが、あれも「主」なのは「忖度先」です。自ら判断して行っている行為であるにも関わらず、自分は「従」に過ぎないのです。
「自分が主の自主性」
それでは、「組織の中の自主性」ではなく、「自分が主の自主性」はどうなのかというと、かなり心許ないと思います。
以前、当ブログでは、次の記事をアップしました。
【過去の参考記事】 80歳まで働ける?いいと思います。私はノーサンキューだけど。
ノジマの80歳まで働ける、というあれです。「80歳まで働くなんて嫌だ!」
あるいは、竹中氏が最近提唱したベーシックインカム7万円。「月7万円じゃ暮らせない!」。
老後2000万円問題。「2000万円なんて準備できない!」
何かにつけて、この手の悲鳴があがり、ネット上では批判コメントが多くあがります。でも、私は、このような批判コメントを読むたびに、批判者の自主性の無さ、というものを感じるのです。
何故かというと、80歳にしろ、7万円にしろ、2000万円にしろ、マスコミに登場した数字を自分流に咀嚼(そしゃく)するということをしている形跡が見当たらないからですね。
自らの人生設計までお上任せになってしまっているから、出て来た数字に対して、ただただ、怒りをぶつけるしかないのではないか。一見、政府を批判しているようで、実は、一番、政府に隷属している人達ではないか。
このようになってしまったのは、自主性というものが「組織の中の自主性」に偏重しており、自分のこと、特に、自分の人生のことについて、自主性を発揮することを忘れてしまったからなのかもしれません。
セミリタイア検討者は、それだけで「自分が主の自主性」がある
そう考えると、セミリタイアを検討されている方は、それだけで「自分が主の自主性」がある方だな、と思うのです。
というのも、「仕事を何歳まで続けるか」ということは、「自分が主の自主性」を高度に発揮しないと考えることが出来ないからです。
あるいは、セミリタイア生活それ自体も、「自分が主の自主性」を発揮しないとやってられないよな、と思います。自分がやること・やりたいことは、誰かが与えてくれる、というものではないのですから。
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投資・副業ネタが少ない当リタイアブログ
多くのリタイアブログでは投資ネタ・副業ネタが付き物ですが、当ブログではかなり少ないです。ゼロとは言わないまでもかなり控えめです。
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《東京都奥多摩町:ポールが無く金網に取り付けられているバス停標示》
投資や副業ネタが少ない理由
リタイアを考えていらっしゃる方が最も知りたがっている情報は、何はともあれ、資金面。いくらあればリタイアできるのか、それを一刻でも早く達成するための手段として、どのような投資や副業をすればよいか。だから、投資や副業について情報満載なブログはかなり繁盛しています。
でも、私の場合、残念ながら、投資や副業について有益な情報をほとんど持ち合わせていません。
投資していなくはないのですが、ここで語るほどには儲かってはいません。ほとんどほったらかし状態なので、この分野にあまり口出ししない方が利口だろうと。
副業、中でも、ネットで稼ぐ系のネタは、かなり需要があるものだと思います。しかし私自身が実践するとなると、どうにも面倒臭く感じており、当ブログを更新して時折アマゾンのリンクを貼るというだけで精いっぱいで、それ以上のことは考えられない。
【過去の参考記事】 「稼ぐ」のが面倒臭いのです、正直なところ
投資・副業ほとんど無しでリタイアした実例か?
まぁそれでも、当ブログには一定のアクセスがあるため、どうにかめげずに続けられています。しかも、先日述べた通り比較的若い層からのアクセスがある、という不思議なことにもなっています。
若い方こそ、投資や副業に精を出して、どんどん資金を増やしていくべきだと思うのですが、そのために役に立つ情報を当ブログはほとんど提供できていません。
ただ一つ、投資や副業抜きでリタイアを達成した実例である、ということは言えそうです。厳密にいえば、投資はしていますが、リタイアの可否には影響を与えるほどの利益はあげていないのです。
じゃぁどうやってリタイアするだけの資金を準備したのかというと、結局は、収入に比して低燃費の生活をしてきたこと。これに尽きます。
投資や副業を全面に押し出すブログが多いなか、リタイア年齢は遅れるけれども、投資・副業抜きで早期リタイア・セミリタイアすることは、滅茶苦茶高いハードルではない。
そういう実例を知って頂くには、当ブログも捨てたものではないかと思います。
節約ネタに強いわけでもない
つまり、私はそれだけ節約してきたということなんでしょうが、「じゃあ具体的にどんな節約をして、生活費をどこまで少なく抑えているの?」というと、何とも心許ない。
低燃費でやっているのは確かなのですが、ネット上には、私以上のツワモノが数多くおられるので、そういう方に比べると、私なんて何もしていないに等しい。
例えば、今住んでいるこの戸建、その気になれば、住宅ローン減税で節約できたかもしれないのですが、面倒臭いので一括で購入しています。だから、住宅ローン減税について語ることなどできないのです。
結局、書いているのは、次のような抽象的な御題がほとんど。
- 取り崩し方リタイア資金の基本的な計算の仕方・考え方
- 生活費を無駄に拡大することへの違和感・警告
需要の高いリタイア資金ネタについて、唯一私が語れるのがこれらのことだから、それなりに力を入れています。でも、投資・副業・節約ネタとは違って、直接的に金銭を生み出すものではありません。「生活をスモールにしろ」という心構えの問題を手を変え品を変えて書いているだけです。
リタイアブログに実利的なものを求めていらっしゃる方にとっては、やはり物足りないとお感じになることでしょう。
私自身が実利的なものを求めていない
結局、私自身、少しでも金銭的なトクをしようと、あれこれ実践するタイプではないから、ブログにもそのような情報が載せられないのです。ただ、お金を使って贅沢することにあまり興味が無かったから、その分貯金が出来たというだけ。
もちろん、当ブログに収益など1円もありません(最近、数百円レベルの収益が発生しました)。だから逆に収益のことなど気にせず、好き勝手書いていられる側面はあります。
実利の情報満載のブログは、それはそれとして素晴らしいですが、それとは別方向のリタイアブログがあってもいいんじゃないか、などと適当な自己弁護をしています。
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東証システム障害。現場担当者の苦労、身につまされる思い。
既に忘れられていますが、東証のシステム障害でバックアップに切り替わらなかった理由が公表されました。
まず、東証が作成した資料を直接ネットで参照できます。
10月1日に株式売買システムで発生した障害について | 日本取引所グループ
結構、読むのにエネルギーがいりますが、私の現役時代も似たような資料を読む機会は結構あったので、何か当時を思い出します。
上記の資料より、もう少しかみくだいた記事がこちら。
自動バックアップ、5年間オフのまま 東証システム障害、富士通のマニュアルに不備
それにしても、こういう大障害が発生したとき、現場のシステム担当者の苦労を思うと身につまされます。
目次
《東京都奥多摩町:奥多摩湖》
バックアップに切り替わらなかった「直接の」要因
障害の内容をいちいち説明するのが本稿の趣旨ではありませんが、いちおう、記事から抜粋してみます。
2010年1月に稼働を始めた初代アローヘッドでは自動切り替えが「オフ」でも、トラブルを検知すると15秒後に予備に切り替わる仕組みだったが、2015年9月に導入した2代目からは「オフ」時にはバックアップが作動しない方式に変更されていた。
これを富士通が把握せず、初期設定を「オフ」にして東証に納入。マニュアルにも反映されていなかったため、東証も気付かないままシステムを運用していたという。
要するに、今回の障害が起こるまで、誰もが障害発生後15秒後に切り替わるつもりでいたが、システム更改時に、人知れず機器の仕様が変わっていました、ということ。
ちなみに以前の私の記事。
- 1号機のハード故障の仕方が特殊過ぎて、そもそも切替動作に入らなかった。
- 切替動作には入ったが、それを阻む何らかの要因があり、動作が完了しなかった。
どちらかというと1番に近い。ただ、原因は「ハード故障の仕方が特殊」ということではなく、「設定の仕様変更」だった訳ですが。
切替テストを行うには行っていたが・・・
見えないところで製品の仕様が変わってしまう、というのはメチャクチャ珍しいという程のことではありません。私も何度か経験しました。
皆さんも、WindowsやiOSなどで、バージョンアップすると勝手に仕様が変わっていることってあるでしょう? あれと似たようなものです。
多分、使っているハードは富士通製ではないでしょうから、その内部仕様はブラックボックスです。熟練の技術者であっても、ブラックボックスの中身を100%把握するなんて到底不可能。
じゃ、どうするか?
システム更改前は色々な事態を想定してテストをするのです。
今回のような二重化システムについては、切替テストは絶対にテスト項目としてピックアップするはずです。
にも関わらず、なぜ、今回の事象がテスト段階で発見できなかったのか?
問題の核心はここでしょう。
記事によると、
テストを行わなかったのは、これまでのアローヘッドの稼働実績を鑑みた結果だとしている。
東証の担当者によると、製品マニュアルから自動切り替えの発動パターンをメモリやCPUの故障、ネットワークの切断と想定していたという。
ネットワーク切断については切り替えテストを行ったが、メモリなどの故障については「NASの設定値とマニュアルの整合性については富士通内の製品出荷プロセスで検証されている前提だった」とし、テストを行っていなかった。
やや分かりにくい記述ですが、要するに、
- (ケーブルを抜くだけで容易にテスト出来る)ネットワーク切断のテストは行った
- メモリやCPU故障は、(多分、故障事象を引き起こすのを嫌って)机上チェックと従来の実績から試験は行わずOKとした。
ということなんだと思います。
想像をたくましくすれば、ネットワーク切断テストにより切替動作自体の確認は出来ているのだから、メモリやCPUの故障まで試験するには及ばないと思ったのでしょう。
ただ、考えてみれば、ネットワークは機器の外部に存在するものであり、メモリやCPUは機器の内部に存在するもの。故障した際の切替ロジックが異なっていたんでしょうね。
今だから怠惰だと言える
今だから言えますよ。怠惰だったと。メモリやCPU故障も試験しておくべきであったと。
ただ、システムのテストというのは、チェック項目が山ほどあって、これを複数人で結構な時間をかけて、夜遅くまでやるわけです。だから、期日通り間に合わせるためには、ある程度ポイントを絞る必要も出てきます。
特に、東証側のシステム担当者は、ハードの切替動作といった基層部分のテストは最小限に抑えて(富士通に任せて)、東証システム独自のアプリケーション、例えば、画面が正しく表示されるか、株価の計算が正しくなされるか、といった部分に時間を割くのは当たり前のように思える。
こういう風にメーカーと受入先の棲み分けにより、テストの効果が最大限に生かされるわけですから、東証側がメモリやCPU故障の試験を机上で済ませてしまったことが一概に悪いとは言い切れない。
ただ、富士通側はもっと何か出来ることは無かったのか、とは思うのですが。
担当者はこれからが大変だ
東証の資料には、「再発防止のために講じる措置」として色々なことが書いてあります。どれも考えるだに大変そうな作業。
あと資料には書いていないですが、今後、再びシステム更改する場合、実機テストはどこまで行い、机上チェックはどこまでするのか、という大問題が残っています。
もちろん、「メモリとCPUの故障時の切替テスト」を行うのは当然ですが、それだけで済むとは思えません。
これまで机上で済ませていた項目のうち、かなりの部分も、今後は実機でやれ、ということになるのは確実。
もちろん、その分、人員と時間を増やしてくれれば何の問題も無いのですが、多分、そうはいかない。少なくとも、私が前いた会社では、リソースは今までのまま、作業だけは青天井に増やす、というのが常態化していました。
このような重大システムで障害があると、その担当者は、生きている心地が全くしなくなる。
当ブログの読者に学生さんは少ないでしょうが、もしおられるならば、就職先にシステム業界はオススメしません、これは本当に。
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リタイア後の「朝」は至福のひと時。会社員生活はこれをスポイルする。
リタイア生活で一番すがすがしい時間帯は、個人的には「朝」であり、至福のひと時と思っています。でも会社員時代は違いました。「朝」という時間帯を出勤準備に捧げなくてはいけなかったからです。
目次
《山梨県上野原市》
リタイア生活における「朝」
私は東京都青梅市西部に住んでいますが、この地域の朝の気持ちよさ、というのは何にも代え難いものがあります。
春の目覚めは小鳥の声です。灼熱の夏でも朝はとても涼しい。秋・冬はヒンヤリするも、何故かこれも気持ちいい。
柔らかな日差しが顔にあたる。窓からは自然の風。
妻がいれてくれたコーヒーを飲みながら、また楽しい一日が始まるな、ブログにはどんなことを書こうか、今日は読書をどこまで進めようか、などとゆっくり考える。
リタイアして分かったのです。朝というのは本当にすがすがしい時間帯であり、至福のひと時なのだと。
だから、前日の夜の時点で、翌朝が来るのがとても楽しみになります。
【過去の参考記事】 リタイアしてから翌朝に起きるのが楽しみでしょうがない
会社員時代の「朝」
でも、会社員時代は違いました。
春に小鳥の声が聞こえてきても、夏の朝が涼しく感じられても、そのことにゆっくり思いを致すことは、なかなかできません。
それは、準備をとっとと済ませて、出勤しなくてはいけないからです。小鳥の声よりも、青梅線や中央線が遅れていないか確認する方が大事なのです(ちなみに、いかにも青梅線がよく遅れるように言われるけれど、中央線が人身事故で遅れている方がずっと多いです)。
妻がいれてくれたコーヒーは、時間が無いので、大抵は飲み切ることができません。
家を出ると、山や川などの自然が目に入ってはいますが、電車の時間に遅れてはいけないので、小走りで通り過ぎなくてはいけません。
それでも、電車では必ず座れる、というのは幸いでした。
ただ、電車に乗っている間にトイレに行きたくなると最悪でした。
始業は本来9時なのですが、ある意味、仕事は出勤時から始まっています。今日の仕事の進め方を頭の中で事前シミュレーションしているからです。
だから、前日の夜は、その日の自由時間が終わってしまうのが名残惜しく、翌朝が楽しみだとは、なかなか思えませんでした(金曜除く)。
まして、仕事で厄介な案件を抱えているときは、翌朝が来て欲しくない!とさえ思うこともありました。
「朝」は会社勤めでスポイルされている
こう比較すると、リタイア生活と会社員生活とで雲泥の差ですね。
「朝」という時間帯が、会社勤めでいかにスポイルされていたか、ということが分かります。
会社勤めのシステムに組み込まれてしまうと、朝という時間帯の素晴らしさに気づけない。朝がいかに会社勤めでスポイルされているか、ということ自体、頭に浮かぶことがない。
「会社に行ってしまえばどってことない」とは言っても、朝という、本来至福である時間帯を、長年会社に捧げてきたということについては、かなりの損失でした。
このように、朝がスポイルされている会社員は私だけではありますまい。でなければ、次のような記事がネット上で大量生産されることなど無いはずなのだから。
- ビジネスコーチに聞く「朝の憂鬱」を乗り切る5つのヒント|@DIME アットダイム
- 「朝が苦手」から「もう起きたい朝」へ。体・心からアプローチする《朝起き6つのコツ》 | キナリノ
- パワフルな5つの習慣で「朝嫌い」を克服しよう! | ライフハッカー[日本版]
もっとも、「仕事の道楽化」に成功した人なら別なのでしょうが、なかなか私のような凡人では難しいのです。
【過去の参考記事】 「道楽の仕事」は早期リタイア後にやればよい
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恐い……女性リタイア者へ「幸せ自慢するな!」と攻撃
今回は、リタイア者が下手に幸せ自慢をすると、メチャクチャ叩かれるかもしれない、という話。
具体的には、次の掲示板で「セミリタイア女性」が叩かれています。
同情的なコメントもありますが、モロに敵意を露わにしているコメントもあり、怖いです(笑)。
目次
《東京都青梅市:御岳渓谷》
トピックの流れ
50代でひきこもりになりました。幸せです。 | 生活・身近な話題 | 発言小町
正社員で30年勤務した後、自主退職した50代女です。
愛犬と好きなだけ散歩し、好きなだけ本を読み、主人以外誰とも話さない生活が、この上なく幸せに感じます。
もともと人間関係が苦手です。
LINEに登録されている人も、弟と主人のみ。
友人も今となっては、誰もいません。今までは働く事が当たり前と思ってきましたが、やめてみて、時間に追われない生活、人に会わない生活は、これほど心穏やかに過ごせるものなんですね。
もちろん金銭的な不安はあります。
これからは質素倹約を心がけて、貯金でゆっくり生活していこうと思います。今頑張ってる人へ。仕事やお金だけじゃないですよ、自分の心や体が1番大事、こんな生き方もあると伝えたいです。
何てことのない低燃費生活。ひきこもりと称しているけど、私のリタイアとほとんど同じ。この方はおそらく「準ひきこもり」に分類される。
【過去の参考記事】 完全リタイアは「ひきこもり」か?
最初は普通に同意するレスが付く。
帰国後、当時の知り合いからお誘いがあっても断っています。
新しく人間関係を開拓する必要が無い今、すごく自由で幸せです。ただ、パートで働く事はしたいと思っています。
しかし、だんだん、言いがかりチックなレスが付いていく。
ご主人がいて成り立つ生活ですよね。トピ文をよく読めば。今の時代夫婦関係脆いですよ。(略)
トピ主夫婦はまずそう言うことは無いと思いますが、そのトピ主さんの生き方を他人に勧めるのはどうかと思いますよ。
今も昔も、世の中はこういう話で溢れかえっているんですけど、今更言ってももう圧倒的に手遅れですから、今トピ主ができることは、ひたすら天に祈ることだけ。
そして、どんどん攻撃的に。
トピ主さんの現状は恵まれているんです。そんな恵まれた生き方を勧められても出来ない人達が沢山いるということ、トピ主さんは分からないのかなあ?
伝えたいですって、、、なんだか偉そう。
人間関係が苦手で友人もいないとのこと。それが快適とは言っても一方では自分の生き方をもっと知ってほしい、という承認欲求は強いのですね。
トビ主さんは我が家はまぁ余裕だわっていう自慢?
50代で年金生活までにはまだまだ相当時間が歩けど
貯金たっぷり、資産あり?それともダンナさんの稼ぎがいい?
今のご時世、明日にも仕事を失いそうな人、資金繰りで走り回っている人、休業して家賃を払えない。そういう方々がたくさんいることはご存知ですよね?
トピックが荒れてきたので、トピ主は次のように補足する。
誤解のないように付け加えますが、仕事が生きがいの方、ずっと続けてらっしゃる方に、退職したらと薦めている訳ではありません。ずっと仕事を続ける事も、
尊い事ですよね。ただ、仕事があるうちは、していた方がいい、
体が動くうちは、仕事はしてた方がいい、
老後の為には、貯金は数千万、1億でも足りない、とか
そういう世間の話にとらわれて、心身ボロボロになるまで頑張らなくてもいいんじゃないかな、と
しかし、「ああいえば、こういう」状態に陥る。
トピ主さんは誰に向かっておっしゃっているのでしょう?
配偶者が病気とか働けない、事業資金の返済がある、独身で身寄りがないなんて人、たくさんいるんですけど…無職の身でも当然のように養ってもらえる家族がいない人は眼中になさそうですね。運が良かったんですね、とだけは思います。
トピさんの自慢話を ただ、ご自身が納得して
私達に 言っている様にしか 感じないのですが? そんな生き方もあると言うことですよね?
そこで、再び、トピ主登場
まず、私の文章に不快な思いをした方々がいらっしゃるようで、申し訳ありませんでした。
不特定多数の人のいる掲示板で、特にこの時期に書く事ではない、辞めたくても辞められない立場の人たちがいる、適度なストレスは必要、後々お金が足りなくなったらどうするのか、上から目線、寂しいんでは?等、全てその通りですね、反省しています。
御主人がいるからこそでは、と書いて下さった方々。
今まで主人とは別会計で暮らしてきましたし、これからも自分の分はそのようにするつもりでしたが、
主人が働いていてくれるからこそ、自分も今のような貯金が出来た事は事実ですね。
それから、暖かい言葉を書いて下さったたくさんの皆様。皆さんの文章を読んで、PCの前で、泣きました。
本当に、ありがとうございました。
最終的には、攻撃的なレスは影をひそめ、再び、肯定的レスが増える。
トピ主さんが30年企業で働いてきたのは、堅実さと持続性があったから。結果今の生活の土台が築けたのです。身を粉にして働いた分、今後は健康に好きに生きる事を選択された、大変バランスのとれた生き方だと思います。人生は選択の連続で、それらの結果が我々の現状です。それを忘れて成功者を妬むのはどうかと思いますね。
「幸せ自慢するな!」
どうですか? ここまでボロクソに言われる。本当に怖いですね。
何故、ここまで攻撃的なレスがついたのか?
一言で言うと、このトピが「幸せ自慢」と解釈されたからでしょう。なによりも、トピの題にも「幸せです」と書いてあるし、次の文がいかにも上から目線のように読める。
今頑張ってる人へ。仕事やお金だけじゃないですよ、自分の心や体が1番大事、こんな生き方もあると伝えたいです。
もっとも、彼女が本当に自慢しているのか、上から目線なのかは分かりません。ただ、この手の言葉に敏感な人は存在していて、一つ批判レスがつくと、便乗の批判が山ほど降ってくるというのが、発言小町というコミュニティのありがちなパターンなわけです。
掲示板やSNSは共有空間である
これが個人のブログやyoutubeだったりするならば、ここまで叩かれることは普通ありません。実際、女性のリタイアブログというものも存在していますが、批判コメントが沢山来て困る、ということは聞いたことないですし。
それは、ブログやyoutubeは個人空間だからです。基本、リタイアブログはリタイアに関心を持っている人しか見ません。仮に批判的な読者がいても、リタイアというものについて知識や免疫はありますから、批判するにしても、ツボを突いた批判になるでしょう。
一方、掲示板やSNSは共有空間です。
セミリタイアという概念に免疫が無い人も多数閲覧します。赤ちゃんが生まれての幸せ自慢ならともかく、リタイア者の幸せ自慢というのは、全く空気の読めていない行為だと見なす人も出て来るのでしょう。
すると、「私達の空間に入って来ないでよ!」という排除の論理が働きます。「恵まれない人」などを引き合いに出していますが、要は「気に食わないからここに書き込むな」ということを言いたいわけです。
一度、排除の論理が働くと、相手を徹底的にやり込めることに精力が費やされることになります。
ただ今回紹介したトピックでは、幸いなことに、トピ主に同情的な意見も多数見られたので、最後は穏やかに終わりました。
トピ主の「仕事やお金だけじゃないですよ、自分の心や体が1番大事、こんな生き方もある」というは、変な色眼鏡をかけなければ、一つの見識として充分肯定され得る内容だと思うんですがね。
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